Column

2020.12.03 8:00

【単独インタビュー】『夏、至るころ』池田エライザ監督が映画を撮る意義

  • Atsuko Tatsuta

池田エライザの初監督作品『夏、至るころ』は、緑あふれる山々に抱かれながら、友情を育んできた高校生の翔(しょう)と泰我(たいが)が、夏祭りを前に、初めて自分の人生を向き合い、それぞれの道を選びとるまでを描いた青春映画です。

映画製作などを手掛ける「映画24区」による、企画段階から自治体や市民が参加し「地域」「食」「高校生」をテーマに青春映画を制作する「ぼくらのレシピ図鑑」シリーズの1本として制作された本作。福岡県福岡市出身の池田監督は、同県田川市でシナリオハンティングや演技ワークショップを実施する中で、夢を抱きづらい現代の若者たちの姿を見出し、みずみずしくもパワフルにその肖像を描き出しました。

主人公の翔を演じるのは映画初主演となる倉悠貴、泰我役には、全国からオーディションで選ばれた新人・石内呂依が抜擢されました。ふたりの前に突然現れる謎の少女・都を、CMでも人気の新進女優・さいとうなりが演じる他、リリー・フランキー、原日出子、高良健吾といった豪華な俳優陣が顔を揃えました。

女優、エッセイスト、モデル、歌手など多方面で活躍する池田エライザ。堂々の映画監督デビューとなった本作の劇場公開を前に、インタビューに応じてくれました。

──初監督作品とは思えない素晴らしさでした!
実直な作品でしょ…?

──『夏、至るころ』はテーマが決まった青春映画制作プロジェクトとして制作されましたが、どのようなモチベーションでこの作品に取り組まれたのですか?
もともと映画を撮りたいとずっと思っていたんです。もしこの企画がなかったとしても、自分で何か撮りたいと思っていて、勉強を続けていました。企画が決まり、2年前(2018年)の12月に田川市へシナリオハンティングに行って、中学生、高校生、20代、お父さまお母さま方、各世代ごとに1時間ずつ数十名ぐらい集まってもらい、座談会を開かせていただきました。田川市の方々が感じる街の印象であったり、子どもたちであれば将来の夢、最近キレイだなと思ったことは何かといったお話を聞かせてもらいました。

いろいろなことを参考にさせてもらいましたが、すごく印象的だった男の子が一人いたんです。その子は中学生だったんですが、将来の夢を聞くと「公務員です」と即答しました。日焼けもしているスポーツ刈りの子だったので、その答えがすごく不思議に思えて、全部の座談会が終わった後に校長室に来てもらって、もう少し詳しくお話を聞かせてもらいました。安定した職業に就く方が良いという思いや、母親が喜ぶのかなという思いもあったようで、本当に公務員になりたいかと言われるとわからないけど、それでも彼は自分のフィルターを通した上で判断していたんですよね。誰かに言われて、というのではなくて、自分の意志で公務員という仕事を良いと思っていた。それが素敵だなと思いました。

翔(倉悠貴)

そんな彼との出会いもあり、泰我(タイガ)というキャラクターが生まれて、泰我に相対するように、翔ちゃんという主人公の男の子もできました。翔ちゃんは現代の縮図というか、現代に多い子。私は、情報過多の世の中の秩序だったりクラスの秩序を守らなきゃいけないという中で育った子たちが、手放しで「この夢を叶えたい」って言えると思えないんですよね。「無理もないよ」とずっと思っています。そんな中で、泰我みたいな子が親友だったらどうなるんだろうか、お互いに刺激し合えるんじゃないか、そんな風に考えて原案が生まれました。座談会のシナハンで初めて田川に行ったその日の夜には、ある程度の脚本をぶわーっとホテルで書きました。

──青春映画として撮るという考えも、始めからあったのですか?
この映画24区の取り組みとして、「食」と「高校生」というのは最初のチャンレンジカテゴリというか、絶対条件としてありましたからね。でも、そうですねえ…、青春は私には無かったものですけど……。13歳からティーン雑誌で、高校時代もCanCamで(モデルを)やってましたし。その頃は、JKのカリスマだと言われて戸惑っている時期だった。でも学生時代の夏って、幸せなことに日本ではほとんどの人が経験している。その原体験に迫ることができる季節を切り取りたいという思いは強くありました。

──こうした青春映画を撮る場合、監督自身の青春時代を反映させることも多いですが、池田監督の場合はまったく違う人の視点を通して描いたということですか?
自分がまったく青春を経験しなかったわけではないですけれどね。それに、お芝居での疑似体験もあったし、10代の弟がいたこともありますし。どのような視点で撮るかについては、脚本家の下田さんと二人で話し合って、想像して想像して想像を重ねて書きました。誇張してしまわないように、デフォルメしてしまわないように、省略してしまわないように注意もしました。よりリアルであるように、田川市の子たちのSNSまで見たりとかしていましたよ(笑)。想像の音楽のプレイリストを作ってみたりもしました。

