Column

2020.12.19 12:00

【単独インタビュー】『アンダードッグ』武正晴監督が監督が”残酷なスポーツ”で生きる崖っぷち男たちを映す理由

  • Atsuko Tatsuta

三人の“負け犬”たちがそれぞれの人生をかけて死闘を繰り広げる『アンダードッグ』。映画賞を総なめにした『百円の恋』の監督・武正晴、脚本家・足立紳が6年ぶりに再タッグを組んだ話題作です。

ランキングでは1位に上り詰めるも、日本タイトルマッチで破れてから7年。栄光から見放され“噛ませ犬”となり果ててもボクシングにしがみついている末永晃(森山未來)は、妻子に去られ、借金まみれの父(柄本明)とともにうらぶれた生活を送っていた。人気のない夜更けのジムでいつものようにサンドバックを叩いている晃は、プロテストを前にトレーニング中の若いボクサー、龍太(北村匠海)に声をかけられる。彼は、7年前の晃のタイトルマッチを見ていたという。ある日、ジムの会長から呼び出しを受けた晃は、有名俳優の息子であるお笑い芸人の宮木(勝地涼)とのエキシビションマッチへの出場を打診される。プロテストに合格したばかりの宮木は、芸能界引退をかけてこの試合に臨むという。金のためにバラエティ番組の企画であるこの試合を受けた晃。試合が迫る中、TV局側から八百長まがいの指示をされるが──。

一度掴みかけたチャンピオンの座に執着する元トップボクサー、崖っぷちのお笑いタレント、過去のある若き天才ボクサー。3人の運命が絡み合う男たちの壮絶なドラマ『アンダードッグ』の劇場版は、前編131分、後編145分という長尺で公開。また全8話のドラマに構成された配信版が、ABEMAプレミアムにて独占配信される注目のプロジェクトでもあります。

『百円の恋』に続き、再びボクシングを題材に取り上げた武監督に、この作品にかけた思いを伺いました。

──再び、ボクシングをモチーフとした作品を撮られましたが、ボクシングに対してどういう思い入れがあるのでしょうか?
『百円の恋』をやったときは、主人公に強いらせる一番きついスポーツは何かと脚本の足立さんといろいろ考えました。それでボクシングかな、と。僕も多少ながらスポーツをやっていた時がありましたけど、ボクシングは自分でやれないスポーツ。今回は、一番きついスポーツだということを再確認しました。ボクシングは、まず殴られるっていうのが一番きつい。逆に人を殴るっていうのもきつい。減量もしなきゃいけない。だから『百円の恋』の時は、主人公が目覚めるために何を与えたらいいんだろうと考えてボクシングになりました。

今回またそのボクシングという題材をやるときに、今度は、ボクシングというものはなぜ人を魅了するんだろうと考えながら、一方でなんと残酷なスポーツだと思いました。自分も若い時はただ観客として面白がって見てましたけど、50代になって改めてボクシングを考えると、残酷な歴史というか、世界中でこういうスポーツをやらないと生きていけない人たちがいるということの証明のように思える。例えばアメリカなんかだと、移民だとかマイノリティたちの生きる場というかね。どこでもエロと暴力というのは見世物になって商売になるから。ボクシングにはそういう歴史が少なからず背景にあるということを考えると、なんと残酷なんだろう、と。

今の日本社会でも、同じようにリングに立たないと生きていけないような人がいる。そう考えた時に、この主人公たちにとって、リングに上がるというのはどういうことなんだろう、とね。リングで戦ってるボクサーにしかわからない瞬間もあるだろうし、ボクシングそのものというよりも、ボクシングというスポーツを選んでボクサーをやっている人たちに対する興味。その人たちの息づかいを、日常も含めて描きたいと思いましたね。足立さんのシナリオを読んだ時にも、そう書かれていたんですよ。

