Column

2019.10.11 18:00

【単独インタビュー】『真実』ジュリエット・ビノシュ

  • Mitsuo

第71回カンヌ国際映画祭で『万引き家族』が最高賞のパルムドールを受賞し、名実ともに日本を代表する監督となった是枝裕和監督の最新作『真実』が10月11日(金)に日本公開されます。

フランスの大女優カトリーヌ・ドヌーヴとジュリエット・ビノシュを主演に迎え、フランスで製作された本作は、第76回ヴェネチア国際映画祭のオープニング作品としてコンペティション部門に選出され、話題となりました。

大女優ファビエンヌ(ドヌーヴ)が暮らす美しい庭のある瀟洒な家に、「真実」と題された彼女の自伝本の出版を祝いに駆け付けたのは、ニューヨークで脚本家をしているファビエンヌの娘リュミール(ビノシュ)と彼女の夫ハンク(イーサン・ホーク)、7歳の娘シャルロット(クレモンティーヌ・グルニエ)。久々の再会に幸せそうな表情を見せる面々でしたが、訪ねてきた家族の気がかりはただひとつ……「彼女は何を書き、何を書かなかったのか」。かつて女優を志しながらも、女優になれなかった娘と、家族をかえりみずに女優として生き抜いてきた母。そんな母娘の「残酷な真実」と「やさしい嘘」が絡み合い、やがて見えくる新たな「真実」に、母娘の閉ざされた心が動き始めます──。

ファビエンヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)、リュミール(ジュリエット・ビノシュ)Photo L. Champoussin © 3B-分福-Mi Movies-France 3 Cinéma

ファビエンヌの娘リュミールを演じたジュリエット・ビノシュは、『誰も知らない』で是枝監督のことを知ったといい、2005年以降、監督と度々会って、交流を重ねてきました。2011年に来日したビノシュが、監督と登壇したイベントで〈女優とは、演じるとは、何か?〉をテーマに3時間を超えて対談。その際に「いつか一緒に映画を作りましょう」という話になり、構想8年、監督初の国際共同製作となった本作で、ついに実現しました。

フランスを代表する大女優のジュリエット・ビノシュは、1964年パリ生まれ。ジャン=リュック・ゴダールの『ゴダールのマリア』(84年)で注目され、『トリコロール/青の愛』(93年)でセザール賞とヴェネチア国際映画祭女優賞を受賞。『イングリッシュ・ペイシェント』(96年)ではアカデミー賞助演女優賞を受賞し、『ショコラ』(00年)ではアカデミー賞主演女優賞にノミネート。カンヌでは『トスカーナの贋作』(10年)で女優賞を受賞し、その高い演技力に世界から惜しみない称賛が送り続けられるビノシュは、『GODZILLA ゴジラ』(14年)、『ゴースト・イン・ザ・シェル』(17年)といった大作映画にも出演しています。

日本公開に際し来日したビノシュが、Fan’s Voiceの単独インタビューに応じてくれました。

──是枝監督と以前お会いになった時、「演技はある種の”嘘”のようにも思われがちだが、自分にとってはむしろ”真実に属するもの」という趣旨の話をされたそうですが、今回のリュミール役のどのような部分に共感し、自分とのつながりを見出しましたか?
誠実であるという意味の話ですね。まず言っておくと、リュミールが私だというワケではありません。私が同じような境遇にあって本当に私のストーリーを描いているからリアルだというのではなく、自分に正直に響く形で、俳優として役に自分を込めなければなりません。自身の記憶を使ったり感情を込めるには、自分の正直なところと繋がっていなければなりません。映画の俳優として誠実であることと、役につながっていることは非常に近しいことだと思います。繋がっているのがどういうことかと言うと、例えば演じている時に実際にゾクゾクと寒気がしたり、感情や気持ちを実際に身体で感じて、感情が身体につながっているということです。私が誠実と言うのは、このような意味ですね。だからこそ、本当に泣いたり、笑ったりすることができるのです。