例えば、PTAの厳しいおばちゃんってこんな顔してるよねっていう、嘘のリアリティみたいなのはみんなの頭の中にありますよね。おばあちゃん役の人はおばあちゃんらしい格好をしていないといけないとか、お母さんはちょっとくたびれていないといけないとか。でもそれって、本当はリアルじゃない。全然現役のおばあちゃんもいるし、全然現役のお母さんもいるよね、そっちの方がリアルじゃない?って。そうやって選択し続けながら、(物語や人物像を)作り上げていきました。

──そのプレイリストにはどんな曲が入っていたのですか?
具体的なアーティストの名前ってわからないんですけど、翔ちゃんだったら意外とサブスクで、それこそ主題歌の崎山(蒼志)くんとかの曲を聴くよね、とか、泰ちゃんはワンオクかな、とか言って(笑)。そんなことを話したりしてましたね。

──それは脚本家の下田悠子さんと一緒に?
はい。下田さんに家に来てもらったりとか、一緒にカフェに行ったりとか、本当に二人三脚で脚本を作りました。セリフや言い回しは、後から私が手直しをしたりはしましたけれど。

──脚本を作るのにはどれくらいかけたのですか?
結構かかりましたね。数ヶ月くらい。ゆっくり作りました。

──ご自身も福岡市ご出身ですが、九州らしさみたいな思い入れもあったのですか?
実は田川市は行ったことがなかったので、田川市をちゃんと初めて理解したのはシナリオハンティングの時でした。でもおそらく、田川市についての知識があったとしても、実際に行ってみないとわからなかったと思います。田川市は、こういうところだよねっていうのが行かないとわからない町。バカリズムさんや小峠さん(バイきんぐの小峠英二)、井上陽水さん、IKKOさんなど、本当に名だたる個性のある方々を輩出されているのが頷けるというか。十分にエモーショナルになれる町というか、十分に拗らせられる町というか。外について考え、自己について考えることができる環境だと思いました。自然も美しいですが、“町の子は全員自分の子”みたいなお節介すぎるくらいお節介な大人たちの温かさもそうですし。私が知っているちょっと都会的な博多とはまた違う、すごく情のある町でしたね。

──実際に撮影をしてみて、現場で新たに感じたことはありますか?
すごく映画向きの町でしたね。町の温度とか人の温度というものはすべてスクリーンに映るんだと感じました。それにとても寛大で、どこでも自由に撮らせていただきました。セリフとはまた違う、現場の裏での温かみとか、現場に流れている和やかなものは、映画全体を通して一貫して流れていた気がします。

監督の仕事でいえば、監督とはどういう仕事だとか想像すらしていなかったんですよね。監督でも役者でも、結局は人と人。一人ひとりに対して、自分が出来る最大限の最善を尽くすことを毎日やっていたという感じですね。

──和太鼓に対してこだわりがあったと伺いましたが、それはどういうことだったのですか?
田川市は、和太鼓が特に有名な町なわけではないのですが、シナリオハンティングの帰り道ぐらいに…ひらめいたんです。すごく静かな町で、ほとんどの学生は車登校らしく歩いている人はあまりいないくらいなんですけれど、いざ人に触れてみると、その静かな町に脈々と流れる血というか鼓動みたいなものを感じて、それが田川市らしいと私は感じました。それで、“和太鼓はどうだろうか”って。そしたらたまたま素敵なチームがあって、力を貸していただきました。

泰我(石内呂依)

──ティーンエイジャーの在り方や考えていることは時代ごとに変わっていくと思いますが、今の10代に関して新たに感じたことはありますか?
(10代の)みんなは悪くなく、私たちが常に新しいなにかを切り開いて、彼らに託していかなければいけない。そういう責任のようなものを初めて感じました。私たちが頑張って突き進めば道は開けると思っていたけど、もっと手を差し伸べるというか。今は、ちょうど時代の転換期。情報も過多で、逆に真実を見つけづらい。ニュースにしても、本当かどうか疑わしい。でもみんなはそれが本当だと信じざるを得ない環境でそうした記事を目の当たりにしたり。そんな彼らが手放しで自分の夢について語ったりとか、未来に希望を見出すことは難しいと思うんですよね。”それはそうだよね”って思います。そんな彼らに対して、我々がもっと出来ることはたくさんあると思うし、私もその一つの形として、今回この映画を作ったところもあります。

