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2021.02.14 9:00

【単独インタビュー】『春江水暖〜しゅんこうすいだん』グー・シャオガン監督が映す変わりゆく中国の家族の肖像

  • Atsuko Tatsuta

中国の新たなる才能グー・シャオガンの長編劇映画デビュー作『春江水暖〜しゅんこうすいだん』は、2019年カンヌ国際映画祭「批評家週間」のクロージング作品として脚光を浴びた話題作です。

現在の中国杭州市、富陽地区。大河・富春江が流れる美しい街に住むグー家の家長である老齢の母フーシュンの誕生日を祝うため、4人の兄弟や親戚たちが集まってくる。だがその祝宴の中、母が脳卒中で倒れてしまう。「黄金大飯店」というレストランを経営する長男、昔ながらの漁師として生計を立てている次男、男手ひとつでダウン症の息子を育てながらも、闇社会に足を踏み入れる三男、気ままな独身生活を楽しむ四男。4人の兄弟を中心に、変わりゆく三世代の物語を描く。

山水画の絵巻「富春山居図」にインスパイアされたという本作は、ロングショットを多様したゆったりとしたリズムで描かれ、まさに山水画のような美しく豊かな世界へ誘います。デビュー作にして傑作を送り出した驚異の新人グー・シャオガンに、日本公開に際してインタビューしました。

──この作品はあなたの故郷が舞台となっていますが、山や富春江という大河などの自然と、伝統的な建物が印象的な本当に美しい街ですね。北京で映画製作を学んだ後、故郷に戻って映画を撮ろうと決めた理由は?
まず富陽の街を褒めていただいてありがとうございます。富陽はとても暮らしやすい街です。両親はそこでレストランを経営していて、私もそこで育ちました。富春江は子どもの頃から慣れ親しんだ河で、泳ぎもそこで覚えました。高校卒業後、北京の大学でファッションを専攻していたのですが、ある時映画に目覚め、ドキュメンタリーを1本撮りました。けれど、フィクション映画を撮るには脚本の書き方などをまったく知らなかったので、きちんと映画製作を学びたいと思い、北京電影学院の社会人コースで1年間学びました。その後、どうしても1本、劇場用のフィクション映画を撮りたいと決心し、脚本を書くために故郷の富陽に戻りました。実家のレストランの話を書こうと思ったんです。当時は、立ち退きの関係で両親が経営していたレストランは閉まっていましたが、子どもの頃からの思い出が詰まったレストランの話を描きたいというのが、この映画の出発点でした。けれど、ふたつの出来事が起きて、映画の方向性が変化したんです。

ひとつは、映画の中で長男の娘グーシーとジャン先生の恋物語が出てきますが、あれは僕の従姉妹の物語です。彼女は実際に両親から付き合いを反対されて、両親とはしばらく不仲でした。僕は、親世代が子ども世代の人生や結婚に関して干渉するのを目の当たりにして、ちょっと理解し難かった。中国はものすごい勢いで現代化されているのに、保守的な部分がまだまだ残っています。親からの干渉は、友人や僕もなんらかの形で受けているので、こういったことを映画を通じて理解したいと思って、脚本に取り入れました。

もうひとつは、北京から帰ってきた当時、地元の富陽の街がどんどん再開発されているのを目の当たりにし、その変化を記録したいという思いです。もともと考えていた故郷での思い出についての作品は、このふたつが加わったことにより、大きく構成が変わりました。グー家の四兄弟は別々の職業に就かせる、といったように発展していきました。

──宋代の詩人・蘇東坡(そとうば)の詩から引用したという中国語のタイトル『春江水暖』の意味は?
はい、蘇東坡が愛した富春江の風景を謳った代表的な詩「恵崇春江晩景(えすうのしゅんこうばんけい)」の一部から引用しています。“もうすぐ春がやってくる。来たる季節を鴨がいち早く知る”といった内容で、2、3月の季節を表す詩でもあります。この映画のラストはもうすぐ春がやって来る時期で終わっているので、まず季節的なものが合っていると思いました。また、“春江水暖”という単語が、この映画の温度感や雰囲気にとても合っていると思いました。人の温かさや土地の温かさを表しているし、富陽の大河である富春江の“江”と“春”の二文字が含まれているのも、気に入りました。

──先ほど、故郷に帰ったときに、街の開発が進んでいることに気がついたとおっしゃいましたが、この映画にはいくつもの対比が描かれます。開発と古き街並み、若者世代と親世代の対立。次男は昔ながらの漁師に愛着がある一方、長男の妻は、高層マンションの高騰とか開発についての話をしたり。こうした対比はあちこちに散りばめられていますね。
長男の妻が、開発されつつあるマンションの価値の話をしていますが、ああいう光景は中国では今やどこでも見られます。親世代と子ども世代との対立や、親世代が子どもの世代に干渉することでぎくしゃくするのも、今の典型的な親子関係でしょう。中国では、映画の中でも描いていたように、僕の親世代の人たちは、子どものために自分たちを犠牲にしてまで家を買ったりします。(映画の主人公である)4兄弟が育ったのは毛沢東の時代で、子だくさんで物質的にも豊かでない時代でした。なのでその世代は、物がない、飢えるのではないかといった不安を常に抱えているんです。つまり彼らにとっては、物質的な豊かさがひとつの安心材料なんです。たくさん稼いで物に満たされて、安定した生活を送るのが、幸せ。それが彼らのある種の価値観の中心にあります。

