Column

2021.04.30 17:00

【単独インタビュー】大友啓史監督『るろうに剣心』完結編までの長き道のりを語る

  • Atsuko Tatsuta

大友啓史監督による大ヒットシリーズ「るろうに剣心」。その始まりと終わりを描く『るろうに剣心 最終章』2部作『The Final』と『The Beginning』がそれぞれ、4月23日(金)、6月4日(金)2作連続公開されます。先週、公開を迎えた『るろうに剣心 最終章 The Final』は2021年実写映画No.1スタートを記録し、シリーズ累計観客動員数1,000万人超えの大ヒットスタートを切っています。

2012年、和月伸宏によるベストセラーコミック「るろうに剣心―明治剣客浪漫譚―」を佐藤健を主演に迎え映画化したアクション・エンターテイメント『るろうに剣心』が大ヒット。2014年には、続編となる2部作『京都大火編』『伝説の最期編』が公開され、前作を上回る成功を収め、大ブームを巻き起こしました。

あれから5年、誰もが幸せに暮らせる新時代を信じて、激動の幕末を闘い続けた男・緋村剣心の物語のラストを飾る「人誅編」と、剣心の過去を明かす「追憶編」が待望の映画化が実現しました。

『るろうに剣心 最終章 The Final』の舞台は、1879年。神谷道場師範の薫(武井咲)らとともに平穏に暮らしていた剣心だが、ある日、突然何者かによって東京が襲撃され、その目的が自分への復讐であることに気づく。かくして、剣心は愛する人々を守るために、過去の因縁を巡り黒幕である雪代縁(新田真剣佑)と対峙する──。また、『るろうに剣心 最終章 The Beginning』は時は遡って、舞台は幕末。“人斬り抜刀斎”と恐れられた剣心がなぜ「不殺の誓い」を立てたのか、なぜ妻である巴に刃を向けたのか。剣心の頬にある十字傷の真実に迫る。

「るろうに剣心」史上、最も感動的なドラマとなった完結編の公開に際し、大友啓史監督がインタビューに応じてくれました。

──『るろうに剣心 最終章 The Final』が、ついに公開となります。前作『伝説の最期編』からは少し時間が開きましたが、プロジェクトはいつ頃から進んでいたのですか?
2017年の後半にプロデューサーから、そろそろ動きませんかという相談がありましたが、その時は、まだ他の作品を抱えていたりバタバタしていて。腰を据えてやらないとできない作品なので、本格的に動き出したのは、2018年の春くらいからですね。脚本は、5月くらいから書き始めました。

──“そろそろ”というのは?
そろそろやらなければ、もう(続編を作ることは)できないかもしれない、ということです。実は、永遠にそのタイミングは来て欲しくないと思っていたところもあります。「るろ剣」に僕らは、「本気を出す」という意識でこれまでずっと取り組んできました。でも、本気で仕事をするっていろいろ大変で、本当にしんどいことですからね。

──大作ですからね。本作も2本で総製作費50億円。携わっている人も多いので、再結集するのも大変ですよね。それでも、なんとか終わらせなければいけないという思いは確実にあったのですね。
まだ剣心の頬の十字傷のことを描いていませんでしたからね。それが剣心の物語の核心なわけだから、いつか描かないわけにはいかない。しかも、縁と剣心の物語ってコインの裏表のようなものなので、『The Final』と『The Beginning』と、両方を描かなければならないんです。だから、終わりを描くならば、『The Beginning』も製作しなければいけないと、自然とそういう判断になりました。

2部作といっても、時代設定も違うし、前2部作よりもっと大変になるだろうし、やりきれるのかという思いもありました。でも、あんまり考えすぎるとできなくなりますからね。それにこれだけのアクションシーンがあるので、佐藤健が動けるうちにやらないと、という気持ちもありました。SFXやモーションキャプチャーとかに頼らずに、俳優の肉体でできるだけ表現するというのが「るろ剣」スタイルなので。トム・クルーズみたいな人もいるから、健ももっと年齢がいってもアクションをこなせるかもしれませんけどね。

──脚本に時間がかかったということですが、これでOKとなったポイントは?
「るろ剣」は、復讐する側ではなく、復讐される側が主人公になる物語。そういう物語は他にあまりなく、つまりテンプレートはないので、脚本チームもちょっと煮詰まっていました。でも僕は、復讐の物語という風にはとらえていません。これは巴というひとりの女性を巡って、ふたりの男が愛情をぶつけ合う話であると思った。巴は、縁にとっては母親代わりのお姉さん、片や、剣心にとっては自分が斬殺してしまった愛した人。この物語はシンプルに強くて、映画になりやすい。姉の復讐に来た敵を、主人公がすべて受け止めて、自分の体で受け止める。自らの過去の呪縛も。その前提さえしっかり押さえれば、アクションで勝負できると思ったんですね。言ってみれば、義兄弟の兄弟喧嘩ですから。だから僕は、最終的にそこを脚本に起こしていった。感情の乗ったアクション・エンターテイメントに振り切れると思いましたね。

