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2020.06.13 9:00

【ネタバレありレビュー】『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』作り続ける表現者にささぐ“共生”のメッセージ

  • SYO

※本記事には映画『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』のネタバレが含まれます。

誕生から、約150年──時代を超え、受け継がれてきた小説「若草物語」が、現代的な“風”を吹き込まれ、再び映画化された。

『レディ・バード』で青春ドラマの流れを変えたグレタ・ガーウィグ監督が、シアーシャ・ローナン、エマ・ワトソン、フローレンス・ピュー、エリザ・スカンレン、ティモシー・シャラメといった旬のキャストを迎え、「今の感覚」で紡ぎあげたヒューマンドラマ。米南北戦争時代、女性の立場が決して高かったとは言えない社会で「自分らしい生き方」と「思いやり」を胸に気高く生きた四姉妹の人生をつづる。

父親が従軍牧師として出征し、母(ローラ・ダーン)と4人の娘となったマーチ家。勝気な性格の次女ジョー(ローナン)、堅実な長女メグ(ワトソン)、心優しい三女(スカンレン)、お転婆で奔放な四女エイミー(ピュー)はそれぞれ「作家になる」「愛ある結婚をする」「音楽を志す」「裕福になる」といった夢を持っていた。

物語は、四姉妹それぞれに訪れる人生の転機を描きつつ、彼女たちの「選択」を慈愛に満ちたまなざしで見つめていく。「幸福」がキーワードになっており、ジョーは「夢のために独りになる」、メグは「愛のために貧乏を受け入れる」、ベスは「人助けのために病にかかる」、エイミーは「地位のために自分を捨てる」と、ままならない現実にさらされながらも、目の前の限りある幸福を享受する四者の姿が、切なさを呼び起こす。彼女たちに待つ運命は、すべからくほろ苦い。それでも四姉妹は自分の人生に対して真摯に向き合い、時には家族のために犠牲となり、幸せが照らす方へ手を伸ばすのだ。

長女メグ(エマ・ワトソン)、四女エイミー(フローレンス・ピュー)、次女ジョー(シアーシャ・ローナン)、三女ベス(エリザ・スカンレン)

『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』は、第92回アカデミー賞では6部門にノミネートされ、衣装デザイン賞を受賞。アメリカの批評サイト「Rotten Tomatoes」では、95%の高得点を記録している(6月11日現在)。

時代を超えて響く「普遍性」に、現代味を注入

「若草物語」は、現在までに十数回にわたって映像化されており、観る人によって思い入れが全く異なる作品かと思う。原作とともに人生を歩んできた人もいれば、映画に出会った日が、青春の記憶に刻まれている人もいるはずだ。そのため、まず記しておきたいのだが、筆者は本作が「若草物語」デビューだった。よって、今から書くのは「若草物語」を知らなかった人間が、感動した記録になる。

フライングしてしまったが、本作を鑑賞した日、「優しさと温かさで人は泣くのだ」と感慨を覚えた。試写の会場には20~30代と思しき人々──これが初めての「若草物語」体験かもしれない世代も多くいたが、ほとんどの方が泣きはらしていた(自分も含めて)。それはガーウィグ監督の手腕もあれば、ローナンをはじめとする若手実力派の名演も大きいのだろうが、やはりこの「若草物語」という作品自体が持つ、不変の魅力に心打たれたように感じる。

ローリー(ティモシー・シャラメ)、次女ジョー(シアーシャ・ローナン)

分かちがたい絆で結ばれた姉妹を描いた家族ドラマであり、生きたいように生きられないつらさを描く時代劇であり、すれ違う愛の行方を描くラブストーリーでもある。そして何より、「生き方」を模索する人々のヒューマンドラマである。この作品の中にある感情は、どれをとっても私たちに響き、悠久の時を超えてまっすぐに届く。ボーダレスであり、タイムレスであるからこそ、幾度も映画化されてきたのだろう。我々が流した涙は、「若草物語」の物語としての強度を改めて示す証拠でもあるのだ。

3月27日に日本公開される予定だった『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』は、新型コロナウイルスの蔓延により、公開延期を余儀なくされた。しかし、試練を乗り越えてようやく、日本の観客の前に戻ってきた。本作が、数ヶ月ぶりの劇場での映画鑑賞になる方も多いだろう。

