Column

2021.09.21 9:00

【単独インタビュー】『ディナー・イン・アメリカ』アダム・レーマイヤー監督

  • Mitsuo

変人扱いされる少女がパンクバンドの推しメンと出会い、社会の偏見をぶっ飛ばす異色の青春ラブストーリー『ディナー・イン・アメリカ』が、9月24日(金)より日本公開されます。

過保護に育てられ、したいこともできず、単調な毎日を送る少女・パティ(エミリー・スケッグス)。唯一、平凡な人生から逃避できる瞬間は、パンクロックを聴くこと。そんな彼女が、ひょんなことから警察に追われる不審な男・サイモン(カイル・ガルナー)を家に匿ったものの、実はその男こそが、彼女の愛するパンクバンド“サイオプス”の覆面リーダー・ジョンQでした。家族や周囲から変人扱いされ、厄介者と蔑まれる二人は、心惹かれ合い、社会の偏見に立ち向かっていきます──。

監督は、40以上の映画祭で上映され、その過激な内容で物議を醸した『バニーゲーム』(11年)のアダム・レーマイヤー。本作は、「今の自分を形作った背景である90年代のパンクシーンに捧げるラブレター」と語る通り、恋愛映画でありながら、映画そのものがマジョリティーに立ち向かうユーモアとパンク精神に彩られ、日本でもコアなファンの多い『ナポレオン・ダイナマイト』(04年)を彷彿とさせるシュールなキャラクター描写が、“普通”や“世間”に抗う若者たちの輝きを放ちます。

主演のエミリー・スケッグスは、舞台俳優としてキャリアを開始。日本でも舞台化され話題となったミュージカル『ファン・ホーム』で、2015年のトニー賞ミュージカル助演女優賞と最優秀ミュージカル・シアター・アルバム賞にノミネートされ、シアターワールド賞を受賞。2018年のサンダンス映画祭でグランプリを獲得した『ミスエデュケーション』(18年)ではクロエ・グレース・モレッツと共演したほか、『マイル22』(18年)などに出演。長編映画での主演は本作が初となります。

もう一人の主演カイル・ガルナーは、『CSI:ニューヨーク』(06〜13年)などドラマで活躍。映画でも『エルム街の悪夢』(10年)でルーニー・マーラと共演、『アメリカン・スナイパー』(14年)ではブラッドリー・クーパー演じる主人公の同僚の兵士を演じて強い印象を残しました。

日本でも大ヒットした『サマー・オブ・84』(18年)のジャン=フィリップ・ベルニエが撮影を、『ナポレオン・ダイナマイト』のジョン・スワイハートが音楽をそれぞれ担当し、プロデューサーには『ズーランダー』『トロピック・サンダー/史上最低の作戦』『LIFE!』などの名優ベン・スティラーが名を連ねています。

新型コロナウイルスの影響で本国アメリカではまだ公開されていない中、日本公開に際し、アダム・レーマイヤー監督がオンラインインタビューに応じてくれました。

──90年代のパンク音楽シーンがあなたの人生に与えた影響とは?
私が育ったネブラスカ州リンカーンという場所は、本当に田舎でした。ネブラスカにはオマハとリンカーンという2つの都市がありますが、規模としてはとても小さく、どちらも大学生の多い街のため、それはつまり、パンクロックを含む様々なものが盛んであることを意味します。90年代で私の知り合いの半分はバンドをしていて、スタジオやドラムキットなど必要なものは融通し合ったりと、互いに助け合うとてもポジティブで健全な、最高にロックな音楽シーンでした。ハウスパーティーでみんなで演奏もしたり。このような良い形でパンクシーンに出会えて、当時も幸せに思っていました。

私は15歳の時に、ラジカセを使ってまずは左チャンネル、次に右チャンネルと順に録音する方法を見つけて、曲を作り始めました。4トラックの録音機を手にする前からね。それから30年、音楽と共に過ごしてきましたが、その1分1秒を楽しんでいます。私にとって曲作りは20年以上の日課で、耳を痛めてからは少し控え気味に、時間を見ながら行うようにしていますが、ずっと自宅で日々レコーディングをしてきました。音楽と私はとてもポジティブな関係にあり、人によっては教会のようなものが、私にとっては音楽だといえます。

