Column

2021.05.13 12:00

【単独インタビュー】『くれなずめ』松居大悟監督

  • Atsuko Tatsuta

※本記事には映画『くれなずめ』に関する重大なネタバレが含まれます。

演出家・作家としても活躍する気鋭・松居大悟監督の最新作『くれなずめ』は、主演の成田凌を始め、旬の若手演技派たちが顔を揃えた話題作です。

高校時代、文化祭でコントをしたことがきっかけで仲良くなった帰宅部仲間6人。あることがきっかけで疎遠になっていた彼らは、友人の結婚式での余興のために久しぶりに集まった。優柔不断だが心優しい吉尾(成田凌)、劇団を主宰する欽一(高良健吾)、役者の明石(若葉竜也)、ひと足先に既婚者となったソース(浜野謙太)、会社員になった大成(藤原季節)、地元の工場で働いているネジ(目次立樹)。結婚式当日、渾身の“赤フンダンス”を披露するが──。

『アフロ田中』(12年)で長編監督デビューしてから9年、『アズミ・ハルコは行方不明』(16年)、『君が君で君だ』(18年)など独創的な作風で知られる気鋭・松居大悟。主宰する劇団ゴジゲンが2017年に上演し、成功を収めた同名の舞台を元に映画化された本作は、「友だちへの手紙みたいな作品」という、プライベートな作品です。

公開に際し、映画化に至った経緯から本作の魅力まで、松居監督にたっぷり伺いました。

松居大悟監督

──原作となった舞台版の『くれなずめ』はどのようにして生まれたのですか?
2017年に、ゴジゲンの劇団員だけで公演をすることになり、すごく込み入ったテーマにしたいと思いました。それまでは青春っぽい作品だったので、生きるとか死ぬとか、僕らなりの死生観を描きたくて。

演劇仲間の友だちと突然会えなくなったことが大きな要素となりました。ゴジゲンのメンバーも彼を知っていたし。演劇は生身でやるから、誰かがいなくなったときの不在感が大きい。いなくなったヤツのほうが、残っている者よりもイキイキしているという思いがあって。

──彼とは親しかったんですね。
ひとつ年下の後輩です。演劇をやっていて、ゴジゲンも一緒にやろうと誘ったこともあって。熱い話も結構していて、いつも岡本太郎の話をしていました。でもアイツの人となりについては、実はよくわからなかったんですよね。僕と話している時と、他の人と話している時の雰囲気が全然違っていたし、モゴモゴしていてよくわからない。でも、なんか考えちゃうし、みんな彼のことが大好きでした。僕がそもそもこの作品を作ろうとしたのは、彼のことがわからなくてわかりたかった部分もあります。アイツなんだったんだろうって。

──映画化するにあたって、脚本はどのように書いていったのですか?
舞台だと板の上に6人がいるだけで、想像力で引っ張っていける。チャイムが鳴ったら高校時代で、とか。でも映画だと、すべてその場所に行って撮影するので、想像力で面白いというより、感情の部分が重要になります。こいつは吉尾のことをどう思っているんだろう、とか。感情を想像させる方向にしようと思ったのが、一番大きいですかね。

──まず、プロットを書いていくのですか?それとも思いのままに書いていくんですか?
これなら絶対にいけるというビジュアルが3つか4つ思いついて、そこから書いていきます。『くれなずめ』で言えば、“心臓の投合い”のシーンですね。

──あのシーンは、最初からあったのですね。
そうですね。最初にあった3つか4つの内の1つですね。どうしても心臓を投げ合いたくって、なんで投げ合っているんだろうって考えて。切なくない、明るいシーンになりそうで、絶対に良いなと思ったんですね。

──“心臓を投げ合う”というのはシュールな表現だと思いますが、アイディアはどこから?
非常に感覚的なところからですね。0から1は、感覚的なところから生まれるんですよね。1から99や、99を100にするのは、経験などから来るところが割と大きいとは思いますが。

今回は、“もういなくなったヤツが、生きているヤツよりも生き生きしている”ということで、生死の向こう側を描きたいと思った時に、”心臓が動いているから生きている”という理屈をふっとばしたくて。現実では絶対にあり得ないけど、フィクションならできる。”心臓が無くたって生きていけるんだ”ということは、矛盾していて良いなと思ったんですよね。

──ポスター等に使われている写真は”ザ・青春映画”という感じで、デリケートな話になっていく雰囲気は全くありませんね。
そうですね、油断させたいんですよね。肩の力を抜いて観て良いコメディなんだと侮らせて侮らせて、ひっくり返したいんです。観ている人は、そういう物語の顛末を観て、「私にもこういうことがあった」「それで彼等はこういう風に喧嘩しているんだね」と、他人事にならないために。