先ほど、「若草物語」は思い出と結びついていると書いたが、「コロナ」や「誹謗中傷」にさらされ続けた私たちにとって、この作品は特別な輝きと温もりを与えてくれるはずだ。我々が等しく求め続けた「救済」に満ちた映画──。『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』は、時代の“いま”と結びつき、観る者の心を抱きしめる。

女性が表現者として生きる難しさを、より克明に描写

本作には、大きく分けて3つの軸がある。「家族」「恋愛」「自分」だ。ここからは、それぞれの要素を鑑みながら、紹介していきたい。

次女ジョー(シアーシャ・ローナン)

まずは「自分」について。『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』は、四姉妹の中で最も現代的なジョーを主人公に据えており(原作者自身がモデルともいわれている)、さらにそこにガーウィグ監督による新たなアイディアが盛り込まれている。具体的に言うと、ジョーのクリエイターとしての側面が、克明に描かれているのだ。

半自伝的な監督作『レディ・バード』では、何者かになろうと痛々しくも愛らしくもがく田舎暮らしの女子高生を描き、マイク・ミルズ監督作『20センチュリー・ウーマン』では、活動的なカメラマンを演じたガーウィグ。自立した女性像を持つ彼女は、ジョーの中に「現代性」と「時代性」を混在させた。「時代に合った」価値観を押し付ける編集者に反発し、「女性の幸せが結婚だけなんておかしい」とメグの選択に異を唱えるジョー。彼女の主張は、現代の私たちの感覚に合致する。

グレタ・ガーウィグ監督、シアーシャ・ローナン(次女ジョー役)

ただ同時に、ジョーにはマイノリティとして生きる試練がのしかかる。“女の幸せ”よりも“個人の夢”を選んだ彼女は、多数派に与することはできない。現代であれば珍しい生き方ではないが、当時は異端の存在。一人で生きるマーチ叔母(メリル・ストリープ)はいるが、思想は全く別物だ。つまり、ジョーの感覚は現代的であっても、時代は過去。彼女のDNAには、これまで人々が受け入れてきた慣習が刷り込まれているため「どうしようもなく孤独なの」と不安にさいなまれることになる。

ガーウィグ監督は、不朽の名作に挑むにあたり、「時間軸を再構成」し、ジョーが過去を回想するつくりに変更している。このアプローチによって、自立した“いま”が際立ち、同時にジョーの物語の側面が強くなった。

ガーウィグ監督は「私はこの原作が本当に伝えたいことは何か、はっきりとわかっていた。アーティストとしての女性、そして女性と経済力。(原作者の)ルイーザ・メイ・オルコットの文章にはその全てが詰まっている。でも、この物語が持つその側面はまだ映画として探求されたことがなかった。私にとって、この作品は今まで作ったどの映画よりも自伝的なものだと感じている」(プロダクションノートより)と語っており、女性が冷遇された時代にアーティストやクリエイターとして生きる難しさを、丹念に描いた。

この「自分」を主軸に、『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』では「家族」と「恋愛」が真逆の役割を担っている。

ジョーに視座を与える「家族」、迷いを及ぼす「恋愛」

ジョーを主軸に考えたとき、家族は「救い」、恋愛は「迷い」として描かれる。前者は護ってくれるもの、後者は破壊しようとするものだ。

中央右:母マーミー(ローラ・ダーン)

ジョーの周囲にいる4人の女性たち──母と姉妹は、「生き方」を考えさせる役割を担っている。夫の不在をものともせず、一家を切り盛りする母は「あなたらしく生きればいいのよ」とジョーの生き方を肯定する庇護者の代表として、彼女の心の支えとなる。

美しく、演技の才能があるが愛の道を選び、経済的に苦しむメグは、ジョーと鏡写しの存在だ。ジョーは姉の生きざまから、「他者に依存する不安定さ」「家族を持つ喜びと行動の制限」「時代に沿った暮らし」など、多くのことを学ぶ。自分が時代に迎合した場合の「if」を姉からくみ取ったジョーは、メグを愛しつつも「違う道を行く」という気持ちを強めていく。

ジョン(ジェームズ・ノートン)、長女メグ(エマ・ワトソン)

