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2020.06.17 8:30

【ネタバレありレビュー】『エジソンズ・ゲーム』をもっと面白く観るための“電流戦争”徹底解説

  • Joshua

※本記事には映画『エジソンズ・ゲーム』の一部ネタバレが含まれます。

1900年に出版されたライマン・フランク・バームの「オズの魔法使い」には、ネブラスカ州オハマから気球でやって来たという初老のニセ魔法使いオズが登場する。言葉巧みに自分の力を喧伝し、電気の力を借りて、まるで偉大な魔法使いかのように己を見せるその手際の良さは、実は発明家エジソンをモデルにしたものである。

本作『エジソンズ・ゲーム』で描かれる”電流戦争”の時代には、エジソンは既に蓄音機の商品化で誉れ高い発明家の地位を確立していた。直流派のエジソンに台頭してくるのは、交流派のカリスマ実業家ウェスティングハウス。そしてそこに加わる天才電気技師テスラの存在が、電流戦争の戦況を大きく変えることとなった──。

さて今回は、『エジソンズ・ゲーム』を観賞し、もう一度『エジソンズ・ゲーム』を電気科学史的な側面からも理解したいという酔狂な方々のための解説を行なっている。観賞後にWikipediaを開いてエジソンやウェスティングハウスについて調べずに済むよう、商業戦争上の「直流」と「交流」の利点・欠点の違いについても整理しながら、『エジソンズ・ゲーム』の場面背景に触れている。気にもとめなかった『エジソンズ・ゲーム』のいくつもの場面が、実は当時の電流戦争の状況を間接的に反映したものだったことに気づくことができるはずだ。

それでは考察を始めよう!

ベネディクト・カンバーバッチ演じるエジソン

実業家エジソン vs 発明家ウェスティングハウス

※上記小題は書き間違いではなく、ワザとである。

『エジソンズ・ゲーム』の冒頭で、男がウェスティングハウスに「電気はガスより遥かに安価だとか。気になりますか?」とガスを話題にする場面があるが、エジソンが電気産業に参入しようと決断した1870年代当時、米国の商業施設・住宅の大部分にはガス灯が用いられていた。ガス燃料を燃焼させ発光させるガス灯は、現在は屋外の街路灯としてのみ用いられているが、当時は室内灯としても用いられていたのである。

それでは、エジソンが電気産業に身を乗り出すまで、ガス灯以外に街を灯す装置は無かったのだろうか?全く無かったわけではなく、当時はガス灯の他に、アーク灯と呼ばれる直流の放電現象を利用したランプが利用され始めていた。エジソンはこのアーク灯の研究を進め、商用化を検討することも出来たが、そうしなかった。なぜならエジソンは偉大な発明家であると同時に、有能な実業家・企業家でもあったからだ。彼は顧客の潜在的なニーズを捉えることに長けていた。

アーク灯の明かりはガス灯や石油ランプを凌ぐ明るさであったため、街路灯としての機能は期待されたが、逆にそれが花火のようにあまりに明るいのと、用いる炭素フィラメントの調整に常に気を使わなければならないという点から、個人住宅には決して向かないことをエジソンは早い段階から見抜いていた。そこでアーク灯の誘惑に打ち勝ったエジソンを含めた少ない科学者は”白熱電球”の研究を始め、エジソンが白熱灯を遂に発明する……となっていれば分かりやすい歴史だったが、実際のところ白熱灯の開発は、イギリスの科学者ジョセフ・スワンによってなされた。エジソンの秘書インサルがエジソンに「あなたは白熱電球の発明者ではない」と言っていたのもそういう訳であり、電球の持続時間を大幅に上げたのがエジソンの本当の功績であった。

日本初の電気街灯にはアーク灯が使われた。これは錦絵に描かれたアーク灯だが、現在では文明開花の象徴として復元・保存されており、東京は銀座で実物を見ることが出来る。(「東京銀座通電気燈建設之図」 写真提供:東京電力 電気の史料館)

本作を観て是非感じてもらいたいのは、エジソンの実業家としての腕の良さである。白熱電球に用いる適切なフィラメント探しの為に、当時手に入るあらゆる素材(実に6,000種類!)を使って懇切丁寧に実験を繰り返したのはエジソンだったが、ついに出来上がった電球を自ら商品化し、電気産業の商業戦争に飛び入ったのもまたエジソンである。大衆紙に「生まれついての仕事中毒」と言わしめるほどのワーカホリックだったエジソンは電球の開発に成功するのと並行して、ドレクセル・モルガン・アンド・カンパニー投資銀行から莫大な融資を受けることが出来ていた。当然そのような融資を受けることが出来たのは、エジソンの名声あってのことである。