──実際にボクサーたちのリサーチもされたんですか?
ボクシングジムで練習している様を見に行ったりしましたね。トレーナーたちが日常的に行っていることなどを、ボクシングトレーナーの役で出てくれている、実際にトレーナーをずっとやってきている松浦慎一郎さんに聞いたりとか。それから、ボクシングについての本を片っ端から読みましたね。若い時に読んだ本を書棚から引っ張り出してきて再読したりもしました。人に話を聞きに行く時間はそんなにありませんでしたが、助監督さんと足立さんは、”かませ犬”的ボクサーの調査をしていたので、そのレポートをいただいたりして、読みました。

特に印象深いのは、この30年ぐらいに書かれたボクサーたちの手記ですね。100人ぐらいの手記。そういう本があったんですよ。僕がボクシングを一番見ていたのは80年代から90年代なんですが、その頃の無名なボクサーたちのものですね。世界チャンピオンになった日本人チャンピオンというのはどうしても注目されますけど、それ以外の、それこそ日本ランキングのトップにいたけど世界戦で負けちゃったとか、世界戦やれずに負けてしまったとか、実際に“かませ犬”とずっと呼ばれているボクサーたちの手記を読んだ。ああ、こういう現実があるんだと。そういう手記とかボクシング関係者の書いた本とかを読んでるうちに、いろいろと掴むことができました。

──80年代、90年代は私もボクシングに興味を持って見ていました。そのきっかけが、沢木耕太郎さんの「一瞬の夏」でした。当時、あの本の影響でボクシングに興味を持った若者も大勢いましたよね。
沢木耕太郎さんの存在は大きいんじゃないですか。僕も「一瞬の夏」を読んでボクシングジムに行きましたもん。中学生ぐらいのときかな。新聞配達をやっていたんですけど、その販売店の上に小さいジムがあって、サンドバックの打ち方だけそこの会長さんに、教えてもらったりしました。東京に来た時は、下北沢で金子ジムとか覗きたいな〜とか思いましたもんね。

──沢木さんが書いた当時のボクシングに情熱を傾ける人たちがいた世界と比べると、今のボクシングの現場は変わったと感じますか?
変わったんじゃないですかね。ボクシングをする人の数がまず圧倒的に減りましたよね。昔は、高校や大学に行けない人が、働きながらボクシングをしてワンチャンスを狙ったりした。しかも、実際にサクセスストーリーもあった。大場政夫や輪島功一といったレジェンドたちの話があって、そこに夢を見てまた若者たちが集まった。沢木さんが書いていたのも、輪島功一らと同世代の話。今はまたもう変わっていますよね。高校、大学とボクシングをやって、アマチュアから基礎を学んでボクサーになるという流れが多くなってきた。明らかに時代は変わっていますよね。

──タイトルがストレートに『アンダードッグ』=”負け犬”ですね。どうして森山未來さんにこの負け犬を演じてもらおうと思ったのですか?出演をオファーした際、彼はどんな反応をしましたか?
森山さんは今までも注目していたけれど、一緒に仕事ができていない才能のひとりで、いつか仕事をしてみたいという思いがありました。で、この晃という役を誰がやるんだとなった時に、まず森山さんが浮かんだ。彼の身体能力、役柄や作品に向かうストイックさなど、彼についていろいろ話を聞いていましたから、この難しい役にチャレンジしてくれるんじゃないかと。映画やTVドラマ以外に、舞台でも肉体を使っていろんな表現をしているし、単身外国に乗り込んだりもしている。探究心とかチャレンジ精神とか、俳優の中でも飛び抜けていますからね。年齢もこの役にピッタリあっているということもあって、ぜひお願いしたかったんです。

森山さんと一番最初に会った時は、末永が通常のドラマや映画の主人公より圧倒的に無口だけど、その無口さがどういうところから出てきているのかをすごく気にされていました。あまり多くを語らない主人公──足立さんの書くシナリオでは、『百円の恋』の一子もそうでしたけど、ずっと不機嫌なままです。でもその話さない人の中にも、喋る時と喋らない時というものが必ずある。森山さんはそのシナリオについてすごく探求して、台本に書いていないところを実に上手く、現場でアドリブを交えながら場面場面で入れてくれました。

