Column

2021.06.18 18:00

【単独インタビュー】『トゥルー・ヒストリー・オブ・ザ・ケリー・ギャング』ジャスティン・カーゼル監督

  • Mitsuo

ジョージ・マカイ主演『トゥルー・ヒストリー・オブ・ザ・ケリー・ギャング』は、歴史的な義賊ネッド・ケリーを新解釈で描き出したピーター・ケアリーのブッカー賞受賞小説の映画化です。

19世紀、オーストラリア。貧しいアイルランド移民の家庭に育ったネッド・ケリー(ジョージ・マカイ)は、頼りにならない父の代わりに、幼い頃から母と6人の姉弟妹を支えてきました。ところが父の死後、生活のため母により山賊のハリー・パワー(ラッセル・クロウ)に売りとばされ、パワーの共犯として10代にして逮捕・投獄されてしまいます。出所後は、娼館で暮らすメアリー(トーマシン・マッケンジー)と恋に落ち、家族の元に帰りますが幸せも長くは続かず、警官のフィッツパトリック(ニコラス・ホルト)が、難癖をつけてはケリーや家族を投獄しようとします。権力者の貧しい者への横暴、家族や仲間への理不尽な扱い、自らの正義、家族と仲間への愛から、ネッドは弟らや仲間たちと共に四角い鉄兜をかぶった反逆者集団「ケリー・ギャング」として立ち上がります──。

主演には、『1917 命をかけた伝令』で次世代の才能として注目を集めた英俳優のジョージ・マッケイ(マカイ)。母親から幼いネッドを売り渡されたブッシュレンジャー(盗賊)のハリー・パワーに『ビューティフル・マインド』のラッセル・クロウ、ネッドの家族に横暴を尽くすオニール巡査部長に『キング・アーサー』のチャーリー・ハナム、ネッドに屈折した想いを寄せ執拗に追い詰める警官のフィッツパトリックに『トールキン 旅のはじまり』のニコラス・ホルトと、豪華キャスト陣が結集しています。

監督を務めたのは、オーストラリア出身のジャスティン・カーゼル。『スノータウン』(11年)で長編監督デビューを果たし、その後、マイケル・ファスベンダーとマリオン・コティヤールを迎えた『マクベス』(15年)を監督。『アサシンクリード』(16年)でハリウッド進出も果たし、最新作『Nitram』は本年度のカンヌ国際映画祭コンペティション部門に選出されています。

かつてミック・ジャガーが『太陽の果てに青春を』(70年)で、故ヒース・レジャーが『ケリー・ザ・ギャング』(03年)で演じたネッド・ケリーを、現代性とパンク精神を加えた斬新な表現で映し出したジャスティン・カーゼル監督。日本公開に際し、現在拠点として滞在しているタスマニアからオンラインインタビューに応じてくれました。

© FDC / Cyril Duchene

──プロデューサーのハル・ヴォーゲルに誘われてこの映画に参加することになったそうですが、その時はピーター・ケアリーの原作本のことはご存知だったのですが?
原作の小説は非常に特徴的な視点でネッド・ケリーを描いているので、オーストラリアではとても有名です。オーストラリアでは昔から、ネッド・ケリーはアウトローとして様々な形で称賛もされ、軽蔑もされてきました。そんなオーストラリアのアイコンとなっているキャラクターに対するピーターの視点は非常に新鮮でした。とても洗練された美しい、詩的な本で、僕もずっと前に読んでいました。著名な賞も受賞しているので、映画化されるものだと思っていましたが、僕は非常にラッキーでしたね。9年ほど前だったと思いますが、初監督作『スノータウン』を完成させて、ロンドン映画祭でハル・ヴォーゲルと会いました。それ以降、僕はロンドンに5、6年ほど住んで映画を2本撮ったのですが、再びオーストラリアが題材の映画を作りたいと思うようになりました。そして、この映画の脚本の草稿をどのように作り上げるか、ハルとしばらく考えていたのですが、以前からの僕のコラボレーターであるショーン・グラントに参加してもらうことにしました。彼は僕の『スノータウン』の脚本も書いていて、再びオーストラリアで撮るのなら、自然な選択だと思いました。

──ネッド・ケリーはロビンフッドのような義賊としても人気もある人物ですが、今作でそのように描かないことに対し、プレッシャーや懸念はありませんでしたか?
オーストラリアで彼は非常に物議を醸す人物です。ロビンフッドとは違うただの警官殺しの盗賊だと考える人もいれば、正義のために戦う他人想いのまさにロビンフッドのような人物だったと主張する人もいます。さらには全く別の側面もあって、オーストラリアではネッド・ケリーのパイもあればネッド・ケリー博物館もあるし、鎧を着たネッド・ケリーの姿は2000年のシドニーオリンピック開会式の演出でも登場するなど、一種のキャラクターのような扱いもされています。