──サイモンとパティはとてもユニークなキャラクターですが、実際にモデルにした方はいるのですか?
二人は本当に長い成熟過程を経て出来ました。私はキャラクター作りを庭造りのように考えていて、種を植えて、長い期間をかけて水をやり、何年もかけて育んでいきます。

具体的には、まず1995、96年頃に、UNL(ネブラスカ大リンカーン校)の学生会館に貼られた、研究の被験者を募集するポスターを見かけました。報酬がもらえるモルモット代わりの人間ですね。それから10年早送りした2006年、カリフォルニアからネブラスカの実家に帰った時に雪が降り、道を歩きながら聞こえたブーツの音から、サイモンというキャラクターを思いつきました。彼のキャラクターが、何年にも渡る間に出会った人々や出来事、それからアルバム作りのための資金を“身体で稼ぐ”若いパンクロッカーというアイディアが合わさって出来たのなら、すべてはその10年前に学生会館に貼ってあったポスターが始まりと言えます。

それで2006年に、まず脚本の最初の10ページを書きました。この映画のオープニング、七面鳥を窓から投げるところですね。でもその脚本にはそれから何年も手をつけず、”庭”に戻して育てていました。「キックス」という別のプロジェクトもあって、それにも手をつけない期間が何年もあったし、他の脚本を書いたりと、いろいろなことをしていました。それから、「ディナー・イン・アメリカ」という今回の映画とは少々異なる、パティと家族を題材としたアイディアもありました。でもそれをサイモンというキャラクターと混ぜ合わせれば、面白い物語ができるのではないかと思い、2013年に脚本を書いて、2018年に撮影を行い、2020年にサンダンスでプレミアを迎えてと、前進を続けました。そして2021年、こうしてあなたとお話しているわけです。

──その間にアメリカでは、9.11やオバマ大統領の就任、さらにトランプ氏の登場といった大きな出来事が何度もありましたが、この物語の描き方に何かしらの影響はありましたか?
脚本はトランプが大統領になる3、4年前に書き上がっていったのですが、実際に撮影を行う時に、世の中がある意味でこの作品にぴったりな状況になっていたのが興味深かったですね。

──今回のエンディングは、当初から想定して脚本を書いていたのですか?それとも自然な流れで?
流れで出てきました。私の後ろの壁に貼ってあるように、ノートカードを並べて物語のアウトラインを作る時もあるのですが、この映画ではアウトラインは作らず、完全にフリースタイルで作りました。曲作りみたいですね。完全に仕上げるのには6、7ヶ月かかったのですが、下書きのようなアイディアはかなり早い段階からあって、映画の最初の10分は2006年に考えたものだし、パティと家族の最初の食事シーンは、2009年に「ディナー・イン・アメリカ」で書いたものをほぼそのまま使っています。一方で、これも入れたいと思っていたシーンを間に挟み込んでいったところもあって、まとめると、全体の80%ほどは、書きながら順に出来ていったものだと思います。

──この映画はダークコメディでもありながら、非常にスイートなラブストーリーでもあります。このトーンは、どのように出来上がっていたのですか?
脚本を書いているうちにそういう方向に進んでいき、私自身とても驚きました。でも、カイルとエミリーが実際に演じるのを見て、さらに驚きました。二人がこの役にもたらしたものは本当に大きく、玉ねぎを剥くとどんどん次の層が出てくるように、新たな深みをどんどん見せてくれました。二人は良い意味でのサプライズで、この映画を次のレベルへと押し上げてくれたと思います。

──本作が『バッファロー ’66』を想起させるという声もありますが、影響を受けた部分などはありますか?
『バッファロー ’66』は映画館で楽しく観ました。私にとってはとても稀なことに、映画館で確か2回観たと思います。とても気にいっているし、ランス・アコードによる撮影だったかと思いますが、非常に美しくて、特にそのルックが大好きでした。この映画のルックブックなどでは、レファレンスとして参考にしました。カラーパレットやバイブスなどは似ていたと思います。そうした点では確かに活用しましたが、物語への影響はありませんでしたね。先ほどお話ししたように、この映画の特に初期段階にあったものは、何年も何年もかけて出来上がっていったもので、始めからはっきりとしたコンセプトが定まっていたわけではありませんからね。

──キャスティングでは、まずサイモン役から決めたかったと伺いましたが、カイルとエミリーがそれぞれの役にふさわしいと思った決め手は?
キャスティングディレクターと話しているときにカイルを提案されて、2014年のサンダンス映画祭で撮影された彼の“湿板写真”を見て決めました。そこに写っていた彼の目で、起用したいと思い。その目にはジェームズ・ディーンのような脆さがあって、とにかく私が気に入るであろう資質が感じられました。私は1枚の写真からでも何かが上手くいくかどうか判断できものだと信じていて、カイルも、この写真だけで上手くいくと確信しました。

パティ役を希望した人はたくさんいました。実は別の俳優が決まっていたのですが、後になってやっぱり無理と言い出したりと、いろいろなことがありました。今回の映画はキャスティングが難しい作品だったと思います。エミリーのエージェントだったかマネージャーが、オーディションテープをこっそり送ってくれて、それを観て圧倒されました。よくわからないけど、とにかく良いと思わせてくれるところがあって。ビデオチャットをして、それから実際に会う中で、彼女とはすぐに通じ合えたような感じがしました。そして彼女はこの役に、本当に多くの個人的な経験を反映してくれました。

──二人とも劇中で歌うシーンがありますが、エミリーはミュージカル出身なので歌えることは事前にわかっていたと思いますが、カイルには練習等をしてもらったのですか?
カイルは早々から声を枯らしてしまったんです。キャストに決まった後、(役作りのために)「とにかく車の中とかで叫びまくる」と言い出し、私は「そんなことせずに賢くやろう」「LAに知り合いのブラックメタルバンドのヴォーカルがいるから、喉を痛めることなくやり方を教えてもらおう」と忠告したのですが、カイルは言うことを聞かず。(ロケ地の)デトロイトに着く頃にはもう喉をダメにして、回復させる途中でした。それからこの役でたくさんタバコを吸ったせいで、彼の声はさらに低くなり、実際に撮影が始まる頃にはもう、普段と比べてかなり低い声になっていました。最近も彼は、もし何かでサイモンの声が必要になったら、まずは1ヵ月ぐらいタバコを吸い続けなきゃいけないからね、と言っていました(笑)。

エミリーはブロードウェイなどの経験があったので、この映画では彼女を“小さく”見せることが大事でした。部屋全体に響き渡るように“大きく”見せるのではなく、マイクに向かって鳥のように、ピュアな音で歌うだけ。

──劇中に登場する曲「ウォーターメロン」と「ディナー・イン・アメリカ」の制作にはあなたもクレジットされていますが、どのように作り上げていったのですか?
「ディナー・イン・アメリカ」については、歌詞が脚本に書き込んであり、それが私の担当した部分です。曲自体は、ここ(デトロイト)から川を渡った向こう岸、カナダのウィンザーが拠点のディスコ・アサルトというバンドによるものです。歌詞のついていない未使用の曲があったので、それを使いました。他にも実際のディスコ・アサルトの曲をいくつかライセンスしてもらって、カイルがサイオプスの曲として歌っています。「ディナー・イン・アメリカ」は、私の書いた歌詞をディスコ・アサルトのヴォーカルが試しに歌って曲の感じを決めて、それをレコーディングして、その上からカイルが歌いました。

エミリーの場合(「ウォーターメロン」)は、脚本の1/8ページくらいの分量で、”歌を歌い、とても素晴らしい出来になる”としか書かれておらず、皆が不安に思っていました。事前に収録するのか、実際の撮影では何をするのか、みんな知りたがっていました。でも私は、この曲は絶対にパティ役を演じる人と一緒に作りたいと言い、譲りませんでした。

