Column

2021.09.22 12:00

【単独インタビュー】宮沢氷魚が『ムーンライト・シャドウ』で挑んだ“自分に最も近い役”

  • Atsuko Tatsuta

小松菜奈主演『ムーンライト・シャドウ』は、吉本ばななの原点ともいえる名作を、マレーシア出身の気鋭エドモンド・ヨウ監督が映画化したラブストーリーです。

鈴の音に導かれるように出会い、恋に落ちたさつき(小松菜奈)と等(宮沢氷魚)。等の弟・柊(佐藤緋美)と恋人・ゆみこ(中原ナナ)とともに4人で過ごす時間が増えますが、ある日、等とゆみこは突然帰らぬ人に。深い哀しみに打ちひしがれるさつきと柊は、それぞれの方法で、現実を受け止めようとしますが──。

長編映画単独初主演となる小松菜奈が主人公・さつき役を演じ、恋人の等役には、舞台や映画、TVドラマと目覚ましい活躍を見せる宮沢氷魚。等の弟・柊役には佐藤緋美、柊の恋人・ゆみこ役には中原ナナという次世代を担う若手俳優のアンサンブルも見どころのひとつです。

公開に際し、本作で俳優としての新たな側面を披露した宮沢氷魚がインタビューに応じてくれました。

──昨年は舞台の『ピサロ』が公演開始後すぐに中止となるなど、この先映画も舞台もどうなることかという時期もありました。その後、舞台も映画もなんとか動き出してはいますが、この1年、どう過ごされていましたか?
『ピサロ』は42公演ほど予定していたのですが突然中止になって、残りの30回くらいのスケジュールも空いたし、その先の仕事もコロナで全部なくなってしまい、“どうしよう…”みたいな期間が結構あったんです。でもありがたいことに、9月に大鶴佐助君と二人芝居をやって、そこからまた一気にエンジンにかかったというか、たくさんお仕事をさせて貰って、あっという間に一年が経ちました。もちろんコロナで制限されていることもあったり、でも逆にコロナだからできたこともありました。そこは敢えて、こういうご時世だからできたこともあるという、プラスに考える力を身に付けられたので、そういう意味でもあっという間に一年が経って、すごく充実した時間を過ごしました。

──『ムーンライト・シャドウ』のオファーは、どういうモチベーションで受けることにしたのですか?
脚本を読んで、主演が小松菜奈さんというのも聞いて、すごくこの世界観に惚れたんです。おそらく僕が今まで参加してきた映画とは全然違う世界観をこの作品は描いてくれるんだろうなと思いました。新しい自分の一面というか、“こういう映画にも対応できるのかな”という、自分としての挑戦でもありました。でももちろん挑戦するにあたって、それなりの“できる”という自信がないとダメですが、小松さんとだったら素敵な映画にできるような気もしていたし、監督がエドモンド・ヨウさんという外国の方であるところが、僕の中では魅力でした。舞台は外国の演出家さんが多くて、『ピサロ』では2回、その前の『豊饒の海』という作品でも外国の方とさせてもらっていて、日本人にない感じ方、描き方、演出方法があるとここ何年かですごく感じていました。外国の方が演出した映画に出たことはなく、どうしてもやりたいと思っていたので、本当に出演できて良かったです。

──宮沢さんから見て、エドモンド・ヨウ監督の監督としてユニークだったところは?監督とは英語で会話されたのですか?
僕は英語で。(映画制作の現場で)どうしても一つの壁になるのが言語だと思います。台詞のニュアンスや温度感みたいなものは、もちろん言語によっても全然違います。エドモンド監督は英語の台本と日本語の台本を持っていて、“こういうシーンなんだ”といったことを考えながら演出してくださいました。当初は、この言葉にこういう感情がのっている、とか繊細な部分は伝わるのかどうか少し心配でしたが、始まってみたら全然そんなことはありませんでした。エドモンド監督はしっかりこの世界観に入っていたし、それを僕たちと共有してくれて、言語の先の意思疎通がありました。会話がなくても、“あっ、多分こういうシーンにしたいんだろうな”といったことがわかりあえる関係性がすぐ築けたので、それはとても良かったと思います。