──縁のキャラクターはとても重要ですね。
脚本を書く前の、かなり早い段階で(新田)真剣佑と会ったんですが、すごく良いなと思いましたね。その時は、まだ彼のアクションは見ていなかったけれど、向き合った時に目がまっすぐで、汚れのないピュアな感じで、なんとなく最初に健と出会った頃を思い出しました。

「るろ剣」の第1作目の冒頭で佐藤健がセンセーショナルにデビューを果たしたように、今回は、真剣佑を同じような立ち位置にしたいと思った。一方佐藤健はこの5年の間に、いろんなものを蓄積してきたと思います。現場でも微動だにしない。出会った頃からそうでしたが、いつもあの年齢にしてこの落ち着きはなんだろう、と思うんですよね。明治という新時代を象徴するかのような新しい才能ともいえる縁=真剣佑と、幕末からいろいろなものを背負って戦ってきた剣心=佐藤健が向き合えば、すごいものが生まれるんじゃないかと思いました。

──『The Final』と『The Beginning』は、どちらの脚本が先に出来上がったのですか?
『The Beginning』は、ストーリーラインが映画的にしっかりしているのでひとまず置いておいて、『The Final』から手を動かし始めましたね。『The Final』のほうが物語的に難しさがあったので。実写化するにあたって、僕の考えるリアリティを実現するとなると、かなりオリジナルな方向に振らなければいけないと思いました。最終的には、原作にある縁と剣心の感情をぶつけ合う対立構造を軸にしたのですが、その脚本にたどり着くまでにちょっと時間がかかってしまった。(2018年の)7月くらいに(脚本の)第一稿を上げたんですけど、そこでみんながなんとなく「これならいけるんじゃないかな」となりました。それから、延々と脚本を直し続けて、クランクインする11月くらいには、ギリギリ形になった。それで『The Final』は片付いたので、それを撮影しながら、『The Beginning』を書き始めました。

──なんと、撮影しながら次の脚本を書いていたんですね!
撮影の裏で次の脚本を書き、「セットはこうしたいよね」とかスタッフと相談していましたね。11月下旬くらいまでかかって第一稿を書いたと思います。健とか、スタッフとかの意見を聞きながら。

──佐藤健さんの意見も反映されているんですね。
彼はもう剣心そのものだからね。年明け、1月中旬に仕上がった決定稿の前に感想を聞いて、反映できることは反映しましたね。走りながら、撮影しながらですから、方向性を試行錯誤している時間はない。間違っている時間はありませんから。脚本を書くにあたっての俳優とのコミュニケーション、スタッフとの意思疎通、そのプロセスは、撮影と同時進行で進めていたこともあって、いつもよりも丁寧にやりましたね。

──佐藤さんも、剣心の物語をちゃんと終わらせたいという気持ちは強かったんですね。
詳しくは健本人に聞いて欲しいけど、十字傷の理由の話を描かなければ、「るろうに剣心」は終わらせられないよね、という話はずっとしていました。先日彼と対談したときにも言っていたけれど、「やるとなると大変だから、やるんだろうなと思いながら先延ばしにしていた」と言っていました。こうした大作はいろいろな条件が揃わないと動き出せないし、キャストやスタッフみんなのスイッチがゆっくり入っていったという感じですね。2作目あたりだと、「続編やるぞ!おおっ!」という感じだったけれど、今回は5年もあったので、みんな少しずつ、一歩一歩という感じでしたね。

──剣心は、当初と比べると成長していますね。『The Final』の剣心には、何を求めたのでしょうか。
そこは佐藤健自身がいちばん掴んでいるから、僕がとりたてて、口うるさく言う必要はありませんでしたね。この作品の衣装合わせを最初にやったときに、あっという間に彼の意識が、剣心に戻ってきたのがわかったから。彼は原作も好きで、剣心という男に対する深い理解がある。彼は、「今回、自分の中にいる剣心を演じさせてもらった」と言っていたけど、剣心というキャラクターを理解するというより、もう彼の中に剣心が存在していますからね。彼が剣心を最初に演じたのは、22、3歳くらいの時だったと思うけど、今では剣心の生き方に対する理解とか、より共鳴とかが深まってきていると思う。そのくらいの年齢の時の(人間の)成長度合いは半端ないですからね。彼が思い切り演じられるような場を用意するのが、僕の仕事でしたね。

