Column

2019.08.23 21:00

【単独インタビュー】『ジョアン・ジルベルトを探して』ジョルジュ・ガショ監督のボサノヴァの“亡霊”を巡る旅

  • Atsuko Tatsuta

「イパネマの娘」などで知られる“ボサノヴァの父”ジョアン・ジルベルト。去る7月6日に88歳でリオ・デ・ジャネイロの自宅で逝去したというニュースは記憶に新しいが、ドキュメンタリー『ジョアン・ジルベルトを探して』は、2008年のボサノヴァ生誕50周年記念コンサートへの出演を最後に、公の場から姿を消し、隠遁生活を送っていたジルベルトを巡るふたりのアーティストの旅の記録である。

ひとりは、ジルベルトのファンで彼に会うためにブラジルへ赴いたドイツ人ジャーナリストのマーク・フィッシャー。そしてもうひとりが、フィッシャーの本に感銘を受け、その足跡を巡る旅をカメラに収めたジョルジュ・ガショである。

この作品のプロモーションのため、ボサノヴァという音楽を愛するファンが多いことでも知られる日本を訪れた、ガショ監督に話を聞いた。

──フランス生まれだとお伺いしていますが、今はスイス在住なのですね?
ええ、チューリッヒに住んでいます。

──誰かを追いかけて……?
追いかけてというより、逃げてかもしれませんね(笑)。私はパリ生まれで、家族はみんなフランスに住んでいます。私は、音楽を勉強するために、チューリッヒに来てそのまま住みついたのです。本当は、音楽家になりたかったのですが、家族に反対され、エンジニアになるために大学に入りました。でも、傍らで音楽は続けてはいました。一方で、CM俳優として活動していた時期もあります。そうしたいろいろなことを経て、最終的に映画をつくるようになりました。

──なるほど、それは一筋縄ではいかない興味深いキャリアですね。この『ジョアン・ジルベルトを探して』を撮ったのは、まずは、ドイツ人ジャーナリストのマーク・フィッシャーが書いた本を読んだことが、きっかけだったと聞いています。ジルベルトのファンだった彼が、リオ・デ・ジャネイロまで行って、結局、隠遁生活を送っている彼に会えずに帰国した顛末を描いたものものですが、この本のどういった部分に触発されたのでしょうか?
私は以前からジョアン・ジルベルトに興味を持っていて、いつかは会いたいと思っていました。同じように彼のファンだったフィッシャーの本を読んで、映画の脚本にぴったりだと思いました。彼の文体は映画の脚本のようだったんですね。これを元にしてドキュメンタリー映画を撮ったらどうだろうというアイディアが、すぐに浮かびました。さらに、マーク・フィッシャーの悲しい運命──彼は、本を書いた後、それが発刊を待たずに自殺した──も心を動かしたひとつの要素でした。映画監督の興味としては、この本を元にすれば、音楽についてのパワフルなドキュメンタリーがつくれるのではないか、という期待も抱きました。

──フィッシャー氏の家族にもお会いしたそうですが、あなたの解釈ではなぜ彼は自殺に至ったのだと思いますか?
彼の一生は複雑な要素が絡まっています。彼はとても知的な人で、ひとつのことが原因で自殺したとはいえません。ジョアン・ジルベルトに会えなかったから自殺したワケではないのです。いろいろな心理的要素が絡み合っていると思います。その大きな要素のひとつは音楽ですね。彼自身もこれほどこの音楽に深く入り込んでしまうとは思っていなかったと思います。彼はジョアンを探すということにも、とても深く入り込んでいました。ですから、彼に対して危険性を警告する人がいたらよかったのだと思います。映画の中にも出てきますが、彼に警告した人はひとりいたのですが、もっといたらよかったと思います。

──この作品のミステリアスな魅力は、カメラが亡霊を追いかけて彷徨っているようなところです。マーク・フィッシャーの亡霊、そして、公の場から姿を消してしまったジョアン・ジルベルトの亡霊を追いかける。そして、ジルベルトは先日、亡くなってしまったわけです。
そのことに気がついていただいて本当に嬉しいです。この映画をつくる上で重要だったのは、しっかりとした視点でした。編集作業は一年間かけてパリで行ったのですが、その際に重視したのも、視点です。私か、マーク・フィッシャーか、ジョアン・ジルベルトか。誰かの、視点を明確にすることを重視していました。

※次2項目は映画本編のネタバレが含まれます。

──あなた自身、フィッシャーの本に導かれて、リオ・デ・ジャネイロに向かったわけですが、本当にジルベルトに会いたかったのでしょうか。フィッシャーのように、会えずに帰ってくることは、予想していたことだったのでしょうか。
もちろん、会いたかったですよ。最後のシーン、ホテルのドアの向こうから音楽が聞こえてくるところです。あの時点まで、私は希望を捨てていませんでした。ひょっとしたら、ドアが開くのではないかと期待していました。

──あの後、やっぱり会えなかったわけですね。
あの後、ドアが開いてビールでも飲んだんじゃないの?というようなこともよく聞かれます。ただ、このことに関しては、何も言わないでおこうと思います。本当に会ったのか、会わなかったのかということに関しては、テクニカルな問題でしかないと思うから。一番、重要なのは私の夢がああいうカタチで実現した、ということなのです。あれは同時にフィッシャーに対する贈り物でもあったと思います。日本人にも彼のファンはたくさんいて、彼の音楽を聞きたい、彼の姿を見たいと思っていると思いますが、あれは彼からすべてのファンの方々へのプレゼントでもあると思います。