事前に役についての話をエドモンド監督はじめ他のスタッフさんとしていて、撮影に入る前の準備期間も、ちゃんと役者を交えてしっかりやってくれました。小松さんとの本読みもさせてもらいました。今って映画もドラマもあまり本読みがないんですよ。その本読みで発見することもたくさんあるので、久しぶりに映像作品で本読みができて嬉しかったし、たぶんそういった時間を大事にできたから、言語の壁とか関係なく、良い作品にできたのではないかと思います。

──小松さんはインタビューで、監督と現場でディスカッションを重ねてお互いのバランスをとっていったとおっしゃっていました。宮沢さんの場合はいかがでしたか?
僕もそうですね。エドモンド監督は役のことだけでなく、何かしらのコミュニケーションがとりたいという思いがあったのか、いろいろ話しました。会ってすぐに「エドちゃん」と呼んで、もう友だちのように接していました。エドモンド監督はとにかく優しくて、明るくて、いつも笑顔でニコニコしているので、何でも相談できる。自分がどうしてもこれ違うなと思った時でも、エドモンド監督は何を言っても理解しようとしてくれるので、毎日たくさん話していました。LINEも交換して、家に帰っても“明日のこのシーンどうかな?”、”こうしたい”みたいなやりとりもしていました。

──監督からは、等の人物像に関してどのような説明があったのですか?
等って良い人じゃないですか。おおらかで、いつもスマイルで、なんでも解決してくれるような、太陽のような存在。それだけで描くこともできると思うんですけど、そこはもちろんベースに持ちつつ、もうひとつ深いところで等という人物を作りたいという話をエドモンド監督はしていました。等のもっと陰というか、あまり人に見せたくない一面のようなものが心のどこかにあったらいいよねと、本読みの時に話してくれました。僕もまさにその通りだなと思いました。長男として一家のまとめ役であり、柊の心のバランスが乱れるときもあるから、そこをうまくカバーする役割も担っている。だから小さい頃から本当に自分がやりたかったこととか感じたかったことを、気付かないうちに自分の中で封印していたところがあって、でもそれはどうしても自分にのしかかって、影になったと思うんです。僕も3人兄弟の長男で、そういう経験があったからこそすごく理解できるし、その点を意識しながら演じました。

──先ほど、“こういう作品にも対応できるのかな”と考えたとおっしゃいましたが、「こういう」というのは?
今まで、自分に近い役とか共感できる役、自分に近いものがあるなと思えることはもちろんありました。でも、ここまで理解ができて、共感ができる存在──そんな役に出会うのは初めてだったので、もちろん大変なシーンもあったし、凄い考えて悩んだ時もあるんですけど、結果的に解決できなかったことは意外にもありませんでした。全部自問自答して、自分だったらどう感じるかなと思った時に(出てくるのが)、そのまま等が感じているであろうものだったりするんです。それは多分、境遇だったり、等の持っている人間としての温度みたいなものが凄く自分に近くて、だから演じているという感覚があまりありませんでした。

──俳優として、自分に近い役とまったく別の作り上げた役、どちらがやりやすいですか?
それぞれ違う面白さはあるんですけど、やはり自分と真逆の役柄を演じるときも、おそらく自分にその要素がないわけではなく、それは持っているけど普段は表に出さない、表現しない感情なのだと思います。普段使っていないから、ちょっと錆びてるというか、ホコリが被っている感覚。なので、それを呼び起こすように自問自答すれば、おそらく答えが出てくる。大変な作業ですが、楽しいんですよね。だから正反対の役の方がやりがいはあるのかもしれないですね。だから、どちらも大変です(笑)。

──自分と近いということは監督と話したのですか?
それは話さなくても、お会いした時にエドモンド監督もたぶん感じてくれていたし、もしかすると会う前から、多分こういう人なんだろうとわかっていてくれたと思います。