──2012年に最初の『るろうに剣心』が公開された時には、日本映画でこれほどの圧倒的なアクションが撮れることにみんな驚きました。今回もシリーズを支えてこられた谷垣健治さんがアクション監督として参加されていますし、アクションシーンに期待している映画ファンも多いと思います。
アクションに関しては、日本映画でどれくらいのことができるのか。僕も谷垣さんやスタッフと一緒に、ゼロから探りながらやってきました。そこで生まれたものもいくつかあります。2012年当時、僕らはアクションコーディネーターを始め優秀なスタッフを集めたという自負があって、谷垣さんは「アクション界の巨人軍」と言っていましたね(笑)。その後それぞれのスタッフが、海外含めいろいろな映画に関わったことで、また違うノウハウを得たと思います。谷垣さんたちのアクションチームは、もともと香港をルーツとした多くのノウハウがありますが、それが確実にアップデートされています。あとはそれを受け止める土壌が、日本映画界にあるかどうかだけなんですよね。

たとえば、美術部が作ったセットをアクション部が”映える”ように壊していくわけですが、美術部としては、自分たちが作ったものが壊されていくのは、普通に考えると気持ち良くない部分もあるだろうけど、うちのチームはそれが映画にとって良いことだと、もうわかっていますしね。逆にアクションがやりやすいセットをあえて作らないというか。むしろ、立体的な空間を用意すると同時に、あえてアクションに厳しいような場を与えたほうが、今までになかったようなアイディアが出て、面白い画が撮れる。アクションチームはその場にあるいろいろなものを壊したりしながら、自分たちのアクションとそれにふさわしい“場”を作っていく。一方で美術部は、その壊されたものを新たな背景の「オブジェ」としてとらえ、シーンの中でアクションと共にセットがどんどん変貌し、進化していく。そういう発想が、「るろ剣」の現場では当たり前に生まれてますよね。

谷垣さんは自分のことを“アクション馬鹿”と言っているけど(笑)、むしろ天才、ですね。天才バカボンですよ(笑)。アクションチームによる普通思いつかないようなアイディアを、美術部が背中を押して実現可能なものとし、それをきっちり撮影部がとらえていく。チームとしての総合力の凄さを、僕は皆さんに伝えたいですね。

手前左:谷垣健治(アクション監督)

──今回、すごいと思ったアイディアは?
『The Final』だと、縁と剣心の最後の闘いの空間の使い方ですよね。そこにあるもの全てを、アクションに取り込んでいく。縁はただ“斬る”だけでなく、いろいろ壊していく。

──殺陣は、セットを見てからアクション監督が決めるのですか?
撮影に入る前、まだ僕が脚本書いている時から、アクションチームは今回の「るろ剣」でやりたいことをいろいろ試してくれていましたね。今回はその時間が豊かでした。

──引き出しをたくさん作って、ストックしていた?
そうそう。それを、アクション練習を通して俳優たちの演技に入れていく。シリーズで長く関わっているので、「るろ剣」らしいアクションが彼らの中で積み重なっていたことが良かったと思います。前作まではそこに僕も付き合えたんですが、今回は脚本や準備に忙殺されて全部見る時間がなかった。ですから、メールで動画を確認しながら、日々の仕上がりをチェックし、僕の要望を伝えていましたね。どこまで俳優たちができるかは、現場に入る前はわからないところもあったのですが、すでに信頼関係は出来ているし、美術部の中にもスタント経験があってアクションをわかっているスタッフもいましたから。撮影時間で言うと、アクションにかけている時間は圧倒的に海外より少ないけど、その時間の中でなんとかやり繰りしながら組み立てていく、日本ならではのアクションチームの細やかさや工夫があります。日本人は体も小柄だったり、しなやかだったりするので、ハリウッドのスタントマンだとできないような、トリッキーな動きもできます。

