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2021.02.05 22:00

【徹底解説】『メッセージ』に隠された世界観の変容を物理学研究者が読み解く

  • Joshua

※本記事には映画『メッセージ』のネタバレが含まれます。

まずは簡単に『メッセージ』のあらすじを復習しておこう。

突如地球の各地に来訪した楕円状の黒い宇宙船。地球外生命体の訪問と人類は気づき、彼らとの意思疎通を図るため、世界的言語学者のルイーズ・バンクス(エイミー・アダムス)が派遣された。始めは、地球外生命体「ヘプタポッド」が扱う異質な言語の難解さに気が滅入っていたルイーズだったが、学ぶにつれて言語が内包していたヘプタポッドの世界認識を理解していく。人間は「原因が結果を生み出す」というように因果論的に世界を認識しているが、ヘプタポッドの認識は過去・現在・未来を同一視する、いわゆる同時的認識様式に基づいていた。同時的認識様式を獲得したルイーズは、自分の娘の死が未来に待ち構えていることを知りながらも、後の夫となる物理学者のイアン・ドネリー(ジェレミー・レナー)と共に過ごしていくことを選択する。いや、この時点で既にルイーズに自由意志はなかったのかもしれない。「未来を知る」ということは、決められた運命に従う義務感を誘発することに他ならなかったからだ。

さて、今回の記事では『メッセージ』に関する主に3つの疑問について解説していく。1つ目は「ヘプタポッドの同時的認識様式の世界観とは如何なるものか?それは人間の認識様式と如何に異なるものなのか?」という点。同時的認識様式については詳しくは後述するが、ルイーズが次第に過去や未来に同時に「存在」できるようになっていたのを思い出してもらいたい(ルイーズは未来を「思い出す」なんてことが出来るようになっていたわけだ)。

しかし、ヘプタポッドが持っていたこの世界認識(時間の概念)は、まさにSF的な常識を超えた突飛なものと感じられた人も多かったのではないだろうか。確かに、少なくとも地球上に存在する生物でこの認識方法に依拠した存在は未だ確認されていないが、ひとたび物理学的見地に立てば、実はこの世界認識は極めてありふれた「常識的」な捉え方と言うことが出来る。あまり知られていない事実だが、現代物理学はこの同時的認識様式に近い宇宙の認識に基づいている。

『メッセージ』の原作「あなたの人生の物語」の著者テッド・チャンは、小説の覚え書きの冒頭で「この話は物理学の変分原理に対する興味から生まれた」と語っている。そのためこの記事では、この「変分原理」の話から説明を始めていくつもりだ。「変分原理」に基づく物理学体系は必然的に、ヘプタポッドらが持つ世界認識のそれを説明してくれる。私たち人間が持つ因果論的な物事の捉え方とどう異なるのかが分かれば、『メッセージ』という作品を根底から理解することが出来るはずだ。

2つ目の疑問は、「未来を知ることとは、すなわち自由意志の喪失を意味するのか?」という点。私たちは特に何の根拠もなく、自由意志の存在を確かなものとして受け入れているが、もしも未来を予め知ることができたら、どうだろうか。幸福な未来ならばまだしも、もしもそれが不幸な未来であったとしたら、あなたはどうするだろうか。必死にその未来が実現しないように、試行錯誤を繰り返すかもしれない。しかしその「未来」が本当に完全無欠な真の「未来」なのだとしたら、それは絶対に回避不可能であるはずだ。この時点で自由意志と未来を知ることは両立不可能で、論理矛盾であるからして、最初から「未来を知ること」など不可能なのだ!と帰結する者もいるだろう。しかし、チャンはここに実にユニークな解を提示してみせた。この点について考察を深めていくつもりだ。

3つ目は「この物語と量子論との関係性はあるのか?」という疑問。これもまたチャンは覚え書きで、「量子論との関係性は考えていない」と語っていたが、量子論的な再解釈を作品に与えてみることは可能である。この3つ目の点では、ファインマンの経路積分などについての話を織り交ぜながら、考察を行っていくつもりである。

それでは、まず1つ目の疑問について一緒に考えていこう。

ヘプタポッドの同時的認識様式の世界観とはいかなるものか?
それは人間の認識様式と如何に異なるものなのか?

