Column

2021.03.26 9:00

【単独インタビュー】『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』池田暁監督が独特の演出スタイルで目指すところ

  • Atsuko Tatsuta

個性派キャストと独特の世界観で根強い人気を誇る池田暁監督の新作『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』は、毎日決まった時間だけ、川を挟んだ向う岸の戦争をしている町を舞台に、個性溢れる人々の淡々とした生活を描いた珠玉の映画です。

太津川を挟んで、朝9時から午後5時まで規則正しく戦争をしている津平町と太原町。津平町に住む兵隊の露木(前原滉)は第一基地に勤務しているが、ある日、人事異動で音楽隊に配属される。そんな中、向こう岸から聞こえてくる音楽に心を惹かれ始める。一方、町では新部隊と新兵器がやってくるという噂が広がり始めていた──。

長編第2作の『山守クリップ工場の辺り』(13年)がロッテルダム国際映画祭でグランプリを受賞するなど国際的に高く評価され、その斬新なアイディアとオリジナリティで脚光を浴びている池田暁監督。前作『うろんなところ』(17年)に続く長編第4作『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』は、映画監督の人材育成を目的とする文化庁委託事業「ndjc:若手映画作家育成プロジェクト」の新たな試みである「90分程度の映画脚本開発」を経て、「長編映画の実施研修」として製作され、第21回東京フィルメックスで審査員特別賞を受賞しました。

主役の露木を演じるのは、『あゝ、荒野』(17年)を始めとする映画や舞台で活躍する実力派・前原滉。さらに、石橋蓮司、竹中直人、橋本マナミ、矢部太郎、片桐はいり、嶋田久作、きたろうなど個性的で豪華な俳優陣が顔を揃えました。

前作に続き、唯一無二の池田ワールドが展開される本作。公開に際して、池田監督がインタビューに応じてくれました。

──川を挟んで二つの町が戦争しているというアイディアは、まずどこから来たのですか?
僕が現在住んでいるマンションの窓から、多摩川が見えるんです。毎朝起きて外を見るとまず川が見えるわけですが、ある日ふと、川の向こう側って何があるのかなと思ったことがきっかけです。川ってある意味一つの線みたいなもので、そこに境があるというか。そういう風に見えるなと思ったのが、この映画の始まりでした。

──これまでの映画でも川はいろいろなものを象徴してきたと思いますが、川に対して特別な思い入れはあったのですか?
僕は子どもの頃から親の転勤などで引っ越しが多くて、一番長く住んだ場所も、近くに川がある場所でした。僕が生きてきた上で、川はとても身近に感じられる場所なんですね。子どものとき、川の向こうってそう簡単に行けませんよね。ずっと川の向こう側って、想像を掻き立てる何かがあるなと思っていました。

──川は分断の象徴にも見えますよね。戦争におけるノーマンズランドのような。
日本には川による国境線はありませんが、確かに川は何かを隔ている。海外には川を挟んだ国境もある。さらに川はなくても、韓国と北朝鮮の国境だったり、中東での隣国同士の紛争とか、この映画は日本で作っていますけれど、世界でも置き換えられるのかなと思っています。さらに戦争そのものというより、人間の争い事の境の象徴として描けないかなとは思っていました。

──ここ数年で世界中で加速する分断に対して思うところもあったのでしょうか。
それはありますね。おっしゃるように、アメリカもそうですけど、今はなにか線を引きたがっているように僕は感じています。日本では今、大きな争いがあったり大きな分断が起こっているわけではありませんが、それでも、同じ空間の中に居る者同士の間に、小さな線が引かれているれているような、そういう分断は感じますね。

──『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』は一見のほほんとしていて穏やかに見えますが、その実、風刺的な鋭さも感じます。川の反対側の町という見えないものを恐れるという設定は、人間が知らないものに対して、感情的にどう対応するのかを顕在化させているようが気がします。これらは、差別や分断を誘発しかねません。
世界中で起こっている争い事を、テレビなどからの情報だとなかなか自分事として見られませんよね。僕の場合、2014年にウクライナのオデッサ国際映画祭に呼ばれたんですね。その時に、クリミアの問題がちょうど起きていた。オデッサが戦場になっていたわけではなかったんですが、映画祭にいつものような賑やかさはなく、実は、映画祭どころじゃない状況であることが垣間見られました。ちょうど帰国のための飛行機で日本に向かっている時に、オランダからマレーシアに向かっていた飛行機がウクライナで撃墜された。成田に着いたとき──まだ昔のガラケーだったんですけど──大丈夫ですか?というメールがたくさん届いていた。そういう経験があって、それまでとは違う感覚で、もっと身近に世界の紛争を見るようになったというのはありますね。戦争は矛盾の固まりだと思うんですよね。捕虜の扱いとかも。この作品でも、人を殺し合っている中での大きな矛盾とかを感じてもらえたらいいなと思いますね。