──『るろうに剣心』は、日本映画におけるアクションエンターテインメントというジャンルの確立に貢献したと思いますが、大友監督が考える「るろうに剣心」のDNAとは何ですか?
「るろ剣」が口火となって、以降、日本にもたくさんのアクション表現が生まれたと自負しているのですが、今回の準備に入る前に、客目線、ファン目線に近いのですが、僕の中には「そろそろ本物が観たい」という気持ちが生まれてきていて。いよいよ撮影が近くなるにつれて、谷垣さんやスタッフたちと、「そろそろ本物を見せてやろうよ」という、その気持ちを共有していましたね。アクションシーンは編集で誤魔化すこともいくらでもできるけど、僕らはできるだけ誤魔化したくない。俳優が、現場で自分たちでギリギリのところまでやっている。それを「頑張りましたね」レベルではなく、しっかりお客さんに魅せるレベルにまで引き上げていく。いわば、演者たちによる本物の瞬間、ですよね。そう見えるカットや瞬間を大事に創り上げ、拾いながら、丁寧に編集していく。さらにアクションだけじゃなくて、演技、美術、照明、撮影も含めて、これまでとは違うレベルで見せ切りたい、と。

正直、アクションだけ一点突破している映画はあると思いますが、そこに感情が乗っていないと、やはりすぐ飽きられてしまいます。アクションのインフレを起こさないように、「るろ剣」の撮影から最後の仕上げの段階まで、僕が注意しているのはその一点です。すごいものって、見せれば見せるほど、感覚が麻痺してしまいますから。もっとすごいもの、もっと刺激的なもの、それだけの発想になってしまう。でも僕らは1作目からアクションだけじゃなく、登場人物の感情の変化などを、きちんと盛り込もうという意識でやっています。それを共有するために、俳優たちにはたっぷり練習スケジュールを取ってもらっているんですね。

以前は、日本の一流の役者はアクションをやりたがらなかったんです。アクションは、アクション俳優がやるものという意識が強くて。でも今は、若い役者も含め、一流であればあるほど、そこに取り組みたがる意識が生まれてきたように思います。そもそもアクション表現は、芝居表現の延長にあるものだから、役者としては、様々な所作と同じように、必要であればある程度できなければいけないものなんですけどね。「るろ剣」以前は、確かに日本ではアクションエンターテインメントというジャンルの存在感が小さかった気はしますね。

──『The Final』と『The Beginning』はコロナ禍により2020年から公開延期になりましたが、大友監督は去年『影裏』を公開しましたね。正反対ともいえる作品をほぼ同時期に撮っていたんですね。
実は、2018年の4月、5月に『億男』を撮って、8月に3週間で『影裏』を撮って、11月から「るろ剣」の撮影に入ったんです。「るろ剣」撮影前の10月には『億男』を公開しましたしね。実をいうと配信作品にも少し絡んでいたし、あの時期は、18ヶ月のうち11ヶ月撮影していました。どうやってこなしていたんだっけ?と思いますが(笑)。

僕には、作品をいちばん良い状態で届けたいという思いがあるんです。「るろ剣」はもともと2020年のオリンピックに向けて、アスリートたちの闘いに負けない闘いを映画で見せてやるという覚悟でやっていました。フィクションにも魂があって、我々フィクションの作り手による本物の何かを観客に届けたい、と。それがオリンピックが延期になって、映画の公開も延期になった。そうすると、自分の中での何かが変わってきたんですね。作り手って、作品を観てもらったことでアウトプットが完了し、次に何をやりたいとかプランも出てくるところがあるのですが、公開が延期になったことで、僕の中で何かが劇的に変わった。それで、もう一回見直して細やかに再修正したんですね。具体的には、音の整理がメインでしたけど。

──音を修正したのですか?
かなり修正しましたね。世の中がコロナ禍で何もかもがリモートという時代になっていった中で、僕の中でも変化がありました。「オリンピックに負けるな」とイケイケだったのが、もう、ちょっと違うフェーズになっちゃったんじゃないかなと。僕自身がもう少し、内省的なものを求め始めたというのかな。それで、外連味をつけるために充てていた音を違う音に変えてみたり、音のバランスも含めて、アクションエンタメ寄りだったのを、音を削いだり、レベルのバランスを一音一音細やかに変えたりしましたね。世の中がコロナで静まり返っているときに、いきなりすごい音が出てきたらびっくりしちゃうし(笑)、そういう音にしても、聞かせるときのアプローチやデリカシーを少し変えてみたり。

(再編集した後の)試写が終わった後に、ワーナーの、特に女性の方々から、前回と印象が違うけれどなにか変わったのですかと聞かれました。普通はわからない程度の音の変化のはずなんですけどね。アクション祭りだったのが、ラブストーリーになっていたと言うんですよ。ああ、観客って本当にすごいなと思いましたね。今はそう思いながら、「るろ剣」の後に何をやったらいいのかなと考えながら、過ごしています。ようやく2部作が公開できるので、観客のリアクションも受けられます。去年の公開後にやってみようと思っていた、いろんなことができる。10年経って、ようやく「るろ剣」にひと区切りついたので、次に何しようか、と考えられる。観客の反応がダメならダメでもいいんです。とにかく、観客に観てもらわないと映画は完成しない、ということを切実に感じています。

