Column

2021.02.26 17:00

【単独インタビュー】『DAU. ナターシャ』の奇才監督が進める狂気のプロジェクトの真意

  • Atsuko Tatsuta

ロシアの奇才イリヤ・フルジャノフスキー監督による15年に及ぶ壮大なプロジェクトから生まれた映画『DAU. ナターシャ』。第70回ベルリン国際映画祭のコンペティション部門で上映される否やバイオレンスなどの衝撃シーンが物議を醸し出す一方、その高い芸術性が評価され、銀熊賞(芸術貢献賞)を受賞した話題作です。

『DAU. ナターシャ』の舞台は、1952年。ソヴィエト連邦の秘密研究所内のカフェで働く40代のナターシャは、同僚である若いウェイトレスのオーリャと気が合わず反目し合うも、仕事が終われば一緒にお酒を飲み、恋愛話に花を咲かせる。ある日、常連である科学者たちのパーティでフランス人科学者リュックと出会い、一夜を共にしたナターシャは、まもなくソヴィエト国家保安委員会の犯罪捜査の上級役員であるウラジミール・アジッポに連行され、尋問を受ける──。

「DAU」プロジェクトは、デビュー作『4』で注目されたイリヤ・フルジャノフスキーが、「ソ連全体主義」を検証するために行っている2007年から準備が始まった壮大なプロジェクトです。秘密研究所を中心にソ連時代の町を再現したウクライナに建てられたセットは、1万2,000平方メートル。延べ39万2,000人が参加したオーディションにより選ばれた主要キャスト400人、エキストラ1万人は、そこで当時(1938年〜1968年)の衣装を着用し、当時のような食べ物をとって生活し、40ヶ月の間に断続的に行われた撮影は180日に及びました。

『DAU. ナターシャ』は、このセットで撮影された700時間に及ぶフッテージから生まれた初の商業映画です。日本公開に際し、エカテリーナ・エルテリとともに本作のメガホンをとった、プロジェクトのキーパーソンであるイリヤ・フルジャノフスキー監督がFan’s Voiceのオンラインインタビューに応じてくれました。

イリヤ・フルジャノフスキー監督

──15年かかった巨大プロジェクトでは、本やインスタレーションなどいろいろなアートフォームがありますが、映画はどのような位置づけになるのでしょうか。
人体でいえば、目の役割。あるいは、髪の毛ともいえますね。

──“髪の毛”とはどういう意味ですか?
これまで撮った膨大な数のオリジナル映像のショット一つひとつが、髪の毛一本一本のようだともいえるということです。撮影した700時間のフィルムがあるのですが、その映像の中には、上手くいっているものもありますし、上手くいっていないものもありますが、そのすべてが映画をつくるパーツの一部となっているのです。

──このプロジェクトから映画作品以外にどんな作品が生まれるのでしょうか。
700時間の映像の他に、200万の写真があります。それらを元に本を出版したり、インスタレーションやデジタルメディアとして発表したりもします。さらにそれらを素材にして学術的なレクチャーをしたり、芸術作品としてさまざまなものを出していく予定です。

──このプロジェクトの発端は、ソヴィエト時代の全体主義についてあなたが考察を深めたいという趣旨だったと思います。改めてお聞きしたいのは、あなたにとって「ソ連時代の全体主義」とは何でしょうか?
個人的にソ連体制というものを憎んでいます。ロシアの人々にとってソ連体制は悲劇だった。私の家族だけでなく、人々はひどく苦しんだ。数千万人の命が奪われ、また、優れた人材は国を去り、文化は破壊されたのです。そう、ソ連の全体主義的な体制は、さまざまなものを破壊したのです。

──プロジェクトの名前「DAU」は、ノーベル賞を受賞したソ連時代の物理学者レフ・ランダウからきたものですね?
ランダウや当時生きていた他の物理学者からインスピレーションを受けて、このプロジェクトを始めました。ちなみに、このプロジェクトの中にランダウ自身は登場しませんがね。これはランダウの伝記映画でもなく、フィクションです。いってみればファンタジーであり、当時生きてきた優秀な人々、全体主義的な社会で生きてきた人々たちからインスパイアされて作りました。

エカテリーナ・エルテリ、イリヤ・フルジャノフスキー © Jens Koch

──この映画に関して。ナターシャは、ソ連の統制下にある社会を生き抜く力強さを感じました。ある種フェミニズム映画ではないかとすら思いました。女性の力強さを描くにあたって、共同監督のエカテリーナ・エルテリはどのような役割を果たしたのでしょうか。また、彼女を加えた理由は?
エカテリーナは共同制作者であり、編集者でもある有能な人物です。彼女の個性も素晴らしいですけれどね。彼女はもともとメークアップアーティストなのですが、女性の心理を深く理解しているため、プロジェクトに加わってもらいました。編集に入ってもらうことにより、ここで描かれる自由や暴力といったものをすべて理解しながら編集してくれるのではないかと思いました。ご指摘のように、この作品は私もフェミニズム映画だと思います。ふたりの女性──つまり、ナターシャを演じたナターリヤ・ベレジナヤとエカテリーナは非常に大きな役割を果たしています。