──この映画で描かれる、わからないものに対して恐れるという感覚も、ご自身の実感から来ているのですか。
見たことがないもの、知らないものに対する恐怖とは、人間の根本的なものだと思います。僕は、海の深くて暗い部分ってすごく怖いんです。正体のわからないものはすごく怖い。でもその恐怖を解消できる手段もあるかもしれない。それを意識しているだけで、違うんじゃないかと思いますね。わからないものに対しては、想像することが大切だと思うんです。銃を持っていたとすると、その先に何が起こるかはだいたいわかるでしょう。それを想像しなくなるって、怖ろしい。ボタンを押して簡単に人を殺すことができてしまう感じが、怖いなと思います。

──この映画のもうひとつ大きなテーマである楽隊という要素はどこから来たものですか?
音楽をテーマに作品を作りたいというのが、まず前提にありました。隔たっていても、向う岸の人と音楽で繋がり合うみたいな。例えば、海外の映画祭に行って僕の映画を観てもらったことで、言葉が通じない人たちともわかり合える感覚が持てた。音楽のそういった力を描きたいというところから、楽隊というアイディアになっていきました。僕は音楽を、心情的な、主人公の気持ちを音楽で代弁するような使い方はしたくないんです。この映画にも、彼らが演奏している曲以外の音楽は、一切入れていません。それは演奏しているから流れているだけ。そうした音楽の使い方にある種のこだわりはありますね。

──池田監督のスタイルはとても独特ですが、最初からそうした演出方法だったわけではないそうですね。
この作品は長編だと4本目なのですが、1本目はこういうスタイルではありませんでした。2本目を撮るときは、すでに30代半ばになっていた。当時は、映画撮るのは難しいと感じていました。

──金銭的な面ですか?
それもそうですけれど、映画監督としてやっていくことの難しさというか。もう辞めようかと考える時期もありました。それでこれが最後なら、自分に合った自分がやりたいものをやろうと思ったんです。自分が思うユーモアを入れ込んで、好きな表現方法で。『山守クリップ工場の辺り』のあたりで、思い切ってそういうスタイルで撮ってみたら、意外にも映画祭とかに呼ばれたり受け入れられて、自分としてもしっくりいく方法だったので、そのまま続けています。僕の考え方の部分が影響してくるのですが、観ている方に、あまり押し付け過ぎたくないというのが念頭にあります。僕が観ている側として、あまり説明され過ぎるのが好きじゃないせいもあるのですが、観ている方に自由に考えたり想像する部分を与える作品や演技を目指して、こうなりました。

撮影風景

──世界の映画祭の反応はどんなものだったのですか?
13年にバンクーバー、釜山にも行きました。年が明けて14年にロッテルダム。ロッテルダムのときは5回上映されたんですが、毎回、観客と一緒に観ました。それまでの日本の映画祭でも一緒に観てましたけど。いちばんわかりやすかったのは、ユーモアの部分ですね。その国の文化なのかもしれませんが、誰にも遠慮せずに笑うとか、日本とかよりも反応が良かった。受け入れられているという実感がありました。ちょっと昔の時代設定とか──まあ『山守〜』もこの作品も時代設定をしていなんですけれど──『山守〜』のベースとなっているのは、「鶴の恩返し」といった昔話なんです。そういう日本的な部分も、それまでの日本映画とは違う日本らしさがあったのかなと思いました。

──よく影響を感じる映画監督としてロイ・アンダーソンやアキ・カウリスマキの名前があがっていますが、実際にどれほど影響を受けたのでしょうか?
アキ・カウリスマキ監督の作品は好きで、以前から観ていました。そのお二人だけじゃなく、ウェス・アンダーソンとか小津(安二郎)さんとか、テリー・ギリアムとかデヴィッド・リンチとか。たまたま全員好きな方なので嬉しいですけど、自分ではよくわからないですね。もちろんいろいろな方からの影響があるとは思いますが、自分としては、画作りに関しては漫画とかからの影響が多い気がしますね。水木しげるさんとか。でもロイ・アンダーソンは、実は『山守〜』を撮った後に観たんですね。なのでそこからは影響は無いのですが、ただ、共通点を感じなくもないですね。