それからオーストラリアの人々には、ネッド・ケリーを通じて自らを見出そうとしているところがあります。それは、オーストラリア史に対する非常に狭い見方であるにも関わらず。ピーターが問いかけていたのは、この男の真実の歴史とは何か、なぜ我々はこの男を通して自分らのアイデンティティーを探そうとするのか、ということだと思います。その点に僕も興味を惹かれました。ネッド・ケリーの人物像が、史実が基にするよりも、人々の彼に対する見方が合わさって出来上がっているように感じられ、彼の本は、何が”真実”なのかという点を上手く活かしていたと思います。

──映画も、「この物語に真実は含まれていない」という言葉で始まりますね。
それは、”人の歴史は他人によって書かれてしまうことがあり、自身のコントロール下にはない”、ということに対して直接的な応答だったと思います。特にネッド・ケリーのような人物の歴史は、何度も何度も書き換えられてきました。この本のタイトル(邦題「ケリー・ギャングの真実の歴史」)は、”何が真実で何がそうでないか”ということに対するシャレのようなものだと思いました。自身の歴史を完全に自分の物にしておくことは出来るのか、人の歴史を他人が奪うことは出来るのか、という。映画の中でネッドは、まだ生まれていない子どもに向けて、自分は何者だったのか、彼自身の真実を書き留めた手紙というか本をずっと書いています。でもその本が日の目を浴びる事はなく、彼の”真実”というものは、彼のことをよく知らなかった人々によって突如書き起こされてしまいます。真実とは、歴史を振り返る者の視点やフォーカスによって、簡単に変えられてしまう──これが僕にとって非常に興味深い点でした。ネッド・ケリーはオーストラリアで何度も称賛されてきた人物だからこそ、本当のネッドはどんな人物だったかよりも、この人物が我々にとってどんな意味を持つ人物なのかと問うのは、とても面白いと思いました。

──いまネッド・ケリーの物語を描くことの意義は?
彼の反骨的な面は、無法的ながらもある意味で非常に現代的に感じました。彼の持つエネルギーは、いま世界で上がっている様々な声に通じるものがあると思います。周りからの抑圧に対する自分たちの声を見出し、同士を鼓舞していったのが、ネッド・ケリーでした。ピーターの本を読んだ時も、その頃に世界で起きていた変化によく通じるものがあると感じました。

──ネッド・ケリーの映画は過去に11本も作られているようですが、ご覧になったものはありますか?
たくさんありますよね。70年代ごろに作られたミック・ジャガーがネッドを演じたものと、ヒース・レジャーがネッドを演じたもの、両方観ました(『太陽の果てに青春を』『ケリー・ザ・ギャング』)。それから1900年代初期に作られた、ネッドの一番最初の映像作品(『The Story of the Kelly Gang』1906年)。この3本ですね。

──今作では暴力的な描写も見られますが、過激すぎると映画のレーティングにも関わってくる中、今回のような描き方にした意図は?
当時は暴力があたり前のようにふるわれていた、非常に過酷な世の中でしたからね。オーストラリアはまだ開拓時代で、入植にあたって多くの血が流れました。白色系のオーストラリア人だけでなく、最も顕著だったのは黒人系のオーストラリア人、先住民ですね。暴力は身近にあり、人々は互いに対して本当に残酷でした。この映画でのネッドは、はじめは暴力には関わりたくないと思っていましたが、最終的には、周囲が彼に期待する通りの”モンスター”になっていきます。抑圧する人々に対して、暴力を爆発させるわけですね。残酷な世界が残酷な人を作り出すというコメントもあったかと思いますが、まさにそれが彼にも作用したわけです。

──今回のネッド・ケリーは髭も無く、過去の作品で描かれてきた彼のイメージとは異なりますが、この役にジョージ・マカイが相応しいと思った理由は?
ジョージはオーディションで素晴らしいパフォーマンスを発揮しました。どこかあどけなく子どものようで、ナイーブさもあり、人に好かれる感じがしました。そして、役作りに向けて様々な努力をして、体つきも変わっていきましたが、彼のような良心を持った人から暴力性が出てくるのは、とてもインパクトのあるものになるだろうと想像できました。ジョージはとても穏やかで温和な心を持った、善良な人です。そんな人物が変貌した時、その変化は本当にダイナミックなものになるだろう、と。これが彼をキャスティングした大きな理由でもあります。彼は『マクベス』のオーディションにも来たのですが、その時も素晴らしくて、それで今回のオーディションでは、「うん、彼と仕事をしないわけにはいかない」と思いましたね。