もちろん、いろいろな世代の方に観ていただけるような映画ではあります。でも、ケータイをいじる2時間なのか、この映画を観てみる2時間なのかという時に、この映画を観る2時間も案外悪くないんじゃない?という、私なりのプレゼンをしたかった。若い子たちは手元で(スマホ等で)、人が死んだり大爆発が起こるようなお金のかかった映画を観ることに慣れて、いわゆるエンタテインメントに触れてきている分、今回のような映画を観てくれるのかという心配はあります。でもこの映画を観た後に、彼らが自分のことについて考えたり、自分を思いやったりできる映画にしたいという私の思いは伝わると良いなと思います。

──池田監督自身はどういう映画を観て育ってきたのですか?
ピクサーとか、ジブリとか(笑)。普通ですよ。

──アニメがお好きだったんですか?
いや、いやいや、実写も観てましたけど、普通です。DVDを借りるお金もそんなになかったので、金曜ロードショーとかで流れているものを観てましたけどね。映画を観始めるようになったのは、仕事でお芝居を本格的に始めてからです。7年前、高3くらいから。トリュフォーとか、レオス・カラックスとか、カサヴェテスとか。

現場での池田監督

──今では映画館ではほとんど観られないフランソワ・トリュフォーやジョン・カサヴェテスをピックアップしたのは、誰かから勧められたりしたのですか?
映画に深く触れれば触れるほど、そこに行き着きますよね。コッポラが憧れていたとか、タランティーノがトリュフォーについて話していたな、とか。そういうようなことを調べてたら、行き着いたりするんです。すんごいガリ勉なんですよ、本当に。教習所とかに行っても、満点じゃないと、嫌。予習の問題を150問やってくればいいのに、1,500問ぐらいやってから行くようなタイプなんです。

──本作を撮る上で参考にした作品はありますか?
ないです。映像を参考にするよりも、日常の天気だったりとか、人だったりとか、本当に普遍的にあるものから刺激を受けるようにしていました。

──ご自身も撮られる側、演じる側でもありますが、本作で人を演出することによって、改めて俳優について発見したこと、考えたことはありますか?
結局は人と人なので、信頼してもらうこと。芝居の醍醐味って、今まで自分が一度も触れたことのないような感情に芝居で初めて触れる瞬間。監督にしてやられたというか、監督が引っ張り上げてくれた瞬間ほど、この仕事の豊かさを感じる瞬間はない。なので、感情を託してもらえる信頼関係を築くことが大事。だから、演出方法も一人ひとり変えていきましたね。

──例えばどんな風に?
倉くんで言えば、全てを指示してしまわないように。倉くんは最初はドラマっぽいハキハキしたお芝居をしていたんですけど、(倉が演じた)翔ちゃんはもっと言葉にすることを恐れている子だから、自分が言いたくなるまで言わなくていい、言葉が自分の心を通って喉を通って口から出るまで言わなくていい、と。演出というより、ちゃんと筋が通っているかどうかを確認する作業をしていたという感じですね。

さいとうなりちゃんに関しては、より抽象的な言葉を選ぶ。こういう風に声を荒らげないでくれとか、ここは泣いてくれということではなくて、その古傷に触れられるのか、どう触れるのか、その温度感だったりを二人で話し合う。どこまでだったら優しく触れられるだろうとか、どこまで行くとその古傷をえぐることになっちゃうんだろうね、というようなことを話して、「お芝居できそう?」って聞いてみると、「はい」とお返事をもらえる感じです。

都(さいとうなり)

石内呂依くんは本当にお芝居が達者なんです。生まれて初めて演るのに。でも、“人生で一回も怒ったことがない”と言っていたのが気になっていたので、みんなで協力して煽って引きずりだすというか、引っ張り出しました。

──感情面から演出をつけていったという流れですか?
感情面が良い人もいました。でもベテランの方だったりすると、こういう都合で、例えば「画の都合でちょっとここにいてもらっていいですか?」という風に伝える方もいました。感情的なことは自分で決めるんだろうなという方もいらっしゃるので。まさに人と人ですよね。相手にとって最善の監督でいるという選択をすることで、演出方法も変わってくるというか。

──長編映画を1本撮り終えて、監督という仕事はどういう仕事だと思われますか?
作品は、観たみなさんがどう感じるかが全て。私は土に根っこを生やしてそこの地盤を固くする感覚というか。すべての事柄に自分の意思を通して、常に360度見渡して自分の声をかけ続けるのが、監督のとりあえずの職務なのかなって。