──アキ・カウリスマキもロイ・アンダーソンも独自の様式美を追求している監督だと思います。リアリズムというより、イマジネーションの力を信じている点では、池田監督も共感されるのでは?
僕の映画に出てくるキャラクターも、ある種誇張された人たちばかりで、こういうスタイルだからこそ出来ること。ファンタジーのように見えるかもしれませんが、その中で彼らの存在は“嘘”じゃなくなる気がしているんです。

──『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』は、明確な時代設定をされてないということですが、服装や建物はどの時代を基準にしているのですか?
実際に作るときには、美術スタッフにも伝えなければならないので、大まかなイメージとしては昭和の30年代くらいと伝えていました。僕自身が、その頃の建物や板塀や畳とかが好きなこともあって。ただ、東京ではそういう風景はもうあまり残っていない。僕の趣味的な部分で、そういう消えていく風景を映画で残したいというのがあるのかもしれませんね。

──ロケは群馬ですか?
群馬県ですね。映画の8、9割は群馬。当初は富岡製糸場で撮ろうとしていたのですが、世界遺産なのでなかなか難しく、数シーンしか撮れませんでした。それで群馬でロケハンをしていたら、ざくざくと良い建物が出てきました。

──川はどこですか?
利根川ですね。伊勢崎の方に流れている。実は撮影が終わって1、2ヶ月後くらいに、追加撮影で川を撮りに行ったんですよ。でもその間に大きな台風が来ていて、その風景がまったく無くなってしまったんです。川の向こうにあった森も、無くなってしまいました。

──意図的に誇張されたようなキャラクターを描いているとのことでしたが、キャスティングにおいても、演劇的な俳優が多いように見受けられます。選ぶ基準は?
俳優の個性を第一に考えます。僕自身、個性が強い俳優が好きですし、出演者のキャラクターが誰一人被らず、スクリーンの中でその違いがはっきりわかることが大事。個人的な感覚ですが、いつまでも撮っていて楽しい方、というのもあります。

──最初にキャスティングしたのはどの方ですか?
『山守クリップ工場の辺り』から5、6人くらい出ているんですが、その方たちが先に決まりました。この作品は10分ぐらいのパイロット版を撮っていて、本編でも同じ役を務めた方が2人います。友松栄さんとよこえとも子さん。彼らが一番最初ですね。

──有名俳優も多く出演されていますね。
制作会社は東映だったのですが、相談しつつです。嶋田さんや石橋さんは、東映と馴染みのある俳優さんです。きたろうさんは、前回の短編映画にも出ていただいたので、その流れでお願いしました。20年くらい前からシティボーイズが好きで見ていて、特にきたろうさんは、子どもの感性のようなものを持っている気がして、大好きでした。

──爆発のシーンはCGだったのですか?
そうです。プロデューサーがいつも渋い顔をしていましたけれど、あれはCGでしかできない。今までCGを使ったことがなかったので、使ってみたかった。蛾などにもCGを使用しました。

──撮影で一番苦労した点は?
川岸で大砲を撃つところですね。撮影日数が全部で11日間だったので、僕も焦っていましたし。ただ、リハーサルを東京でやって動きや演技に関してはほとんど決めてから臨んだので、スケジュールがずれ込むことはありませんでした。

──時間との闘いだったのですね。
群馬で10日、東映のスタジオで兵舎のシーンを建込みで作って、1日撮りました。日程と予算はいつも大きな闘いですね。予算に関しては、あれば良いというものでもないとは思います。最初の脚本では、川岸で戦争しているところに大きな時計台が建っている設定だったのですが、予算的に無理となった。その時にスタッフの一人が、誰かが時計を持っていたら面白いんじゃないですかと言ったんですね。それで他の人には拡声器も持たせようということで、あのシーンが出来ました。予算がないからこそ出てきたアイディアで、とても大切だと思います。予算があればできることとは違う良さがある気がしています。

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『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』

出演/前原滉、今野浩喜、中島広稀、清水尚弥、橋本マナミ、矢部太郎、片桐はいり、嶋田久作、きたろう、竹中直人、石橋蓮司
監督・脚本・編集・絵/池田暁
企画・製作/映像産業振興機構(VIPO)
制作協力/東映東京撮影所     
2020年/日本/カラー/105 分/ビスタ

日本公開/2021年3月26日(金)より、テアトル新宿ほか全国順次ロードショー!
配給/ビターズ・エンド
公式サイト
©2020「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」フィルムプロジェクト