他者に献身的に尽くすあまり病魔に侵されてしまうベスは、「夢を果たせなかった無念」を抱えて亡くなってしまう。このショッキングな事件と癒えることのない喪失感は、ジョーが「妹のためにも、自分は夢をかなえなければ」という思いにとらわれる結果を呼び起こす。

三女ベス(エリザ・スカンレン)、次女ジョー(シアーシャ・ローナン)

そしてエイミーは、ジョーに近しい野心を持ちながら、時代に合わせることで宿願を果たさんとする対局の存在であり、ある種の敵として描かれる。幼いころから衝突しあう2人は、互いに愛情は持ちつつも、相容れない関係性を保持していく。人の懐に入るのがうまく、おいしいところをさらっていくエイミーは、結果的に叔母の信頼も、ジョーを好きだったはずのローリー(シャラメ)の心も勝ち得ていく。ジョーに残されたのは、夢だけだ。

独善的に見せかけたエイミーが、実は家族を養い、支えたいという気持ちが人一倍強いという要素も、非常に重要だ。彼女は異国に旅立つ選択をするが、そこにあるのは我欲ではない。彼女が思う“夢”には、家族の幸福も含まれているのだ。

ローリー(ティモシー・シャラメ)、四女エイミー(フローレンス・ピュー)

一方、ジョーの夢は、家族を幸せにすることにはつながらない。小説を売って収入は得られるが、わずかな助けにしかならず、彼女は大切にしていた髪を売ってお金に換えるのだ。芸術を標榜する者がぶつかる経済的な自立の難しさも、ガーウィグ監督は容赦なく描き切る。

そして、ジョーとエイミーをより対比させるのが、恋愛だ。ローリーの求愛を拒み続けたジョーは、孤独に耐えきれなくなり彼と生きようと考えるが、時はすでに遅く、健気にローリーのそばに居続けたエイミーが、伴侶となることに。夢追い人に覆いかぶさる「犠牲」が、ドラマティックに描かれる。ただ、これを悲劇としてしか提示しないのではなく、最終的にジョーが文の道を突き進むための「必要な試練」として味付けするのが、ガーウィグ監督の優しさといえよう。

この部分に象徴されるように、『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』には、女性クリエイターであるガーウィグからの「愛と激励」が込められているように感じ取られる。過去を生きた表現者の“先輩”の姿を“後輩”が映画化し、“同胞”へと届けていく──。共感よりもっと強い「共生」のメッセージは、「独りではない」と呼びかける。過去も、今も、未来も、同じように戦う人たちがいると知ること。それがゆえに、本作は「救済の物語」であるのだ。

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『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』(原題:Little Women)

19世紀、アメリカ、マサチューセッツ州ボストン。マーチ家の四姉妹メグ、ジョー、ベス、エイミー。情熱家で、自分を曲げられないため周りとぶつかってばかりの次女ジョー(シアーシャ・ローナン)は、小説家を目指し、執筆に励む日々。自分とは正反対の控えめで美しい姉メグ(エマ・ワトソン)が大好きで、病弱な妹ベス(エリザ・スカレン)を我が子のように溺愛するが、オシャレにしか興味がない美人の妹エイミー(フローレンス・ピュー)とはケンカが絶えない。この個性豊かな姉妹の中で、ジョーは小説家としての成功を夢見ている。ある日ジョーは、資産家のローレンス家の一人息子であるローリー(ティモシー・シャラメ)にダンスパーティーで出会う。ローリーの飾らない性格に、徐々に心惹かれていくジョー。しかしローリーからプロポーズされるも、結婚をして家に入ることで小説家になる夢が消えてしまうと信じるジョーは、「私は結婚できない。あなたはいつかきっと、もっと素敵な人と出会う」とローリーに告げる。自分の選択でありながらも、心に一抹の寂しさを抱えながらジョーは小説家として自立するため、ニューヨークに渡る──。

監督・脚本/グレタ・ガーウィグ
原作/ルイーザ・メイ・オルコット
出演/シアーシャ・ローナン、ティモシー・シャラメ、フローレンス・ピュー、エリザ・スカンレン、エマ・ワトソン、ローラ・ダーン、メリル・ストリープ
全米公開/2019年12月25日

日本公開/2020年6月12日(金)全国順次ロードショー
配給/ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント