Column

2020.10.09 21:00

【単独インタビュー】『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』ジョー・タルボット監督&主演ジミー・フェイルズ

  • Mitsuo

『ムーンライト』でアカデミー賞作品賞を受賞したA24とプランBによる最新作『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』は、祖父が建てた美しい家を取り戻そうと奔走する青年と、彼を支える親友の物語です。

舞台は、ゴールデン・ゲート・ブリッジや坂道を走る路面電車、優雅に佇むヴィクトリアン様式の家が並ぶ、情緒豊かなアメリカ西海岸の都市サンフランシスコ。近年、急速な発展により多くの富裕層が住むようになったことで地価が高騰するこの街では、ジェントリフィケーションが進み、代々この地で暮らしてきた住人たちが居場所を失いつつあります。

そんな街で生まれ育った主人公ジミー(ジミー・フェイルズ)は、かつて家族と一緒に暮らした思い出深い、祖父が建てたヴィクトリアン様式の美しい家を愛していました。今は別の住人の手に渡っていましたが、ある日、その家が売りに出されることを知ります。再びこの家に住みたいと願い奔走するジミーの思いを、親友モント(ジョナサン・メジャース)は、いつも静かに支えていました。”最もお金のかかる街”となったサンフランシスコで、ジミーは心の在り処であるこの家を取り戻すことができるのか──。

決して裕福とは言えないながらも、本当に“大切なもの”を知っているジミー。「わが家に勝る場所はない」という台詞に象徴されるように、彼にとって、家族と住んだ記憶が宿る家は、親友のモントとともに、心の拠り所になっています。生まれ育った場所が面影も残らないほど変化することで、大切な記憶が上書きされ、自分のアイデンティティまで否定されてしまうような感覚。それは一見パーソナルな物語でありながら、今や世界中で起きつつある問題を描いています。

監督を務めたジョー・タルボットは、1991年生まれのサンフランシスコ第5世代。映画を撮るために高校を退学し、サンダンス・インスティテュートの研修生として、幼なじみの親友ジミー・フェイルズと撮った短編『American Paraside』で高い評価を獲得。本作で主人公を実名で演じたフェイルズ自身が体験してきた物語を、長編映画として作り上げました。

『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』は、タルボット監督の長編デビュー作ながらも各国の映画祭で高い評価を受け、サンダンス映画祭で監督賞と審査員特別賞をダブル受賞。オバマ前米大統領が選ぶベストムービー(2019年)にも選出されています。

日本公開に先立ち、タルボット監督と主演ジミー・フェイルズが、Fan’s Voiceのオンラインインタビューに応じてくれました。

ジミー・フェイルズ、ジョー・タルボット(監督)

──私もサンフランシスコに住んでいた時期があるのですが、本作はサンフランシスコの”心”や”感情”を纏った初めての映画のようにも思え、とても特別な感じがしました。
フェイルズ サンフランシスコを僕たちにとって独特の場所にしてくれる小さな事や大きな事まで、そのすべてを捉えようと、とにかくチーム全体でこだわりました。例えば、ソーラ・バーチのキャラクターとバスに乗っているシーンがありますが、あのバスは、もう使われていない古い型で、その型を使うよう手配しました。昔のサンフランシスコを知っている人には、とてもノスタルジアを感じるものだと思うのでね。それが伝わらなくとも別に影響はありませんが、でもこの映画はジミーのキャラクターによる過去への切望というのが大きなテーマなので、その体験を事細やかに描きたかったわけです。サンフランシスコを深く知っている人に、そうした感情を抱いてもらい、この映画の一部のように感じて欲しかった。

ヴィクトリアン・ハウスも、ジミーが住んだような手入れされたものはサンフランシスコの歴史の一部だし、そうした家に新たな人が次々に引っ越してきて、その特徴的で美しい建築をどんどん破壊していっているので、ますますレアになっています。