──監督には「テイクを重ねることは大切。そうすることでどれがベストか自分でわかる」とも仰っていましたね(是枝裕和監督著「こんな雨の日に映画『真実』をめぐるいくつかのこと」ページ95)。
テイクを重ねる回数は重要ではなく、そうした演技が2度目のテイクで出来てしまうことだってあります。でも、時間をかけて、テイクを何度も重ねることは探求につながり、不安を忘れて、手際よくやろうとすることを忘れて、自分がやろうとしていること認識するのを忘れて、無意識が舵を取り始めます。そのシーンの意味を実際にやりながら発見する方が、先入観的なものよりも常に面白いものです。ベストな演技をどうやって判別するのかというのに……、合理的な答えはありませんね。身体を使って探求を続ける中で、もうこれ以上のテイクは不要だと思うのです。もう一回やらなくてはならないというのは、そのシーンで必要なものが、まだ自分の中に芽生えきっていないということですね。

──同ページには、「役者は新たに命を作り出す仕事。そこが素人とは違う」ともありますね。
うーん、でもその本が真実とは限りませんからね。まさにこの映画のように。映画では私の母が本を書いていますが、それは彼女の視点なのですから。自分は本当にアマチュアだなと思うことはあるし、それは良いことだと思います(笑)。アマチュア(amateur)のアマ(ama)には、”愛する”という意味がありますしね。

──カトリーヌが演じるファビエンヌ同様に、あなたは女優で母親でもありますが、あなたから見てファビエンヌとは良い母親と言えますか?
誰かを良い悪いと定義することは出来ないですね。もちろんファビエンヌは確実に問題を抱えていますが、それがどこから来るものなのか、というのが最高に興味深いのです。親の過去を理解することで、子が親を許せるようになることはよくあります。そうした問題や感情を子どもが克服できず、親と同じ状況に陥ってしまうのは起き得ることですからね。

ファビエンヌはかなりのナルシストですが、過去の自分やそのイメージに囚われています。なぜなら我々は、人生とは常に動き続けるものだから、どこかで立ち止まりたい、定着したいと思いがちだからです。もしそう思わない人は、20歳、30歳、50歳、70歳と流されるままに生き、そして、変わっていく状況に知性を以て順応していくわけです。でも一つの場所に定着してしまうと、人生はそれ以上進まなくなってしまいます。若さの良いところを手放すのに伴う痛みは理解できると思います。でも、成熟することで得るものもあり、それこそを認識する必要があるのです。いくつかの価値観を手放すことで、ある意味自由になることができる。鍵となるのは受け入れることで、それができないと、動けなくなってしまうのです。

──映画中ファビエンヌはは、リュミールは女優としてフランスで成功できなかったから、アメリカへ逃げて脚本家をしているという意味の発言をしましたが、あなたから見て、リュミールはどのように現状を捉えていると思いますか?
リュミールが女優になりたかったかどうかというのは、彼女があまり気にすることではない気がします。彼女は自分の道を見つけたのでね。映画業界には、俳優の経験をした人が大勢います。なぜならそれは、自分自身を知る方法でもあり、俳優が求めるものを知る方法でもあるから。脚本家として俳優を経験するのはとても良いことで、その方が(私たちに)多少なりとも同情してくれるでしょうからね(笑)。(質問にあった)その発言はリュミールではなく母親であるファビエンヌの言ったことですが、おそらく自分を守る意味もあったのでしょう。娘にはできなかったけど、自分にはできたこと、という意味で。自己防衛のシステムなのでしょうね。