──撮影ではアドリブが多かったんですか?
多かったですね。ちょっとしたひと言、ちょっとした返事、ちょっとした息遣い、ちょっとした目線。それを場面によって全部分けていく。大したことは喋らないんですよ。でも、大したことを喋らないということがすごく大事で、それはそのキャラクター自体が、何も喋ることがないという証でもあって、そこを作っていくという作業が大事。何かは喋らないんだけども、なんでもないことを喋る。ただの返事とか、「いってらっしゃい」とか、「ああ、そうだね」と言うだけとか。なんでもないやり取り。でも、普段の生活ではほとんどはそう。ドラマや映画を観ていて、みんな喋りすぎだよねって思う。つまり、作り手たちが喋らせたいことを、説明も含めて俳優に喋らせている。そうじゃないことを今回は狙っていこうとしたんです。

──撮影に入る前にそうしたディスカッションもされたんですか?
ディスカッションというよりも、森山さんに疑問があると、ちょっと会って、そこはそうやってみたらいいんじゃないって話したり。台本通りというよりも、演じる人次第。しかも、群像劇ですから、”やってみましょうよ”ということでやってみて、その時に何が生まれるかということ。それは普段の現場も同じで、まずやっていただく。その中でバランスを見ていく。

武正晴監督、森山未來

──森山さんのストイックさというのは広く知られていますが、北村さんと勝地さんも含め3人のボクサーを同じ”温度”で見せる上で、お二人に対してはどのような演出をされたのですか?
北村さんが演じた龍太は、だんだん素性がわかってくる。始めはちょっとミステリアスな部分があるわけですよね。こいつ何か裏があるなっていう。つまり、元不良なんですけど、元不良というのは意外と好青年に見えたりする。そこの部分をどう見せるか。だからミステリアスな雰囲気を持っている北村さんを選んだというのもあるんです。一見奥さんと明るくやっているんだけど、奥さんが彼に対する一抹の不安を持っているところが伝わってくる。彼がどういう人間だったかというのは、最後の最後でちょっと垣間見ることが出来るのですが、そこの部分を彼(北村)は十分理解してやっていた。まあ、お芝居に関してはお任せでしたけれど、全然個性の違うボクサー像をどう作っていくかは突き詰めました。

勝地さん演じる宮木は、つまんないネタをどんどん言うけどめげないという、あのしぶとい感じが一番難しかったけど、勝地さんはそこを見事にやってくれた。調子のいいバカタレと、そのバカタレがちょっと、ふっと力を抜いて一人になった時のがっかりしている感じというのを、非常に上手く演ってくれた。僕と足立さんは、勝地さんに、本当はやりたくないだろうけどつまんないことを言ってもらうようにしたわけですが、それを彼は一生懸命やってくれるわけですね。ものすごく恥ずかしいことを、彼は現場で一生懸命やってくれる。それは簡単なことではないですけどね。

──ボクシングの試合の部分は非常に大事なシーンですが、どういう風にアクションを構成していったのですか?ボクシングをすごく知っている人の画に見えましたが。
ボクシングの試合は見ていますね。もちろんこの作品をやることになってからは、YouTubeとかでかなり見ました。つまり、試合にならないような試合だとかを。でも、後楽園ホールで昔見た時の記憶もある。4回戦だとか、学生の人たちの試合だとか、そういう無名の選手たちのとんでもない試合とか。ボクシング映画ってどうしても、殴ったら殴り返すのやり合いで、どっちが勝つかどっちが負けるかということになりますが、あまりそういうところに気が行かないようにしました。例えばセコンドってどういうことを言ってるんだろう、とか。それは先ほども言った松浦さんたちのおかげなんですけどね。今回の出演者に関しては、ボクシングをやっていない人は呼びませんでした。セコンドについている人も、試合をやっている人も全員ボクシング経験者。観客も含めて、出来るだけボクシングをやっている人しか集めない。後楽園ホールで試合を見ている人を優先するといった具合に。