それから人物という点では、サンフランシスコでは路上でたまたま会った人が面白くて、話し始めたら1時間経ってしまったということがあります。キャストにはなるべく多くのサンフランシスコ出身の人に出てもらうようにしました。ダニー・グローヴァーもサンフランシスコ出身です。彼はもはやこの街そのもののような感じがします。それから僕たちの友人にも出演してもらいました。彼らが発する感じというのは、どんなプロの俳優にも出せないものだと思ったので。

右:ダニー・グローヴァー

──映画全体のトーンは、どちらかといえば優しい印象でしたが、製作初期、脚本を書いていた頃にあなた方を牽引した感情というのは、ジェントリフィケーションに対する怒りだったのか、それともノスタルジアだったのでしょうか。
フェイルズ
 初めの頃にあった感情は、ジェントリフィケーションから来る寂しさだったと思います。この街の昔に対するノスタルジアと、それが過去となってしまったことへの悲しさ。僕たちはこの街に向けたラブレターを描きたかったのだと思います。大好きなこの街で育ったからこそ、今の僕たちがあるのだから。

──この映画での出来事は、あなたの実体験にどれほど基づいたものなのですか?
フェイルズ 難しい質問ですね、いつも回答に困るのですが(笑)。観客の解釈に任せたいところでもあるのですが、家族に関する話の多くは事実に基づいていますね。それから映画の中でのジミーの信条や考え方といったところも、僕と共通しているところが多いです。ただ僕自身は、映画のジミーほど純朴ではないと思っていますがね(笑)。でもやはり、明確とした答えはありませんね(笑)。その境界はあえてぼかしたままにしておいたので。

ジミー・フェイルズ、ジョー・タルボット(監督)

──『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』でのジミーとモントとの関係は、あなた方2人の関係を反映したものなのでしょうか?
フェイルズ みんなそういう風に考えがちなのですが、単に2人の男性間の特別な友情を描きたかっただけですね。ちょっと変わった芸術家タイプの、2人の黒人男性のね。どちらかと言えばそれだけのことです。

──映画の制作を進めていく上で、地元の人たちやキックスターターであなた方は大きなサポートを得ることになりましたが、そうした反応は予期していましたか?
フェイルズ 僕自身、あんなに大きな反響を呼ぶとは全く思っていませんでした。ましてや日本で公開されることになるとはもう、全く夢にも思っていませんでした。世界中で公開され、これほど多くの人に共感してもらえたのは、今でもまだ衝撃的なことです。日本の観客のみなさんにも共感してもらえることを願っています。

モント(ジョナサン・メジャース)、ジミー(ジミー・フェイルズ)

──この映画を作っている時に意識した特定の観客はありますか?
フェイルズ 大体はサンフランシスコの地元民の人たちでしたね。ジョーには異なる答えがあるかもしれませんが、基本的にはこの街出身の人たちのことを思って作っていました。

タルボット まず最初は自分のまわりで同様に家を失ってしまった友人や、その知り合いに響くものを作ろうとしていました。

それから、この特別な感じ……先ほどあなたが非常に良いことを言ってくれましたが、この街の感情を捉えたとあなたが感じてくれたというのは、僕たちが本当にやりたかったことです。サンフランシスコで育った僕たちは、この街を舞台にした映画を観る度にとても興奮します。どんなにひどい映画でもね(笑)。「あー、それ僕の家の前の道!」ってなったりね。ニューヨークやLAほど大きな街ではないので、映画の舞台に選ばれることはそれほど多くありませんが、だからと言ってアルバカーキ(南西部ニューメキシコ州の都市)みたいに小さいわけではなく……アルバカーキの映画は本当にレアですよね。この間の位置に面白い感じで存在しているのがサンフランシスコで、だからこそ、ここが舞台の映画を観ると本当に特別な感じがします。でも、この街のエッセンスを捉えたようとした映画を目にした時の特別感というのは別格で、最高です。

