Review

2019.10.11 20:00

【レビュー】『クロール ―凶暴領域―』計算された「予想外」─恐怖と感動が融合した”新種”映画の誕生

  • SYO

やられた。正直、観る前にこのクオリティを予想していたといえば、ウソになる。それどころか、「実家の地下でワニと戦う」という設定を聞いたとき、胸躍るB級映画かと勝手に見積もってしまっていた。

しかしその中身は、恐怖と感動、王道と新味が融合したハイブリッドな快作。説得力あふれる脚本と本気度の高い映像で、奇想天外なシチュエーションに真実味を持たせ、観客を冒頭から物語に引きずり込む。演出においてはホラーの「文脈」とスリラーの「緊張感」を巧みに盛り込み、親子のドラマで「エモ」までカバー。『クロール ―凶暴領域―』(19)は、ポップコーンムービーのつもりが背筋を正して鑑賞してしまう、極めて真面目(シリアス)なサプライズ作だった。

父デイヴ(バリー・ペッパー)、娘ヘイリー(カヤ・スコデラリオ)

この逸品を生み出したのは、『スパイダーマン』シリーズ(02~07年)の監督として知られ、プロデューサーとして『ドント・ブリーズ』(16年)をスマッシュヒットに導いたサム・ライミと、『ホーンズ 容疑者と告白の角』(13年)や『ルイの9番目の人生』(16年)などエッジーな作品群で知られるアレクサンドル・アジャ監督。ライミは何といってもホラーの金字塔『死霊のはらわた』(81年)のクリエイターであり、両者ともにホラー調の作品作りに秀でている。

元々は、プロデューサーのもとに『ハロウィン』(78年)のジョン・カーペンター監督作『ザ・ウォード/監禁病棟』(10年)で知られる脚本家ラスムッセン兄弟から脚本が送られてきたことから、製作が始まったという本作。監督・製作・脚本……彼らが携わった作品を見ていくと、なるほど本作がホラーやスリラーのテイストを色濃く反映しているのは、ある意味当然なのかもしれない。

確かに「ワニ映画」ではあるのだが、現実に根差した恐怖がちゃんとある。故に、本作は「笑って楽しむ」タイプではなく、「背筋が凍るようなスリルを味わう」系統の映画といえよう。

「時間」「場所」「行動」に制限を設ける秀逸な脚本

近年の動物パニック映画は、『MEG ザ・モンスター』(18年)、『ランペイジ 巨獣大乱闘』(18年)など、明るい・ツッコめる・ド派手アクションといった要素が強まってきている。『ジュラシック・パーク』シリーズ(93~01年)と『ジュラシック・ワールド』シリーズ(15年~)を観比べてみても、カラーの違いは明白だ。

CG技術の発達で大立ち回りが可能になったこともあるだろうし、『シャークネード』(13年)のような面白サメ映画が動物パニック映画のジャンル自体に新風を吹き込んだことも大きいかもしれない。映像的にはハリウッド版『ゴジラ』のような特撮映画に寄せていく方向で、カラッとした娯楽作として仕上げていく。

そんな中にあって、本作はアルフレッド・ヒッチコック監督作『鳥』(63年)やスティーヴン・スピルバーグ監督作『ジョーズ』(75年)のような、“怖さ”を前面に押し出す方法をとった。同ジャンルにおける原点回帰的な作品と呼べるかもしれない。

近年の作品に紐づけるなら、『クワイエット・プレイス』(18年)や『バード・ボックス』(18年)といったクリーチャーものを、よりリアリスティックに変換した雰囲気だ。この2作品では正体不明の“何か”が襲い来るところに得体のしれない怖さがあったが、本作においてはワニという見知ったものの恐ろしさを再認識するため、より共感性が高まる。

本作における恐怖を引き立たせるのは、やはりシチュエーションだ。「ハリケーンが迫りくる中、連絡が取れなくなった父の様子を見に帰省した女子大生が、地下でワニに遭遇」という設定は、荒唐無稽なようでいて実に考え抜かれたものといえる。脚本の段階で、「時間」と「場所」、「行動」に制約が設けられているからだ。

まずは、時間。これは、「浸水したら死ぬ」「地下で倒れていた父が重傷」というものが該当する。ワニから隠れていても、ハリケーンの影響で地下は浸水し、いずれ溺死するという窮地。物語が進むにつれて危険度は増し、タイムリミット・サスペンスの様相を帯びてくる。

次に、場所。主人公のヘイリー(カヤ・スコデラリオ)と父デイブ(バリー・ペッパー)が閉じ込められたのは、立って歩くことができないほど狭く、明かりがないためうす暗い実家の地下。電波も悪く、外部に助けを求めることは難しい。加えて、ハリケーンによって周辺には避難勧告が出されており、陸の孤島、いや監獄状態だ。出口も数カ所しかなく、取ることのできる策は限られている。ここで本作には「脱出もの」の特徴が足される。

