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2019.09.05 17:30

【ネタバレなし最速レビュー】ホアキン・フェニックス最高傑作『ジョーカー』が描く”笑い”の深淵

  • Atsuko Tatsuta

映画史上、最凶かつ最も魅力的なヴィラン(悪役)として知られる“ジョーカー”が誕生するまでを描く映画『ジョーカー』が、第76回ベネチア国際映画祭でワールドプレミアされた。

© Niko Tavernise

DCコミックにおけるバットマンの宿敵であるジョーカーは、これまでいくつもの映像作品の中に登場し、その度、名優たちがそれぞれ異なる個性をもったジョーカーを生んできた。

初代は、TVシリーズ『怪鳥人間バットマン』(66 年〜68年)のシーザー・ロメロ。コメディを得意とする俳優によるコメディ色の強いジョーカーだった。

映画史においてジョーカーというヴィランの存在を決定的にしたのは、ジャック・ニコルソンだった。1989年のティム・バートン監督による『バットマン』でジョーカーを演じた彼は、アカデミー賞ノミネートの常連で3度の受賞歴をもつ名優だ。今でこそスターも名優もこぞってアメコミ映画に出演することになったが、当時は、ニコルソンのような大物俳優が出演するばかりか、悪役を演じることもセンセーショナルだった。一度見たら忘れられない、コミカルかつ不気味なまでのジョーカーの演技によって、ニコルソンは怪演俳優の異名を欲しいままにした。

2008年のクリストファー・ノーラン監督による『ダークナイト』でヒース・レジャーが演じたジョーカーは、ノーランが描くダークな世界観と呼応する、冷徹でダークなヴィランで、“決して超えられない”と言われてきたニコルソン版とはまったく異なったキャラクター像を構築した。DCエクステンデット・ユニバースの第3弾として製作された、『スーサイド・スクワッド』(16年)では、アンサンブルキャストながら、ジャレッド・レトがジョーカーを演じ、鮮烈な印象を残した。

こうしてみると、ジョーカーほど俳優冥利につきる役はないが、そんな中で、フェニックスが演じるジョーカーは、これまでの様々なジョーカー像を”解読する”役割を果たしている。

© Niko Tavernise

正確にいうと『ジョーカー』は、ヴィランとしてのジョーカーが主人公ではなく、ひとりの孤独な男アーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)についての物語だ。

1980年代初頭の混沌としたゴッサム・シティの片隅で母親と暮らしているアーサーは、スタンドアップ・コメディアンとして成功したいと夢見ながら、ピエロ(道化師)の格好をして、病院への慰問や路上でのサンドイッチマンとして細々と生計を立てている。人気司会者マレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)の番組のファンで、いつか彼のようになりたいと憧れている。だがある日、トラブルを起こし職を失ってしまう──。

© Niko Tavernise

アーサーがピエロの格好のままでストリートキッズたちに絡まれ、路上で袋叩きにされるのは、社会に見放され、痛めつけられた彼の人生を象徴している。愛されることなく、運命からも見放された男は、いったいどうして正気を保っていけばいいのか。

「……母さんが言ってた。僕の使命は、世の中に笑いと喜びを届けることだって」 とはアーサーのセリフ。どんなときでも口角が上がり、笑った顔のピエロ。“スマイル”はこの作品のキーワードである。フェニックスが、白塗りの化粧を施して、口角を上げた笑顔という仮面を描きあげる姿は、恐ろしいまでに印象的で頭に焼き付いて離れない。

© Niko Tavernise

ジミー・デュランテが歌う「スマイル」は“どんなに悪い日々が続いても、明日はいいことがあるだろう”と明るく歌っている。が、この歌はもともとチャーリー・チャップリンが『モダン・タイムス』(36年)のラストに使った曲(インストゥルメンタル)だ。チャップリン自身が作曲したが、その後、歌詞がつきナット・キング・コールが歌ってヒットした。『モダン・タイムス』のテーマが資本主義に対する大衆の反抗であることを思えば、ゴッサムの炎上の象徴であるジョーカーの誕生に、これほどふさわしい歌はない。ちなみにこの歌は、マイケル・ジャクソンらさまざまなアーティストによりカバーされたが、ピエロを彷彿させる“デカ鼻”と呼ばれていたコメディアン、デュランテ版を使用しているのは偶然ではないだろう。