サンフランシスコを舞台とした映画には波のようなものがあって、1940年代にはフィルム・ノワールが数多く作られ、60年代後半から70年代前半には(フランシス・フォード・)コッポラの映画や、『華やかな情事』(68年)といったサンフランシスコのヒッピーから生まれたダークで変わった側面を捉えた映画も出てきました。1990年代には『ミセス・ダウト』(93年)や『ドクター・ドリトル』(98年)といった子ども向けの映画が作られたりね。映画史とサンフランシスコの間には面白い歴史があって、だからこそ僕はサンフランシスコの人たちに、スクリーンに映るだけでなく、”自分たちのことを見てくれている人がいる”と感じた時に出る特別な表情を生む映画を作りたかった。バカでかいスクリーンに映り、遠くの人に届いていくのだから、本当に興奮するものです。

それから、ジミーのような体験をした人々のことも意識しました。それはサンフランシスコに限ったことではなく、残念ながら各地で起きていることです。アメリカをはじめ色々な場所にいる人々が、ジェントリフィケーションに対する感情や、その中における立場というもので共感できるものを作りたいと思いました。ジェントリフィケーションに加担している人を単に指摘するのではなく、そのプロセスにおけるそれぞれの役割や責任といったことですね。

──『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』では街が1つのキャラクターのようにも感じられますが、あなたとこの街との関係は、言葉にするとどんなものでしょうか?この映画を作ったことで、その関係は変化しましたか?
タルボット 先ほどあなたが触れましたが、ジミーと僕は、この街で起きていることに対する怒りを共通点に絆が深まったと思います。この映画を作っている時、完成まで実際にたどり着けるのかわからない期間が本当に長くありました。この街で起きていることへの憤りを抱え、さらには、そうした感情の全てを注いでいるこの映画を完成させられるのかという不安もあり、何の約束もない、本当にスレスレのところで生きているような感じがしました。希望を持った日もあれば、非常に悲観的な日もありました。そんな日々における僕のサンフランシスコとの関係が、映画にも込められていたと思います。切望やノスタルジア、幸せな瞬間で満たされた時もあれば、怒りやフラストレーションに包まれた時もありました。

映画が完成してある意味で平穏が訪れましたが、難しいのは、映画が街自体を変える事はおそらくできないということ。映画では、この街で起きていることへの感情を反映させることが、精一杯なのだと思います。「実際にはあの家がジミーの元に返ってくるよね?」とか「あの家を買うんだよね?」と僕たちに聞いてくる人が時々いるのですが、「あなたが買ってくれないのでないなら、そんなことあるわけないよ」と返事していますね。残念ながら、世の中とはそんなものです。この映画にそんな力があるとも思いません。でも苦しみの中にも友情があると思いますし、変化が進むサンフランシスコで、痛みだけではなく素晴らしいこともまだ存在している事はラッキーだと思います。

ジョー・タルボット(監督)、ジョナサン・メジャース(モント役)

映画が完成した今でもこうした変化に対する僕の気持ちはまだ落ち着いていないし、激怒したくなるような問題もいくつもあります。現行の市長による住むところのない人たちへの扱いは本当にひどいし、コロナの脅威もある中で、路上に放置されて死んでしまう人だっています。こうしたことに今でも僕はとても熱くなるし、憤りを感じます。警察の予算削減でも、サンフランシスコ市警には非常に暗い歴史があって、この映画でコフィを演じたジャマル・トゥルーラヴは、市警により殺人犯にされてしまった冤罪の被害者です。僕の大切な人にとって非常にパーソナルな問題なのです。

一方で、僕としては前よりも少しだけ平穏を感じるようにもなったと思います。それは、この街はきっと大丈夫だろう感じているからではなく、僕自身が前よりもこの街の人たちとつながっている気がするから。映画が出来て、以前なら知り得なかっただろう人たちと出会い、街中でもジミーと僕に声をかけてきて、「自分も同じような体験をした」とか「この映画をありがとう、僕の体験に通じるものだった」と言ってくれる人がいます。そうした仲間意識のようなものを感じ、こうした問題を真剣に捉える人がまだこの街にいることを実感できるのはとても良かったです。

