【レビュー】『Judas and the Black Messiah』が求める社会の変革とその主人公
- Itsuko Hirai
第73回アカデミー賞で5部門6ノミネートを獲得し注目を集める『Judas and the Black Messiah』。今年の2月1日にサンダンス映画祭でプレミア上映が行われ、2月12日には米国の劇場およびHBO Maxで同時公開されている。アメリカでは2月は、黒人の歴史や偉人、文化についての学びを深める黒人歴史月間(Black History Month)と制定されており、今年もオンラインで様々なイベントが行われていた。その中で公開された本作は、昨年から続くBLM(ブラック・ライブズ・マター)運動と現在の社会を考える上でも、最も重要な作品と言えるだろう。
1966年より黒人解放闘争を展開していた急進的な政治組織ブラックパンサー党は、1968年のマーティン・ルーサー・キング・Jr.の暗殺後に全米各地で活性化していき、そのイリノイ州議長、フレッド・ハンプトン(ダニエル・カルーヤ)は、党の思想を雄弁に伝達する指導者としてカリスマとなっていった。ハンプトンの姿を見つめる党員ウィリアム・オニール(ラキース・スタンフィールド)は、次第に彼の信頼を得て警護担当に成り上がっていく。だが、オニールは極秘のミッションを抱えていた。かつて軽犯罪により逮捕された彼は、FBI捜査官のロイ・ミッチェル(ジェシー・プレモンス)から、罪状を軽減する上に報奨も得られる取引に渋々応じていたのだ。FBIは、国内外に勢力を増しているブラックパンサー党をKKK(クー・クラックス・クラン/白人至上主義結社)と同類の武装政治勢力だと見なし、スパイを潜入させることにしたのだ。やがてハンプトンの恋人が身ごもり、父性を得ていく彼に間近で触れるうちに、オニールの心情は引き裂かれていった。1969年12月4日、ジョン・エドガー・フーヴァーFBI長官(マーティン・シーン)が標榜した“コインテルプロ”により、FBIと地元警察はハンプトンに狙いを定める──。
タイトルにある“Judas”とは、もちろんイエス・キリストを裏切ることになる弟子のイスカリオテのユダで、オニールのことを指している。そして“Black Messiah”、つまり黒人の救世主とはハンプトンのことだ。だが、この映画は主と裏切り者をはっきりと対比して描くものではない。スパイク・リー監督がアカデミー脚色賞を受賞した『ブラック・クランズマン』のように、政治組織に潜入し諜報活動を行う実話が元になっているが、潜入のターゲットも諜報員も、同志である黒人。同胞を欺き致死に値する情報を流すオニールの葛藤の対象はなんだったのか。
実は今日では、黒人コミュニティの間でも、ブラックパンサー党の成り立ちやフレッド・ハンプトンの暗殺は知識としてあっても、詳細までは知られていないのだという。監督のシャカ・キングや出演俳優たちでさえ、この映画の企画が立ち上がるまではハンプトンやオニールの名前を聞いたことがある程度で、リサーチを通して理解を深めていったのだそうだ。ハンプトンの暗殺は記録に残っているが、彼の人となりやブラックパンサー党内部の状況については、FBIによるバイアスがかかった記録しか残されていない。
映画の冒頭では、1989年にウィリアム・オニールがドキュメンタリーシリーズ『Eyes On The Prize』の第2シーズン(90年)でインタビューに答えた映像が使われているが、このドキュメンタリーの放映が開始された1990年1月15日(キング牧師記念日)に、オニールは高速道路で車にはねられ死亡した。自殺と言われてる。
シャカ・キング監督は、今年4月上旬に行われたオンラインイベントでこう述べている。「私たちは、これを伝統的な伝記映画にするのではなく、もっと思想や個人をテーマにした映画にしようと考えました。フレッド・ハンプトンとウィリアム・オニールは、人間のスペクトルの反対側に存在するような2人です。個人主義者と、協調関係を築くことに興味があり、長けている人。社会主義者と、資本主義者。臆病者と、最も勇敢な人間。そしてこの世界のほとんどの人は、この2人の中間に位置しています。自由を求めたこの2人は、自由について全く異なる考えを持ち、達成するための方法についても異なる考えを持っています。この映画を観た人々が、ウィリアム・オニールが下したいくつかの決断を文脈に沿って理解し、それがいわゆる悪役が下す決断とは異なり、人間が下す決断だと感じられれば、観客はその決断に共感することができるのではないでしょうか。私はこの映画を通じて、自分自身に問いかけていました。自分なら不正に対して声を上げることができただろうか、と。私は目の前で不正が起こるたびに、時には自分を守るために沈黙を選んできた。観客の皆さんにも、自分の人生について考えたり、自分の選択を疑ってみたりする機会にはなると思います」