この話では、最後は悲しみに向き合うとか、いわゆる”余命もの”みたいなオチになってしまうのが嫌だったんです。死んで終わりとか、死と向き合って終わりとか、物語のクライマックスにそうした命のテーマを置くのがすごく嫌でした。それでも人生は続いていくわけで。ある種フォーマットから逆らうように作っていきました。

──舞台版を観ていない人にとっては、驚きの展開ですよね。映画の宣伝では「友人の死」とまでは触れられていましたが。
そこは宣伝部と揉めましたね。僕は「死ぬ」という言葉は使って欲しくないと言っていて、その事実には物語の中で出会って欲しいし、彼らもセリフで「俺って死んで…」って言いかけて、止めているので。でも宣伝的には、死をなくしてしまうと映画的な拠り所がないので、誰かが死んでいるということは明かした方が良い、と。

でも、「アイツが死んだなんて」とか、彼らの言葉のような言い方で宣伝するのは止めて欲しかった。なぜなら、彼らの中では生きているから。だから、客観的な言葉で「友人が死んだ」となった。友人が誰なのか、わからないから。たくさんの人に観てもらいたい、というところと、映画にとって失われるものがあるという間をとったんですね。もっと言えば、そのアイディアだけで勝負しているワケでもないですし。

──この物語はある意味シチュエーションものなので、キャラクターがとても大事です。この6人の俳優のアンサンブルが良かったですね。しかもこの作品の撮影以降、皆さんさらに活躍されていて。
実力ありますもんね。この作品は僕の個人的な感情に寄り添って作っていったものなので、一緒にやってみたい人──もっと言えば、友だちになってみたい人に演ってもらいたく思いました。それで、あまり一緒に仕事をしたことがない人に声をかけました。

──最初に声をかけたのはどなたですか?
成田くんですね。彼には何か不思議な感じがしました。何を考えているのかわからないというか。成田くんの中では筋が通っているけれど、やっているお芝居がすごくミステリアスでワクワクする。次の瞬間この人は何をするんだろうと思わせてくれる。いきなり叫び出す、いきなり走り出す、いきなり笑い出すとか、彼なら全部があり得る。(吉尾の)モデルとなった友人にも通じる、ワクワクしてどこか掴みどころのない、他にあまりいない俳優だと感じました。それからはオファーして、スケジュール調整などでランダムに決まっていきましたね。

──結果的にとてもシナジーが感じられる6人が集まりましたね。
こういう6人組になった特、冴えない奴らなのに役者が演じるとカッコ良いから冴えなくないじゃん!となるのが嫌で。でも大丈夫でした。

──皆さん、実際にお会いするとカッコ良いですからね。
6人集まって衣装を着てもらった時に、なんかモテなさそうな6人のグループが出来上がっていたんですよね。僕から見て、”その中に入れる”と思えたんです。カッコ良い奴らのグループの中になんて絶対に入っていけないし、そうなると映画が他人ごとになってしまう。自分事になるように、自分も中に入っていけるように。

──カッコ良い人を冴えないように見せる演出もあったのですか?
精神性もありますね。彼らが作品の中の役を精一杯生きようと思っているから、冴えない人に成りきれたのだと思います。あと、リハーサルを1週間ほどしたのですが、台本稽古とかをしてまるで映画を作る集団みたいになったら嫌だと思って、ずっと下ネタとか話していました。

──本読みをしなかった?
最初に1時間くらいして、あとは雑談をしてました。いつもは違うのですが、『くれなずめ』という作品だからですね。セリフの言い回しとか動きを整理することでクオリティが上がるとは思えない作品だったので。6人の仲間が信じ合うという状態になること、6人から長年の友達みたいな空気感が出ることが大事でした。それが成立していたら、話す内容はどんなことでも成立するのではないかと。

──舞台演出家が映画を監督する場合は、時間をかけてリハーサルされる場合が多いように思いますが。
リハーサルのどこに重心を置くかだと思います。僕もリハーサルはできるだけ長くやりたいですけど、台本稽古をする必要がないと今回は思いました。

──『くれなずめ』の撮影現場でもアドリブが多かったのですか?
「好きに演って」とは言っていたのですが、結果としてはほとんど台本通りでした。

──6人の俳優のケミストリーから生まれた、監督が予期していなかったシーンはありますか?
そんなシーンだらけですね。後半の方はずっとそう。最後のリフレインのところは、意図しか伝えていませんでした。中盤以降は、彼らに引っ張られていった気がしています。

──現場でその場を引っ張るような存在は誰だったのですか?
うーん……いなかったですね。ちゃんとやろうとしたり、引っ張ったら馬鹿にされるみたいな空気だったんですよね。スタートとカットで、芝居のオン・オフのスイッチが入るという感じではなく、雑談からそのまま続いてカメラが回って、スタートやカットの境界線が曖昧というか。

──映画撮影で、そういうスタイルは珍しいのではないですか?
そうですね。作品性もそうだし、この6人もそうだし。いろんなものがそうさせたのだと思います。僕はスタッフ側にいましたけどね。