『メッセージ』の冒頭、イアンがルイーズの本を声に出して読む場面がある。「“言葉というのは文明の基盤である。言葉は人々を1つにする接着剤にもなり、戦いでの最初の武器にもなる”」と朗読した後、イアンは「名文だが、間違っている。文明の礎は言葉じゃない、科学だ」と反論した。

イアンのこの台詞は、物理学者特有の、ある種独善的とも言える物事の見方が見え隠れしている。横にいた軍人のウェバー(フォレスト・ウィテカー)からすぐに紹介されたように、科学者であるイアンの専門は、理論物理学と呼ばれる分野のようだ。私を含め、科学、とりわけ物理学を専門に研究している人の多くは、「物理学こそ最強の学問だ!宇宙は数式を通して理解することが出来る!」と思っているように感じる。これは物理学という学問が対象にしている相手が、眼前に広がるこの世界(宇宙)その全てであることから生じるアカデミズム的自信と、宇宙全体が共有する自然現象を、恣意的解釈に依らない普遍的な形式で理解することのできる唯一の学問であるという了解が程よくブレンドされた発言である。

現代に至るまで、物理学者は自然現象の理解を可能にしてきており、それは例えば「雷はなぜ光るのか」「宇宙はどうやって誕生したのか」といったことまで枚挙にいとまがない。現象の原理を理解することで応用が可能となり、それらが科学の恩恵として実り、今日の私たちは様々な技術に支えられている。一方で、『メッセージ』という作品を論じていく上で重要なのは、科学のそのような工学的側面ではない。

重要なのは、物理学が用いる方法である。自然現象を理解するのに物理学者たちが用いるのは、日本語や英語ではなく、数式である。これは別に物理学者が最初から好き好んで数式を使っているのではなく、数式を使って自然現象の法則を記述したとき、その予測性能が他のあらゆる方法に比べて格段に良いからだ。占星術や四柱推命、タロットカードを使って未来を予言することも出来るかもしれないが、数式を用いた物理学による未来予測は普遍的で、正確で、誰が見ても「正しい」と言える情報のみを提示してくれる。つまり人間が今持ち合わせている道具の中で、「自然を理解する」という目的に最も適格なのが科学、ないしは物理学なのであり、数式を用いた物理学の方法論は「世界を見るための望遠鏡」なのである。すなわち人類という種にとっての「宇宙に対する世界観」とは、「望遠鏡」であるところの物理学の体系そのものなのだ。

人類の物理学が内包する数式体系(数学)を仮に数式体系aと呼んだとき、他の知的生命体が別の数式体系bに依拠した物理学bを発展させていたとしたら、それは「宇宙に対する世界観」そのものが違うことを意味する。そう、『メッセージ』ではその「他の知的生命体」としてヘプタポッドが来訪してきたわけだ。

さて、ヘプタポッドらの脳内にあった物理学b(数式体系b)が人類の物理学aと如何に異なっていたかを説明するためには、まず人類が現在持ち合わせている物理学の方から理解しておく必要がある。殆ど数式を用いずに説明をするつもりなので、物理や数学が苦手な方も恐れず読んでみてほしい。物理や数学は、複雑な数式の計算に惑わされて苦手に思われてしまうことの多い分野だが、そうしたものを取っ払えば、実に魅力的で面白いアイディアに溢れていることに気がつくだろう。

人間は“逐次発展的”に世界を認識する

イアンの専門分野であるところの物理学とは、そもそも何を目的とする学問なのだろうか。現代の物理学は激しく細分化が進んでいるので、その全てに共通する唯一の目的があると言い切ってしまうと不正確な発言となるが、少なくとも物理学の「力学」と呼ばれる分野に限れば、「現在と過去の情報から未来を予言(予測)すること」と言える。力学とは、中学の理科や高校の物理の授業で最初に習うことの多い物理学の分野であり、物体に働く力と運動の関係を考える学問である。

