Column

2021.03.26 12:00

【単独インタビュー】『水を抱く女』の監督が”今までにない視点”でウンディーネの物語を描いた理由

  • Atsuko Tatsuta

第70回ベルリン国際映画祭で銀熊賞(最優秀女優賞)と国際映画批評家連盟賞を受賞した『水を抱く女』は、ドイツの名匠クリスティアン・ペッツォルト監督が水の精・ウンディーネの神話を現代ベルリンを舞台に置き換えて映画化した話題作です。

ベルリンの都市開発を研究している歴史家のウンディーネ(パウラ・ベーア)。恋人のヨハネスの心変わりに傷ついた彼女は、潜水作業員のクリストフ(フランツ・ロゴフスキ)と出会い惹かれ合う。だが、ある日、水難事故に遭ったクリストフを救うため、ウンディーネはある決心をする──。

主人公の名前にも使われている”ウンディーネ”は、神話に登場する水の精。ロマン派最高傑作といわれるフリードリヒ・フケーの小説「ウンディーネ」を始め、文学やオペラ、バレエなど、このモチーフを引用したさまざまな作品が生み出されてきました。

「愛する男に裏切られたとき、その男を殺して、水に還らなければならない」という宿命を背負ったウンディーネ。ベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)を受賞した『東ベルリンから来た女』(12年)を始め、『あの日のように抱きしめて』(14年)、『未来を乗り換えた男』(18年)で知られるクリスティアン・ペッツォルト監督は、この古典的なストーリーを現代に設定、さらに女性の視点で描くことによって、これまでにはなかった現代的な“水の精”の物語を紡ぎ出しました。

妖艶なウンディーネを演じたのは、フランスを代表する監督フランソワ・オゾンのミステリードラマ『婚約者の友人』(16年)でベネチア国際映画祭マルチェロ・マストロヤンニ賞(新人俳優賞)を受賞、フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督の『ある画家の数奇な運命』(18年)では主人公の恋人(妻)役を演じ、鮮烈な印象を残したパウラ・ベーア。ウンディーネを深い愛情で包み込む潜水員クリストフ役には、ミヒャエル・ハネケ監督の『ハッピーエンド』(17年)やテレンス・マリック監督の『名もなき生涯』(19年)など国際的な作品でも存在感を示したドイツの演技派フランツ・ロゴフスキ。『未来を乗り換えた男』でも共演した二人は、ペッツォルト監督の下、再タッグを組むことになりました。

ワールドプレミアされた2020年のベルリン国際映画祭を皮切りに、国際的な評価を高めてきた『水を抱く女』。日本公開に際し、ペッツォルト監督がオンラインインタビューに応じてくれました。

クリスティアン・ペッツォルト監督

──水の精・ウンディーネは、これまでも多くのアーティストが作品の題材に使用してきました。なぜ今、これを題材にしようと思ったのですか?
パウラ・ベーアとフランツ・ロゴフスキは、私の『未来を乗り換えた男』にも出演していました。フランスのマルセイユで撮影をしていたのですが、ちょうど25日目に二人と話していた時、もうすぐ撮影が終わるので寂しいというメランコリックな気持ちになり、ついウンディーネの構想を話してしまったんです。ウンディーネ神話をなんらかの形で映画化したいという構想は、ずっと以前から私の中にあったのですが、ほとんど手をつけていなかったんですね。でもつい弾みで、“あなたたちに出演してもらいたいと考えている”と言ってしまった。で、そんな話をしながら自分で気がついたのですが、ウンディーネの神話はいろいろなアーティストが描いているけれど、ほとんど男性からの目線で描いているな、と。なので、ウンディーネを女性目線で描いてみたいと思い始めました。マルセイユでそう話してしまったので、撮影が終わってベルリンに帰ってから、今までにはない視点でウンディーネの物語を書こうと、脚本にとりかかりました。

──ウンディーネの物語はさまざまなバリエーションがありますが、男性から裏切られる女性という点は基本的に共通しています。女性からの視点というと、“裏切られた女”からの視点ということでしょうか?
水の精であるウンディーネは、水の中から男性に呼び出され、嘘をつかれ、結局はその男を殺さなくてはならなくなるのが基本的な構図です。彼女は、過去100回くらい水の中から呼び出されているわけですね。これらの作品では主導権は常に男性側にあり、私はそこをぶち壊したかったんです。本作では、ウンディーネは自らが男性を好きになります。男に見初められ、その誘いにのるのではありません。クリストフも、単に肉体的にウンディーネに惹かれるわけではなく、彼女に尊敬の念を抱いて近寄ってきます。そこが決定的に違いますね。従来のような男性の目線で描く水の精にはまったく興味がありませんでした。

──冒頭でウンディーネは恋人のヨハネスに「私を捨てたら、あなたを殺す」とささやきますね。恐ろしいセリフで、強烈なインパクトがありました。
実はウンディーネの「あなたを殺さなければならない」というのは、私が一番好きなセリフなんです。いまの時代、なんでもスマホで簡単に済ませてしまいますよね。恋愛においても同じで、出会いも別れも簡単だし、相手を傷つけても責任をとる気もない。まるで株の売買をするのと同じような感覚です。そういう時代において、このウンディーネの言葉はとても衝撃的で、面白いと思いました。またウンディーネは、自らにかけられた呪いから自分を解放しなければなりません。私が思うに、愛というのはそこに存在するのではなく、育むものです。男性がとある女性と出会って、肉体的に魅力を感じるとします。でもそれだけの愛はとても退屈なものです。例えば、ヒッチコックの『三十九夜』(35年)というスパイサスペンス映画。これはとある男性と女性が手錠で繋がれ、好きでもないのにずっと一緒にいなければならない状況に陥る。そうしている内に愛が芽生えてきた。つまり、愛は一緒にいることによって生まれ得るんです。

