Column

2020.10.09 13:00

【単独インタビュー】『異端の鳥』ヴァーツラフ・マルホウル監督が語る、辛辣な物語で描く愛とヒューマニズム

  • Atsuko Tatsuta

母国ポーランドでは発禁となったイェジー・コシンスキの小説を原作とする『異端の鳥』は、チェコの異才ヴァーツラフ・マルホウルが11年がかりで映画化にこぎつけたモノクロ169分という壮大な叙事詩的な作品です。

第2次大戦下の東欧。ホロコーストを逃れるため田舎に疎開した少年は、その容姿から“異端”とみなされ、行く先々で迫害に遭います。“普通の人々”の蛮行をまざまざと見せつけられながらも、必死で生き延びようとする少年の苛酷な旅路が続きます──。

ワールドプレミアされた第76回ベネチア国際映画祭では、その暴力性から物議を醸し出しましたが、その芸術性は高く評価され、アカデミー賞国際長編映画賞のチェコ代表に選出されました。

主人公の少年を体当たりで演じたのは、マルホウル監督が地方の町で偶然出会った、演技無経験のペトル・コトラール。また、ステラン・スカルスガルド、ハーヴェイ・カイテル、バリー・ペッパー、ジュリアン・サンズ、ウド・キアーなどハリウッドでも活躍する名優たちが脇を固めています。

美しくも過激に、人間の根源に迫る問題作がいよいよ日本に上陸。長編3作目にして、日本で初の公開となるマルホウル監督が、Fan’s Voiceオンラインインタビューに応えてくれました。

──いまどちらですか?
プラハは暑いので郊外のコテージにいます。

──去年のベネチアのコンペの作品で最もインパクトのある作品でした。
ありがとうございます。どの監督もそう言われたら嬉しいものです。本当にありがとうございます。

──小説がベースになっていますが、何語で読んだのですか?
チェコ語で読みました。世界40ヶ国語で出版されてますからね。

──原作を書いたコシンスキはポーランド人ですが、英語で書かれたものですよね?
そうです。コシンスキは、1957年に移民としてアメリカに移住し、本は1965年に出版されました。ただ、この本の英語はとても複雑で難しい。特に移民が書いたものにしてはね。おそらく誰か手助けしてくれる人がいて、英語にしたのではないかと思います。

──なぜ、言語についてお聞きしたかというと、あなたはこの作品をインタースラーヴィクで撮った。その理由は、英語だと真実味がないからとインタビューで答えていますね。なぜ、英語だと真実味がないのか。原作ものの場合、書かれた言語で映画化するのがいちばん原作に近いともいえると思いますが。そのあたりをもう少し、詳しくお聞かせいただけますか。
その通りですね。原作では、この物語がどこの国が舞台となっているのか、どこにも書かれていません。これは重要な点で、そのことを映画を通じて感じさせなければなりませんでした。それから、原作のなかで、現地のスラブ語やスラブ人たちが使う言語というのは、奇妙なスラブ語だったと書かれていました。こうしたことを考えたときに辿り着いたのが、インタースラーヴィク、スラヴィック・エスペラント語を使うことです。アリバイのためではなく、フェアであるために。この物語はすべてのスラブ系の国々に関係するものであるべきと思ったので。

メイキング写真より

──主人公の少年は、”オリーブ色の肌で黒い髪”という表現が出てきますが、ユダヤ人だとは明確に示されていません。あなたは、“異端の鳥”である彼をユダヤ人として想定したのでしょうか。原作者は意図的に曖昧にしたと考えたのでしょうか。
映画でも解釈は一緒です。コシンスキの原作では、彼がユダヤ人だとは一切書かれていませんが、ユダヤ人でないわけがないことは明らかです。周りの人々は彼のことを”ジプシー”、”ロマ”、”ユダヤ”と呼ぶわけですが、最も大事なのは、他の人々と違っているという点。他はみんな金髪で碧眼だったりするのに、彼は肌も目も黒め。ジプシーなのか、ユダヤ人なのかというのではなく、とにかく彼が人と異なっているというのが重要でした。

──原作は1965年に出版され、第2次世界大戦中が舞台ですが、少年はナチスではなく、街にいる一般の人々から迫害に遭いました。今、ダイバーシティが世界的なトピックスになっていますが、この物語はそういう意味でまさに今日的です。現代とのつながりを考えて、映画化されたのでしょうか?
とても良い質問ですね。答えは完全なイエスです。この物語はタイムレスな物語だと思います。今、私たちが生活しているこの世界でも、傷ついたり、殺されたり、拷問されたり、紛争地から逃げなければならない子どもたちがたくさんいるわけで、とても悲しいことです。そしてこの状況は昔から基本的に変わっておらず、クレイジーなことだと思います。映画の舞台が第2次世界大戦中のヨーロッパというのは重要ではなく、タイムレスな物語として描くよう心がけました。どこでもいつでも、そして今も、こういうことが起こっていることを観客にもう一度思い出して欲しい。それに付随していろんなことを考えて欲しい。自分になにが出来るのか、子どもたちを守れるのか、そのために何をしているのかというのは、この映画で問いかけたい数多くのことのひとつです。