斜めに投げた野球ボールの軌道を想像してみてほしい。実際に投げずとも、ボールが綺麗な放物線軌道を描くのは誰でも知っていることである。そして、あえて当たり前なことを言うが、ボールは「誰がいつ、どこで投げたとしても、基本的な条件が同じである限り(地球上である、突風が吹いていないなど)、必ず放物線軌道を描く」と言えるだろう。インド人とアメリカ人が投げた結果が異なるとか、ブラジルだとボールが手元まで返ってくるとか、そんなことは決して起きない。自然が例外を許さないからだ。

このように、条件が同じである限り、何度繰り返しても同じ現象が観測される場合、その現象には「再現性がある」と科学者はよく言う。野球ボールに限らず、抗生物質で細菌感染症が治癒するのも、毎日風呂を沸かすことが出来ているのも、私たちの世界に再現性があるからだ。再現性に溢れたこの世界は、まるでその世界の住人(=人間だけでなく、あらゆる物質・存在を含む)に特定の振る舞い以外を禁止するような縛りを与えているかのようである。この縛りは、通称「物理法則」と呼ばれるものだ。バスケットボールのプレイ中、3歩以上歩くルール違反(トラベリング)を犯しても、相手チームにボールが渡るだけだが、自然界のルール「物理法則」はそもそも破ること自体が初めから禁止されている。科学者は、この世界の基本ルール「物理法則」に誰よりも熟知した人間である。彼らは、再現性のある現象はその再現性故に、未来を予言することが出来ると考えたのだ。

そして、そうした「物理法則」が数学(=数式)を用いて書き下すことが出来ることに気づいたのが、17世紀の物理学者アイザック・ニュートンだった。力学の誕生である。彼は力と運動における関係を3つの法則にまとめた。後に、ニュートンの3法則と呼ばれる法則である。2つの法則の中でも、『メッセージ』の上で大切なのは特に第2法則の運動方程式だ。

運動方程式は、mとaとFという3つのアルファベットを使って書かれた方程式だ。mは物体の質量(単位はキログラム)、aは物体の加速度、Fは物体に働いた力を意味している。単に各英単語の頭文字を取っただけの、シンプルな方程式だ。

さて、この方程式の重要な点はこの方程式が因果関係を表現している点である。運動方程式が言わんとしていることは、「力が働けば、物体は加速する」ということだ。ただし、同じ力であっても人間と象では生じる加速度に違いがあるだろうから、「一応物体の質量にも依る」と注意書きのつもりで、m(質量)を方程式の中に登場させている。

ニュートンのこの運動方程式は大成功を収めた。運動方程式を使えば、斜め上空に打ち上げられた砲弾の軌道や太陽系惑星の運動を予測することが可能になったのだ。私たちが運動方程式を使うとき、インプットする際に必要な情報がある。それは注目する瞬間における、未来を予言させたい物体に働く「力」と物体の「位置」、「速度」という3つの正確な現在の情報である。この情報を物理学では、「初期条件」と呼んでいる。これら初期条件の情報を運動方程式にインプットし、確立された手順に従って方程式の計算を進めると、その0.000000000…1秒後の次の瞬間に物体がもつ「加速度」や「速度」、そして物体が存在する「位置」がアウトプットの値としてポンッと導出される。そしてこの操作を繰り返すことで、また次の0.000000000…1秒後の瞬間、そのまた次の瞬間……とドミノ倒し的に物体の運動が予測されていく。

