Column

2020.09.16 17:30

『窮鼠はチーズの夢を見る』『マティアス&マキシム』─ 思いがけないキスから始まるふたつの「初恋」

  • 児玉美月

年齢を重ねていくごとに、あるいは、経験を重ねていくごとにうまく振る舞えるようになっても、恋愛においては通用しないことがある。

恋愛の名手といわれる行定勲の『窮鼠はチーズの夢を見る』と、今年31歳になった早熟の天才グザヴィエ・ドランが初めて真っ向から恋愛を描いた『マティアス&マキシム』。時を同じくして届けられたこの二篇の映画では、それまでのすべてを一瞬で覆してしまうような恋愛の形が描かれる。この二つのラブストーリーは、共にたった一度の思いがけないキスで繋がっている。

『窮鼠はチーズの夢を見る』(大ヒット公開中)

『窮鼠はチーズの夢を見る』の大伴(大倉忠義)は、異性愛者として女性と結婚生活を送っていたところに大学時代に知り合ったゲイの今ヶ瀬(成田凌)と数年ぶりに再会することとなる。女性としか恋愛をしたことがなかった大伴にとって、男性である今ヶ瀬はまさに「例外」の相手だといえる。そして今ヶ瀬にとってもまた、異性愛者でかつ流されやすい受け身体質な大伴は、都合の悪い相手にほかならない。今ヶ瀬は大伴の浮気の証拠を隠蔽する代わりに、キスをせがむ。大伴にとっては不本意である、いわば取引の形で交わされるこのキスを起点にして、二人の関係は始まっていく。

『マティアス&マキシム』(9月25日公開)

『マティアス&マキシム』のマティアス(ガブリエル・ダルメイダ・フレイタス)は恋人との結婚を控えており、マキシム(グザヴィエ・ドラン)はオーストラリアへと旅立つ準備をしている。そんななか友人の妹の制作する映画に出演することになった二人は、演技でキスをしたところからその友情関係が揺れ動き始める。彼らの置かれた状況にとって、お互いに恋愛感情を認めることはたやすくはない。劇中では、ふたりがキスを“演じた”と同時に、風がブランコを揺らし、蝋燭の火を吹き消す。ドラン作品においては、画面に現れるモチーフのすべてが登場人物たちの心象風景を饒舌に代弁するが、この映画においても、二人の心に風が吹き付けるようにして革命が起こったことを、映像が如実に伝える。すべてがこのキスを境にして、動き始める。

今ヶ瀬と大伴は、そのセクシュアリティも異なるが、それぞれまったく違う人生を送ってきた。一緒にいるためには、その分断された世界を架橋しなければならない。たとえば二人が同じ部屋にいるとき、大伴がベッドで寝ていたとしても、今ヶ瀬はハイチェアに小さく座っていることが多い。その姿はいつ飛び立ってもおかしくない止り木にとまる鳥さながらであり、それぞれ恋愛に対する身の振り方を示唆しているようである。同じ場所にいてもまったく別の在りようを保ち続ける彼らは、異なる世界をなかなか溶け込ませはしない。

今ヶ瀬(成田凌)

一方マティアスとマキシムは、幼馴染として似たような世界を共有して生きてきたと思われる。しかし映画そのものは、「一つの物語」というより、それぞれに仕事や家族の問題などを抱える、マティアスの物語とマキシムの物語から成る「二つの物語」が並走していくような構造になっているとも捉えられる。二本の糸が織りなされる時機を待っているかのようなその映画の紡がれ方には、マティアスとマキシムの人生が交差するかしないかの緊張感が常に張り詰めている。

愛はただそれだけで過酷なものであるにもかかわらず、男性同士であることによって、彼らの愛にはさらに向かい風がともなう。もしもどちらかが異性であったなら──?大伴と今ヶ瀬は、今ヶ瀬の押しに大伴が負け、早くに家庭を築き幸せに過ごしていただろうか。マティアスとマキシムは、多くの友人達に囲まれながら、早くに恋人同士だと認められて結ばれていただろうか。この仮定法を超えて、例外で、都合が悪く、一筋縄ではいかない相手にそれでも手を伸ばす彼らの姿は、両作に通じる厳格な愛の美学を立ち上がらせる。

