Review

2020.11.30 9:00

ガス・ヴァン・サントとアレッサンドロ・ミケーレの共同監督作に見るファッションとジェンダーの関係

  • Atsuko Tatsuta

イタリア現地時間11月16日(月)〜22日(日)にオンラインで開催された「GucciFest」において、ガス・ヴァン・サントとグッチのクリエイティブ・ディレクターであるアレッサンドロ・ミケーレが共同監督を務めた『OUVERTURE of Something That Never Ended(終わらなかったものの序曲)』が発表された。リアルなショーが開催できないコロナ禍の中、グッチの最新コレクションの発表の場ともなっているこの短編は毎日1話ずつ公開され、全7話でひとつの作品となっている。

主演はアーティスト・パフォーマー・俳優のシルヴィア・カルデローニ。各エピソードには、哲学者のポール・B・プレシアード、美術評論家のアキーレ・ボニート・オリーヴァ、ミュージシャンのビリー・アイリッシュ、ハリー・スタイルズ、フローレンス・ウェルチ、中国の俳優ルハン、劇作家のジェレミー・O・ハリス、アーティストのダリウス・コンサリー、アリアナ・パパメトロプロス、振付師でダンサーのサシャ・ヴァルツなど、さまざまなアーティストたちがゲスト出演している。

エピソード1「自宅にて」 Photo by Paige Powel

物語は、シルヴィアがローマのアパルトマンで目覚めるところから始まる。このエピソードではシルヴィアの朝のルーティーンであろう身支度の様子を映し出す。シルヴィアはその後、カフェで友人たちと出会い(第2話)、郵便局で用事を済ませ(第3話)、オーディションのため劇場でダンサーたちとともに踊り(第4話)、アパルトマンに戻って窓越しに近所の人々を会話する(第5話)。その後再び街に出たシルヴィアは、ヴィンテージショップに立ち寄り(第6話)、最終話では幻想的な夜のローマ街に繰り出す。カメラは両性具有的な独特の雰囲気を醸し出すシルヴィア・カルデローニを追い続けるが、その圧倒的存在感は、“日常”と幻想が交錯するこのシュールな世界に深みと哲学的な考察を与えている。

ハリー・スタイルズ、ビリー・アイリッシュ

そもそもヴァン・サントとミケーレのコラボレーションはある意味、異色と言える。2015年よりグッチのクリエイティブ・ディレクターに就任したミケーレは、花や動物といったモチーフを使った“楽園”を想起させる世界観で強烈なインパクトを与え、ファッション界だけでなく俳優やアーティストといったクリエーターたちにも大きな影響を与えてきた。

ヴァン・サントは、一言では言い尽くせない多彩な顔をもつ映画監督だ。ニコール・キッドマンがゴールデン・グローブ賞で主演女優賞を受賞した『誘う女』(95年)や、若き日のマット・デイモンとベン・アフレックがアカデミー脚本賞を受賞した『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』(97年)、アカデミー主演男優賞(ショーン・ペン)と脚本賞を受賞した『ミルク』(08年)などハリウッドで活躍する一方、コロンバイン高校銃撃事件をテーマにした『エレファント』(03年)でカンヌ国際映画祭のパルムドール(最高作品賞)と監督賞をダブル受賞するなど、インディペンデント映画の雄として映画界で尊敬を集めている。

エピソード4「The Theatre」Photo by Paige Powel

登場人物たちの繊細な感情を引き出す繊細な演出に定評があるヴァン・サントは、リアリティを追求するため演技未経験の素人を俳優に起用することも多く、ドキュメンタリータッチで撮られた『エレファント』や『パラノイドパーク』(07年)では、撮影が行われたオレゴン州ポートランド在住の高校生を起用している(ヴァン・サントもポートランドを拠点としている)。また、『エレファント』、『GERRY ジェリー』(02年)、『ラストデイズ』(05年)といった、低予算・短期間で撮影されたインディーズ色の強い作品群は“ミニマリスト時代”とも言われたが、『OUVERTURE of Something That Never Ended』も、このミニマリスト的なアプローチの作品といっていいだろう。

ミケーレの招きでローマを訪れたヴァン・サントは、ミケーレのアイディア(原案)に基づき脚本を執筆し、ミケーレとともに12日間でこの短編を撮り上げた。撮影監督は、『パラノイドパーク』で組んだクリストファー・ドイル、メインテーマは元ソニック・ユースのキム・ゴードンが担当するなど(ゴードンは、ニルヴァーナのボーカリスト、カート・コバーンが自殺するまでの数日間を詩的に描き出した『ラストデイズ』にも出演している)、ヴァン・サントが信頼している“チーム”が参加しているだけあって、彼らしい優しい眼差しで、シルヴィアの何気ない日常が詩的に綴られる。けれど、ヴァン・サントの多くの作品がそうであるように、おだやかでポエティックな映像の裏には、痛烈な批判精神も潜んでおり、本作も、ファッションと人間との関係にまで深く切り込んで見せる。

ガス・ヴァン・サント、ポール・B・プレシアード

第1話では、トランスジェンダーの哲学者のポール・B・プレシアードがTVの中でジェンダーやセクシュアリティの自由や革命について語っているが、ファッションとジェンダー、あるいはファッションを通じての性差からの開放というこの短編に隠されたテーマは、プレシアードの存在によって明確になっている。

ここで「GucciFest」の公式サイトにある「ビハインド・ザ・シーン」でのプレシアードの言葉を引用したい。「歴史的に見て、ファッションは社会的にも政治的にも、男性性と女性性の違いを確立する役目を果たしてきました。衣服は社会的な皮膚として作用し、政治的な異差を身体に刻み込む機能を果たします。たとえば、男性性を理解するにはパンツの歴史、女性性を理解するにはドレスの歴史が不可欠でしょう。しかし、少なくとも1960年代以降、ファッションを解体するというのは、パンツやシャツ、ドレスやシューズを解体することなのかもしれません。つまりファッションとは、ジェンダーやセクシュアリティの意味が常に問われ、せめぎあっているような“場”なのです」

クリストファー・ドイル(撮影)、ガス・ヴァン・サント(共同監督)

この映画中では、従来の意味でのジェンダーの記号として服は機能しない。フリルのついたエレガントなドレスは女性だけのものではなく、シックなパンツも男性だけのものでもない。シルヴィアが自分を開放するように、ファッションはジェンダーから自由でなれるはずだ。ヴァン・サントとミケーレという、まったく異質に見える稀有な才能は、共通の“意思”によって強力に結びつき、美しくも詩的な寓話を撮った。

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『OUVERTURE of Something That Never Ended(終わらなかったものの序曲)』

Creative Director: Alessandro Michele
Art Director: Christopher Simmonds
Photographer: Gus Van Sant
Hair stylist: Alexandra Brownsell
Make Up: Thomas De Kluyver