現在の情報がその次の一瞬である未来の情報を決定し、その未来の情報がまた次の瞬間の未来を決定していく……という因果関係が時間的に連鎖される力学のこの世界観を、「逐次発展的世界観」などと呼ぶ。そして私たち人間は、ニュートンが基盤を築いた力学を学校で習わずとも、物事に因果関係を見出さずにはいられない生き物である。きっと赤ん坊であっても、同様だろう。運動方程式が象徴するように、人間は自然を「逐次発展的」に認識しているのだ。そう、『メッセージ』のルイーズもヘプタポッドに出会うまでは、「逐次発展的」に世界を認識していた。

ヘプタポッドの“目的論的世界観”

ところが、ニュートンが構築したニュートン力学の後に、解析力学と呼ばれる全く新しい力学分野が18〜19世紀に誕生した。ニュートンの時代から100〜200年経った時代であったから、当時とは比べ物にならないくらい数学が発展していた時代であった。したがってその時代に生まれた解析力学には、その定式化に難解で抽象的な数学が用いられていた。解析力学が用いる方法論は以下のようなものだ。

ニュートン力学では運動方程式から議論を出発させていたが、解析力学は作用Sと呼ばれる──運動方程式のさらに1つ上の上位にあたる──以下の量から出発する(※ここでの「作用」とは、解析力学の手法に基づいた計算過程に従って導出される“量”であり、日常表現における「薬の副作用」や、何かに影響を及ぼすという意味での「作用する」とは異なった概念を指す。三角形の「面積」が底辺の長さと高さによって計算されるのと同様)。

上の数式における左辺が作用Sであり、右辺のLはラグランジアンと呼ばれる量である。解析力学の理論では、まず未来を知りたい物体に対し、スタート時刻とゴール時刻を定める。そしてそれらの情報を(スタート位置,スタート時刻)、(ゴール位置,ゴール時刻)とメモしておき、縦軸;時間 横軸;位置の座標にプロットしておく。野球ボールの例ならば、投げる瞬間におけるボールの位置とその時刻を(スタート位置,スタート時刻)とし、そしてキャッチボール相手のミットにボールが届いた瞬間を(ゴール位置,ゴール時刻)とすれば良い。そのスタート時刻における物体の位置とゴール時刻における物体の位置を、時空を横断する仮想経路で結ぶことを考える。いまは、縦軸;時間 横軸;位置の特殊な座標を考えているから、プロットした2つの点を結べばよい。2つの点を結ぶような経路は無数に考えることができる。ただし実際に現実に実現する経路は、この中の1つの経路だけだ。それが「物理法則」に従う唯一の経路だからである。

要するにいま、始点と終点を結ぶ考えうる無数を(物理法則を無視した上で)最初に列挙し、現実の物理法則に従うもの(=現実に観測されるもの)がどれか、ある判断基準の下で決めるということをやっている。解析力学が提示するある判断基準とは「作用が“最小もしくは最大”(=極値という)になる経路」かどうかである。ある経路に対してどのように作用を計算するかを実際に説明するためには大学レベルの数学が必要となるがともかく、過去から未来に渡る無数の経路、可能性を考え、そのうち作用と呼ばれる量が“最小もしくは最大”になる経路が実現する、このような世界観を持ったのが解析力学という学問である。「目的論的世界観」と呼ぶことが出来るだろう。

ニュートンの力学も解析力学も、未来を予測することの性能としては基本的にどちらも同じ効力を発揮する。野球ボールの軌道や惑星の公転運動を計算するのに、どちらを用いたとしても大きな違いはない。ただし、1つだけ違う点がある。それは解析力学には難解な数学が用いられているため、作用Sから諸用の量を導出するだけでも大学・大学院レベルの数学を知っていなければならないことだ。ニュートンの力学における運動方程式は、多くの高校生が学校で習うレベルの計算で、物体の位置や速度などといった身近な量の導出を行うことが出来る。この違いがあるために、一般人の解析力学の認知度は単なるニュートンの力学に比べて極端に劣るわけだ。