ロカルノ国際映画祭にて Photo: Marco Abram / Locarno Film Festival

──サンフランシスコの将来について、最も心配している事はなんですか?
フェイルズ アートシーンが衰退してしまうことですね。今作のような映画や、素晴らしい音楽がこの街から出てこなくなってしまうこと。本当にアーティストのコミュニティが死んでいってるような気がします。僕が一番恐れている事ですね。それからアーティストのコミュニティだけでなく、コミュニティの感覚が全体で失われていっていると思います。昔は近所の人はみんな知り合いだったし、街のいたるところに知り合いがいたものです。今では人と人との間に大きな距離ができてしまった気がします。

タルボット 本当にその通りだと思います。

──タイトルにある”ラストブラックマン”という感覚は、いつ頃から持ち始めたのですか?
フェイルズ それは確かに僕が感じたことで、ニューヨークで大学に1年通ったのですが…、面白いことにジャーナリズムを勉強していたのですが(笑)、中退して戻ってきた時、1年いなかっただけなのに、この街はもう全くわからないような場所になっていました。近所を歩いていて、本当に自分が”最後の黒人”、ラストブラックマンのように思えた時が何度もありました。もちろんこれは誇張で、実際に黒人は他にもいるけど、そんな風に感じてしまった。

──ジェントリフィケーションが進む中で、その地にあった歴史といったものは忘れ去られ、全く別の場所に変貌していくわけですが、その事をこの映画で伝えるのは、あなたにとって大切だったのでしょうか?
フェイルズ 非常に重要だと思います。自分の街の歴史はもちろん、どんなことの歴史も大切だと思います。その歴史があるからこそ、この街は今の形になっているわけですからね。街で起きている様々な変化は、僕の魂をゆっくりと破壊していっているような感じです。小さい頃に通ったピザ屋さんや本屋さんが閉店に追いやられてしまったりすると、心が強く痛みます。だからその歴史というのは、本当に大切だと思います。

──以降、本作のエンディングに関するネタバレがあります──

──この物語でジミーとモントがあのような形で1つの旅を終えるというのは、当初から決まっていたことなのですか?
フェイルズ おっと……、さあどうだろう、助けてよ、ジョー(笑)。

タルボット いろいろなエンディングを考えて試行錯誤しました。これまで公に話していないかもしれませんが、実はモントがあの家を燃やしてしまうというバージョンの脚本も初期でありました。ジミーがあそこに住めないのなら、誰も住めないようにするというある種の反抗ですね。この展開のインスピレーションとなったのは、僕がサンダンスのスクリーンライター・ラボにいた時に、ウォルター・モズリイ…、ノワール脚本家のあのウォルター・モズリイが、「これは良い脚本だけど、あの家は彼に燃やさせないといけないね」と言いました。ワオ、良いアイディアかもしれないと思い、この案は2回ほどの改稿に残ったのですが、最終的にはモンゴメリーはそんなことをするような人物ではないと思い、変えましたね。とても興味深いしラディカルで、興奮する展開でしたが、とてもモントらしくなかった。そして、そんな大きな主張をするのではない、もっとパーソナルで詩的な終わり方になりましたね。