──完成した作品が公開できないのはキツイですよね。海外では、劇場と配信で同時公開という動きも出てきていますが。
配信と劇場は、共存していけば良いですけど、同時でも良いかどうかは一概には言えませんね。僕はTV出身で、TVを辞めて映画に来ていますから、映画に対して思いが強くて……劇場の暗闇の中、たくさんの人と一緒に大スクリーンで集中して自分の作品を観てもらうことに、かなりの思い入れがあります。TVで観るものと違う、劇場でしか味わえない何かをそこで味わって欲しい。TV屋だったからこそ、映画ならではの魅力というか、その力に憑りつかれているんですね。

TV作品も、8Kとか技術的にもレベルは上がっているけど、映画の”飲み込む力”って本当にすごいと思うんです。大林(宣彦)さんが言ったように、「映画はTVでも芝居でもない」んですね。映画は映画なんです。大画面で観ると素人の方が映えたりすることもあるけれど、その芝居をTVで観たら同じようなキラメキを感じられるのかというと、違う。映画は“ありのままの真実”を映し出すけど、テレビは“真実”も”情報”にしてしまう。だからこそ、映画の力は、こんな時代だからこそ決して侮れないし、むしろ最後まで守らなければならない、エンタメの牙城だと思っている。ビジネス的には配信の需要もわかるし、僕も配信会社と企画の話をしているけれど、配信を扱っている人たちと映画を扱っている人たちは、そもそも人種が違うとすら思います。「作品」じゃなくて「コンテンツ」ですからね。コンテンツという言葉は、ビジネス寄りの発想から生まれたものでしょう。僕はなかなかなじめずにいます。なにか違う感覚がする。まあ、そうはいっても、配信と映画は共存できるし、配信での作品も作ってみたいと思っていますけどね。

──そういう意味では、「るろ剣」はまさに劇場で観るべき作品ですよね。
そうなんですよ。「るろ剣」の前作を、去年の山形(国際ムービーフェスティバル)で上映してくれたのですが、そこで観たある映画プロデューサーから、「るろうに剣心」は「大画面で観て、改めてその凄さがわかる作品だよね」と言われました。大画面に対する思い入れはありますよね。

──ハリウッド作品の多くはコロナ禍で公開を先送りにしていますが、観客は、映画館で大作を観ることを心待ちにしています。第一、大作も公開されないと劇場に活気が戻りません。
実は去年の夏、予定通りに「るろ剣」を公開してエンタメの復活の狼煙を上げたいと思っていたんです。クリストファー・ノーランと同じように、こんな時期だからこそ、劇場に客を呼びたいって。でもいろいろなリスクもあって、公開延期になってしまった。前作の完成披露試写で、ラストで福山(雅治)さんが出てきたとき、場内がザワザワしたんですね。ずっと彼が出るという情報を伏せていたので、観客の驚きと興奮が、まるで波のように伝わってきた。そういう観客の反応が面白いし、何よりも嬉しいんですね。やはり映画は、劇場で観た観客の反応があってこそ完結するものだと思いますね。

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『るろうに剣心 最終章 The Final』

かつては“人斬り抜刀斎”として恐れられた緋村剣心だが、新時代の幕開けとともに、斬れない刀=逆刃刀<さかばとう>を持ち穏やかな生活を送っていた。最狂の敵・志々雄真実が企てた日本転覆の計画を阻止するため、かつてない死闘を繰り広げた剣心達は、神谷道場で平和に暮らしていた。しかし、突如何者かによって東京中心部へ相次ぎ攻撃が開始され、剣心とその仲間の命に危険が及ぶ。果たして誰の仕業なのか?何のために?それは、今まで明かされたことの無い剣心の過去に大きく関係し、決して消えることのない十字傷の謎へとつながっていく。

キャスト/佐藤健、武井咲、新田真剣佑、青木崇高、蒼井優、伊勢谷友介、土屋太鳳、三浦涼介、音尾琢真、鶴見辰吾、中原丈雄、北村一輝、有村架純、江口洋介
原作/和月伸宏「るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-」(集英社ジャンプ コミックス刊)
監督・脚本/大友啓史
音楽/佐藤直紀
主題歌/ONE OK ROCK “Renegades”
製作/映画「るろうに剣心 最終章 The Final」製作委員会

日本公開/2021年4月23日(金)全国ロードショー
配給/ワーナー・ブラザース映画
© 和月伸宏/ 集英社 ©2020 映画「るろうに剣心 最終章 The Final」製作委員会