他の人に外注して曲を書いてもらおうと思っていた時もありましたが、結局のところ時間と予算と労力的な事情を考えてみたら、この曲は私のレコーディングのスタイルと同じなので、自分でやるのがぴったりだと気づきました。そこで、エミリーにパティとして書いた何ページもの歌詞を持ってきてもらい、スタジオで一緒に目を通しながら、実際の歌詞の最初の2行に一番良さそうなところを選びました。「ここ!ここから始めよう」とね。そこから残りの歌詞も作っていき、全部で20分ほどで出来上がりました。それから簡単なデモをスマホで録音して、それぞれ持ち帰って一晩に何度も聞いて、翌日、30〜40分ほどでレコーディングしました。最初に私がドラムを叩いて、次にギター、ベースを弾いて、それからエミリーのヴォーカルを録りました。確か映画で使ったのはエミリーの2テイク中の2テイク目です。あっという間に完成しました。

──サウンドトラックもスタイリッシュでユニークでしたが、作曲を手掛けたジョン・スワイハートとはどのような話をしたのですか?
もともとは、サイモンの動きがあるところにアコースティックドラムをつけるつもりで、ドラマーにトリッキーなビートを演奏してもらって、その音を私なりにいじろうと思っていました。でもスワイハートがいろんな電子ドラムの音を送ってきて、パンクとのコントラストがとても気に入りました。それはそれで特徴のあるものになっていて、それで彼とのコラボレートでは、とにかくメロディといったものをすべて省き、ビートだけが残るようにしました。この映画でいわゆるメロディのある音楽が流れるのは、パティとサイモンが一緒のシーンで3度しかなく、パティがクマのぬいぐるみを持って人生最高の1日だったと言うところ、サイモンが車を止めて「お前は最高にパンクだ」と言うところ、それから終盤で二人がタバコを交わすところ。残りはビートのみです。スワイハートからこのアイディアを聞いてすぐに、それで良い気がしました。

そう決めた後はまず、映画の冒頭部分をこの音に合うように修正しました。この映画にも、インディ映画では恒例の“ファーストアクト問題”があり、とにかく第1部が長すぎて、それをいかに縮められるかが最大の懸念でした。パティとサイモンが始まりから39分経ったところで出会うのは、遅すぎますからね。24分までには出会えるよう、第1部から色々と削らなければなりませんでした。

──先ほどエミリーとカイルがこの映画を次のレベルに引き上げてくれたとおっしゃっていましたが、二人がもたらした、あなたが予期しなかったものとは?
カイルとエミリーは、本当に今回の役に自分自身を込めてくれました。エミリーは本当にパティそのもので、この役にとても強いつながりを感じていたし、このキャラクターを守ることに強い思いを持っていました。エミリー自身が、昔は自分もパティのようだったと感じていましたから。その頃の写真も見せてくれましたが、14歳、15歳の頃の彼女は、本当にパティでした。彼女がありのままの自分を出してくれたことで、非常にリアルなものになったと思います。カイルは、自分の少年時代と感覚的につながりを持てたというか、彼もロックミュージシャンにあこがれるスケボー少年で、バンドには入っていなかったけど、そうしたことをする自分も想像できたようだし、今回、様々なハードコア文化に囲まれるのを楽しんでいました。濃い役ながらも、自分の中にあった感覚を呼び起こしながら演じてくれたと思います。二人ともこうして自分自身を役に捧げてくれたおかげで、生き生きとしたキャラクターとなり、だから私自身も驚かされることになったのだと思います。