僕たち若者世代は、中国も発展し、物質的にも豊かな時代に生まれ育ってきました。なので、物に対する不安感はほとんどありません。むしろ、精神的な問題が重要になっています。僕たちには、なぜ生きるのかが一番大事なんです。そういった親世代の価値観との対比を映画の中で探求したいと思いました。国の豊かさ、あるいは時代によって、人々の価値観のあり方はある程度決まるでしょう。どちらが良い、悪いとは言いたくありませんが、いま私が感じているギャップを、そのまま映し出しました。観客の方がそれを観て、いろいろ考えるきっかけになって欲しいと思いました。

──4人の兄弟は性格も職業もまったく違うわけですが、脚本を書く上でどのようにキャラクターを構築したのでしょうか。
まず4人兄弟にしようと考えたときに、身近にいる人や親戚の中で誰に演じてもらうのがいいかな、と考えていきました。映画のキャラクターになり得る特徴のある人、映画的な物語がある人がいいと思いました。長男を演じたのは、僕の母の姉の夫です。母の姉は、その妻を演じています。漁師をしている次男は、知り合いの漁師さんです。両親のレストランに魚を卸していた人でした。三男と四男は、父の弟です。彼らも基本的に普段の仕事とキャラクターのままで演じてもらっています。ダウン症のカンカンという男の子も、三男を演じたおじさんの息子です。

4人の兄弟を別々の職業に就かせることで、社会を多角的な視点に立ち、多様なものを見せられると思いました。長男が経営しているレストランという職場は、多くの人が出入りし、市井の人々の喜怒哀楽を映せる場所だと思いました。次男の漁師は、河に漁に出てます。離れたところから、神のような客観的な視線で街を見渡せると思いました。三男は賭博をしていることもあってアウトサイダー的というか、社会のはみ出し者、社会の低層にいる人の視線を描けると思いました。四男は建設現場の取り壊し作業員なのですが、建設とは、まさに変わりゆく時代の象徴的な仕事だと思います。

グー・シャオガン監督

──次男の漁師という職業ですが、中国の山水画では、漁夫は自由人として憧れの存在であったそうですね。
そうですね。中国では漁師とか釣り人は、自由人というか、仙人のようにも捉えられています。映画の中では、チャン先生が河に飛び込む前に、東屋が映っていたと思いますが、あそこは厳子陵釣台といいます。厳子陵(げんしりょう)は、漢の時代に闘い、勝利に導き、その後隠遁生活を送りました。手柄を立てたというのに権力を捨てて、自分の精神世界の豊かさを求めたという潔さのため、人々の憧れの対象となりました。あの厳子陵釣台は、ひとつの文人の象徴なんですね。また中国では、水は、自由な思想や自由に泳ぐということに繋がることから、伝統的に自由の象徴だったのです。

──主要キャストは、知り合いばかりだということですが、プロの俳優を使わなかった理由は?
当初の大きな理由としては、制作費の節約です。地元で撮ることになって、映画を完成させるためには、そういうところで節約しようと思っていました。しかしながら映画を撮り始めて、違った理由も生まれてきました。この作品には、今の時代のリアルを映し出したいという基本的な姿勢があったので、プロの俳優を使うより、普段生活している人たちを映すことが適切ではないかと思い始めました。僕たちが古い絵画や芸術作品を見るときに、決してテクニックや外観の美しさだけを見ているわけではありませんよね。その芸術作品が写し出すもの、例えば、その当時の人々の服装や身のこなしにも、意味を見出します。そしてその時代に想いを馳せたり。この映画はこれから何年も残っていくと思いますが、後世がそのようにこの作品を観てくれれば嬉しいと思いました。

──今後も富陽を拠点に映画製作を続ける予定ですか。
今は富陽地区でなく、杭州市の中心部に住んでいます。本作は三部作の第一部で、現在は第二部に取り掛かっています。映画の最初の方、地図で地理関係を示した時にある詩を引用しましたが、三部作はこの詩に沿って展開していきます。第二部は杭州の中心部のエリアで、より都会の街を舞台に新しい物語が展開されます。

──本作は長編デビュー作ですが、これまで影響を受けた作品や監督はいますか?
まず、影響を受けたと名前を挙げたいのは、侯孝賢とエドワード・ヤンですね。日本の映画もたくさん観ていますよ。日本には良い家族映画がたくさんありますから。山田洋次監督、小津安二郎監督、是枝裕和監督などの作品も大好きです。けれど、この映画に関していえば、台湾ニューウェーブの侯孝賢とエドワード・ヤンですね。とくに侯孝賢は、文学からインスパイアされて映画言語を生み出した監督でもあります。そうしたジャンルを超えた融合や変換は、尊敬すべきことです。

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『春江水暖〜しゅんこうすいだん』(英題:Dwelling in the Fuchun Mountains)

大河・富春江が流れる街。老いた母と4人の息子、孫娘の恋。ある大家族の四季と変わりゆく世界。
杭州市、富陽。大河、富春江が流れる。しかし今、富陽地区は再開発の只中にある。顧(グー)家の家長である母の誕生日の祝宴の夜。老いた母のもとに4人の兄弟や親戚たちが集う。その祝宴の最中に、母が脳卒中で倒れてしまう。認知症が進み、介護が必要なった母。「黄金大飯店」という店を経営する長男、漁師を生業としている次男、男手ひとつでダウン症の息子を育てながら、闇社会に足を踏み入れる三男、独身生活を気ままに楽しむ四男。息子たちは思いもがけず、それぞれの人生に直面する。

監督・脚本/グー・シャオガン
音楽/ドウ・ウェイ
出演/チエン・ヨウファー、ワン・フォンジュエン
中国映画/2019年/150分/字幕:市山尚三、武井みゆき/字幕監修:新田理恵

日本公開/2021年2月11日(木・祝)Bunkamuraル・シネマほか全国順次公開!
配給/ムヴィオラ
公式サイト
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