──ハンガリーのアゴタ・クリフトフは、小説「悪童日記」の中で、戦時下で子どもが生き延びる姿を描いたわけですが、同じ、子どものサバイバルを描いたストーリーでも、本作と決定的に違うことはなんだと思いますか?
その作品は、映画の方なら観ていますが、比べるのは難しいですね。どんな映画、どんな芸術作品にも常にそれぞれの言語がありますから。『異端の鳥』は例えば1985年のソ連映画『炎628』(エレム・クリモフ監督)ともよく比べられます。私は意識していなかったので、その違いというのもよくわかりませんが、もしかすると、『異端の鳥』に独特の映画的言語があるところでしょうか。実際、主に60年代に使われた撮り方や技法で作りました。『悪童日記』と比べた場合、映画の印象や雰囲気、感情といったことよりも、最も大きなポイントは、映画的な言語、つまり物語の描かれ方、撮影、編集、セリフの使い方なのかもしれません。『異端の鳥』ではセリフはわずかで、あわせて9分しかありません。もちろん音楽もなく。似ているところも多くありますが、比較は難しいですね。でも最も大きな違いといえば、映画のテンポとリズムですかね。『異端の鳥』は1,700ショットも撮りました。これはショット数としては本当に多いもので、その分編集にも手間がかかっています。一方、『悪童日記』では一つのショットがもっと長いですね。

メイキング写真より

──映像が大変美しいですが、撮影監督のウラジミール・スムットニーとは、どのようにしてコンセプトを立てていったのですか。
彼との映画は3本目となりました。前2作は絵コンテをしっかり準備して、一つ一つのショットを細かく話し合ってから撮影に入りました。『異端の鳥』は複雑すぎるプロジェクトだったので、事前にコンテをつくることはできませんでした。毎日現場に行って、どのシーンを撮る必要があるかはわかっていましたが、どんなショットを撮るかはわからなかったわけですね。最終的に導いてくれたのは、私たちに共通するシーンに対する感情でした。現場に行って、それぞれのシーンにあるエモーションを感じとるようにして、その場でショットを作っていきました。この映画は本当に複雑で、どのようにして作るか、前もって理解することができませんでした。我々の”頭”ではなく、心や魂から作る映画でしたからね。完全なアドベンチャーだったし、毎日が挑戦でした。素晴らしかったです。

──美しいビジュアルと、映画の中で起こる悲惨なこととのコントラストがあります。ビジュアルをドキュメンタリー風にせず、絵画的ともいえるほど美しい映像で表現すると決めた理由は?
とても興味深い質問ですね。私が描こうとしていることの一つなのですが、私たちの惑星、自然と言い換えてもいいと思いますが、それ自体に独立した生というものが常にあります。そこで生きる人類にも独自の運命がありますが、それに対し惑星が気にかけることはありません。人間がどうなろうとも自然は素晴らしく、森も川も美しくあるべきで、ひどい行いをしているのは、人間の側なのです。でもお互いに同じ場所に存在しているわけで、人間はその一部。そのため、あなたの仰った通り、人間と自然を対比させて描くことはまさに私が意図したことで、非常に素晴らしい質問です。ありがとうございます。

素敵なジョークがあるから、披露しますね。宇宙でふたつの惑星が出会いました。ひとつは幸せで、もうひとつは不幸。幸せな惑星が「とても元気で楽しいけど、そっちはどう?」と不幸な方に聞いたら、「僕は辛くて、とても気分が悪い。ひどい病気を抱えているんだ」と言います。どんな病気かと尋ねられた不幸な方は「人間」と答え、それに対して幸せな惑星はこう言います──「大丈夫、そのうち治るから」(笑)。

──どこのジョークですか?
さあ、私が知りたいです(笑)。今まで、実際にこうしたジョークを作った本人に出会ったことはありません。これまでたくさんのジョークを聞いてきましたが、”誰が作ったの?”と聞いても、わからないんです。このジョークも、日本から来たのか、アメリカなのか、はたまたチェコなのか、わかりません(笑)。

