Column

2020.09.05 9:00

【単独インタビュー】『行き止まりの世界に生まれて』ビン・リューが開いた人生の扉

  • Atsuko Tatsuta

第91回アカデミー賞、第71回エミー賞にダブルノミネートされたドキュメンタリー『行き止まりの世界に生まれて』は、アメリカ・シカゴ在住のビン・リューの監督デビュー作です。

イリノイ州ロックフォード。貧しく暴力的な家庭に生まれ育ったキアー、ザック、ビンの3人にとって、いつも一緒のスケートボード仲間が、もうひとつの家族でした。ところが、成長するにつれ、それぞれの道を歩み始める3人。ようやく低賃金の仕事についたキアー、父親になったザック、そして映画を撮り始めたビン。ビンのカメラは、“アメリカで最も惨めな町”で希望を見いだせず、もがく若者たちの痛みを露わにしていきます──。

スケボー少年だったビンが、仲間たちの12年間の奇跡を追った『行き止まりの世界に生まれて』は、“ラストベルト”と呼ばれるアメリカの反映から見放された“錆びついた工場地帯”に生きる若者たちを通して、今日の分断されたアメリカへの深い考察を促すドキュメンタリーとして絶賛されました。本作の成功で世界的な注目を浴びることになったビン・リュー監督にオンラインでインタビューしました。

──もともと子どもの頃からビデオを回していたそうですが、『行き止まりの世界に生まれて』は、あなたの親しい人だけでなく、自身の人生にも肉薄する作品でもありますね。なにがこの作品を撮るきっかけだったのでしょうか。
10代の頃から、継父のようにはなりたくないと思っていました。母の再婚相手は暴力的で、僕はずっと悩まされてきました。けれど、僕もなにかやりたいことを見つけなければ、彼のようになってしまうかもしれないという恐れも感じていました。それを避けるためには、僕の家でなにが起きているのか、違うかたちで理解しなけばいけないと思い、人と会って家族とはなにか、成長することはなにかに関して、いろんな本を読んだり、話したりして考えるようになりました。家から抜け出る道を、僕なりに必死で探していたんです。スケートボーダーたちと出会って、家族のようになりました。みんな社会からちょっとはみだしているようなヤツばっかりで、そこから勇気を得ることができたし、他の場所では見つけることができなかったものを見つけることができました。スケートボーダーはクリエイティブ人が多いので、その点でも背中を押されました。その中でも、いい人間になりたいという目的を叶える手段として、ドキュメンタリーを撮ることにしました。

キアー

──“ラストベルト”の象徴のような閉塞感のあるロックフォード。『行き止まりの世界に生まれて』を観ていると、そこから抜け出すことが、自分の人生を始められる鍵となったようですね。人間にとって環境は大事です。
子どもの頃は、自分が育っているところがどんな場所か、理解しないものですよね。たとえばロックフォードの町だと、いろんな未来への道がない。地元のコミュニティ・カレッジに行って、あとは流れるままに……といった感じ。僕は19歳の終わり頃にロックフォードからシカゴに移り住み、教師になろうと勉強を始めました。実際に抜け出してみて、“ラストベルト”やワーキングクラスのコミュニティで育つ意味が、少しずつわかってきました。その意味を僕は、今も模索しているんです。今振り返ると、あの町で起こっていたことが、どうしてそうなってしまったのかと感じます。また歳を重ねる度に、ロックフォードやそこに住んでいる人々、旧友たちと距離を感じてしまう。寂しいことですけれど。個人的にそう感じるだけでなく、アメリカという国はどうなってしまったんだと思うんです。ロックフォードは、本当に孤立してしまった町なんです。

──あなたはロックフォードから抜け出しましたが、抜け出せない人もいます。キアーの兄は刑務所に入ったと、映画でも言及していましたね。町から出て希望を見出す人、町に残ったまま夢を見いだせない人。その差はなんだと思いますか。
違いはないと思いますね。根っからそうなのか、自分たちが学んできたものによるのか、確かな原因はない。僕の場合は、カメラというツールを得て、シカゴという町で、ロックフォード以外の世界を見ることができました。それ以来、時折ロックフォードに戻っても、波風を立てたくなくて、実家には泊まらないようにしていました。ただし、町を出る人は、“逃げ出している”ともいえる。新しい場所で、必ずしもよりよい人生が待っているわけでもない。同じようなレストランで働いて、家賃をギリギリ払うというような、生活を変わらずしている人もいるでしょう。つまり、町を出ることが問題の解決策ではないということです。逆にいえば、コミュニティを盛り上げる若い人たちが去ってしまえば、町は停滞してしまう。ということで、今、ロックフォードに戻ろうかと考えることもあります。もちろん、僕になにができるかということもあるけれど。

