Column

2019.11.12 18:00

【単独インタビュー】『永遠の門 ゴッホの見た未来』主演ウィレム・デフォー

  • Mitsuo

ウィレム・デフォー主演で画家フィンセント・ファン・ゴッホの晩年を描いた鬼才ジュリアン・シュナーベル監督の『永遠の門 ゴッホの見た未来』。

美術史上最も重要かつ人気の高い画家の一人、フィンセント・ファン・ゴッホ。生前に才能を認められず、孤独と共に生きたドラマティックなその人生は、これまで幾度も映像化されてきました。本作はこれまでとは全く異なるアプローチで、なぜゴッホの絵がこれほどまで長い年月にわたり、多くの人々の心をとらえて離さないのか、その核心に迫ります。

ゴッホの魔法にかかると、見慣れていたはずのひまわりやアイリス、当たり前にそこにある星や月が不思議な魅力を放ち、観る者に“パラレルワールド”に踏み込んだような陶酔感をもたらします。それこそが、実際にゴッホの見ていた〈世界〉であり、彼が「自分だけに見えるその美しさを人々に伝えたい」という使命と情熱から絵筆をとったと考えたのが、同じ画家としてゴッホの作品と長年向き合ってきたジュリアン・シュナーベル。映画監督としても、『潜水服は蝶の夢を見る』でアカデミー賞4部門にノミネートされ、カンヌ国際映画祭とゴールデン・グローブ賞の監督賞を獲得した偉才です。

フィンセント・ファン・ゴッホを演じたウィレム・デフォーは、『スパイダーマン』(02年)などハリウッド大作から、本作のようなインディペンデント映画まで、100本以上の多彩な映画に出演する実力派。カルト・ムービーのクラシック『処刑人』(99)の狂信的なFBI捜査官や、フィルム・ノワール風の『ジョン・ウィック』(14年)で演じたベテランの殺し屋など役の幅が広く、声優としても『ファインディング・ニモ』(03年)などに出演。『プラトーン』(86年)、『シャドウ・オブ・ヴァンパイア』(00年)、『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』(17年)でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされ、本作で第75回ヴェネチア国際映画祭男優賞を受賞。アカデミー賞主演男優賞にもノミネートされました。

撮影前から南フランスのアルルの大地を歩き回り、シュナーベルに絵画を学び、まずは肉体からやがて存在そのものまで、ゴッホへと変貌していったデフォー。日本公開に先立ち本作のプロモーションのため来日し、Fan’s Voiceのインタビューにも応じてくれました。

──ジュリアンと知り合って30年ほどになるとのことですが、長年に渡り彼のことを個人的なレベルで知っていることは、本作で彼が描こうとしているものや、このキャラクターに対するあなたのアプローチにどのように役立ちましたか?
とても役立ったと思います。私たちはよく一緒に旅行したり、何十年も彼のことを知っています。常に連絡を取り合っているというわけでもないですけどね。でも彼がスタジオで作業している時や、映画の撮影をしている時など、その場にいたことがあるので、彼のアプローチ法というものを知っていました。私に絵の描き方を教えてくれるのもわかっていたので、これには興奮しましたね。一緒になにかを作る時、彼にどのように接しればいいのか、私にはわかります。スタジオでも彼は話しかけてきて、私の考えを知りたがります。そうして、そのプロセスに関わっていくわけですね。でも本作ではさらに、私が彼の手先として、彼の延長となる存在になるわけです。我々が作り出す景色を、彼は観る側でなければならないので、その中に入ることは出来ません。だから彼はその景色の中に自分の手足として私を送り込み、彼のアイディアを形にしていくのです。ストーリーがすべてなわけですが、本作は非常に主観的で、しかも絵を描くことが求められるというのは、最高なことでした。なぜなら、彼から何かを伝授してもらえるだけでなく、それをさらに発展させていかなければならないわけですからね。楽しくて、素敵で、挑戦にもなる、仕事として素晴らしいものだと思います。相手が友人でなく誰であってもね。

──ゴッホが実際に描いたとされる場所の多くで実際に撮影されたわけですが、彼が見た景色を彼が見た場所で描くというのは、このキャラクターの感情を理解し役になりきる上で、どれほど重要だったのでしょうか。
素晴らしい体験でしたね。本当に、ものすごく大事なことでした。なにせこの辺りの景色は昔とほとんど変わっていませんからね。観光地になってしまいましたが、例えばアルルなら、そこに生えている木は昔と同じものなわけです。昔はもう少し小さな木だったかもしれませんが、でも基本的には同じ景色を眺めていたのです。ある意味で亡霊と戯れるようなもので、彼が見ていいたもののおおよその見当がつくために、彼のいた状況を想像しようと後押ししてくれるものとなりました。