恋愛は本人たちにとってだけでなく、おそらく周囲の者たちにとっても、残酷なものとしてある。『窮鼠はチーズの夢を見る』では、今ヶ瀬が関わる大伴以外の男は次第に顔が映されなくなる。ドランの過去作『わたしはロランス』でも、主人公が運命の恋人以外の女性には、ヘッドフォンで耳を塞ぎ、他の人の声をまったく聞き入れない描写があったことに思い至る。心底誰かに惚れるということは、その相手と自分以外がいなくなってしまうことである。世界がただ二人だけになっていくことである。マキシムは顔に痣を持つが、映画においてその痣に侮蔑の言葉を投げつける唯一の人がマティアスなら、優しく触れる唯一の人もまたマティアスである。傷つけることができるのも、癒やすことができるのも、自らが愛するただ一人しかいないことを、その痣は証明する。

『窮鼠はチーズの夢を見る』の二人は20代後半、『マティアス&マキシム』の二人は30歳であり、十分に大人と呼んで差し支えないであろう年代の彼らは、おそらく映画には描かれていなくても、それまでにいくつかの恋愛を超えてお互いに出逢っているはずである。恋をするのが一度目ではないことはわかりきっているはずでも、「初恋」としか言いようがない恋がある。彼らにとってみな相手は「例外」であり、そうであるがゆえに、彼らが抱え込んでいるのは、初めて恋を知ったときの戸惑い、恐れ、いらだちのように見える。それは、恋の相手が初めての同性であるという性別の問題だけにはきっと留まらない。人生には、文字通りの意味での初恋のほかに、もう一つの「初恋」があるのだろう。この二つの映画は別の語り口ではあるが、だがたしかに、そんな「初恋」の訪れを祝福するものである。

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『窮鼠はチーズの夢を見る』

7年ぶりの再会 突然の告白 運命の歯車が動き出す──
学生時代から「自分を好きになってくれる女性」と受け身の恋愛ばかりを繰り返してきた、大伴恭一。ある日、大学の後輩・今ヶ瀬渉と7年ぶりに再会。「昔からずっと好きだった」と突然想いを告げられる。戸惑いを隠せない恭一だったが、今ヶ瀬のペースに乗せられ、ふたりは一緒に暮らすことに。ただひたすらにまっすぐな今ヶ瀬に、恭一も少しずつ心を開いていき…。しかし、恭一の昔の恋人・夏生が現れ、ふたりの関係が変わり始めていく。

原作/水城せとな「窮鼠はチーズの夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」(小学館「フラワーコミックスα」刊)
監督/行定勲
脚本/堀泉杏
音楽/半野喜弘
出演/大倉忠義、成田凌、吉田志織、さとうほなみ、咲妃みゆ、小原徳子
映倫区分:R15 

日本公開/2020年9月11日(金)より、TOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー
配給/ファントム・フィルム
公式サイト
©水城せとな・小学館/映画「窮鼠はチーズの夢を見る」製作委員会

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『マティアス&マキシム』(原題:Matthias & Maxime)

たった一度の偶然のキス。そして溢れ出す、友達以上の想い。
マティアスとマキシムは30歳で幼馴染。友人が撮る短編映画で男性同士のキスシーンを演じることになった二人は、その偶然のキスをきっかけに秘めていた互いへの気持ちに気づき始める。美しい婚約者のいるマティアスは、親友に芽生えた感情に戸惑いを隠せない。一方、マキシムは友情が壊れてしまうことを恐れ、想いを告げずにオーストラリアへと旅立つ準備をしていた。迫る別れの日を目前に、二人は抑えることのできない本当の想いを確かめようとするのだが──。

監督・脚本/グザヴィエ・ドラン
出演/ガブリエル・ダルメイダ・フレイタス、グザヴィエ・ドラン、ピア・リュック・ファンク、ハリス・ディキンソン、アンヌ・ドルヴァル
2019年/カナダ/120分/ビスタ/5.1ch

日本公開/2020年9月25日(金)より、新宿ピカデリーほか全国ロードショー
提供・配給/ファントム・フィルム
公式サイト
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