──ラッセル・クロウやニコラス・ホルト、チャーリー・ハナムといったスターキャストが揃っていますが、集めるのは大変だったのでは?
本当に幸運だったのだと思います。彼らが参加したいと思えるだけの興味深い役だったということですね。ラッセルはずっと昔から一緒に仕事したいと思っていましたし、原作本を読んでいる時も、ハリー・パワー役にはラッセルを思い浮かべていました。様々な伝説や教えを持つブッシュレンジャー(盗賊)ということで、瞬間的に彼のことを思いましたね。

ニコラス・ホルトやチャーリー・ハナムとも一緒に仕事をしたいと思っていたのですが、二人も、僕の映画に出たかったと言ってくれました。僕としては、二人の役は、大きめのサポート役ながらもとてもインパクトのあるものだと思っていたのですが、二人もそのように捉えてくれて、非常に幸運だったと思います。

──彼らにはどのようにして役にアプローチしてもらったのですか?
どの役者も、自分が演じる役の真実や、なぜそのキャラクターを演じることにそそられるのか、探求していると思います。時には僕から役作りに向けたお願いすることもありますが、例えば体重を増やしたり、ヒゲを生やしたり、何かしらのトレーニングをすると、そのキャラクターが身体に宿るようになってきますよね。それから撮影現場では、自分が想像したり期待したものと異なったりすることに対して、とにかくオープンな姿勢でいる事ですね。

──役作りといえば、ジョージ・マカイをはじめとした”ケリー・ギャング”を演じる4人にバンドを組ませて、仲良くなってもらったという話には驚きました。
その4人は互いのことを知らなかったので、どうすればギャングのようになるか考えた中で思いついたアイディアでした。リハーサルの時間は2、3週間しかなかったのですが、彼らは、何年も一緒に過ごして互いをよく知る仲を演じなければなりません。サッカーチームのようなものかなとも考えたのですが、もっと近いのはバンドなのでは思いました。バンドは一緒に演奏するし、曲も作るし、互いの距離は一気に縮まります。なので、バンドを組むのが彼らにとってのリハーサルでした。

僕はメルボルンの良いライブ会場を押さえて、「君たちは2週間後に全く知らない人たちの前で演奏する。新たなバンドのライブとして告知する。曲も一式作ってね。10曲」と伝えました。そして彼らは、比較的早く曲も書けるし、楽器の演奏も必ずしも上手じゃなくても大丈夫だといって、パンク音楽に目をつけました。1週目は本当にひどい出来で、僕も最悪なアイディアだったと思ったのですが、2週目にはとても良いリフのある曲も出てきて、それからは放っておきました。ライブ本番の夜、彼らは300人ほどの客がいる会場(ガソメーター・ホテル)で演奏しました。全く知らない初めての聴衆の前でね。彼らは一通りのセットを演奏しましたが、本当に素晴らしかったと思います。その翌日が撮影初日でした。

撮影現場に彼らが足を踏み入れた時は、まさにギャングでした。歩調も同じで、同じようにジョークを飛ばし、内輪ネタや秘密もありました。一緒にバンドを組んだからこそ生まれた親密さが、そこにはありました。一方で、彼らの曲はピーターの原作本で描かれていたキャラクターや世界を歌っていて、とても興味を惹かれたので、いくつか映画でも使うことにしました。

──トーマシン・マッケンジーは最近では『ジョジョ・ラビット』で大きな注目を集めましたが、彼女のどんなところに惹かれたのですか?
トムもオーディションで本当に飛び抜けていて、想像力に満ちた粘り強い俳優であることが伝わってきました。たくさんの素晴らしい役を演じていたことは、後で気づきました。まさにこれから大きな成功を収めようとしている時に出演してもらえたのは、非常にラッキーだったと思います。

──この映画ではネッドと母親の関係が最も大きく描かれていますが、これも、これまでのネッド・ケリーの作品とは異なる点ですよね。
はい、その二人の関係性は、おそらく今まで注目を浴びていなかった最も興味深いものだと思いました。ネッド・ケリーといえばブッシュレンジャーの物語が一般的ですが、この二人の関係性は同じくらい重要です。ネッドの母親は、いわばマクベス夫人のような、子どもたちに非常に大きな影響力を持った母親で、原作本でも、彼女が一家を支配するような存在でした。そして、母をがっかりさせたくないと思うネッドが、彼女が期待する存在になることが物語の中心にあり、とてもユニークでした。母と子が互いにとってどんな存在だったのか、二人が歩んだ旅の物語ですね。

──この映画の大部分は自然が舞台で、屋内のシーンも少しありますが、いわゆる「町」は登場しませんね。これにはどのような意図が?
それだけの予算がなかったというのが、実際のところです(笑)。でも、町との繋がりもなく孤立感が漂うのは、とてもパイオニア的な感じがしました。ネッドの家は見渡す限り広がる枯れ木の森の中にあり、ハリーが幼いネッドを連れて行く宿屋も、森の中に突如現れる場所です。すべてが長くは続かない、一時的なもののような印象が生まれる気がしました。制作当初はどうやってスケール感を出すかという考えから出発しましたが、今話したような描き方のほうがむしろ様々な可能性があって面白いという考えに割と早い段階でたどり着き、方向が変わりました。