──ジュリアンから絵の描き方を教わったとのことですが、ものの見方というのも教わったのですか?
はい、そのふたつは同じことなのですよ。本当に良い質問ばかりですね。まさにその通りで、「絵の描き方を教わった」と言っても、ジュリアンが教えてくれたことを正しく表現しているわけではありません。彼は私に、”見る方法”を教えてくれたのです。どのようにして、違った見方をするか。彼からは本当に多くのことを学びましたが、比較的説明しやすいことが2つあってよく話すのが、光の描き方、そして一筆ずつしっかりと描いていくことです。

光の描き方というのは、新しいものの見方に気づかせてくれるので、話すのもとても楽しくて、この部屋にあるなにか……(部屋を見回す)、ガラスのコップは簡単ですが、例えばこの(エスプレッソ・)カップを例にしてみましょう。このカップを描く時、多くの人は外見をよく似せて、記録となるものを再現しようとします。なぜなら我々は文化的に、機能性やそのものが持つ意味を捉え、複写することに慣れているからです。その代わりに私は、絵を描こうと(paint)とするのではなく、一筆ずつの点を描くように(draw)しました。ジュリアンは「いや、よく見てみて。なにが見える?」と言ってきて、カップを見ながら「この緑色の部分は見える?本当にこれは緑色?やっぱり緑色だね」と聞き、そして私は緑色を置くわけです。それから灰色に見えるところもあるので、グレーの色も置いて、といった具合にね。

実際のエスプレッソ・カップ

外見的にそっくりなものを作っているのではなく、対象物と会話し、体験していくのです。対象を脱構築していくのではなく、光といった永遠のものの動きや働きを見る。これがゴッホにとっての大きな鍵になったと思います。彼の描いた絵がゆらめくように生き生きとして見えるのは、彼は光を描いたからです。これは私にとって絵を描く時のガイドとして重要となっただけでなく、この視点に切り替えれば、あらゆるものに対してこのような見方をするようになりました。あらゆるものがずっと生き生きとして見え、その奥にある永遠に断然近づくことができます。

──生き生きと言えば、この映画では一つ一つのシーンでその瞬間が非常に生き生きと捉えられており、これにはジュリアンに加え、撮影監督のブノワ・ドゥロームの活躍も大きかったと思います。現場であなたたち3人はどのようにお互いをインスパイアし合い、このような映像を撮ったのですか?
それはですね、3人が一心同体のようだったのです。ブノワの撮る映像は非常に主観的で、私にとても密接したものだったと思います。特に自然の風景のシーンでは常に私と一緒でした。まさにダンスパートナーのようで、時には彼がリードし、時には私がリードしたりと、流動的に変化しました。私は常に彼を意識していた一方で、自分が撮る側だと感じたこともあれば、撮られる対象物だと感じる時もありました。同様に彼も、撮られる対象物のように感じたり、撮る側として意識したりと、お互いの役割が入れ替わっていました。私がカメラを回した時だってあるので、まさに彼の役を引き受けていたこともあります。

ジュリアンについては、彼の脚本や考えは非常にしっかりとしていたので、その日に何を撮るか、毎日計画がありました。でも予定された分は手早く撮り終えてしまうことが多く、それからは他のことをやり出すので、実際にどんな一日になるのか、誰にもわかりませんでした。いろいろやってみたり、探求しようとする雰囲気があり、次にやることをトップダウンで指示されるわけではなく、何かを行い始めるのがジュリアンだった時もあれば、ブノワや私だった時もありました。何かしっかり考えを持って行動するというよりは、ただやってみるという感じでしたね。