第76回ヴェネチア国際映画祭にて

──ドヌーヴとは初共演だったそうですね。是枝監督によると、あなたとドヌーヴをキャスティングしたいといったら、プロデューサーたちは、”ふたりをよく知るフランスの監督だったら、一緒にキャスティングしない”と言ったそうですが……、彼女と一緒に時間を過ごしてみて、いかがでしたか?
そのプロデューサーたちはまったくもって間違っていますね。カトリーヌとは楽しい時間を過ごしました。大変だったことと言えば、彼女は距離を置こうとすることでよく知られていて、距離を作るために離れていこうとするんです。カトリーヌから私を”tu”と呼んでもらうには、しばらく時間がかかりました。それまでの間、カメラが回っている間とそうでない時で、”tu”と”vous”を行ったり来たりするのは大変でしたよ(※フランス語で”tu”は”君”とか”あんた”といった親しいカジュアルな二人称、”vous”は”あなた”とか”貴方様”にあたるフォーマルな二人称)。

それからカトリーヌの演技には音楽のようなものが流れています。そして、彼女は完璧にセリフを覚えようとはしないんです。そうすることで、生きた感じを残すのでしょうね。セリフに関してはしっかりしていないからこそ、彼女は撮影している間に考え、その瞬間に一生懸命なのだと思います。私も彼女のリズムに合わせなければならないような気がして、それがとても楽しかったです。

──リュミールの夫役のイーサン・ホークとも初共演でしたが、楽しそうでしたね。
そうですね、スクリーンから伝わってくると思います。彼はよく歌を歌っていて、映画には登場しませんが、私も歌わされました。彼はとてもクリエイティブで、多少の即興も混ぜて、生き生きとした感じを出すのを好んでいました。楽しく仕事をすることを知っている人ですね。

Photo L. Champoussin © 3B-分福-Mi Movies-France 3 Cinéma

──あなたはこれまで大勢の映画監督と仕事をしてきましたが、その中で是枝監督が突出していることは何でしょうか?
彼のアプローチには、深みと軽さの両方があります。彼は自分で書いたシーンでありながら、実際にどうなるのかよくわかっていなかったりもしますが、彼がその場にいて、彼なりの見方や聞き方で……彼は観察者で、その場にいて、そこで起きていることやそこにある感情に触れることが大好きなのです。それはきっと、彼は自分が書いたキャラクター、映画を通じて、その感情を実感できるからでしょうね。彼は脚本を通じて人々が一つの瞬間に一気に集中するのが、大好きなのだと思います。それには大勢の人が一緒になる必要があります。この結束感を彼は必要とすると同時に、そのためのスキルを持ち合わせていると思います。

──あなたはハリウッドの大作映画にもインディペンデント映画にも出演し、常に違ったものをトライしようとしている気がしますが、演じることに対して明確な目的を持っていたりはするのですか?
そうですね、私が演じる目的と言えば、誠実さを追い求めることですね。どんな役や状況においても、物語や他者の視点に仕える上で、その瞬間に俳優として誠実であることは、常にチャレンジとなります。私が得意とするのは、自分の感情、気持ち、考えを、身体と繋いで感じることだと思います。これが私にとっての演じる目的であり、私が役立てることだと思います。

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『真実』(原題:La Vérité)

全ての始まりは、国民的大女優が出した【真実】という名の自伝本。出版祝いに集まった家族たちは、綴られなかった母と娘の<真実>をやがて知ることになる──。国民的大女優ファビエンヌが自伝本【真実】を出版。アメリカで脚本家として活躍する娘のリュミール、テレビ俳優の娘婿ハンク、ふたりの娘のシャルロット、ファビエンヌの現在のパートナーと元夫、そして長年の秘書……お祝いと称して、集まった家族の気がかりはただ1つ。「一体彼女はなにを綴ったのか?」。そしてこの自伝は、次第に母と娘の間に隠された、愛憎渦巻く「真実」をも露わにしていき──。

原案・監督・脚本・編集/是枝裕和 
出演/カトリーヌ・ドヌーヴ、ジュリエット・ビノシュ、イーサン・ホーク、リュディヴィーヌ・サニエ
撮影/エリック・ゴーティエ

日本公開/2019年10月11日(金)TOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー
配給/ギャガ
公式サイト
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