──面白かったですか?
面白かったです。楽しかったです。

──想像以上に?
うん、向いていると思います(笑)。自分のことを考えているよりも人のことを考えている方が好きなので、向いていると思います。

──これから先も撮っていくビジョンがありますか?
製作費があれば(笑)。

──映画は一人だけでは出来ない部分もたくさんありますが、チームワークも得意な方ですか?
プライベートでは全然得意じゃないんですけど、同じ目標を持って、自分の意思を伝えて、そこに共感してくれた方々が一つのチームとなって、一つの作品、一つのクリエイティブを作り上げるということは、すごく好きです。

──今後、カメラの前で演じる側でいることと、カメラの後ろで表現する側でいることのバランスは、どのように考えていらっしゃいますか?
器用貧乏にはならないようにしたいですね。私は、自分で今こうした方がオイシイってことを一切考えられないので、それはその都度まわりの方々と、世のためにできる面白いことはないだろうかとか、みんなが明るくなるようなことをやりたいとしか考えていないんですよね、作り手って。世の中を傷つけようと思って作っている人って全然いないじゃないですか。なんかこう明るい世の中になればいいなっていうようなことを考えていて。

──例えばカサヴェテスとかカラックスとかは、人間の本質的な厳しいところに目を向けていて、単に娯楽で楽しませるというタイプとは違いますが、そういう監督とご自身のアプローチは異なると思いますか?
いや、そんなことないですよ。2作目がこういう映画になるとは限りませんし、ファンタジーを撮っているかもしれないですし。『スター・ウォーズ』みたいな映画を撮っているかもしれませんし。

──今後の可能性は…
決めない。何も決めつけない。決めつけられない。考えない。考えすぎない。固定概念にはまらない。

──固定概念にはまらないというのは、ご自身の中でのクリエイティブの指針のようなものですか?
その時世の中に伝えたいことを、みんなで考えて、みんなで形にしていく。その言葉を美しい比喩表現とする過程で初めて映画のカテゴリが決まるというか。この言葉を面白い比喩表現にしたらどうなるだろうかとか、ジブリがすごく上手に社会風刺をするように、我々は次にどんな映画を撮っていこうかというようなことをやっていきたい。なので心温まる和風の映画が私の作風ということではないし、田川市にプレゼントできる一つの形がこの映画だったんだと思います。

──映画は時代を反映するアートフォームの一つですが、新型コロナウイルスが蔓延し、これまで映画で描かれたようなことが現実で起きるんだということを改めて感じられる面もありますが、こうした時代に映画で出来ることは何か、表現者として考えたことはありますか?
この映画も、作っている時にまさかこんな世の中になるとは思っていなかったけれども、みんなこういう状況だからこそ、未来ついて危惧するというか、何年先のことについてずっと心配し続けて、どこか自分の原体験について考える時間を忘れているのかなと思っています。映画にできることは、例えば『夏、至るころ』で言うと、はりつくような蝉の声から、自分の近所の煮魚の匂いを思い出して、そうしたら嗅覚から自分の、”あ、あの秘密基地であんな大人にはなりたくないなって考えてたな、でもそんな大人になってきちゃってるのかな”っていうようなところに導けるのが映画の出来ることだし、私の映画がやろうとしている、出来たらいいなと思うところです。みんなの原体験に触れることだと思います。

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『夏、至るころ』

翔と泰我は高校最後の夏を迎えていた。二人は幼い頃から祭りの太鼓をたたいてきた。だが、泰我が突然、受験勉強に専念するから太鼓をやめると言い出す。ずっと一緒だと思っていた翔は急に立ちすくんでしまう。自分はどうしたらよいのか、わからない……。息子の将来を気にかける父と母、やさしい祖父と祖母、かわいい弟。あたたかい家族に囲まれると、さらに焦りが増してくる翔。ある日、そんな翔の前にギターを背負った少女、都が現れる……。

出演/倉悠貴、石内呂依、さいとうなり、安部賢一、杉野希妃、後藤成貴、大塚まさじ、高良健吾、リリー・フランキー、原日出子
原案・監督/池田エライザ
プロデューサー/三谷一夫
脚本/下田悠子
音楽/西山宏幸
主題歌/崎山蒼志「ただいまと言えば」
特別協力/和太鼓たぎり
特別協賛/マクセルホールディングス株式会社、Cocoテラスたがわ株式会社
企画/田川市シティプロモーション映画製作実行委員会、映画24区
企画協力/ABCライツビジネス
協力/田川市、たがわフィルムコミッション
製作/映画24区
2020年/日本/カラー/ステレオ 2ch/4K ビスタ〈1.89:1〉/105 分

日本公開/2020年12月4日(金)全国順次ロードショー!渋谷ホワイト シネクイント、ユナイテッド・シネマキャナルシティ 13 他
配給/キネマ旬報DD、映画24区
公式サイト
©2020「夏、至るころ」製作委員会