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2021.07.19 9:00

【最速レビュー】『Annette』レオス・カラックスがミュージカル映画で切り拓いた新境地

  • Atsuko Tatsuta

フランスの孤高の天才監督レオス・カラックスの『Annette』が第74回カンヌ国際映画祭のオープニング作品としてワールドプレミアされ、監督賞を受賞した。

2012年の『ホーリー・モーターズ』から9年ぶりとなるこの新作は、自身初の英語作品であり、ダンスのないミュージカルである。セリフはなく、登場人物の心情はすべて約40曲の歌曲で語られる。

舞台はLA。有名なスタンダップコメディアンであるヘンリー(アダム・ドライバー)は、オペラ歌手のアン(マリオン・コティヤール)と電撃結婚し世間の注目を浴びる。美女と野獣、不釣り合いなカップルといわれる二人だが、愛情の結晶である女の子アネットが生まれ、結婚生活は安定したかのように見えた。だが、ヘンリーのシニカルな芸風と幸福な家庭のイメージは相容れず、ヘンリーは精神的に追い詰められ人気も低迷、アルコールに溺れる。一方、アンはその美しい歌声と美貌で世界的名声を確立していく。溝が広がりつつあった二人は、関係を修復するためにヨットで世界一周の旅に出るが、嵐に遭い、アンは海に落ちて行方不明になる──。

幾度となくリメイクされている『スタア誕生』のストーリーを彷彿とさせるダークなポップオペラ『Annette』は、アメリカのポップデュオ「スパークス」からの働きかけで始まったプロジェクトである。『ホーリー・モーターズ』でドニ・ラヴァンが車の中でスパークスの“How Are You Getting Home?”をかけるシーンがあるが、この作品を観たスパークスがカラックスにミュージカルの企画を持ち込んだのだ。シニカルで知的なスパークスの世界は、気難しさで知られるカラックスの世界と意外にも相性が良かったようだ。

「時間、空間、音楽から成るミュージカルは、映画に驚くほどの自由をもたらす」と言うカラックスだが、冒頭のプロローグは、まさにミュージカルという日常からかけ離れた世界への導入となっている。録音スタジオにいるカラックスのキューをきっかけに、カラックスと実娘のナスティア、スパークス、メインキャストのアダム・ドライバーとマリオン・コティヤールらが、サンタモニカの街を闊歩しながら“So May We Start”を歌う。実際に、ヘンリーとアンのラブストーリーは“つくりもの”の世界で展開する。生まれてきたアネットは人形によって演じられ、ボートが嵐で遭難しかけるシーンも、スタジオ撮影だ。リアルさからかけ離れることで、カラックスはこれまでにないほど自由に物語を語る。

スパークス(ロン・メイル、ラッセル・メイル)Photo by Anna Webber

アダム・ドライバー演じるヘンリーは、カラックス初期の三部作『ボーイ・ミーツ・ガール』『汚れた血』『ポンヌフの恋人』でドニ・ラヴァンが演じたアレックスや『ポーラX』でギョーム・ドパルデューが演じたピエール同様に、愛する人と上手く関係を築けない自滅的な男である。ヘンリーが舞台上で着るグリーンのバスローブは、オムニバス映画『TOKYO!』でカラックスが担当した『メルド』で主人公を演じたドニ・ラヴァンが着ていたグリーンのスーツを彷彿とさせる。俗っぽいスタンダップコメディの世界と洗練されたオペラの世界。対称的な存在であるが故にヘンリーはアンに惹かれるが、その“違い”はまた二人を引き裂いていく。モンスターと化していくドライバーの演技は、おどろおどろしく見事だ。『スター・ウォーズ』シリーズの冷酷なカイロ・レンは、悪役ながら同情を掻き立てるところがあったが、子どもに執着し毒親と化していくヘンリーにはむしろ同情の余地がない。

従来、カラックス作品の主人公たちは破滅的な運命に身を投じる陶酔型であったが、本作では作り手(カラックス)は、徹底して男を追い詰める。アナはヘンリーの残酷な仕打ちに泣き寝入りをせず、その怨念を娘アネットに託す(時代を超え、サイレント時代の女優のような美しく危ういマリオン・コティヤールの演技が感動的だ)。実際に、物語中ではヘンリーが女たちにセクハラで訴えられるシーンも登場する(水原希子がその一人を演じている)。画期的なのは、父と娘の関係にフォーカスを当てたところにある。名前通りアンの分身でもあるアネット(通常、アネットの愛称はアン)は、女たちの想いを背負うかのように、父親の腕をすり抜け、見事に自立してみせるのである。

レオス・カラックスがフェミニストであるとは言わないが、彼の変化、あるいは成熟には、娘・ナスティアの影響が大きいのかもしれない。ナスティアは、プロローグとエピローグにも登場するように、この映画には深く関わりがあることは確かだ。幼いながらも父を乗り越えて自立していくアネットの姿は、そんな娘に向けてのメッセージが込められているのではないか。

実は、幼い娘を持つ親として、“悪い父親(ヘンリー)”についての映画は作りたくないと、カラックスは当初はこの企画を受けることを躊躇したという。だが、思ったよりも物事を理解できる娘に背中を押され、本作を撮るに至ったのだという。一見、恋愛映画に見えるが、観終わってみれば、娘への讃歌にしか見えない。

1984年に『ボーイ・ミーツ・ガール』で鮮烈なデビューを飾り、“アンファン・テリブル=恐るべきこども”と呼ばれたカラックスは、完璧主義で知られており、そのため35年間で8本の長編しか撮っていない寡作の監督だ。本作も完成までに7年を費やした。時間がかかったことには間違いないが、見事に着地したところが、伝説となるべくしてなった監督の天賦か。

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『Annette』(原題)

出演/アダム・ドライバー、マリオン・コティヤール、サイモン・ヘルバーク
監督/レオス・カラックス
脚本/ロン・メイル、ラッセル・メイル、レオス・カラックス
音楽/スパークス(ロン・メイル、ラッセル・メイル)

日本公開/2022年春公開予定
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