© Niko Tavernise

ジョーカーはコミックから派生したキャラクターだが、本作で描かれるアーサーは極めて人間的である。孤独を抱えながら、どうやって人生を立て直してよいかわからない、忘れられた男。絶望の底から湧き上がってくるものは怒りだ。

この、社会から忘れ去られた人々というテーマは、極めて今日的といえる。昨年のカンヌで審査員賞を受賞した『存在のない子供たち』(18年)は中東のスラム街の実態を描き、ジョーダン・ピール監督の『アス』(19年)はホラー映画でありながら、社会から忘れさられた者たちの反乱を描いた。

監督のトッド・フィリップスは、コメディ『ハングオーバー!』シリーズの成功で知られるが、その脚本家兼監督としての本領を『ジョーカー』でついに発揮したといえるだろう。スコット・シルバーとともに手掛けた脚本は秀逸で、人生における“笑い”、もっといえば、人生は悲喜劇というサイレント時代からの普遍的なテーマを掘り下げることに成功している。フランスの文豪ヴィクトル・ユーゴーの小説を原作にした1928年の『笑う男』は、コミックにおけるジョーカーというキャラクター創造のインスピレーションとなったが、フィリップスとシルバーも、実際に脚本を執筆する上でこの映画を参考にしたと語っている

ジョーカー役のホアキン・フェニックス(左)とトッド・フィリップス監督 © Niko Tavernise

ストーリーテリングだけでなく、美術、衣装、音楽の見事なバランスにも注目したい。

ニューヨークのブルックリン地区出身のフィリップスは、70年代、80年代のニューヨークの雰囲気をゴッサム・シティに投影させた。アメリカン・ニューシネマの代表作であるマーティン・スコセッシの『タクシードライバー』(76年)は、ニューヨークを舞台に、腐敗した社会に対する怒りの爆発を、ベトナムからの帰還兵である主人公トラヴィス・ビックル(若き日のロバート・デ・ニーロが演じている)を通して描いたが、アーサー・フレックがジョーカーになるプロセスは、まさに富める者、あるいは成功者といった強者によって踏みつけにされた者の怒りが、ゆっくりと静かに、だが確実に爆発する過程を描いたものだ。ピエロたちによるゴッサム・シティの“炎上”は、まさに魂の叫びなのだ。

左より)ザジー・ビーツ、ホアキン・フェニックス、トッド・フィリップス監督、エマ・ティリンジャー・コスコフ(製作)/第76回ヴェネチア国際映画祭にて

ホアキン・フェニックスは、52ポンド(約23.5キロ)減量してアーサー役に挑んだ。一見見間違いそうになるほどシワが刻まれたやつれた顔、背骨がくっきりと見えるほど痩せた背中。『ファントム・スレッド』(17年)でアカデミー賞を受賞したマーク・ブリッジスによる衣装をまとったアーサーは、ときにスタイリッシュにさえ見えるのだが、そのおどけた仕草で踊ったり、走ったりする姿には、狂気というより、得も言われぬ哀しみが漂う。「これまで人生は、悲劇だと思っていた。けれど、人生は喜劇だ」というアーサー=ジョーカーの言葉は、この作品を観た後では深く胸に突き刺さるだろう。

コミック派生のキャラクターの枠に留まらない傑作となった『ジョーカー』。主演のホアキン・フェニックスをはじめ、賞レースを席巻することは間違いない。

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『ジョーカー』(原題:Joker)

監督・製作・共同脚本/トッド・フィリップス
共同脚本/スコット・シルバー
製作/トッド・フィリップス、ブラッドリー・クーパー、エマ・ティリンジャー・コスコフ
キャスト/ホアキン・フェニックス、ロバート・デ・ニーロ、ほか

日本公開/日米同日 2019年10月4日(金)全国ロードショー
配給/ワーナー・ブラザース映画
© 2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved. TM & © DC Comics.

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© Lorenzo Mattotti per La Biennale di Venezia

第76回ヴェネチア国際映画祭

会期/2019年8月28日(水)〜9月7日(土)
開催地/イタリア・ヴェネチア
フェスティバル・ディレクター/アルベルト・バルベーラ
© La Biennale di Venezia – Foto ASAC.