──カメラワークに関しては、予めどの程度話し合ったのですか?
だいたいいつも僕がコンテを全部作ります。それに、撮影の西村博光さんとは『百円の恋』を一緒にやっていますしね。『百円の恋』もそうですけど、リングの中の選手をどう捉えていくかがテーマとしてあります。でも8ラウンドもあるので、それぞれを違った角度で撮らなければならない。試合の説明ではなく、ボクシングとはいかなるものであるかというのを、この8ラウンドにどれだけ詰め込めるかと考えたんですね。ボクシングの要素がもっと何かないか、もっと何かないかと数えていく。それをどう撮っていくかと考えると、大分楽になりました。

──寄りの顔や真正面から撮ったショット、敵の目線だったり、それでもない誰の目線でもないようなシーンというのが組み合わさっていました。
ボクシングという要素を抜き出したわけですよね。これまでのボクシング映画でどんなカットが撮られているか片っ端から観て、そこで使えるものは使うし、使えないものは使わない。”これやっちゃいけないな”というのもいっぱいありますよ。ただみんな騙されているだけで、僕からすると、「あ、ごまかしてんな〜」って思うんですよ。だけどそのごまかしてんな〜っていうのを観ることによって、これだけはやっちゃいけないというのがわかります。『ロッキー』ですらあります。『ミリオンダラー・ベイビー』を観た時にも、『百円の恋』でこれだけはやっちゃいけないなというシーンはいくつもありました。

──”やっちゃいけない”とは、例えばどんなことですか?
打ったら打ち返す。打ちましたといってカットバックして打ち返すという単純動作。それは説明になってしまっている。ボクシングのパンチなんて、なかなか当たらないんですよ。始めの1ラウンド目、2ラウンド目っていうのはあんまり当たらなくて、だんだん疲れてくるから当たる。でも映画を観ると、(パンチが)よく当たるでしょ?

──これは上手くできているというボクシング映画はありますか?
『クライング・フィスト』の何ラウンド目だったかな…、僕は『クライング・フィスト』にかなり影響されていますけど、2ラウンド目だったか3ラウンド目は、ワンシーンワンカットでやっているんですよ。すごいと思いました。あれは真似できないけど、3分間をワンカットでずっと二人が当てている。それはそのラウンドだけで、だから”狙いにいってるな”というのがあって。『百円の恋』でも一回やろうと思ったんですが、3分間は無理だなと思って。でも『クライング・フィスト』のあのラウンドはすごいと思いました。

あと、ボクシングシーンではないけど、『レイジング・ブル』の入場シーンというのは映画として素晴らしいし、そういうのをちょっとでも僕たちも出来ないかなと思って、『百円の恋』でやったり。やっぱり、『レイジング・ブル』とかは憧れですよね。『ロッキー』はどちらかというと物語性における憧れはある。あのような映画の高揚感みたいなものを、僕らも出来ないかなと。もちろんハリウッドの映画のようには出来ないけど、少年時代に観てドキドキした映画に追いつきたいなという気持ちでやっているんでね。でも今回、後楽園ホールにエキストラ1,000人を入れたというのは、僕らも『百円の恋』から6年間で随分違うところに来られた感じがした。良い演者にも恵まれて、良いスタッフにも恵まれて、成熟してきた感じはしますよね。

──この映画は前編・後編合わせて4時間36分という、映画界では冒険的な尺ですが、もともと長尺にする予定だったのですか?
そうですね、前編・後編でやるつもりでした。もともとは配信で全9話だったんですよ。9話を8話にしたのですが、もともとの台本は6時間分くらいありました。配信は5時間何分でやるんですけど、それは台本通りです。まずそれを撮るのが前提にありながらも、映画もやるということで始まりました。映画版は主人公中心で撮ろうと思っていたので、撮影では主人公側で繋げる画も撮っていました。尺は前編・後編に分かれる、要するに、宮木戦で前半戦は終わるという台本の構成も出来ていたので、台本も1話〜4話と5話〜8話の2つに分かれていた。映画も同じ構成で前編・後編にするのでいいやと思っていました。ところがいざ編集してみたら、そうはいかなかった。ただのダイジェストになってしまい、これは考え直さなければいけない、と。そうしたらコロナ禍になり、ちょっと考える時間が出来た。自粛の間にずーっと配信の”つなぎ”をしていたのですが、映画版を編集し始めたときに考えを全部改めて、結局映画版は配信版とはかなり構成を変えたものになりました。