エジソンは白熱灯の開発に惜しみなく実験費を注ぎ込んだため、研究開始からたった1年ほどで資金を使い果たした。作中ではエジソンが何度も「鼻が大きい」J.P.モーガンに融資の働きかけを行う場面があるが、一流の投資銀行側も「あのエジソンならやってくれる」という希望を捨て切れなかったのだろう。エジソンの電気照明会社はその後幾度となく赤字を記録することになるが、それでもドレクセル・モルガン・アンド・カンパニーは巨額を投じ続けた。

電球の開発だけで満足することなく、その後の実用化のために大型の発電所や供給インフラが必要になることを見越した上で、エジソンは製造業へ強気な投資姿勢をみせた。これは彼が優秀な発明家である以上に、気鋭な起業家・実業家でもあったということを如実に語る歴史なのである。

そうして得た融資金を使って、エジソンは安定した電力供給を実現するために、1882年に中央発電所を設立した。ちょうどエジソンが白熱灯を開発してから3年ほど経った頃である。ニューヨーク・マンハッタンのパールストリートに置かれたこの発電所には、直流発電機「ジャンボ」が設置された。「ジャンボ」という名は、アメリカの興行人P・T・バーナムが動物園から買い取った象の名から取られたものである。『エジソンズ・ゲーム』でインサルが「考えを改めないと見世物として歴史に残ることになる」とエジソンに向かって言った台詞の中で、P・T・バーナムの名が一瞬だけ出るが(字幕には翻訳されていない)、図らずもこの背景を意図したものだったかもしれない。

準備された「ジャンボ」発電機が間もなく1号機と呼ばれるようになったのは、パールストリート中央発電所での最初の試運転で全くといっていいほど上手く動かなかったため、大急ぎで「ジャンボ」2号機が3ヶ月弱で作られたからである。白熱電球の開発、発電機、送電線といった電力インフラの実現という大掛かりな計画の進行中は、言わずもがなとかく失敗がつきものであった。

『エジソンズ・ゲーム』は、そういった工学面での泥臭い開発秘話にスポットライトが当たり過ぎることを避け、むしろ電流戦争における、ある意味、池井戸潤的なビジネス戦争をスピーディーに展開していくよう撮られた作品だ。そのためエジソンの、特に”安全性”への執着にみられた頑固さが、商業戦争の名目の下で交流側のウェスティングハウスへの攻撃のためだけに使われた、功利的で演技的なものと感じられた人もいたかもしれない。確かにエジソンは電流戦争に打ち勝つために「交流は人を殺すことになる」と、その危険性を持ち前の名声を使って喧伝したのは事実であるし、1887年にはウェスティングハウスに対して11件もの訴訟を起こしている。しかし安全確保へ拘泥したそうした姿勢は、エジソンがウェスティングハウスを意識する時期より前の段階でもみられている。

今日、日本ではふと空を見上げようとすると決まって送電線も視界に入ってしまうため、「せっかくの風情が…」と景観が損なわれることを嘆く声も少なくない。エジソンは景観のことを気にした訳ではないが、安全性の保証を理由にして、パール街に配置される送電線は地下に埋められるべきであると頑なに主張を続けた。エジソンのこの言い立てを退けることに断念したニューヨーク市は、設立される送電線を地下に埋めるよう条例を制定した。リチャード・モラン著「処刑電流」の言葉を借りるとしたら、当時のこの決定によってニューヨークの「治安はともかく美観だけは保たれた」というわけである。

結局エジソンという男は、「頑固さ」という言葉抜きにしては決して語れない人物なのである。この「頑固さ」という形容動詞に着目しながら『エジソンズ・ゲーム』を辿ると、観客の私達の頭の中には「エジソンはなぜあそこまで直流に拘ったのか」という疑問が自然に湧いてくる。この疑問に完全に明確な答えを出すことは、近代産業学の立場から言っても大変難しいことなのだが、その部分に関しては先に交流と直流の違いとウェスティングハウスについて述べた後に戻ってこよう。