──KGB式の恐ろしい拷問をするウラジミール・アジッポとナターシャの間には、ある意味とても人間的な化学反応が起こり、とても興味深いものでした。ハンナ・アーレントがナチスの将校だったアドルフ・アイヒマンに使った「悪の凡庸さ」という言葉を思い出しました。その役割を与えられたことによって、アジッポは拷問をしているのであって、彼の人間性と蛮行には乖離があります。
アジッポは元KGB調査官で、かつてソヴィエト連邦の刑務所や拘置所に勤務していました。彼は重い人生を生きました。彼自身がその手で恐ろしいことを実行してきたからです。その過去に、彼自身が苦しんできました。彼の行動により「悪の本質」を示すことができたと思います。映画中でアジッポとナターシャがいろいろな話をしますが、あのシークエンスでは人間というものは、どういう風に行動するのか、「悪の本質」とはいかなるものかを示したいと思いました。あなたがハンナ・アーレントについて言及したのは、まさにその通りだと思います。ここにはハンナ・アーレントが示した「悪の凡庸さ」が表出している。酒瓶を使った拷問シーンがありますが、そこにさえ、自由はあるのです。

──2020年のベルリン国際映画祭での上映では、批判や攻撃があったと聞いています。拷問シーンやセックスシーンについて、女性に対しての虐待だと主張した人がいました。これらの批判に関しては、どのように受け止めていますか。
ベルリン以来ずっと批判されているので、もうすでに冷静に受け止めるようになっています。コメントもしましたし、虐待があったのかどうか多くのジャーナリストにより検証され、そういったものはなかったという結論が出ています。ベルリンの記者会見やインタビューで、ナターリヤ自身がこの撮影がどう行われたのかについて話しています。もちろん、撮影現場で彼女がおかれた心理的な状況、つまりすべてをさらけ出すというのは大変なものだったと思います。けれど、私はナターリヤこれらのシーンを演じきったということは、素晴らしいことだったと思います。

──700時間のフッテージから、あなたは今後、どういう作品を何本くらい世に送り出す予定でしょうか。
すでに16本は制作中で、いくつかが編集中です。人間の本質と人間の人生、時、空間をテーマに、さまざまな形で描きたいと思います。つまり、いろいろなものをさまざまな視点から眺めるということです。16本の他には、ドラマのようなシリーズものも作っていますし、デジタルプラットフォームの作品も作っています。

──このプロジェクトのために、街ごとセットを作り、キャストにはそこに住んでもらってキャラクターに成りきって撮影するという方法がとられていまね。ある意味、映画監督ならば誰もがやってみたいというやり方を実践されていると思いますが、実現に向けて影響を受けたアーティストはいますか?
共同プロデューサーでもあるセルゲイ・アドニエフです。彼が金銭的な面でも援助してくれたし、他にも彼と交流するなかでさまざまなアイディアを得ました。セルゲイは、独特な考え方をする人で非常に影響を受けました。他にもさまざまな芸術家や作家、あるいは映画からも影響を受けていますが、私の中では、例えば映画や文学は個別のものではなく、すべてが影響し合っていると言えますね。

──そこに生活をしなければ生まれないものとは?
私はそれは人生であり、生活です。そこに長く生活することによって、生まれてきたものがあるはずです。そういったものを私は獲得できたと思っています。

──あなたは自分を映画監督だと思いますか、それとももっとマルチなアーティストだと思いますか。また、既存の監督からはどのように影響を受けましたか?
私は、まぎれもなく映画監督だと思っています。影響を受けたのは、アレクセイ・ゲルマン、アンドレイ・タルコフスキー、イングマール・ベルイマン、ジャン=リュック・ゴダール、黒澤明、小津安二郎、フェリーニ、アントニオーニ、ジャン・ヴィゴ、大島渚。たくさんいますね!

──2018年に、川久保玲さんとコラボしていますが、どのような経緯だったのでしょうか?
川久保さんはアイ・ウェイウェイといったさまざまな芸術家とコラボしています。私は彼女のパートナーを通じて知り合いになって、ダウの写真を使った本を出版しないかという提案を受けました。彼女は素晴らしい芸術家だと思っていますし、自由にものを考えることができる人です。このような芸術家とコラボを出来たのは素晴らしい経験でした。

──16本の中で、『DAU. ナターシャ』を最初の商業映画として発表したのはなぜですか?
さまざまな状況からそうなってしまいました。ベルリンで『DAU. ナターシャ』と『DAU. Degeneration(原題)』をプレミアしたのですが、いろいろ検討した結果、これを最初に観てもらうのが正しいと感じました。この先、新しい作品を上映したいと思っていますが、それを観れば、『DAU. ナターシャ』が全体の一部だということをご理解いただけると思います。たいへん興味深い質問とお話をありがとうございます。日本を愛しているので、日本に行ける日を楽しみにしております。

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『DAU. ナターシャ』(原題:DAU. Natasha)

ソ連の某地にある秘密研究所。その施設では多くの科学者たちが軍事的な研究を続けていた。施設に併設された食堂で働くウェイトレスのナターシャはある日、研究所に滞在していたフランス人科学者と肉体関係を結ぶ。言葉も通じないが、惹かれ合う2人。しかし、当局から呼び出された彼女は、冷酷なKGB職員の待つ暗い部屋に案内され、スパイの容疑をかけられ厳しい追及を受けることになる…。

監督・脚本/イリヤ・フルジャノフスキー、エカテリーナ・エルテリ
撮影/ユルゲン・ユルゲス
出演/ナターリヤ・ベレジナヤ、オリガ・シカバルニャ、ウラジーミル・アジッポ
2020年/ドイツ、ウクライナ、イギリス、ロシア合作/ロシア語/139分/ビスタ/カラー/5.1ch/R-18+/日本語字幕:岩辺いずみ/字幕監修:松下隆志

日本公開/2021年2月27日(土)シアター・イメージフォーラム、アップリンク吉祥寺他
配給/トランスフォーマー
公式サイト
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