Column

2020.08.28 14:00

【単独インタビュー】『ソワレ』外山文治監督が描き出す、閉塞した世界で痛みを抱えた若者たちの肖像

  • Atsuko Tatsuta

外山文治監督の長編第2作目となる『ソワレ』。短編作品で高い評価を得て、『燦燦 -さんさん-』(13年)で長編デビューした外山に、俳優の豊原功補、小泉今日子らが惚れ込んで立ち上げた映画製作会社「新世界合同会社」の第1回プロデュース作品としても注目を浴びています。

 

俳優を目指す一方で、オレオレ詐欺に加担して食い扶持を稼いでいた翔太(村上虹郎)は、故郷の和歌山の海辺にある高齢者施設で演劇を教えることに。ある日、施設で働くタカラ(芋生悠)が、刑務所帰りの父親から激しい暴力を受けているところに遭遇し、仲裁に入るがもみ合いになり、タカラは父親を刺してしまう。気が動転した翔太は呆然とするタカラを連れ出し、二人の逃避行が始まった──。

圧倒的な存在感で一目置かれる若手実力派の村上虹郎と、100人以上のオーディションから選出された驚異の新星・芋生悠が主演する男女の逃避行の物語。7年ぶりの新作で新たなる一歩を踏み出した外山監督にインタビュー、その制作の裏側をお聞きしました。

──『ソワレ』は、「新世界合同会社」の第1回作品ですね。この会社は外山監督と映画をつくるために、豊原功補さんと小泉今日子さんが一緒に会社を設立された、とお聞きしていますが、どのような経緯だったのですか。
豊原さんと小泉さんに初めてお会いした時、この閉塞感のある日本の映像業界の中で、一緒に新しいものをつくることができたらいいですね、というお話をしていたところ、私が別のところで和歌山の地域創生の映画を撮らないかというお誘いを受けました。同じタイミングだったので、それらを一緒にできないかというところから始まった。お二人は映像制作に関する想いはお持ちでしたし、やるなら名前貸しのようなものでなく、本腰を入れてやりたいということで、会社設立になりました。

──映像業界における閉塞感とは具体的にはどういうことでしょうか?
たとえば、作品の画一性。(日本の映画界では)小説や漫画原作、あるいはテレビの映画化などが多く、圧倒的にオリジナルのストーリーの作品は少ない。オリジナル脚本の作品はありますけれど、一部の人だけに許されるもの。私は脚本も手掛けますが、こういった状況で10年間苦しんできたというか、とても不自由を感じていた。今、韓国とか台湾がオリジナルの物語で世界に通用する作品を打ち出してくるのに、日本はどうしたんだという声があります。ぜひ知って欲しいのは、(オリジナルな物語で映画を撮れる)良い人材は日本にもたくさんいるということ。でもそういう人たちが撮れる土壌がないというのが、閉塞感に繫がっている。このプロジェクトは、それを打ち破るという意味でも、ひとつの賭けでした。

──脚本を自ら書くことに、こだわっていらっしゃるんですね。
そうですね。もともと小説家志望だったし、(脚本を)“書ける監督”といわれることもあるんですが、僕の場合は“物語を書く人間が監督をしている”、という感じですね。

──自ら物語を紡ぎ出すということが、外山監督にとってなによりも大事ということですね。『ソワレ』のストーリーは、どのように生まれたのですか?
2016年あたりに、高齢者施設を舞台に80代の男女が駆け落ちをするという作品を企画していたんです。彼等が閉塞した状態から外に抜け出して、人生の意味を考える……というようなストーリー。私は、77歳の婚活をテーマにした作品(『燦燦 -さんさん-』) でデビューしたんですが、20代から高齢化社会の問題をずっと撮っていたので。それから何年か経って、実は、高齢者だけでなく、若者も似たような息苦しさ、辛さを感じているのではないかと思い始めたんです。肌感覚ですが。外に逃げていく、生きる意味を考えていくというのは、若者にこそふさわしいのじゃないかと考えるようになりました。私も40歳近くなりましたが、若者と高齢者のちょうど真ん中の位置にいる今、若者たちのそういった姿を撮ってみたいと思いました。