ただし、冒頭でも言及したように、素粒子理論といった現代物理学は、解析力学を基盤とした物理学を展開している。これは解析力学がより抽象度の高い、すなわちより汎用性の高い学問であることに由来している。ニュートン力学を使い続けることは、水彩画を強要されるようなものだ。油絵、水墨画、パステル画を描きたいときは、各々に適した画材が必要になる。解析力学は、好きな画を好きなときに描かせてくれる自由さがある。

ここまでに説明した内容の全ては、理論物理学者であるイアンの頭に入っていることだろう。「あなたの人生の物語」では、イアンが解析力学の世界観をホワイトボードを使って実際にルイーズに説明する場面が登場する。イアンは光の特異な性質を例(フェルマーの最小作用の原理)に挙げて説明していたので、あえて私はニュートン力学との対比に注目した形で説明を行なってみた。それでは、ここまで来たところで、第1の疑問について考えていこう。

「ヘプタポッドの同時的認識様式の世界観とは如何なるものか?それは人間の認識様式と如何に異なるものなのか?」

人間とは異なる生育環境で進化を遂げたであろう地球外生命体ヘプタポッドが、その歴史の中で発展させた物理学は、人間が構築したものとは数学体系があべこべなものだった。ヘプタポッドの物理学が立脚する数学体系bは、人間の物理学の数学体系aとは異なり、解析力学の諸原理が極めて自明的に解釈される数学体系なのである。逆に、ヘプタポッドの数学体系bでは、数学体系aでは当然として解釈される「速度」や「四則演算」といった概念が、難解な概念として映っていることになる。

解析力学が自明に映るヘプタポッドは感覚レベルで、世界を目的論的に認識している。人間は因果関係の連鎖として物事を認識する、ニュートン力学的な逐次発展的世界観から逃れられない。しかし、そこにやって来たヘプタポッド。彼らは自身の世界観を「言語(=ヘプタポッド言語)」を通して伝えに来たのだ。ルイーズは彼らの非線形言語に触れ、その言語構成を理解していくことで、世界観の変換が行われていくことに気づく。この現象は、「思考は言語によって形作られる」という言語学のサピア=ウォーフの仮説を実証した上で、過去・現在・未来の枠組みに縛られない時間観念を会得する、という仮説をさらに敷衍した離れ業的現象である。

ヘプタポッドの目的論的世界観は、作用が極値となる経路(=運命)が現実に実現される、と世界を解釈するものだった。解析力学において重要なのは、ある2つの時空点を繋ぐ経路それ自体であり、経路上の各々の点がどこかの点に対して過去だとか未来だとかという情報は意味をなさない。スタートとゴールの時空点をどこの瞬間に取るのかも、全く数学的に自由なことなのだ。すなわち目的論的な世界解釈は、現在の選択が未来を決めていくという逐次的な解釈とは異なり、自分が存在する「現在」とは作用を極値にしうる唯一無二の「経路」に打たれた単なる1つの点であると了解する。このために、目的論的に世界を再解釈すると、過去・現在・未来という因果論的な枠組みを捨て去ることができるというわけだ。「だけど今は、始まりと終わりがよくわからない。あなたの物語を決める日というのがある。たとえば、彼らが現れたあの日」というルイーズのこの言葉は、作用に対するスタート地点の選択性について言及しているようにも捉えられるだろう。数学的に経路の境界をどこに設定するのかが自由であるからこそ、「始まりと終わりがよくわからない」のだ。

物理学が世界を認識するための「望遠鏡」であるとするならば、ヘプタポッドは人間とはまるで異なる「望遠鏡」を設計した知的生命体だったのである。

未来を知ることとは、すなわち自由意志の喪失を意味するのか?