大勢の人が僕らにエンディングの話をしてくれるのですが、ジミーの行動に対するそれぞれの解釈とは、結局のところ、自身のサンフランシスコ、あるいはそれぞれの出身地に対する思いが反映されたものとなっています。これは僕にとっては、『ゴーストワールド』(01年)の終わりのバスのシーンを皆がどう解釈したかという事が思い出させてくれるのですが、僕たちが『ゴーストワールド』が大好きなのは、この映画を観れば明らかですよね。僕は小さい頃に『ゴーストワールド』を観た時には、あのバスのシーンでソーラ(イーニド役)は自殺したのだと思っていたのですが、今はそうは思いません。ソーラ自身もそのように考えていたそうですが、監督のテリー(・ツワイゴフ)や脚本家は異なった見方をしていたようです。このように、映画作りに携わった張本人たちもエンディングに対して様々な感情を持てるというのが、僕はとても好きです。同じ作品を作りながら、皆異なる解釈をしているわけです。僕らの映画のエンディングについては、個人的にはジミーを受け入れるのにふさわしい、もっと良い街を求めて去っているのだと思いますが、もっと暗い解釈だったり、他の解釈でも、それはそれで良いと思います。

──サンダンスの話が出ましたが、バリー・ジェンキンスは『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』のサンダンスでのプレミアに出席したそうですね。製作のかなり早い時期に彼と連絡をとったそうですが、完成した映画について彼と話せたのですか?
タルボット 実はプレミアでは話せませんでした。来てはくれたのですがね。バリーはずっと僕たちのことをすごくサポートしてくれて、とても励ましてくれました。本当に最初の頃の脚本も読んでくれたしね。彼が『ムーンライト』を撮る前のことです。彼と会えた事、それから彼の素晴らしい活躍を離れた所から見ることができたのも、非常にラッキーだと思っています。

──20年後、50年後の人たちにも、この映画は共感してもらえると思いますか?
タルボット もちろん!!

フェイルズ そう、それが僕たちの願い(笑)。

タルボット そう願っています。クライテリオン(※)でもリリースしてほしいし、日本でも50周年記念の再リリースもしてほしいよね(笑)。

※クライテリオン・コレクション=世界の名作・傑作映画を厳選して発売する米レーベル

──あなた自身がサンフランシスコを去るという考えは、ありますか?
フェイルズ
 その話、してくれる?

タルボット 僕、LAに引っ越したんです(笑)。マーベル映画も全部撮っててね(爆笑)!そんなわけはないけど…、僕のコラボレーターの多くも今はLAが拠点になっていて、ジミーももうすぐ来るんです。

フェイルズ 本当に近々LAに行って、みんなにジョインするところです。

タルボット とても辛いことですがね。サンフランシスコを去る時は、まさにこの映画の終わりのジミーのような気持ちになります。罪悪感もあるし、興奮もある。悲しさも、好奇心も。いろいろな感情が混ざり合って、船出するわけです。僕らはアスファルト上での移動ですがね(笑)。でもサンフランシスコを離れる時はいつも、多少の後悔や自責の念を感じます。戦いに負けたような感じがして。実際はそういうわけでは無いのだけど、街の変化に対して戦っているときにその地を離れることには、それなりの罪悪感をいつも感じてしまいます。一方で、駆け出しのアーティストとしては、金銭的にも生活が賄え、持続的に活動できる場所に住みたいとも思います。

──劇中にも登場する曲「花のサンフランシスコ」は、サンフランシスコ人の心に響く、歴史的にも意味のある曲ですが、この映画に取り入れたのにはどんな意図があったのですか?
タルボット あの曲には面白い歴史があって、僕の理解では、ママス&パパスのジョン・フィリップスが作った曲です。作られた目的というのも、モントレー・ポップ(・フェスティバル ※1967年に開催された野外フェス)でサンフランシスコにヒッピーが大挙して押し寄せてくると気が狂いそうになっていた古い保守層…、大体は白人のカトリック系アイリッシュでしたが、その不安を和らげるためのPRキャンペーン曲でした。”心配しないで、みんな平和的にやって来て、髪には花を飾って、別にあなたの娘と一緒にLSDをキメるわけじゃないから”というね(笑)。

