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2019.11.16 22:00

【ネタバレありレビュー】『ブライトバーン/恐怖の拡散者』“本家”への愛に溢れた、邪悪版“スーパーマン”

  • SYO

ヒーローとヴィランを分けるものとは、いったい何だろう?この問いにシリアスに向き合ったものが『ジョーカー』(19年)だとするなら、悪ノリ全開で(ただし、大真面目に)描いたのがこの『ブライトバーン/恐怖の拡散者』(19年)だ。

『スーパーマン』に負号を付けた「鏡像」的作品

この映画、どこからどう見ても邪悪版『スーパーマン』(78年)。銀河からやってきた赤ん坊がスーパーパワーを持っていたら?という設定はそのまま、純粋悪へとすくすく育っていくさまを嬉々として見つめた、ホラーテイストのアクションスリラーになっている。

念のためあらすじを以下に記すが、ほぼ『スーパーマン』と同じストーリーラインだ。ただし、内容としては『オーメン』(76年)も入ってくる(余談だが、この2作はどちらもリチャード・ドナー監督が手掛けている)。

舞台は、米国のカンザス州ブライトバーンにある農場。妊活中の夫婦のもとに、空から赤ん坊が落ちてくる。“贈り物”と考えた夫婦は赤ん坊を大切に育てるが、出生の真実は告げなかった。12年後、夫婦の愛情を一身に受けて育ったブランドン(ジャクソン・A・ダン)は、夜な夜なささやきかけてくる“声”に悩まされていた。そしてある日、彼の中で何かが目覚めてしまう。その日を境に、ブランドンは超人的なパワーと邪悪な心を解放し、周囲の人間を阿鼻叫喚の地獄へと叩き落としてゆく……。

エリザベス・バンクス演じるブランドンの母トーリ

この映画は、ヒーロー観を覆した『デッドプール』(16年)とも、ヴィランの定義を書き換えた『ジョーカー』とも違う。コインの裏表、或いは鏡に映る虚像のように、少年がヒーローになっていく過程全てにマイナスの符号をつけ、運命が分岐していくさまを描いた異端の存在だ。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズのジェームズ・ガン監督が製作を務めた『ブライトバーン/恐怖の拡散者』は、ある種のパロディ的な映画でありつつも、他に類を見ない独創性も併せ持っている。

『007』シリーズのパロディ『オースティン・パワーズ』(97年)や、『スター・ウォーズ』のファンを描いた『ファンボーイズ』(08年)は、“本家”がある上での独立作品だ。しかしこの映画は、元ネタ自体をほぼそのまま踏襲している。アンディ・ウォーホルがキャンベル缶を“二次創作”してアートへと昇華させ、マルセル・デュシャンが市販の便器を「泉」と称して展覧会に出品したアプローチに近い。

これが同人誌的な規模感であればまだ納得はできるが、本作の製作費は推定600万ドル。映画としては低予算な方だが、それでも仲間内で楽しむレベルをはるかに超えている。当然ながら世界興行を意識したバジェットなわけで、そもそもよく制作にGOサインが出たものだと驚かされる。ディズニーランドを無許可で撮影した『エスケイプ・フロム・トゥモロー』(13年)のごとく、誰もが尻込みしてやらなかったことをやってのけた──そんな挑戦作といえよう。

画面に満ちた「好きにやってやる」作り手の高揚感

アイデアもさることながら、『ブライトバーン/恐怖の拡散者』で興味深いのは、画面から伝わってくる高揚感。悪びれる様子なんて毛頭なく、子どものように無邪気に、邪気たっぷりのストーリーをキャンバスに描く。ゴア描写も人によっては目をそむけたくなるレベルの強烈なものが用意されているが、作品から醸し出される作り手のテンションは、極めてハッピーだ。

このゴア描写だが、眼球にガラスが突き刺さる、顎が砕けるなどなかなかにショッキング。しかもそれを12歳の少年にやらせるという悪趣味ぶり。なぜ“そこまでする”のか、口では「スーパーヒーロー映画が秘めている“恐ろしさ”にスポットを当てた」などといくらでも意図を説明できそうだが、根本はおそらく「作り手がやりたかった」からだろう。その“無責任”な思い切りの良さが、本作の大きな魅力だ。つまりこの映画の楽しみ方は、『スーパーマン』への“乗っかり”も含めて、製作陣の振り切った「遊び心」を観客が一緒になって面白がることができる部分にあるのだ。