チャンは著作の中で「決定論」というテーマを好んで採用する作者の一人である。チャンの短編「予期される未来」(日本語にして僅か4ページ)では、車のキーに似たボタンを押すと光る「予言機」が登場する。その「予言機」は内部に負の時間遅延回路を持っており、ボタンを押す1秒前に光る仕掛けとなっている。どれだけ試行錯誤を繰り返しても、「予言機」は必ず貴方がボタンに触れる1秒前に光る。この「予言機」の存在が意味することが何か、分かるだろうか。「予言機」の存在は、この世界が決定論的であることの証左となるのだ。
 
 ルイーズ「人に抱き締められるのがこんなに心地いいって忘れてた」

 イアン「子どもを作らないか?」

 ルイーズ「ええ、そうね」

『メッセージ』はこのルイーズとイアンの会話で幕を閉じるが、ルイーズはこの時点で娘が死ぬことを知っていた。たとえこの先夫のイアンと破局し、娘が亡くなると分かっていても、その死を受け入れた理由とは何だったのだろう(これにはいくつかの解釈、見方が存在するところだろう。少なくとも『メッセージ』はそのように撮られていると私は感じた)。ルイーズが「ハンナ…これがあなたの物語の始まりの場所。出発の日。人生の旅がどうなるか、どこに行き着くかが分かっていても、私は喜んで受け入れる。人生のすべての瞬間を大切にする」と言ったように、ルイーズはたとえ目的地が分かっていたとしても、その道中を喜んで楽しむことこそが大切なのだと分かっていた。このセリフだけでも感動的な場面だが、これはチャン流の実に見事なパラドックス回避の技が使われているところでもある。

本来「未来を知ること」と自由意志は両立不可能な存在であるが、もし未来を知ることで「定められた未来を実現させようとする義務感」が誘発されるものだとしたら?つまりその未来とは、作用を極値にするような“経路”のことである。作用が極値になるような唯一無二の未来を知った貴方は、シェイクスピアの戯曲を演じるがごとく、忠実に定められた運命をなぞるようになるのだ。ルイーズはこの誘発された義務感に抗うことはなく、それでもイアンと娘との時間の一瞬一瞬を心から大切にして生きていくことを“決めた”のだ。決定論的な立場から言えば、ルイーズのこの選択はヘプタポッドが来訪したその日から決まっていたことになる。まるで自由意志があるかのように振る舞うルイーズのあの姿を見て、私たちは「美しい」と思わずにはいられないことだろう。『メッセージ』を劇場で観て、私は暫くの間、席から立つことが出来なかった。

この物語と量子論(量子力学)との関係性はないのか?
経路に量子論的な揺らぎがあったとしたら、この話はどうなるのか?
自由意志の復活を意味するのか?

この疑問点は物理学にある程度親しみのある上級者向けのものだ。それでも過去に尋ねられたことがあったので、少し考えてみよう。量子力学とは、原子レベルのミクロの世界を記述することに特化した力学のことである。ミクロの世界もニュートンの力学が適用できれば単純な話だったのだが、まるで異なる物理法則が支配している場だった。ミクロの世界は確率に支配されており、まるでサイコロが振られて次に起こる現象が決まるように、実に気ままな世界なのである。ニュートンの力学はミクロの世界に適用することが出来ないが、汎用性の高い解析力学ならば、確率性を方程式に取り込んでみることでミクロの世界を説明する力学を構築することが出来た。それが量子力学である。

ミクロの世界に取り込まれた解析力学(=量子力学)は、唯一無二の“経路”と呼ばれる概念の変更を余儀なくさせる。というのも、ミクロの世界では存在が波のように引き延ばされており、ある1点に存在するとは言えなくなってしまうからだ。これは量子論における「不確定性」と呼ばれている。この「不確定性」により、唯一無二の“経路”に“厚み”が生まれる。これは経路が、真っ直ぐに歩かれたものではなく、まるで酔っ払いの千鳥足が辿る軌跡に変更されるようなものだ。確率的な揺らぎが経路に少しの自由を与える。

上記の数式はアメリカの物理学者リチャード・ファインマンが定式化したもので、「ファインマンの経路積分」と呼ばれている。イアンはヘプタポッドの物理学体系が人間のそれとあべこべであることを知ったとき、ヘプタポッド側の量子力学の体系はどうなっているのかが気になったところだろう。私も気になったところである。