──若者の生きづらさ、居場所のなさに関しては、日本だけでなく、世界的に増えているように感じます。時代性というか、世界情勢が影響していると思いますか。
思いますね。ちょっと前なら、若者たちといえばコミュニケーションが希薄というように捉えられがちだったと思うけれど、2020年の今のほうが、むしろ若者が生きづらい時代だと思う。ささやかな承認欲求は容易いのに諦めが蔓延し、消費するだけの日々、信頼できる未来がないというか。特にコロナ禍の中では、それが強調されたかもしれない。『ソワレ』は、「ひとりはいやだ」って叫んだ二人の話なんですけれど、“誰もいない”、という寂しさが背景にずっとあります。今ならではという時代感はありますね。主人公の男の子、翔太は“傷つくために生まれてきたんじゃない”と叫ぶわけですけれど、みんな痛みを抱えている中で、私は、安直な希望を与える物語は描けない。優しい涙を流したり、柔らかい気持ちにさせるというのは、エンタメにおいて必要な条件であると思いますが、自分としては“ウソのない希望”しか描けないですね。

──そうやって映画を作ったところ、コロナ禍が、偶然やってきた。
そうですね。まさかこういうことになるとは、思っていませんでしたから。

──タイトルの『ソワレ』はフランス語で夕暮れの意味、舞台用語では夜の公演の意味がありますね。一見、優雅な響きもありますが、この物語で主人公たちが直面する現実とのギャップがありますね。
最初は、自分の人生ではみんなそれぞれが主人公なんだ、というメッセージを込めたタイトルにしようと思っていました。人生を諦めてしまった人たちも、自分の生活を演じていくものなんだ、という。それが段々と、(主人公たちが)“夜明けを待つ“みたいな意味合いに変わってきたように思います。キャッチーで可愛らしいタイトルですけれど、人生の深い暗闇の部分を暗示しています。

主演・村上虹郎

──音楽が素敵ですね。二人が部屋にいるシーンで、彼等の動きと壁に写っている影が違うシーンが印象的でした。影は踊っているように見えましたが。
あの影絵は、タカラの夢のようなものの象徴ですね。彼女は、心の中に逃げ込むことで辛い現実をなんとか生きてきた人。ふと影絵を思いついたんです。手作業でやっています。CGでやったほうが、精巧にできるんですが、もし雑になっても手づくりのぬくもりのようなものが、このシーンにはふさわしいと思いました。プロデューサーの助言です。

──生き延びるための“夢”ということですよね。そこまで厳しい現実だった。
そうですね。夢を見ないと生きてこられなかった。この時代の中で、みんな傷ついている。勝者はいない。もしかしたら一部いるのかもしれないけれど。そういう世の中で、どうやって自分自身の人生と折り合いをつけていくのか。どこかで夢をみないと生きていけないですよね。

──この映画の2つ目の起点となった、和歌山で撮影するというプロジェクトはどんなものだったのですか?
和歌山県出身で、故郷を舞台にした映画を制作されている前田和紀さんというプロデューサー(『ソワレ』には共同プロデューサーとして参加)がいらっしゃるのですが、これまでも一つひとつ地元のみなさんとともに映画をつくってこられた。その活動のひとつとして、御坊市や日高郡で撮るプロジェクトを私に託していただいた。私は、和歌山県内を旅していく話がいいなと思い、和歌山市内までを巻き込んだプロジェクトになっていきました。

──リサーチをたくさんされたと聞いていますが、外山監督にとって和歌山とは?
このプロジェクトの話があって、初めて和歌山を訪れたんです。野球少年だったので和歌山といえば、高校野球の名門・智弁和歌山高校くらいしか知らなかった。初めて行ったときに、まだ見たことがない豊かな景色に驚きました。日本は狭いですから、たいていどこにいってもどこかの組(撮影チーム)が撮っちゃっていることが多い。でも、和歌山のこの雄大な景色は撮っていないなという気がしていて、ロードムービーにふさわしいと思いました。