曲者の「電力損失」

マイケル・シャノン演じるウェスティングハウス

実業家としてのウェスティングハウスの手腕の良さは『エジソンズ・ゲーム』をご覧になった方なら、言うまでもないものとして感じとれたはずである。エジソンがアーク灯でなく白熱灯が未来を担うものであると鋭い勘を働かせたのと同じくして、ウェスティングハウスは直流ではなく交流こそが電流時代の担い手であると確信していた。理由はいたって論理的である。例えば発電機で発電した電流を100とし、その電流が街の商業施設・住宅を終着点として送電線を伝っていくことを考えよう。作った電流100を、100のまま各地点に送電することが出来るのなら話は簡単だが、送電線は内部の「抵抗」というものが邪魔して、100で送られた電流の大部分を損失させられてしまうのである。損失された電力は普通熱となり、空気中にそのエネルギーが逃げていってしまう。当然、費用の観点からもこの損失はなるべく低く抑えたいわけだが、「電圧を上げる」という簡単な解決策があることを当時の科学者は常識として知っていた。

問題はエジソンの直流送電である。直流の「発電」が問題なのではなく、直流による「送電」が問題であることに注意したい。まず現代の日本では基本的に、長距離の「送電」に50万ボルト程度の交流が用いられている。勿論50万ボルトという値は、私達の家庭に届けられる電圧値を指しているのではなく、発電時における電圧値のことで、いわばスタート地点における生産量である。家庭に電圧を届けるためには、この50万ボルトという電圧値を100ボルト程度の値にまで送電中に減圧しなければならない。

しかしこの減圧という過程、当時の技術では直流で行うのは不可能(後述)だったのである。そして送電先の家庭や商業施設が必要としている電圧値はあらかじめ決まっており、送電中に電圧を自由自在に変えられない以上、エジソンの直流は低電圧で送電せざるをえなかった。さらに難儀なことに、電気工学的には電圧が低いと送電効率は悪くなってしまうため、電圧値の低いエジソンの直流は送電損失が非常に大きくなってしまったのだ。

対して交流は高電圧で送電した後に、交流用の変圧器と呼ばれる装置(※)を使えば、その電圧を供給地の手前で低下させることが出来た。つまり、直流は電力損失が大きすぎて発電所の近くまでしか電力を供給することが出来なかったが、交流は電力損失を抑えることが可能であり、送電線さえ敷くことができれば遠距離でも供給可能なのである。この部分はまさに、『エジソンズ・ゲーム』で描かれている。ただし、厳密に言うならば、「直流だと遠方に送電出来ない」のではなく「直流だと電力損失が大きくなってしまい、高くついてしまうからとてもじゃないが送電出来ない」のだが。

(※)ここでいう交流用の変圧器とは、電磁誘導を用いたコラール・ギブス誘導コイルに原型をもつ変圧器である。交流を鉄心の片側に巻いたコイルに流すと、コイルの断面あたりの磁束が単位時間あたりに変化する。この磁束の変化は鉄心を伝って、もう片側に巻かれた別のコイルに誘導起電力を発生させるのだが、このとき誘起される起電力の大きさはコイルの巻き数を変えるだけで好きなように調整することが出来る。つまり10で入ってきた電圧を3でも5でも、やりたければ20にでも出来るようになるわけだ。時間的に電流の大きさが変化しない直流をコイルに流しただけでは、コイルを通る磁束が変化しないため、この変圧器は機能しなくなる。神が与え給うた交流だけの特性を、人間が上手く利用した機器なのである。

ここでもう一つ、直流と交流の違いを述べておこう。

この違いは交流にとって大きな欠点となったものである。白熱電球は、入力した電流が内部のフィラメントを通り、その抵抗によって電気エネルギーが熱エネルギーに変換され、発光するという原理である。エジソンの苦労を聞過ごすようで申し訳ないが、白熱電球とは詮ずるに「電流を流せば光るもの」と言ってしまうことができる。しかしながら、電流を用いて機械を動かしたいときはこう簡単にいかない。機械は「電流を流せば動くもの」ではなく「流された電流を巧妙な形で力学的な動作のエネルギーに変換するもの」であるからだ。電流を流すことによりものを灯すのではなく、動かすのにはそれ相応の仕組みが必要なのだが、初め交流にはそのような仕組みをもつ”電動機”が存在せず、エジソン派の直流に対応した電動機が存在するばかりであった。