アメリカでは、昨年のジョージ・フロイド殺害事件を発端に全国的にBLM運動が起き、また、現在ではアジア系住民へのヘイトクライムも大きな問題となっている。ジョージア州議会では、60年代まで続いた人種隔離政策のジム・クロウ法の再来とも呼べる選挙権に関する州法改正案が成立し、同州に拠点を置く企業などが反対を表明している。人種差別問題は当事者間だけでなく、問題に目を向けない社会を変えていかなくては、対象を変えて永遠と同じことが繰り返されるだけだ。
キング監督と、プロデューサーを務めたライアン・クーグラーら製作陣は、ユダとして生きる道を選ばざるを得なかったウィリアム・オニールを描くことで、社会に変革を求めている。2020年〜2021年の映画界では、公民権問題に直面した1960年代のアメリカを描いた作品が多く作られ、アカデミー賞にもノミネートされている。マルコムX、モハメド・アリ、サム・クック、ジム・ブラウンが過ごす1964年の一夜を描いた『あの夜、マイアミで』(レジーナ・キング監督)、人種差別の惨状を歌にした「奇妙な果実」により法執行機関に狙われたビリー・ホリディの半生記『The United States vs. Billie Holiday』(リー・ダニエルズ監督)、今も残るアメリカの司法制度の悪行に苦しめられた夫婦のドキュメンタリー『TIME』(ギャレット・ブラッドリー監督)、さらに本作と同時期のシカゴを舞台にした『シカゴ7裁判』(アーロン・ソーキン監督)にはフレッド・ハンプトンも登場している。これらの作品のどれも、劇中の登場人物たちが対峙するのは特定の敵ではない。歪んだ優生思想や至上主義によって扇動され肥大した意識と、それを見過ごしてきた当事者以外の民衆の無関心が社会という大きな敵を生んだ。
フレッド・ハンプトンを演じたダニエル・カルーヤと、ウィリアム・オニールを演じたラキース・スタンフィールドはともに、本年度アカデミー賞の助演男優賞にノミネートされている。では、『Judas and the Black Messiah』の主演は誰なのか?カルーヤはすでにゴールデン・グローブ賞、全米映画俳優組合賞、全米批評家協会賞、英国アカデミー賞などで助演男優賞を受賞しているが、オニールがインタビューに応じた最初で最期のドキュメンタリー(Eyes on the Prize II)が今作の原作に大きな影響を与えていることを考えると、ラキース・スタンフィールドが主役だとも考えることができる。だが、『マ・レイニーのブラック・ボトム』で主演男優賞にノミネートされた故チャドウィック・ボーズマンや、『ミナリ』のスティーヴン・ユァン、『ファーザー』のアンソニー・ホプキンスなど強豪候補が並ぶ主演男優賞は激戦が予想され、助演の方がまだチャンスがあると考えたのかもしれない。
だが、先般引用したシャカ・キング監督の言葉とアメリカ(に限った問題ではないが)の現状を鑑みると、『Judas and the Black Messiah』の主演は、極論と無知の二極化された社会と、ユダと救世主の中間に存在する市井の人々と言えるだろう。ハンプトンもオニールも、FBI捜査員のミッチェルや長官のフーヴァーでさえも、差別や陰謀論がまかり通る社会に翻弄されるちっぽけな存在として描かれる。そして、その巨大な敵とどう向き合うかは、映画を観た我々にバトンが渡される。
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『Judas and the Black Messiah』(原題)
監督/シャカ・キング
脚本/ウィル・バーソン、シャカ・キング
製作/チャールズ・D・キング、ライアン・クーグラー、シャカ・キング
出演/ダニエル・カルーヤ、ラキース・スタンフィールド、ジェシー・プレモンス、マーティン・シーン
2020年/アメリカ
今夏レンタルリリース予定
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