──オスカー・アイザックやマッツ・ミケルセン、マチュー・アマルリックといった俳優は、登場シーンは限られながらも、素晴らしい演技を見せてくれました。彼らとの撮影はいかがでしたか?
映画に関わって、ほぼすべてのコマに自分が登場するというのは、非常に贅沢なことです。世界が自分のものになったようで、リラックスできますね。時々そこに”訪ねてくる人”がいて、また去っていくわけですが、本当に自分の小さな王国に来てくれるような感じで、俳優としては最高の環境ですね。みんな素晴らしい俳優で、キャスティングとしても素晴らしいものだと思いますが、彼らはこの映画の撮影に参加することに非常に前向きでした。例えばマッツは1日しか撮影していません。とても長い1日でしたが、それだけです。でも彼の役は映画にとって非常に大切で、見事に演じてくれました。ジュリアンは明らかにこの映画に参加したいと思っていた方々に参加してもらうようにしたと思うし、一方で彼らにも、ジュリアンを応援したいという気持ちがあったのだと思います。本当に寛大な方たちです。ルパート(・フレンド)、マッツ、マチュー、エマニュエル(・セニエ)らは皆、ジュリアンのために来てくれて、物語の中に非常に上手く溶け込んでくれました。

マッツ・ミケルセン

──あなたは100本以上の映画に出演し、もちろんそれぞれの物語や役は異なるわけですが、本作で本当に特別だと感じたところや、これまでとは違うと感じたところはありますか?
そうですね、どこから話し始めればいいのでしょうか(笑)。本当に、どの映画もユニークで独特なものですからね。本作が特別なところといえば……、ジュリアンは一般的な訓練を経た監督ではありません。非常にスキルのあるフィルムメーカーではありますが、従来のフィルムメーカーとは異なります。それから私が絵の描き方の訓練を受けたというのもとても大きかったですね。

これまでの話の中で出てきたことがまさに特別だったことのように思いますが、友人と一緒に映画を作ること、一般的な手法から外れた作り方であること、フランスで撮影すること、一人ぼっちの役でアルルの非常に寒い環境で毎日仕事をし続けること。孤独ですが、絵を描くことや自然に囲まれた環境にいること、ジュリアンの相手をすることに夢中で、深く専念し集中することができました。それに内容も非常に濃密で、ゴッホの手紙はとても美しく、絵を描くこと、なにかを作り出すことに対して彼が記した言葉は、私も表現者として共感を覚えました。よくあることですが、自分たちがまさに映画のテーマになるわけです。優れた映画はどれも、自分たちの話になる気がしますが、それは我々は皆、自己中心的で承認を求めるから。この映画で私はなにかを読み解いたり、”描こうと”したわけではなく、自らが冒険に出て、体験をしていたのです。すべての映画でこのようなことができるわけではありません。アイディアやストーリーに仕えることが求められることもありますからね。でも本作での体験はこれを超越した、瞑想のようなものでした。

──絵画と同様、映画もその瞬間を切り取り永遠に残るアーカイブを作り出すものでもありますが、今回の役を通じて、あなた自身が演技を通して未来になにを残していくのか、考えるようになったところはありますか?
その通りですね。でも自分が何を残そうかなんて、考えていません。そんなクレイジーなことは、考えられませんよ(笑)。目の前にあることで頭がいっぱいなので、自分が何を残すかなんてことまで考えていられません──質問としては素晴らしいのですが、答えには悩みますね。

私の演技にどのような影響があったか話すと、見えない側に行くという概念が鍵になりました。目の前にある何か物を見ると、人はそれが何なのか理解したく急いで認識しようとします。でも、異なった見方をする世界に入り込むと、見えないものに対しても異なった形で触れるようになります。必ずしも現実に忠実であることもないし、それが私の演技にも反映され始めるのだと思います。先に話した亡霊と戯れるという概念は私の中で非常に大きなものとなり、これまでの他の映画でも多少の経験はありましたが、そういう意味で本作は非常に強烈なものでした。

==

『永遠の門 ゴッホの見た未来』(原題:At Eternity’s Gate)

幼いころから精神に病を抱え、まともな人間関係が築けず、常に孤独だったフィンセント・ファン・ゴッホ。才能を認め合ったゴーギャンとの共同生活も、ゴッホの衝撃的な事件で幕を閉じることに。あまりに偉大な名画を残した天才は、その人生に何をみていたのか──。

監督・脚本/ジュリアン・シュナーベル
脚本/ジャン=クロード・カリエール
出演/ウィレム・デフォー、ルパート・フレンド、マッツ・ミケルセン、オスカー・アイザック、マチュー・アマルリック、エマニュエル・セニエ
2018/イギリス・フランス・アメリカ/カラー/シネスコ/5.1chデジタル/111分/字幕翻訳:松岡葉子

日本公開/11月8日(金)新宿ピカデリー他 全国順次ロードショー
配給/ギャガ、松竹
© Walk Home Productions LLC 2018