ニナ

──『行き止まりの世界に生まれて』では、至るところでDVが見られます。あなた自身も継父から虐待されていたし、ザックは妻に対して暴力をふるいます。親から子どもへの暴力、男性から女性への暴力。DV問題の根本にあるのは、貧困なのでしょうか。
暴力と貧困との因果関係は、僕にいわせれば完全に神話です。DV(家庭内暴力)は社会のどこでも起こりうる。DVには2種類あって、ニナとザックのカップルのように、状況から生まれる暴力。現実の問題にどう対処していいかわからなくて、暴力を振るってしまう。

また2つ目は、僕の継父のように、自分がすべてをコントロールしなければ気がすまない性分で、しかも暴力を振るう相手がそれを許してしまうという環境がある。それぞれの家庭によって、いろいろなケースがある。恐ろしい真実ですが、誰にもDVの加害者や被害者になる可能性がある。本当は愛さないといけない人に対して、誰もが暴力をふるう可能性があるんだと。僕たちは、この真実を直視しなければいけない。加害者だけをモンスターのように扱うのではなく、問題に向き合い、その本質を見極めないといけないんです。

ザック

──実際にザックは、魅力的な人物でもありますね。そういう人々が、なにかの瞬間に暴力をふるうようになってしまうのが、この映画が捉えている恐ろしい瞬間です。そういったシーンが奇跡的に映し出されているのは、あなたとザックの信頼関係があったからですね。
ザックだけでなく、他の人にも同じように、自分が感じた疑問を素直にぶつけています。ある意味、それが僕の“戦略”なんです。ある時まで、ザックは本当のことを話してくれていないと直感的に思っていました。ふざけたりするし、子ども時代の話もなかなかしてくれなかった。どんな風に育ったのか、両親はどういう人だったのかという質問に僕が何度も立ち戻るものだから、少しは話してくれてはいたけれど、完全に自分の魂を見せてくれたと感じるいうシーンは、あの瞬間までなかったんです。映画には入っていないけど、嘘のどうしようもない話と本当のどうしようもない話、どっちがいい?と聞いたら、本当のことを話してくれた。映画ではその一部が使われている。

僕として難しかったのは、ニナ(ザックの妻)から夫婦の問題には介入しないで欲しいと言われたこと。なので、単刀直入には聞き出せないこともあった。回避しながら、しかもニナとザックの言い分は食い違っていたしね。ふたりとも心を開いてくれたとは思うけど、それぞれの言い分を聞いて、なにが真実なのか見極めるのが大変だった。親しい僕でさえそんなのだから、調停に入る人たちにはもっとわからないだろうね。実際に僕は、DV問題は、社会や共同体が動かないといけないと思っています。

ダイアン・クォン(製作)、ビン・リュー/第91回アカデミー賞授賞式にて Photo: Phil McCarten / ©A.M.P.A.S.

──映画監督としてあなたは『ガンモ』や『KIDS/キッズ』などからインスピレーションを得たとおっしゃっていますね。映画中、あなたは子ども時代の辛い体験も、告白しています。『行き止まりの世界に生まれて』を作って何かが変わりましたか。
この映画についていえば、僕はセラピーを与えている側だったのだと思います。少なくともザックを始めとする登場人物たちに、言葉で表現する場所を与えることができたので

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『行き止まりの世界に生まれて』(原題:Minding the Gap)

傷だらけのぼくらが見つけた明日──
「全米で最も惨めな町」イリノイ州ロックフォードに暮らすキアー、ザック、ビンの3人は貧しく暴力的な家庭から逃れるようにスケートボードにのめり込んでいた。スケート仲間は彼らにとっての唯一の居場所で、もう一つの家族だった。そんな彼らも大人になるにつれ、さまざまな現実に直面し段々と道を違えていく。カメラは、明るく見える彼らの暗い過去、葛藤を抱える彼らの思わぬ一面を露わにしていく──。

監督・製作・撮影・編集/ビン・リュー
出演/キアー・ジョンソン、ザック・マリガン、ビン・リュー ほか
エグゼクティブ・プロデューサー/スティーヴ・ジェイムス ほか
93分/アメリカ/2018年

日本公開/ 2020年9月4日(金)新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次ロードショー!
配給/ビターズ・エンド
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