スーパーヒーローの力の所在を巡って対立する作品といえば、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(16年)、『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』(16年)、『ミスター・ガラス』(19年)などが挙げられる。力を有した者は、正義の心を持たなければヴィランと同じだ。『スパイダーマン』シリーズの名ゼリフ「大いなる力には、大いなる責任が伴う」も、同じ信念を描いているだろう。

ただ本作の場合は、主人公ブランドンには“改心”の兆しもなく、ヴィランへと音速でひた走る。何も学ばず、止まらず、悪に染まる。この娯楽性とサービス精神は、倫理や道徳を飛び越えていっそ爽快だ。

奇しくも本作は、過去の差別的なツイートをほじくり返され、ガン監督がディズニーから解雇された“事件”から数ヶ月後に、予告編が公開。映画ファンがザワついているタイミングで、「映画を作る喜び」を弾けさせた作品が出てきたのは、なかなかに興味深い出来事であった。

脚本を執筆したのは、ジェームズ・ガンの弟といとこ。監督は、「ガーディアンズ・インフェルノ」のMVを手掛けたデヴィッド・ヤロヴェスキーと、“ファミリー”が集結。母を演じたエリザベス・バンクスも、ガン監督とは旧知の仲だ。信頼できる仲間たちと、心置きなく作った“私的”な問題作──それが『ブライトバーン/恐怖の拡散者』の正体といえよう。

『マン・オブ・スティール』の描写をより先鋭化

普段映画を観ていて、「現実だったらこうはならないよな」と思うときはないだろうか?アクション描写や何かで、派手ではあるのだがリアリティはない、といった感覚だ。「ご都合主義」ともいえるし、最早死語かもしれないが「漫画的」演出とも呼ばれたりする。

『ブライトバーン/恐怖の拡散者』は荒唐無稽な映画ではあるが、そういった観客の感覚に応えてくれる映画でもある。例えば、マッハの速度で空を飛べる超人に体当たりされたら、どうなるだろう?これまでの映画では「吹っ飛ばされる」描写が主だったものだったが、この映画では違う。一瞬にして四肢が弾け飛び、周囲には血と肉片が飛散する。本作は、超人たちの“真実”を、しっかりと描いてくれる。ヒーロー視点で見れば夢のない演出かもしれないが、ヴィラン視点で見れば逆に「夢のある」描写ともいえよう。

ここで注目したいのが、『マン・オブ・スティール』(13年)だ。ザック・スナイダー監督らしくヒーローとヴィランがドッカンバッタンと空前絶後の超速バトルを繰り広げるさまが特徴的だが、それだけではない細かな描写に注目いただきたい。彼らが暴れれば暴れるほど、街は崩壊し、被害は拡大。人間にとっては、どちらも災厄でしかないのだ(実際、このスーパーマンの手加減なしの行動が、バットマンの怒りを買うことになる)。

本作はアングルやトーンに至るまで『マン・オブ・スティール』に寄せまくっており、そういった意味でも一つの「進化型」といえるだろう。『マン・オブ・スティール』がド派手バトルと共に描いたひとさじの“現実味”をより忠実に、エグ味のある方向で追求している。別個の作品ではあるが、どこか親戚のような存在であり、描写として行きつくところに行きついた感──『スーパーマン』をディスった映画に見えがちだが、実は作品愛にあふれた映画とも見ることができるのだ。

他にも衣装やセリフ、音楽等々、『スーパーマン』シリーズとのリンクは無限にあり、観れば観るほど「むしろ好きなんじゃないの?」と思えるだろう。ぜひ、過去シリーズとセットで鑑賞し、大いに比較して楽しんでいただきたい。

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『ブライトバーン/恐怖の拡散者』(原題:Brightburn)

製作/ジェームズ・ガン
監督/デヴィッド・ヤロヴェスキー  
出演/エリザベス・バンクス、デヴィッド・デンマン、ジャクソン・A・ダン、他
映倫:PG12指定

日本公開/2019年11月15日(金)全国ロードショー
配給/Rakuten Distribution、東宝東和
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