この電動機の存在の差異は、『エジソンズ・ゲーム』ではほぼひとことで言及を済ませているので、気がつかなかった人も多かったはずである。記者らしき人物の「エジソンの電流は今すぐにでも工場を動かすことが出来るらしいが?」という問いかけに対し、ウェスティングハウスが「直流ならできるのだ (交流はできない)」と眉をしかめて返す場面がそれである。

テスラはなにを変えたか

ニコラス・ホルト演じるテスラ

このように直流と交流の利点と欠点がぶつかり合い、お互いを膠着状態に留まらせる中、電流戦争の戦局を大きく変えたのは、天才ニコラ・テスラである。「頭の中では既に回路は完成している」と口癖のように言っていたテスラは根っからの理論派で、理論を毛嫌いしていた実験派のエジソンとは馬が合わなかった。エジソン・エレクトリック・ライト社を出たテスラは、最終的に温厚で部下思いのウェスティングハウスに雇われることになるわけだが、この三角関係は『エジソンズ・ゲーム』が話の中心に添えていたところであると思う。

しかし、結局テスラは何が凄かったのか。彼のアイディアが電流戦争の戦局をどう変えたというのか。その業績は一言で語り尽くせるものでは決してないが、この電流戦争という文脈の中で話を絞るとすれば、ニコラ・テスラとは、実用的な交流用の電動機の開発を行った男なのである。交流用の電動機は直流のものに比べて、工学的な特性上その効率もよかった。かくしてテスラの登場により、交流を「電流時代」のスタンダードから遠ざけていたその欠陥が、細かいものも含めてひとつ、またひとつと解消されていき、電流戦争は交流側に軍杯が上がる形で決着を迎えたのである。

また、ウェスティングハウスが実は有能な発明家でもあったことについても言及しておこう。ウェスティングハウスはエジソンに比するほどの発明家というほどでもなかったが、列車の事故を未然に防ぐために圧縮空気を利用した自動のブレーキシステム、列車の進路を選択するための分岐器の雛形となる轍叉を開発したりしていた。そのため、『エジソンズ・ゲーム』でエジソンが「彼はブレーキだけ作ってれば良かった」とウェスティングハウスを揶揄する場面が(これもまた一瞬だったが)ある。ペンシルベニア州ピッツバーグに自社を置いたウェスティングハウスは、ピッツバーグに豊富にあった天然ガスを輸送するシステムを作りあげる。天然ガスの輸送は高圧で行い、供給地手前で減圧を行うというシステムであった。

電流戦争に参戦する前夜、ウェスティングハウスはガスのときと同じ要領で、送電が可能になるのではないかと見抜き、フランスの発明家ルシアン・ゴラールとイギリスの工学者ジョン・ギブスが開発した性能の良い変圧器の特許を、1881年の段階で買収している。この7年後、ウェスティングハウスはテスラと契約を交わし、テスラが開発した交流用電動機を自身の交流送電システムに組み込んだというわけだ。勿論『エジソンズ・ゲーム』に描かれていたように、ウェスティングハウスにとって何の失敗もなくトントン拍子でコトが進んでいったわけではなかったが、それでも電流戦争の後に控えていた時代の描像はウェスティングハウスの眼に断然と捉えられていたのである。

エジソンはなぜ直流に拘ったのか

徐々に窮地に立たされていく直流派のエジソンの姿を見て、「なぜそこまで直流に固執するのか。さっさと交流に切り変えればいいのに」と思った人は、『エジソンズ・ゲーム』を観終わった後、「あそこまで開発を進めてしまった以上、エジソンは直流を押し通しざるをえなかったのだろう」と思ったかもしれない。実は、ここにはもう少し奥深い技術的な背景が隠れている。

秘書インサルを演じるのはトム・ホランド(左)

直流で発電して直流で送電するエジソンのシステムを、交流で発電して交流で送電するシステムに組み替えるのは確かに現実的でないかもしれない。しかしウェスティングハウスの交流は電圧を途中で変えられるのが利点だったわけだから、これは逆に直流の変圧器を開発すれば済む話ではないだろうか。またそれとは別に、こんな打開策もある。発電は依然直流で行うものの、送電を交流で行うのだ。つまり発電した直流を交流に変換し、交流の状態で送電したのち、供給地手前で再び直流に変換しなおすという手法である。