──あなたはステートメントで、「暴力は人類の本質を明かすもの」と言っていますが、人類に対して、悲観的な見方をしているんでしょうか?
うーん、そうですね……。まず、脚色するのにこの作品を選んだ理由ですが、多くの人はこの原作を暴力や独裁制についてのものと読んだかもしれません。でも私にとっては違いや”逆”ということがベースにある物語だと感じました。人は真逆の立場におかれている時に、気づきがあります。平和な生活の大切さに気づくのは、戦争が起きている時。健康の大切さに気づくのは、特に今のコロナ禍にあるような時。笑顔の大切さに気づくのは、ヘイトや暴力に直面し、笑顔を失った時。私にとって、こうした真逆にあるものを示すことが最も大切で、初めて原作を読んだ時は、ヒューマニズムや希望、愛についての物語だと思いました。

その時もう一つ素晴らしいと思ったのは、この物語はたくさんの質問を投げかけてきたのに、答えがひとつもなかった。本当に素敵だと思いました。その中でも最も大きな質問は、なぜ人間はこんな酷い行いができるのか。「悪」とは何なのか。「善」「愛」「希望」とは。それから、本当の信仰と、教会に通い信じているふりをするだけの“信仰”との違いとは。

私自身の答えを探すのは、本当に大きなチャレンジでした。映画でも同様に、観客には答えを一切用意せず、登場人物に道徳的な概念や、感情的なプレッシャーをかけることもしませんでした。観客に対して、原作と同じように自由な形で疑問を提起するようにしました。私自身もまだ答えに辿り着いておらず、探しているところですが、私としては、善と悪の葛藤を続けるのは、人類の運命だと思っています。そこで最も大切な問いになるのは、善とは何かを理解するために、どれくらいの悪を知らなければならないのか、ということ。

──キャスティングにおいて、ステラン・スカルスガルド、バリー・ペッパー、ハーヴェイ・カイテル、ジュリアン・サンズなど有名俳優を起用した理由は?
原作がチェコやヨーロッパの話ではなかったように、これは”世界の映画”です。そう考えると、俳優は誰でも好きに、最もふさわしい人物をキャスティングして良いんだということにある時気が付きました。ハーヴェイ・カイテルだってステラン・スカルスガルドだって、著名な映画スターだからではなく、純粋にそれぞれの役にベストな俳優だと思ったからですね。

メイキング写真より

──資金集めに苦労したそうですが、それは主人公が子どもで、その描かれ方が原因だったのでしょうか?
ベルリンやカンヌで会った出資者は、子どもが主人公であることよりも、物語が悲惨でダークなことをとにかく怖がっていました。彼らが言うには、今日の観客が求めていることはエンタメであり、もっと楽しいものじゃないと出資できないし、元が取れないと。

そうした考え方に私はずっと反対で、本作のような物語は私たちにとって必要なもので、こうした記憶は呼び覚まされなければならないものだと思います。エンタメや娯楽だけの世界で生きているわけにはいきません。様々な悲劇をはじめとした過去の出来事、それからいま世界中で起きていることは、常に記憶しておく必要があります。同じ過ちはまた繰り返されるでしょうが、それでも、「二度としない」と言い聞かせないといけないのですから。

==

『異端の鳥』(原題:The Painted Bird)

東欧のどこか。ホロコーストを逃れて疎開した少年は、預かり先である一人暮らしの叔母が病死した上に火事で家が消失したことで、身寄りをなくし一人で旅に出ることになってしまう。行く先々で彼を異物とみなす周囲の人間たちの酷い仕打ちに遭いながらも、彼はなんとか生き延びようと、必死でもがき続ける──。

監督・脚本/ヴァーツラフ・マルホウル 
原作/イェジー・コシンスキ「ペインティッド・バード」 (松籟社・刊)
キャスト/ペトル・コトラール、ステラン・スカルスガルド、ハーヴェイ・カイテル、ジュリアン・サンズ、バリー・ペッパー、ウド・キアー
2018年/チェコ・スロヴァキア・ウクライナ合作/スラヴィック・エスペラント語、ドイツ語ほか/169分/シネスコ/DCP/モノクロ/5.1ch/字幕翻訳:岩辺いずみ/R15

日本公開/2020年10月9日(金)、TOHOシネマズ シャンテ他全国ロードショー
配給/トランスフォーマー
後援/チェコ共和国大使館 日本・チェコ交流100周年記念作品
公式サイト
©2019 ALL RIGHTS RESERVED SILVER SCREEN ČESKÁ TELEVIZE EDUARD & MILADA KUCERA DIRECTORY FILMS ROZHLAS A TELEVÍZIA SLOVENSKA CERTICON GROUP INNOGY PUBRES RICHARD KAUCKÝ