──映像がたいへん美しいですね。撮影監督は『パラダイス・ネクスト』や『岬の兄妹』の池田直矢さんですね。
池田さんとは同い年で、短編映画の『わさび』の時も撮っていただいている。私は映画の合間にCMや企業の映像作品なども撮っていますが、その際もよくお願いしています。彼の映像センスは素晴らしく、美しい。作品ごとに色んなカメラマンにお願いしていますが、『ソワレ』に関しては、最初から池田さんにお願いしたいと思っていました。

──具体的なコンセプトのようなものはあったのですか?
事件が起こる前と後では、明らかにカット割りと世界観が違うんです。前半はドキュメンタリー性の強いもの。事件が起きてからは、ドラマ性の強いものにしようというコンセプトだけで、後は、阿吽の呼吸で撮りました。

──参考に見ていただいた作品などはありましたか?
前半のドキュメンタリー風という部分の参考に、ダルデンヌ兄弟の『ある子供』(05年)を観ていただきましたが、それくらいですね。池田さんは、人の琴線にふれる映像を撮るカメラマンなので、私の作風と合うんだと思います。

──男女二人の逃避行、あるいはロードムービーは人気のジャンルですが、外山監督はこのジャンルにこだわりはあったのですか?
男女の逃避行を描いたロードムービーは、確かに昔は、よくあったと思います。ATG(日本アート・シアター・ギルドの略。1960年代〜80年代にかけて非商業主義の芸術映画を多く輩出した)作品とか。

──60年代、70年代のアメリカン・ニューシネマやニュー・ジャーマン・シネマとかの影響もあり、ロードムービーも一種の流行になりました。
そうですね。意識してそれをやったわけじゃないんですけど、今、改めて作家性を大事にするということを感じましたね。この作品にATGのような風を感じてくれた人がいた。ATGで作品と作っていた人たちも、作家性や主義を貫いたら、ああいうことになったんだなと、今回自分でやってみてわかりました。『ソワレ』は懐古主義で撮ったものではなく、まぎれもなく2020年の映画だと思っていますが、どこかATG的匂いが感じられるのが面白いと思っています。

──外山監督の作品は『ソワレ』も含め、フランス映画というかヨーロッパ映画的なニュアンスを感じますが。
確かに私の作品は、ヨーロッパで褒めてもらえることが多かったですね。ヨーロッパの作品は好きですね。ダルデンヌ兄弟の作品や『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(00年、ラース・フォン・トリアー監督)なども好きです。以前撮ろうと思っていた“80歳の駆け落ち”というアイディアは、『春にして君を想う』(91年、フリドリック・トール・フリドリクソン監督)の影響を受けていますし。そういったハリウッド主義ではないヨーロッパの作品の影響はたくさん受けていると思います。アジアなら、ウォン・カーウァイ監督やイ・チャンドン監督がバイブルのような存在ですね。

──もともと小説家になりたかったということで、物語から始められることが多いと思いますが、映像化する上で俳優の果たす役割は大きい。主演を演じた村上虹郎さんももちろんですが、新進女優の芋生悠さんの存在感が素晴らしかった。どのように彼女を見出して、どのように演出されたのでしょうか。
芋生さんは、10代の頃から知っているんです。インディペンデントで精力的に活動をされている女優さんという印象があって、オーディションに来てくれたときに、私がどうしても彼女でやりたいと主張しました。彼女は強い。タカラという役は可憐なだけではダメで、いろんな不遇からどう立ち直るのか、そういうエネルギーを映し出したかった。精神が華奢な人ではダメなんですね。エネルギーというか生命力が作品に欲しかったというのが、彼女を選んだ決め手でしたね。私はキャラクターの生い立ちみたいなのを全部つくるんですけど、それを読んでいただいた後は、解釈は役者にゆだねる。だから、私の演出というより、虹郎さんと二人で役を高め合ってくれたという感じですね。私は、現場でそれを上手く誘導するだけでした。自分が道案内を間違えなければ、きっといいお芝居を二人がやってくれると確信していました。

──最初のオーディションで決めたのですか?
いいえ、最終的なオーディションに残った全員に、虹郎さんとお芝居をしてもらった。それを撮影して、相性がいい人を選んだ。それが二人の相性が一番よかったんです。