当時、サンフランシスコにいた僕の両親のような左派からは、あの曲は陳腐なエセヒッピーポップとして捉えられていたようです。ジャニス(・ジョプリン)とかジェファーソン・エアプレインといった、もっと正統なフォークロックやサイケの安っぽい解釈のようなものとね。でもジョン・フィリップスはクソ素晴らしい作曲家で、本当に美しいメロディを書いたので、時を経て人々の感情も和らいだ今では、当時を思い出させてくれる曲となりました。歌詞はちょっと軽いけど、でもそれなりの美しさがあって。そして僕たちは、新たにダークになったサンフランシスコに合わせて、この曲を再解釈したいと思いました。当時はヘイト・アシュベリーの大きくて美しいヴィクトリアン・ハウスに住んでいた人たちが、今ではその家の”前”で寝泊まりし、百万ドルの契約の代わりに1ドル札とか小銭を求めて、歌っているわけです。まあ当時は百万ドルももらえなかったでしょうがね。

──最後の質問ですが、あなたにとってサンフランシスコ人であるとは、どういうことでしょうか?
フェイルズ うーん、いろんなことがあるけど…、”変”であることですかね…(笑)。うん、主にはそうですね。それから僕たちは、多様性が豊かな環境で育ちました。だいたいのサンフランシスコ人は他の文化に対する純粋な好奇心を持っていると思います。そうしたダイバーシティの中で育ったのだから。これもサンフランシスコ人としての大きな要素だと思います。

タルボット うーん、心を広く持ち、見知らぬ人を愛し、一見理解できないような相手に対しても深い共感を持つこと。僕たちの世界は…、そんな言い方をしたらまるで哲学のように聞こえるけど(笑)、僕たちの世界は今、様々な意味で暗い時期にあります。それは同時に、大きな変化の可能性があることは明らかですが、サンフランシスコの人は、困難な状況においても、細かなニュアンスをとても大事にしてアプローチすると思います。これは僕が育った中で本当に有り難く思ったところですね。生きていく中で本当に様々な人に出会うけど、完璧な人、悪人だと一面的に決めつけることはしません。人の様々な側面やニュアンスを理解しないのは、とても安っぽい生き方だと思うし、人生を最大限に経験できていないような気がします。サンフランシスコという場所は、そうやって人の細かなところを大切にするよう育ててくれる場所だと思っています。

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『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』(原題:The Last Black Man in San Francisco)

変わりゆく街・サンフランシスコで、変わらない大切なもの。
家族の記憶が宿る家とたった一人の友。それだけで人生はそう悪くない──。
サンフランシスコで生まれ育ったジミー(ジミー・フェイルズ)は、祖父が建て、かつて家族と暮らした記憶の宿るヴィクトリアン様式の美しい家を愛していた。変わりゆく街の中にあって、観光名所になっていたその家は、ある日現在の家主が手放すことになり売りに出される。この家に再び住みたいと願い奔走するジミーの思いを、親友モント(ジョナサン・メジャース)は、いつも静かに支えていた。今や”最もお金のかかる街”となったサンフランシスコで、彼は自分の心の在り処であるこの家を取り戻すことができるのだろうか。多くの財産をもたなくても、かけがえのない友がいて、心の中には小さいけれど守りたい大切なものをもっている。それだけで、人生はそう悪くないはずだ──。そんなジミーの生き方が、今の時代を生きる私たちに温かい抱擁のような余韻を残す、忘れがたい物語。

監督・脚本/ジョー・タルボット 
共同脚本/ロブ・リチャート
原案/ジョー・タルボット、ジミー・フェイルズ
音楽/エミール・モセリ 
出演/ジミー・フェイルズ、ジョナサン・メジャース、ロブ・モーガン、ダニー・グローヴァー
2019年/アメリカ/英語/ビスタサイズ/120分/PG12/字幕翻訳:稲田嵯裕里 

日本公開/2020年10月9日(金)より、新宿シネマカリテ、シネクイント他全国ロードショー
提供/ファントム・フィルム、TCエンタテインメント 
配給/ファントム・フィルム 
公式サイト
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