さて、上式の右辺に書かれたSという文字が見えるだろうか。これは先述した解析力学の「作用」に相当する項だ。解析力学が自明に映らない私たちの数学体系では、経路積分という概念を表現するのに、どうしてもこうした難しい数式表現を用いる必要があるのを今更嘆いても仕方のないことだが、経路積分が言わんとしていることはシンプルである。

解析力学の説明でスタートとゴールの瞬間を指定したように、経路積分でも時空中に始点と終点を任意に選ぶ。仮に始点の瞬間を「ヘプタポッドが地球に来訪した日」とし、終点の瞬間を「ルイーズの娘が亡くなる日」としよう。その始点と終点の瞬間を時間を横断する無数の経路で結ぶ。が、経路積分の場合この無数の経路それぞれに「その経路が実現しうる確率」が割り振られる。作用を最小にも最大にも近づけない“効率の悪い”殆どの経路は無視できるほどの実現確率(ほとんど0の確率)を持った経路として計算されるが、最小や最大から僅かにズレた経路には──単純な解析力学では1つの無二の経路だけが選ばれたのに対し──ある程度の確率が割り振られるように計算される。相変わらず「最も効率の良い」1つの経路は最大の実現可能性を持った経路として表示されるが、ある程度の確率が割り振られた別の“僅かにズレた“経路も存在を了解されることとなり、経路は不確定性の“厚み”を持ったものに変貌する。

ただ、この“厚み”を自由意志が揺動したものと捉えるのは残念ながら楽観的だ。なぜならこの“厚み”は原子レベルのミクロの世界でしか十分な大きさとして存在することが出来ないからである。人間やヘプタポッドが生きる──電子や陽子といった世界の構成単位のざわめきが感覚されない──マクロの世界では、相変わらず運命は細いたった1つの道として映っていることだろう。すなわち量子論の観点からこの物語を俯瞰してみても、自由意志の復活は期待できないだろう。

さてここまで、原作や物理学を拠り所にしながら『メッセージ』の考察を行なってきた。『メッセージ』は、原作にみられた殆どの物理学的な側面が捨象され、むしろ原作が持つ言語学的な側面によりスポットライトが当てられた。そのため公開後、ネットや雑誌上には『メッセージ』と言語学を絡めた解説・考察が普及していたのを覚えている。

このタイミングであえて『メッセージ』を物理学の文脈で再翻訳してみようと思うに至ったのは、物理学の研究者として『メッセージ』という傑作にどれだけの感動を覚えたかを、読者の皆様に心の底から共有したいと思ったからである。解析力学という学問は物理学を専門に学んだ一部の人間以外には認知度が低い学問だが、この記事の読者の方々が、作用に基づいた世界観がいかに魅力的なものかということと、そこから実に自由な発想を膨らませたチャンのユニークさを感じ取っていただくことができたのなら幸いである。

人類はいつか本当に地球外からの訪問者がやって来る日を迎えるかもしれない。少なくとも因果論的に生きている私たち人間には、そのような日が訪れないと否定することなど出来ないのだから──。

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『メッセージ』(原題:Arrival)

突如地上に降り立った巨大な宇宙船。謎の知的生命体と意思の疎通をはかるために軍に雇われた言語学者のルイーズ(エイミー・アダムス)は、物理学者イアン(ジェレミー・レナー)とともに、“彼ら”が人類に何を伝えようとしているのかを探っていく。そして、その言語の謎が解けたとき、彼らが地球にやってきた驚くべき真相と、人類に向けた美しくもせつないラストメッセージが明らかになる──。

出演/エイミー・アダムス、ジェレミー・レナ、フォレスト・ウィテカー
監督/ドゥニ・ヴィルヌーヴ
脚色/エリック・ハイセラー
音楽/ヨハン・ヨハンソン
原作/テッド・チャン

デジタル配信中/ブルーレイ&DVDリリース中
ブルーレイ:2,619円(税込)
DVD:2,075円(税込)
発売・販売元/ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
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