──あなた自身も音楽家になろうとしていたほど音楽への造詣が深く、情熱をお持ちですが、あなたにとってボサノヴァという音楽はどういうものでしょうか?
ボサノヴァは、最も重要な必要なものを最小限に切り詰めたミニマリスティックな音楽だと思っています。ポップスはファンにウケる音楽という面がありますが。そういう面をまったく持っていない。本当に重要なもの以外は、入ってくる余地がないのです。「ザ・ヴォイス」にようなオーディション番組に出演するような人たちは、セリーヌ・ディオンやフランク・シナトラのように、外に向かって自分を表現するという歌い方をしますね。ボサノヴァは、自分と対話するような、もっと内省的な音楽です。

──ジョアン・ジルベルトはボサノヴァの父といわれていますが、あなた自身が彼の音楽に出会い、素晴らしいと思ったきっかけは覚えていますか?
最初に聞いたのは、20歳くらいの時です。数学専攻のブラジル出身の学生がいて、彼の部屋に行くと、いつもブラジルの音楽がかかっていました。その時に感じたのは、心地よいというか、居心地が悪かった。なぜなら、とても声が近くに聞こえたから。部屋の中で歌っているみたいに聞こえた。不安定にさせる印象を持ちました。クイーンのフレディ・マーキュリーのような、喜びを表現したりするようなものではない。個人に語りかけてくるような気がした。ポップミュージックの中には気分を上げてくれたりするものがありますが、ボサノヴァは自分の気持ちを内へ内へと導く、内省的なものなのです。だから、危険だと思います。

──音楽は、土地に根付いているという側面もあります。ヨーロッパから遠く離れた、まったく文化も違う南米で、ボサノヴァ、あるいはブラジル音楽について新しく発見したことはありますか?
文化がまったく違う日本でも、ジョアン・ジルベルトのファンはたくさんいるし、彼の音楽がたくさん聴かれていますね。私は若い時、音楽をやっていてバッハとかをよく弾いていましたが、ジルベルトはブラジル音楽の中では、バッハに匹敵するクラシックだとも言えると思います。クラシック界でいうと、バッハをよく弾いていたグレン・グールドと比較できる存在だと思います。

──グレン・グールドと比較できるとは?
グレン・グールドは、35歳のときにコンサートに出るのをやめて、スタジオ活動でのみピアノを弾いていた。自分の人生を100%音楽だけに捧げたいと、世間とは完全に隔離させていた。それがジルベルトと似ていますね。

──ジルベルトが晩年10年間、隠遁生活を送っていたのは、グールドと同じように純粋に世間と向かい合いたかったからなのでしょうか。
グールドの場合は、コンサート自体がストレスだった。音楽以外のストレスは、もういらなかった。音楽だけに人生を捧げるためにコンサートはやめて、録音活動に絞るようになった。ジルベルトは最初の3年間、つまり最初の3枚のアルバムで、ほとんど彼の言いたいことは言ってしまった。60年代のことです。それから彼はメキシコやニューヨークに行ったりするけれど、もうすでにやることはやったので、もう外とコンタクトする必要がなくなったというのじゃないかと思います。

──元妻のミウシャや元マネージャーなど、本当にジルベルトの近くにいた人々とお会いされましたね。彼らを通して、どんなジルベルト像を新たに発見したのでしょうか。
彼らを通して知ったジルベルトの人物像は、面白い人だということですね。音楽を好きだった。いろんなスタイルで、いろいろなバリエーションで新しいスタイルを常に作り出しては、ミウシャに電話してきて、これはどう?って電話口で演奏していたそうです。彼は、外界とコンタクトを断っていたけれど、音楽への情熱は常に持っていて、常に新しいプレイスタイルを考え、試みていたそうです。

──この映画を通して私たち観客は、ミステリアスで美しい旅を楽しみましたが、作り手であるあなたにとって、この旅は楽しいものだったのでしょうか?それともハードなものだったのでしょうか。
私はとても苦しかったです。なので撮り終えて、編集し、映画が完成したときはほっとしました。ドイツでこの映画を上映したとき、観客たちの多くは私に同情してくれました。ひとりの女性が私のところに来て、私が笑ったり話したりしている姿を見て、ほっとしたと言っていました。これは作られたストーリーではなく、私の4年間の人生がここに反映されています。私の苦しみや哀しみも。

──ボサノヴァは、危険な音楽でもあるとおっしゃいましたが、マーク・フィッシャーの足跡を辿ることによって、あなた自身も危険に身をさらしたのですね。
映画を撮っていたときは、それを意識していませんでしたが、後になって、私もそれに気が付きました。撮っているときは夢中で、自分のことにかまっている余裕がありませんからね。それから、映画の中のナレーションには俳優を使っていますが、後から私自身の声も入れています。そういう構成もあり、映画の中ではフィッシャーと私が混じり合っているようなところもあると思います。

──ジルベルト氏は、この映画をご覧になりましたか?
リオ・デ・ジャネイロでプレミア上映を開催した際、ミウシャが来てくれました。上映後ミウシャは、上映中に彼女の携帯にジョアンから電話があったと言っていましたけれどね。この映画も彼が観るとミウシャは言っていましたが、本当に彼が観たかどうかは定かではありません。

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『ジョアン・ジルベルトを探して』(原題:Where Are You, João Gilberto?)

監督/ジョルジュ・ガショ
出演/ミウシャ、ジョアン・ドナート、ホベルト・メネスカル、マルコス・ヴァーリ
2018年/スイス=ドイツ=フランス/ドイツ語・ポルトガル語・フランス語・英語/111分/カラー/ビスタ/5.1ch/DCP

日本公開/8月24日(土)より新宿シネマカリテ、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次ロードショー
配給/ミモザフィルムズ
後援/在日スイス大使館、在日フランス大使館、アンスティチュ・フランセ東京、ブラジル大使館
協力/ユニフランス
©Gachot Films/Idéale Audience/Neos Film 2018