それと、パンク音楽を扱った映画では、音楽が最も酷い部分になりがちです。だいたいは観ていて恥ずかしいような出来で、そうしたシーンになると嫌な気分になりますね。なのでこの映画では、音楽が非常に重要な、まさにそこに全てがかかっているのだということを強く意識しました。映画の終盤になってパンクのライブが酷かったら、真実味が失われてしまうし、興味が断ち切れて、そこまでの時間が無駄になってしまいますからね。でもそこでまっとうなライブを見せて、主人公が“本物”だったと伝われば、それほど最高なことはありません。パティも、あの家で歌う曲が酷かったら、それまでの1時間半は何のためだったのか…全員にとって時間の無駄使いです。でも彼女の歌からリアルな感情が伝われば、それは価値のあるものになり、そこにたどり着くまでの全てが意味のあるものになります。カイルとエミリーが自分自身を捧げてくれたというのは、こうした真のコラボレーションからしか生まれないものを作り出してくれたということですね。

──ファンとアーティストとの関係は、特にスマートフォンやSNSの登場で大きく変わりましたが、90年代と比べて失われたもの、あるいは得たものは何だと思いますか?
失われたものは、はっきりとお答えできます。(ライブにおいて)誰も音楽を“感じなく”なってしまいました。今では(アーティストと観客の)“間”にあるものに気を取られすぎていて、もはやその間に何も生まれなくなってしまいました。(※手元のスマートフォンを持ち)“これ”さえなければ音楽を感じることができるのに、目の前で起きていること記録しようとすることでバリヤーが出来てしまい、すべての感情が失われ、コネクションもなくなり、もはや全く意味のないものとなってしまいます。

私はタバコが臭うバーやライブハウスで、皆が好き放題に楽しむ音楽が好きでした。そこにあるのは音楽だけで、音楽だけを感じること。それはまるで感覚的に感じることを学んでいるようでした。私自身はタバコを吸いすらしませんが、どうしてもライブにはあの煙たい空間がふさわしいと思えて、それなしでは考えられないというか。ロックンロールは薄汚れたとにかく暑い場所で、汗をかきながら楽しむものでした。私がライブをしていた頃は、全てがリアルで、人とのコネクションを感じることができたし、それが素晴らしかったのです。でも今では誰もがスマートフォンを手に持ち、音楽は気にもかけず、面白みのない空間になりました。もはやその本質をわかっていないのでしょう。ただ最近の世代にとってはそれが当たり前になってしまったので、もはやそれが何だったかを説明しようにも、その“他を知らない”今の世代にはまったく見当もつかないものになったのでしょう。なので、何が失われたと言えば、“全て”ですね。

とはいえ今でもマシなライブも時にはありますが、でも昔のライブはその比にならないほど何が起こるか全くわからないリアルなもので、その興奮というのはもう……そうした皆で作り上げる音楽の現場を経験できて、私は幸運だと思っています。

──あなたにとって、パンクの精神とは?
この映画においてもその他でも、だいたいの場合は、自分自身に正直であることですね。サイモンがパティに「パンクを貫け」と言うのも陳腐な表現ですが、サイモンは自分のことを生粋のパンクと思っているところがありますからね。「お前は最高にパンクだ」などと言っているのも、言ってみれば無意味な言葉で、“パンクであれ”と言うよりは、ただ自分のままであれと言う方が正しい。ありのままの自分を貫き、周りと対話し、互いに与え合いながら協力していくことですね。

==

『ディナー・イン・アメリカ』(原題:Dinner in America)

監督・脚本・編集/アダム・レーマイヤー
プロデューサー/ベン・スティラー、ニッキー・ウェインストック、ロス・プットマン
エグゼクティブプロデューサー/ステファン・ブラウム、ショーン・オグレー
音楽/ジョン・スワイハート
撮影/ジャン=フィリップ・ベルニエ
出演/カイル・ガルナー、エミリー・スケッグス、グリフィン・グラック、パット・ヒーリー、メアリー・リン・ライスカブ、リー・トンプソン
2020年/アメリカ/英語/106分/カラー/5.1ch/シネマスコープ/字幕翻訳:本庄由香里

日本公開/2021年9月24日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、新宿武蔵野館ほか全国順次公開
配給/ハーク
配給協力/EACH TIME
公式サイト
© 2020 Dinner in America, LLC. All Rights Reserved