──ウンディーネは歴史家で、ミュージアムでベルリンの街の模型を前に、その成り立ちについてを観光客に解説しますね。「ベルリンとはスラブ語で沼を意味する」とも語っています。今回、水の精のストーリーを語るにあたって、ベルリンを舞台に選んだ理由はなんですか?
ベルリンを選んだのは、私が長年住んでいてよく知っている街だということが、まず挙げられます。もちろん神話なので、黒い森(シュヴァルツヴァルト)とかアイベルシュタットなどで撮影したら、もっと神話的な雰囲気が出たのではと考える人もいるかも知れません。そもそもベルリンは長い歴史がある街ではありませんし、語り継がれる伝説もありません。けれど、さまざまなところから人がやって来て住んでいるので、彼らがもたらした歴史があるともいえます。今でこそベルリンは、芸術的な街になっていますがね。実はベルリンはウンディーネが説明しているように、昔、沼地だった土地から水を抜いてできている街です。シェイクスピアの「夏の夜の夢」にも出てきますが、そもそも水の中に生きてきたものが水を抜かれたとき、どこに行くのでしょうか?

──そもそも沼地だったから、ベルリンは水の精の話に合うということですね?
19世紀にフリードリヒ・フケーがウンディーネについての小説を実際に書いていますが、それが発表されたのが、ベルリンなんですね。ベルリンは商業都市であり産業の都市でもあり、多くの人が集まる。さまざまな人がいろいろなストーリーを語っていくということで、ベルリンという街は親和性があると思いました。

──以降、本編に関するネタバレが含まれます──

──この作品には、声に関する謎が2つほどあります。ひとつは序盤でウンディーネが聞く、カフェの水槽から出てくる声。もうひとつは、かけられるはずがないにも関わらず、ウンディーネの携帯の留守番電話にクリストフからメッセージが入っていた件です。これらについて解説していただけますか?
この世は神話と呪いの世界です。水槽から聞こえているのは、呪いです。ウンディーネは、男に裏切られたら殺さなければならない運命にあるわけですが、この段階でウンディーネは、裏切った恋人を殺さずに、別の人を愛するという選択をします。スマートフォンのメッセージは、その結果です。掟を破った罰として、クリストフを殺すよというメッセージですね。ウンディーネは、ああいう選択をするのです。

──彼女は、自己犠牲によって愛を貫くわけですね。
まさにその通りです。

──結局のところウンディーネの愛は成就しません。彼女にとってこれは悲劇だったのでしょうか?
彼女は人間でいることを選んだとしたら、クリストフはあのまま死んでいたわけです。彼女は自分から人を愛し、クリストフを救うという選択をしたのです。

──湖に棲む巨大ナマズは、死神の化身なんでしょうか?
あのシーンを撮った湖には、語り継がれている伝説があります。ずっと昔、騎士が若い女性をレイプし、その罰でナマズに変身させられたという言い伝えがあります。なので、そのナマズをイメージしてあのシーンを加えました。あのナマズはCGを使ったので、制作費はかかりましたが、すごく良いものが出来たと思います。制作中も楽しんで作ったシーンのひとつですね。CGのナマズは、男性的で筋肉質で、また一抹の悲しさを孕んだものにして欲しいとリクエストしました。

──クリストフは湖でナマズに遭遇しますが、この中で彼は、人を裏切らない誠実な人間として描かれているのでは?
クリストフは潜水作業員なので、水中で作業します。彼がナマズを見たと同僚に話したとき、“見たんだね”という答えが返ってくるところから、あの湖にはそういう伝説があることがわかります。私が示したかったのは、水中にはまだ私たちが知らない別の世界が存在するということ。そういう世界にウンディーネが存在していることを示したかったんです。

──救命救急のシーンで70年代のヒットソング「ステイン・アライヴ」を使用している理由は?
救命救急のときにはビージーズのこの曲が使われると、かなり前に読んだことがありました。なので脚本に書いたんです。主演の二人に救命救急の講習を受けてもらったんですけど、本当に「ステイン・アライヴ」を使っていましたよ。歌詞もぴったりですよね。撮影の時も、二人はこのシーンをとても楽しんでいて、もう一回やりたいと言っていたくらい。なので、あのようなセリフも出てきたんです。

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『水を抱く女』(原題:Undine)

ベルリンの都市開発を研究する歴史家ウンディーネ。彼女はアレクサンダー広場に隣接する小さなアパートで暮らし、博物館でガイドとして働いている。恋人のヨハネスが別の女性に心移りし、悲嘆にくれていたウンディーネの前に、愛情深い潜水作業員のクリストフが現れる。数奇な運命に導かれるように、激しく惹かれ合うふたり。幸せで無垢な新しい愛を大切に育むも、彼女が必死に何かから逃れようとしているような違和感をクリストフが感じとった時、ウンディーネは再び自分の宿命と直面することになる…。官能的なバッハの旋律にのせて、繊細に描写されるミステリアスな愛の叙事詩。

監督・脚本/クリスティアン・ペッツォルト
出演/パウラ・ベーア、フランツ・ロゴフスキ、マリアム・ザリー、ヤコブ・マッチェンツ 
2020年/ドイツ・フランス/ドイツ語/90分/アメリカンビスタ/5.1ch/日本語字幕:吉川美奈子

日本公開/2021年3月26日(金)より新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー!
配給/彩プロ
公式サイト
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