そして、行動。地下空間によって「走る」ことが困難になり、ハリケーンによる浸水で「待つ」こともできない。デイブは重傷で戦力としてはあまり計算できず、ヘイリーは武器も何もない状況でワニと「戦う」か「振り切る」か、究極の選択を迫られる。「サバイバルもの」において「脅威との戦闘」は不可欠だが、『クロール ―凶暴領域―』はそのプロセスを実に気の利いた形で処理している。

これらの状況説明を見てわかるとおり、本作には「強引」な要素が皆無だ。観客が疑問に思う前に「理由」が用意されており、ストレスを感じることなく作品に没入できるように気配りが行き届いている。さらに、心情描写も細やかで、「動機」がスムーズに理解でき、ドラマ部分の深み、「エモ」につながっていく(こちらは後述する)。

このような構造の『クロール ―凶暴領域―』に最も近いのは、『エスター』(09年)の実力派ジャウム・コレット=セラ監督がサメ映画に挑んだ『ロスト・バケーション』(16年)だ。この映画もまた、本作と同じように「時間」「場所」「行動」の整合性に重きを置いて製作されている。

しかし、本作はより過酷な状況を主人公に課し、『ロスト・バケーション』にあったカモメとのやり取りのような「箸休め」的瞬間が存在しない。それだけでなく、ホラー的演出を大量に投入。「いきなりワニが出てくる」「音で驚かせる」といった瞬間的な恐怖と、「水面をワニがじっくり近づいてくる」「頭上やすぐそばをワニが泳ぐ」などのじわじわと責め立てる恐怖、さらには両者をミックスさせた緩急の効いた恐怖で、一瞬たりとも安心させてくれない。88分という上映時間ながら、相当な見ごたえを得ることができるだろう。

徐々に顔を出す、親子のドラマの“正体”

「時間」「場所」「行動」に加えて、先ほど軽く触れた「動機」についても言及したい。この部分があることで、本作は単なるサバイバルもので終わらず、観る者の感情に訴えかける「ドラマ」に昇華された。また、主人公の行動に一本筋が通っているため、共感と納得を抱きやすく、結果的にスリルの倍増にもつながっている。

まず、重要なのは主人公のヘイリーと父デイブの関係だ。ヘイリーは幼いころから父親の厳しい指導を受けて水泳に励み、大学の推薦枠に合格して強化指定選手へと上り詰めた。しかし思ったようにタイムが伸びず、父との関係にも亀裂が入ってしまっている状況。ヘイリーは自分がここまで来られたのは父のおかげだと内心感じており、さらには父母が離婚してしまった原因は自分にあると思い込んでいた。仲直りの機会を探っていた折、姉から父の様子を見に行くことを頼まれ、危険を承知で車を走らせる。

「何故、ハリケーンの中で父を見に行くのか?」「どうして止められても途中で引き返さないのか?」「父の“逃げろ”という言葉を聞かず、2人でいようとするのか?」といったような疑問は、ヘイリーの心情に寄り添えば解ける。また、水が満ちていく展開は水泳選手であるヘイリーにとって“戦場”の準備が整っていくことでもあり、危機的状況に見えて自分の技量を発揮するチャンスでもある。何より、最愛の父の前で、父に教わった“武器”である泳ぎで敵に挑む、という構造は非常にドラマティックで、本作がワニ映画を超えた「親子の物語」であることを強く意識させる。

物語の舞台が実家、という点も秀逸だ。ちなみにこの実家というのは、現在の父が暮らしている場所ではなく旧家であり、父母が離婚する前の楽しい思い出が詰まった場所。そこで父娘が絆を取り戻し、目の前のワニという脅威に立ち向かっていく構造は、そのまま現実の苦難や過去のトラウマを乗り越えていくメタファーとなっている。タイトルにも仕掛けが施されており、『Crawl』には「腹ばう」というワニを連想させる言葉と、「クロール泳法」の両方の意味が含まれている。

ジャンル映画の本流に立ち返る「シリアスな恐怖」と、反逆するように引き立つ「親子の再生のドラマ」、それらを見事に成立させた「状況設定」――全てを備えた『クロール ―凶暴領域―』の“底”は、想像以上に深い。

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『クロール ─凶暴領域─』(原題:Crawl)

大学競泳選手のヘイリーは、疎遠になっていた父が、巨大ハリケーンに襲われた故郷フロリダで連絡が取れなくなっていることを知り、実家へ探しに戻る。地下で重傷を負い気絶している父を見つけるが、彼女もまた、何ものかによって地下室奥に引き摺り込まれ、右足に重傷を負ってしまう──。

監督/アレクサンドル・アジャ
製作/サム・ライミ 
キャスト/カヤ・スコデラリオ、バリー・ペッパー
全米公開/7月12日(金)
PG-12

日本公開/2019年10月11日(金) 究極のサバイバルスリラー、日本上陸
配給/東和ピクチャーズ
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