──映画用に脚本を書き直したりはしたのですか?
書き直してはないです。書き直すべきだったんだけど、そこに時間の余裕ができて、ずっと考えながら時間をかけて編集が出来ました。

──編集で構成を直していったということですね。
そうです。

──一番変わったのは、やはり主人公の目線でしょうか?
そうですね。とにかく主人公をどう見せるかというところ。となるとやっぱり、削ぎ落とさなければならない部分もいっぱいあって。主人公のいないところを出来るだけ作らないように。もっと良い場面もいっぱいあるんですが、全部外しちゃいました。そうすると主人公のボクサーたち寄りの話になっていくんですけど、そういう物語にはなったかな、と。

──最初から映画と配信の両方をやるという企画だったのですか?
両方やると言われていました。もうひどい話だなと思いました(笑)。配信版も映画版も一人でやるのかよ、と。だから一年かかりましたよ。

──両方やることの意味は、どこにあったとお考えですか?
自分としては、映画を作りたいという思いがまずあったんですよね。映画館で上映したいという気持ちがあった。「配信だけ」と言われていたら、やっていなかったかもしれませんね。映画もやれるというので、じゃあそれは面白い、と。ただその頃の僕は、(総監督を手掛けた)『全裸監督』で初めて配信をやり始めて、その経験もあって、配信も面白いなと思い始めていたんです。配信には配信のやり方があるなというのが『全裸監督』の経験でわかってきたので、両方でやったら面白いだろうな、と。

──配信の面白さとはどんなところでしょうか?
主人公が出てこない回があってもいいし、もっともっと違う角度から、大胆に出来る。Aライン、Bラインも作れるし、集団劇もできる。逆にそうじゃないとドラマはきついでしょうね。あとは、物語の細部をもっと描けるところも配信ドラマならではですね。スピンオフ的な描き方もできるし。

──『アンダードッグ』がこれだけ素晴らしい出来となり、今後、配信版と劇場版を同時にセットで作るという発想が製作サイドからもっと出てくるかもしれませんね。
もう、なってくるよ。これだけ配信が普通になってきちゃうと、まず配信ありきで始まりますよね。配信はとにかく多くの人に観てもらうことに優れていますよね。ただそれを映画館で観てもらう素晴らしさもあるわけだから、そういう意味では両方やるという手もあるでしょう。それは製作側の志ですね。「映画館で映画を観せたい」という気持ちがあるのか、「もう配信でいいんだよ」となってしまうのか。その変化だと思います。

──となると、作り手には負荷がかかってきますよね。
製作する側にとってはね。でも、若い世代になると、映画館で映画を観ない人がどんどん増えている。だから、これからそういうのがどうなっていくかわからない。僕はたまたま映画館で育っているからいいんだけど、もう下の世代で映画館育ちはいないですからね。

──それは撮影の現場でも?
だんだん減ってきていますよ。だって、親が映画館に連れて行かないんだから。子どもの時に映画館に行ったか行かなかったかの差ですね。大人になってから行く人はいっぱいいますよ。でもこの手のものは、子どもの時に何を観たかが大きい。親が何を見せているかは、作り手たちにとってすごく大きいです。どの映画監督たちも、自分の家で何を観たかとか、親が何を見せたかという原体験で、映画の質が決まってきますが、もうそういう世代じゃないですからね。

──配信の場合、家のテレビや小さなデバイスで観る場合が多くなるわけですが、画面の大きさや明るさなどは考慮されるのですか?
それは考えますね。考えるけど、僕はパソコンとかスマホも持ってないので、もうわからない。あえてわからないようにしていて、もういいんだと思っています。僕は両方できる人間になりたくないし、もう映画館で育っているので、それでいいと思っています。iPadでYouTubeをちょっと観るくらいで、普段テレビも観ない。映画館で映画を観るという感覚を忘れたくないだけなんですよね。