──この物語の核にあるのは喪失ですが、このテーマについて思うところはありますか?
僕も大切な人を亡くした経験があります。そうした時って時間が止まるような感覚で、ちょっと先に行けないかもという、自分だけ置いていかれている感じがします。でも意外と人間って強くて、やっぱり時間が経つにつれ、いろいろ解決していくような気がするんですよね。じゃないと、生きていけない。もちろん辛いですが、自分の身体、フィジカルもメンタルもフル稼働して、何とか立ち直ろうとしていく。そして気が付いたら普段の生活に戻っていて、今までの自分になっているのが怖くもあり、でもそれも人間の魅力だなとも思います。最終的なゴールはみんな同じだからこそ、その人のことは忘れないけど、自分のために生きて、前向きな人生を送ろうという気持ちになれると思うんです。だから、喪失感はありつつも、その先にある前向きな残りの人生といったものの方が、僕は大事だと思っています。

──本作は吉本ばななさんの小説が基になっていますが、いつも原作と脚本はどのように読むのですか?
もちろん原作も読みますし、この作品だけではなく原作があるもの、例えば、今度放送されるドラマとかは先に映画があって、そのリメイクのドラマなのですが、そういう時も映画を観ます。ただ、原作がベースにありながらも、僕たちが生きる世界というのは、いただいた台本と監督とこのスタッフ・キャストで作る世界なので、(原作は)あえて読み込まないようにしています。もちろん、その作者の伝えたいことや表現したいこと、おそらくこういうキャラクターだということはある程度理解した上で、脚本をメインで考えるようにしています。

──吉本ばななさんの小説についてはどのような印象を持っていたのでしょうか。この映画に携わったことで変化はありましたか?
とにかく言葉が美しいイメージがあって、伝えたいことや、見えてくる景色みたいなものが少ない言葉で凄く鮮明に伝わってきます。だからこそこの作品が成立したのだと思います。等もそんなに喋らないし、ゆみこちゃんもそんなに多くを語るわけじゃない。でもその少ない言葉の中にも、ちゃんと吉本さんが伝えたかったこと、大事にしていたことが反映されているし、その言葉の先にあった景色とか、一人ひとりの関係性みたいなものが、この映画では表現されていると思います。もちろん多少の変更も加わってますけれども、吉本ばななさんの小説の根本にある世界観は、この映画にもしっかり生きていると思います。

──宮沢さんは『his』で俳優として脚光を浴びましたが、『his』が宮沢さんのキャリアに与えたインパクトとは?
参加させていただいた作品全部が今の僕を作っていることは間違いないと思いますが、その中でも『his』は、挑戦したことのない役柄でした。LGBTQを題材としているというところもありますし。もちろんどの作品も、それが世に出て皆さんに届くことを考えた時、演じる上で責任は感じているのですが、それとはまた違った、自分の表現ひとつでたくさんの人を傷つける可能性がある、そんな作品が『his』だったと思います。他の作品よりも一層、細かいところまで特に気を付けて、色々考えました。ただ、注意深くなり過ぎるのもまた違うので、その塩梅がすごく難しかったです。あれだけ映像作品で悩んだり苦しんだりしたのは、おそらく今までなかったですね。だからその苦しみというか、あの役と向き合えて、演じきれたというのはすごく自信になりました。撮影している時よりも撮り終わって公開されるまでの方が怖かったんです。どういう反応があるのかとか、僕たちが描いた関係性とか人間性みたいなものが果たして正しいのかどうかも分からなくて。でも公開されて、賞賛や共感のメッセージがあったので、この仕事をやっていて良かったなと改めて思えた作品でした。やっぱり、代表作と言うのも変ですけど、僕の今を作ってきた作品の中では、間違いなく大きなものになっていると思います。

Photography by Takahiro Idenoshita

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『ムーンライト・シャドウ』

原作/「ムーンライト・シャドウ」吉本ばなな(新潮社刊「キッチン」収録作品)
出演/小松菜奈、宮沢氷魚、佐藤緋美、中原ナナ、吉倉あおい、中野誠也、臼田あさ美
監督/エドモンド・ヨウ
脚本/高橋知由

日本公開/2021年9月10日(金)全国ロードショー!
配給/エレファントハウス
©2021映画「ムーンライト・シャドウ」製作委員会