──ケリー・ギャングは”鎧”としてドレスを身にまとったり、一部シーンでは男性同士の”親密”な描写もありますが、いわゆる現代の男性的なマスキュリニティに対比する意図はあったのですか?
この映画で、彼らのセクシュアリティを定義づけることにあまり興味がありませんでした。調べたところ当時はとてもフルイド(流動的)な時代で、女性の格好をした男性が、パブで男性と踊ることもあったようです。男性と女性の数には大きな差があり、町に女性がほとんどいなかったという理由で。セクシュアリティという面でも、言ってみればとても自由でフルイドだったようで、これも原作本で僕が好きだったところですね。彼らは非常に長い時間を共に過ごし、常にキュリアス(性的な興味がある)だったところもあるけど、僕としては彼らのセクシュアリティを定義付けようとは思いませんでした。もっと実験的でありたかったというか。音楽におけるパンクムーブメントを見ても、ステージ上での見た目やセクシュアリティにおいてフルイドなバンドがたくさんいたと思います。

当時のことを調べていてもそれぞれの人物を断定的に語るのは難しく、またそうしたルールにとらわれない姿勢、さらには、セクシュアリティについてもいろいろとポリティカルに定義されていなかったことが、僕としてはとても惹かれました。自分の個性に沿って、今日と明日は違う自分でいられること。ドレスについても、このような考えが背景にありました。それからドレスは、エンパワーメントの一種としても捉えられます。彼らはバンシー(アイルランド等に伝わる、人の死を予告する女妖精)を真似てドレスを着ているわけですが、ドレスを着た男が馬に乗って叫びながらやってきた方が、鎧を着た男よりも恐怖を与えると思います。ドレスを着ることで、狂気と不安、そして解き放たれた感じが発せられ、相手を脅迫する手段となったわけですね。

──社会から抑圧されたダークヒーローという点では『ジョーカー』と通じるところもありますが、監督から見て共通点は感じますか?
この映画は『ジョーカー』と並んでトロント国際映画祭でプレミア上映されたので、似ている点があるとすれば偶然なのですが、通じるところはあると思います。ジョーカーはどちらかと言えば自分でジョーカーになっていったというか、周りが期待する人物になっていくことを好んでいたと思います。一方で、ネッドも周囲が恐れるアイリッシュの”狂犬”になっていきますが、それは彼の母親が望んだ”ケリー”の姿で、周りにいる他の人たちは、それを面と向かってネッドに伝えるのを恐れています。いずれにせよ、自身の運命をたどっていくという点では、この2人のキャラクターに共通するところがありますね。

──今作のオーストラリアの観客の反応はいかがでしたか?
賛否がありましたね。ネッドが髭ももなくドレスを着ていたことに腹を立て、我々がネッド・ケリーを冒涜したと言い出す”純粋主義”な方もいれば、特に若い観客から、全く思いもよらなかったネッド・ケリーの解釈でとても面白かったという反応もありました。

 

──これからもしばらくはオーストラリアを拠点に映画を作る予定ですか?
コロナ禍に作っていた映画がちょうど完成したところで、年末までにロンドンでもう1本を作ろうと思っています。それからアメリカでも1本、撮れるかもしれないものがあります。これまで、最初にオーストラリアで1本、ロンドンで2本、戻ってきてさらに2本の映画を作ってきましたが、これからまた海外へ冒険に出て、オーストラリア以外の物語を描けることをとても楽しみにしています。

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『トゥルー・ヒストリー・オブ・ザ・ケリー・ギャング』(原題:True History of the Kelly Gang)

監督・製作/ジャスティン・カーゼル
脚本/ショーン・グラント
原作/ピーター・ケアリー「ケリー・ギャングの真実の歴史」
製作/リズ・ワッツ、ハル・ヴォーゲル
撮影/アリ・ウェグナー
音楽/ジェド・カーゼル
編集/ニック・フェントン
プロダクションデザイン/カレン・マーフィ
出演/ジョージ・マカイ、ニコラス・ホルト、ラッセル・クロウ、チャーリー・ハナム、エシー・デイヴィス、ショーン・キーナン、アール・ケイヴ、トーマシン・マッケンジー
2019年/オーストラリア=イギリス=フランス/英語/125分/ビスタサイズ/PG-12

日本公開/2021年6月18日(金)、渋谷ホワイトシネクイント、新宿シネマカリテほか全国順次ロードショー!
配給/アットエンタテインメント
後援/オーストラリア大使館
公式サイト
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