──ではライティングなども映画の基準で?
はい。その上で、普段テレビやパソコンで観ている人が意見を言ってくれたら、ああそうなんですか、ただ僕はわかりませんと言うだけで。知らないもん(笑)。自分はやっぱり映画を作りたい人間なので、それ以外のものは別にいいです。周りの人が教えてくれたら、あ、そんなもんなんですかと言って、それに合わせてやればいいだけ。

──映画で前編・後編で、4時間36分の長尺で撮るというのは、現代における奇跡のようなプロジェクトだと思いますが。
チャレンジですよね。うまくいったら面白いしね。

──これをやっていいというのなら、やりたい監督もたくさんいると思いますが。
大変ですよ、6時間も5時間も…、僕は別に長い映画を観たいとも思わないしね。でも面白ければいいじゃないですか。面白くできるかどうかだから、大変ですよという話で。でもお客さんの気持ちから考えたら、僕らは昔は映画館で2本立てとか当たり前だったけど、今の時代にわざわざ映画館に来て5時間、6時間かけて映画を観るという体験は、よっぽど好きな人じゃないとやらないでしょ。そういう習慣が…、だからやっぱり、子どもの時に何を見せるかという話になるんです。本当だったら、この手の映画を子どもと一緒に観て欲しいんですよ。でも、観れないでしょ。僕らは観れたけど、もう時代が違うじゃないですか。15歳未満は観ちゃいけないっていう。僕らの時はそれがなかった。だから、子どもが映画を観れないということは、もうアニメしか観ないんですよ。子どもはアニメしか観られないんです。そこが問題。

──本作も若い観客に観ていただきたいという思いはありますか?
もちろん。本当は中学生とか小学生に観てもらいたい。僕がそうだったもん。僕がこの映画を作れたのは、小学校の時に何を観ていたか、それだけでしかないですよ。『ロッキー』を小学校の時に観れたから。『レイジング・ブル』を中学生の時に観れたから。そうじゃなきゃ作れないですよ。

でも今日の(公開記念舞台挨拶)上映には、女の人がすっごい来ていたから良かったです。それはあの3人が見たいから。

──女性向けと言って『アンダードッグ』のような作品を作るとしたら、それはそれで面白いですね。
『アンダードッグ』も、ある意味女性の映画じゃないですか。女の人に支えられて、男たちは頑張っている。だって、エキストラ呼んでも女性しか来ないんだもん。後楽園ホールも女の人だらけでしたよ。龍太っていう若いアイドルボクサーをみんな観に来ているという設定で、末永の応援はちょっとしかいなくていいと思っていたので、若い人は全部龍太側に座ってください、30代、40代の人は全部晃側に座ってくださいという風に座ってもらいました。

──映画館ではなく配信で観ることは、コロナ禍で世界的に促進されていると思いますが、それについてどうお考えですか?
もはや文化習慣ですからね。だから先ほども言ったように、映画館で映画を観たいという志がある人は映画を作るだろうし、それがなければ作らないだろうし。周りがどんなに良いものだと言っても、経験したことがない人は、それは作らないでしょうからね。

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劇場版『アンダードッグ』

出演/森山未來、北村匠海、勝地涼、瀧内公美、熊谷真実、水川あさみ、冨手麻妙、萩原みのり、風間杜夫、柄本明 ほか
監督/武正晴
原作・脚本/足立紳
音楽/海田庄吾
主題歌/石崎ひゅーい「Flowers」(Sony Music Labels Inc.)
企画・プロデュース/東映ビデオ
制作プロダクション/スタジオブルー
製作/ABEMA、東映ビデオ 

日本公開/2020年11月27日(金)よりホワイトシネクイント他にて[前編・後編]同日公開
配給/東映ビデオ 
公式サイト
©2020「アンダードッグ」製作委員会