──『ソワレ』は、まぎれもなく彼女の代表作となりますね。
そうだと思います。いちばんいい芋生さんを撮ったという自信はあります。

──村上虹郎さんが先に決まっていたということですが、彼は役者としてどういうところが素晴らしいと思いますか。
表現者として素晴らしいですよね。彼は“座長”なんですよ。強く、成熟していて、若手俳優と向かい合っている気がしない。こちらが思っている以上の何倍も面白いものを提示してくるし、感性が豊かだし、他には代えがたい俳優ですね。

メイキング写真より

──撮影は短期間でしたね。
20日間くらいですね。

──それは十分だったのですか?
時間があれば、いろいろなものが豊かになりますが、これでよかったんだと思います。20日で7キロ痩せました。追い込まれたというわけじゃなくて、(身を)削ったという感じですね。現時点でできた限界でした。皆、志が高く数十人のスタッフは満身創痍でした。

──でも、キャストは第一線の方々だし、いわゆる低予算のインディペンデント映画とは違いますよね。
もともと私はプロデュースからすべてひとりでやっていた頃、要するに “個人映画”をつくっていたときから、吉行和子さんや芳根京子さんに出ていただいていました。インディもメジャーもない、枠のない映画を目指しているんです。今回は座組は大きくなりましたけれど、やることは一緒でしたね。

──豊原さんと小泉さんは演じる側ですが、そういうプロデューサーと組んだことで、新たに発見したことはありますか?
発見だらけでした。例えば一回にかける集中力。ワンカットにかける情熱、士気の高め方とか。(豊原さんや小泉さんは)撮影現場にいらっしゃるのですかとよく聞かれたのですが、そんなレベルではないですね。常に横にいてくれて、車の送り迎えも弁当の手配も、後片付けも全部やる。なので、いいものをつくりたいと思うみんなの士気も高まる。役者は、偉大な先輩たちの背中を見せてもらえた。オーディションでは受付とかもしていたんですよ。

メイキング写真より

──監督としては、大物俳優の側でずっと見ていられるのはプレッシャーではありませんでしたか?
ありがたいと思っていましたね。彼等は「こういう小さい映画は全員でつくるんだ」と言ってくださるんですが、こんなに一緒に闘ってくれるプロデューサーっていないよな、と。独特の体験でしたね。ものをつくるってことは、皆で汗をかくんだということを教えてもらった。大事なものをたくさん学びました。

──短編も含めて、外山監督の“集大成”という声も聞こえてきますが、キャリアの中で一番満足のいくものになりましたか?
そうですね。芋生さんも映画を観たときに、 “今の自分の集大成だ”と言っていたのですが、私にとってもまさに、いま持っているすべてを出した作品です。

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『ソワレ』

ふたりで逃げた。幸せだった。
俳優を目指して上京するも結果が出ず、今ではオレオレ詐欺に加担して食い扶持を稼いでいる翔太。ある夏の日、故郷・和歌山の海辺にある高齢者施設で演劇を教えることになった翔太は、そこで働くタカラと出会う。数日後、祭りに誘うためにタカラの家を訪れた翔太は、刑務所帰りの父親から激しい暴行を受けるタカラを目撃する。咄嗟に止めに入る翔太。それを庇うタカラの手が血に染まる。逃げ場のない現実に絶望し佇むタカラを見つめる翔太は、やがてその手を取って夏のざわめきの中に駆け出していく。こうして、二人の「かけおち」とも呼べる逃避行の旅が始まった──。

監督・脚本/外山文治
プロデューサー/豊原功補
共同プロデューサー/前田和紀
アソシエイトプロデューサー/小泉今日子
出演/村上虹郎、芋生悠、岡部たかし、康すおん、塚原大助、花王おさむ、田川可奈美、江口のりこ、石橋けい、山本浩司
音楽/朝岡さやか
音楽監督/亀井登志夫
撮影/池田直矢 
制作プロダクション/新世界合同会社
制作協力/キリシマ1945
製作/新世界、ベンチャーバンクエンターテインメント、東京テアトル、ハピネット、TBSラジオ ステラワークス、カラーバード
2020年/日本/111分/5.1ch/シネスコ/カラー/デジタル/PG12+

日本公開/2020年8月28日(金)より全国公開
配給/東京テアトル
公式サイト
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