──何日間くらいで撮ったのですか?
2週間です。

──ちなみに、先ほどの“心臓を投げ合う”シーンは、なぜ畑だったのですか?
制作部の提案ですね。あのシーンは西東京の畑で撮ったのですが、舞台の時は結婚式場だけで展開していたので、心臓を埋めようとするのは花壇でした。でも映画では、結婚式場を出て、しばらく歩いて……という設定だったので、どうしようかと考えたんです。

僕は、心臓を投げることと同じくらい、「掘る」という表現もめちゃくちゃやりたくて。舞台でも他の表現は抽象的だったのですが、そこだけは具象的に、土を入れました。とにかく土を掘り続けることが、この作品で一番大事なシーンのような気がしていて。ということで、花壇でもなく、公園の砂場とかでもなく……結婚式会場からダラダラ歩き続けて、ちょっと離れたところまで来ちゃってとなったら、畑に辿り着きました。

──「掘る」にこだわったのは?
「掘る」というのは、観ている側にも実感が伴ってきます。主人公らが二次会までの暇つぶしのために歩き続けるしかないというフワフワした時間の中で、「掘る」時の手の感触とか、そこに臭ってくる土の香りとか、服が汚れる感じとか、いいなと思って。

──あれはファンタジックなシーンだと感じました。それまでのリアルな青春映画的な雰囲気から少し転調するというか。
転調させようと思っていなくて、進むべき方向に進んだら辿り着いた、という感じですね。僕にとってはとてもチャレンジなテーマでしたが、そこからのアプローチは、自然な流れでした。

──テーマ的にはチャレンジだったのですね。
そうです。死生観は、デリケートで繊細なもの。しかも友だちのことなので、友だちが嫌がるものは作りたくないし、つまらないものにしたら、友だちにも悪いと思いました。この作品は、友だちへの手紙みたいなものなんです。勝手に自分が書き出した手紙ですけれど。

──手紙というと、その友人に伝えたかったこと?
伝えたかったわけでもなく、僕が言いたいだけ、という感じですね。舞台をやったときに観に来た映画のプロデューサーさんが、「もっとたくさんの人に観てもらうべきだから、映画にしましょう」と言ってくれたときに、この作品を作った意味があったんだなと思えました。作品によって心動いた人が、映画化を働きかけてくれて、俳優たちが集まってくれた。自分と友だちの関係が肯定されたような気がして、嬉しかったですね。

──プロデューサーの方から声をかけられなかったら、映画化する気はなかった?
はい。

──映画を作ったことで、自分の中で違う感情は生まれましたか?
生まれていると思います。こうして作品を観てもらって話す機会は、(舞台より)圧倒的に映画の方が多い。そこで感想や意見をぶつけてもらって、また僕が話す中で生まれてくる感情もあります。そこで作品についてじゃなくて、自分の話をしてくれることとか。”自分にもこういう友だちがいて、こんなことがありました”、とか。元気に生きているように見えた人が、そういうデリケートな面を見せてくれると、その人の新しい一面が垣間見えたような気がして、嬉しかったですね。

──緊急事態宣言の発令により公開が延期となりましたが、それでも、当初の予定から2週間後に公開される運びとなりました。コロナ禍でも作品を公開することに対して、表現者としてどう感じていますか?
作品が公開できて、よかったなと思います。口下手なので、表現者として感じることは、言葉ではなく表現で描きたいです。

──コロナ禍で舞台や映画などの作り手ができること、すべきことは?
去年は、それでも在宅で作れるものを、と色々やってきましたが、今はそんなに考えてないです。立ち止まってしまったら、立ち止まればいいんじゃないかなと思います。

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『くれなずめ』

高校時代、帰宅部でつるんでいた6人の仲間たちが、5年ぶりに友人の結婚披露宴で「赤フンダンス」の余興をやるべく集まった!めちゃくちゃ恥ずかしいダンスをやりきった披露宴と、二次会の間の妙に長い時間を持て余しながら、高校時代を思い出す……「しかし吉尾、お前ほんとに変わんねぇよな。なんでそんなに変わんねぇの? まあいいか、そんなのどうでも」そう、僕たちは認めなかった。ある日突然、友人が死んだことを──。

監督・脚本/松居大悟
出演/成田凌、若葉竜也、浜野謙太、藤原季節、目次立樹、飯豊まりえ、内田理央、小林喜日、都築拓紀(四千頭身)、城田 優、前田敦子、滝藤賢一、近藤芳正、岩松 了、高良健吾
主題歌/ウルフルズ「ゾウはネズミ色」(Getting Better / Victor Entertainment)
製作幹事/UNITED PRODUCTIONS
幹事協力/ハピネット
制作プロダクション/UNITED PRODUCTIONS

日本公開/2021年5月12日(水)テアトル新宿ほか全国公開
配給/東京テアトル
公式サイト
©2020「くれなずめ」製作委員会