Review

2019.09.02 18:00

【ネタバレなし最速レビュー】ブラッド・ピットが惚れ込んだ『アド・アストラ』宇宙飛行士の孤独な旅

  • Atsuko Tatsuta

脚本・監督・製作をジェームス・グレイが手掛けるSF映画『アド・アストラ』が、第76回ベネチア国際映画祭でワールドプレミアされた。

『リトル・オデッサ』(97年)でベネチア国際映画祭銀獅子賞(監督賞)を受賞したグレイは、キャリアの初期で地元ニューヨークを舞台とする人間ドラマで頭角を現した監督だが、近年ではブラッド・ピット率いるPlan Bが製作、アマゾン・スタジオ配給(北米)のアドベンチャー映画『ロスト・シティZ 失われた黄金都市』(16年)で新境地を開拓、興行成績は振るわなかったものの、批評家からは高い評価を得るなど、野心的な活動が目立っていた。

そんなグレイが、長い友人でもあるブラッド・ピットを主演に起用したSFアドベンチャーが『アド・アストラ』である。

ジェームズ・グレイ監督

物語の舞台は、人類が地球外知的生命体との出会いや豊かな資源を求めて宇宙開発に意欲的な近未来。宇宙飛行士のロイ・マクブライド少佐(ピット)は、アメリカ宇宙軍の上司からある極秘ミッションを命ぜられる。とある調査計画のリーダーとして宇宙へ飛び立ち、行方不明になっていた父クリフォードが生きており、彼が海王星で行っている実験が地球を滅ぼす恐れがある、というのだ。自らの“英雄”だった父と同じ宇宙飛行士の道を選んだロイは、長い間、父を失った喪失感を抱えて生きてきた。父の消息、そして父の“実験”の謎を確かめるため、ロイは宇宙へと旅する──。

グレイは、NASAや元宇宙飛行士、航空宇宙エンジニアなどに綿密なリサーチを行ったというが、この作品が、『ファースト・マン』のようなリアリティを追求した宇宙モノとも、高揚感のあるSFアドンチャーとも一線を画すことは、冒頭のマックス・リヒターによる音楽からも明らかだ。(リヒターは、ヨハン・ヨハンソンとともに、ポスト・クラシカルの二大巨頭とされているが、そのヨハンソンが音楽を手掛けたドゥニ・ヴィルヌーヴの傑作SF『メッセージ』の冒頭とラストにリヒターの曲を使っていたことは記憶に新しい)。『インターステラー』の撮影監督ホイテ・ヴァン・ホイテマが構築したビジュアルに響く、抑制の効いたダークで重厚なリヒターの音は、ロイの旅が、内省的で、ある意味哲学的な旅となるであろうことを予感させる。

このプロジェクトは、グレイがピットに脚本を持ち込んだことが起点となっているが、自ら脚本も手掛けるグレイは、ストーリーのベースのひとつとしてイギリスの小説家ジョセフ・コンラッドの代表作「闇の奥」の名前を上げている。ジャングルの奥地にひとり分け入り、そこでカリスマ的な地位についた白人にまつわる話が、船乗りの話として語られる「闇の奥」は、フランシス・フォード・コッポラの『地獄の黙示録』にインスピレーションを与えた小説としても知られている。

『地獄の黙示録』は舞台がベトナム戦争後期に設定され、アメリカ陸軍のウィラード大尉(マーティン・シーン)がベトナムのジャングルの奥地で“王国”を築いている元グリーンベレーのカーツ大佐(マーロン・ブランド)暗殺のミッションを受け、奥地へ旅する。

このウィラードの道中と同様に、ロイは、月、火星、海王星へと困難に満ちた旅を続ける。敵に襲われ、仲間に裏切られ、肉体的にも精神的にも追い詰められる。しかしながら、外敵にはまったく興味を示さないかのように、ロイの興味は内へ内へと向かっていく。ウィラード大尉同様に、ロイの旅の裏ミッションは、自らの心の中にぽっかりと空いた喪失感を埋めることであり、トラウマの克服である。心を閉ざしたロイに愛想を尽かし、彼の元を去った妻(リヴ・タイラー)の存在は、ロイが“病んだ”、あるいは“過去のトラウマに囚われた”状態であることを証明する。

またグレイ監督は、メルヴィルの小説「白鯨」も脚本を書く段階で参考にしていたというが、自らの片足を奪った巨大な白鯨に復讐を誓い狂気のうちに身を滅ぼすエイハブ船長の姿は、ミッションへの忠義から自らを失ってしまった父クリフォードの姿と重なるだろう。果たして、ロイは何を失い、何を得るのか?

ロイを演じるピットの孤独な旅に寄り添いながら、ある幻のプロジェクトを思い出した。ジェイムズ・ディッキーの小説「白の海へ」を原作とする『To The White Sea』である。第二次世界大戦末期、東京大空襲の最中、東京の街へ不時着したB-29のパイロットが、故郷と似た雪深い北海道を目指し、ひたすら旅を続けるという物語だ。ブラッド・ピット主演×コーエン兄弟監督で映画化が進められ、日本でのロケハンまで行っていたにも関わらず、制作費が集まらずに頓挫してしまった。この若き米軍パイロットの旅に惚れ込んだピットが、広大な宇宙で父を探すため孤独な旅に出る宇宙飛行士に魅力を感じたことは想像に難くない。

2時間、スクリーンにほぼ登場し続けるピットは、『ゼロ・グラビティ』でのサンドラ・ブロックや『オデッセイ』のマット・デイモンに匹敵するほどのカリスマ性を放つ。今年はもう一本の出演作であるクエンティン・タランティーノの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』で好演を見せたピットだが、本作では彼が“スター”であるとともに、技術を備えた本物の役者であることを証明することになるだろう。

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『アド・アストラ』(原題:Ad Astra)

監督/ジェームズ・グレイ
製作/ブラッド・ピット、ほか
脚本/ジェームズ・グレイ&イーサン・グロス
出演/ブラッド・ピット、トミー・リー・ジョーンズ、ルース・ネッガ、リヴ・タイラー、ドナルド・サザーランド

日本公開/2019年9月20日(金)全国公開
配給/20世紀フォックス映画
© 2019 Twentieth Century Fox Film Corporation

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© Lorenzo Mattotti per La Biennale di Venezia

第76回ヴェネチア国際映画祭

会期/2019年8月28日(水)〜9月7日(土)
開催地/イタリア・ヴェネチア
フェスティバル・ディレクター/アルベルト・バルベーラ
© La Biennale di Venezia – Foto ASAC.