エジソンはこれら二つの打開策に気づかなかったわけではない。特に直流の変圧器に関しては、開発を試みたことが記録に残っている。しかし残念ながら、不退転の覚悟を持ったエジソンの実験力をもってしても、直流の変圧器を完成させることは叶わなかった。

現代では、直流の変圧器は当時の科学者が想像するよりはるかに小型化された形で実現しており、DC/DCコンバータと呼ばれている。DC/DCコンバータは私たちが使う家電製品の殆ど全てに組み込まれている。DC/DCコンバータには方式や扱う電圧の違いにより種類があるが、おおよそ以下のような回路図としてかける。

出典:CircuitsToday

見るだけで目眩がしてくるような複雑な回路だが、回路図の中央にある矢印を含んだ円状の装置2つが見えないだろうか?この装置はトランジスタと呼ばれるもので、通称「半導体」である。そしてこの半導体を人類が初めて発明するのは、第二次世界大戦の終戦年、つまり1945年なのである。『エジソンズ・ゲーム』における電流戦争は1880年代に起こった争いであったから、そう、エジソンはこの時代にDC/DCコンバータを開発することは最初から不可能だったのである。それに、DC/DCコンバータは入力した直流を内部で交流に変換し、交流で変圧した後、それを再び直流に戻すという仕組みであり、変流そのものが課題であった当時の科学者にとって、DC/DCコンバータの開発は絶望的なものであったはずだ。19世紀に勃発したこの電流戦争は、人間模様にその戦局が左右されたものだっただけじゃなく、時代という不可視の大渦に、知らずのうちに翻弄されていた歴史なのだ。

そして面白いことに、考えられた当時の打開策のもう一方、直流から交流に変流して送電するという方法の開発にエジソンが着手したという記録は残っていない。この事実は、エジソンの直流への拘泥を『エジソンズ・ゲーム』で描かれた以上に確かなものにするだろう。

なぜ、エジソンは直流に拘ったのだろうか。正直なところ結局、近代産業学的な立場から言っても、ここに完全な回答を与えることは出来ない。エジソンにとって交流は「彼の発明品」ではなかったから、と言ってしまうのは容易い。それに先達の苦悩の歴史を、こうやって現代の科学知識によって裁きにかかるというのは、野暮も甚だしいことかもしれない。しかしここに想像の余地、つまり歴史の芸術性が潜んでいるところであるように思う。エジソンのこだわりは、時代がそうさせた形で拘らざるをえなかった部分と、現代の私たちが筋を通そうと思って見ても不透明にうつるばかりな部分に区分される。この後者の部分にどのような解を与えるかを考えるのも、『エジソンズ・ゲーム』を観た後のひとつの楽しみ方なのだ。

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『エジソンズ・ゲーム』(原題:The Current War: Director’s Cut)

19世紀、アメリカは電気の誕生による新時代を迎えようとしていた。白熱電球の事業化を成功させたトーマス・エジソンは天才発明家と崇められ、大統領からの仕事も平気で断る傲慢な男だった。裕福な実業家ジョージ・ウェスティングハウスは、大量の発電機が必要なエジソンの“直流”より、遠くまで電気を送れて安価な“交流”の方が優れていると考えていた。若手発明家のテスラも、効率的な“交流”の活用を提案するが、エジソンに一蹴されてしまう。ウェスティングハウスは“交流”式送電の実演会を成功させ、話題をさらう。そのニュースにエジソンは激怒、“交流”は危険で人を殺すと、ネガティブキャンペーンで世論を誘導していく。こうして世紀の“電流戦争”が幕を開けた!訴訟や駆け引き、裏工作が横行する中、ウェスティングハウスはエジソンと決裂したテスラに近づく──果たしてこのビジネスバトルを制するのはどちらか──?

監督/アルフォンソ・ゴメス=レホン
出演/ベネディクト・カンバーバッチ、マイケル・シャノン、トム・ホランド、ニコラス・ホルト
2019年/アメリカ/108分/スコープ/5.1ch/字幕翻訳:松浦美奈/字幕監修:岩尾徹

日本公開/2020年6月19日(金)よりTOHOシネマズ日比谷他全国公開
配給/KADOKAWA
後援/一般社団法人 電気学会
公式サイト
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