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2019.08.08 7:30

【予習用解説・ネタバレなし】『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を観る前に知っておきたい10のネタ

  • Atsuko Tatsuta

クエンティン・タランティーノの長編第9作となる”ワンハリ”こと『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は、ヒッピー文化が花盛りの1969年のハリウッドを、タランティーノ流に語り倒した映画です。

主人公は、落ち目のTVスター、リック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)と、元兵士でリックのスタントマンのクリフ・ブース(ブラッド・ピット)。時代に乗り遅れて戸惑うリックと、彼を支えるクリフの絆を中心に、リックの隣に引っ越してきた新進監督として脚光を浴びたロマン・ポランスキーの妻で若手女優のシャロン・テートという3人のキャラクターを通して、当時のハリウッドのグラマラスな表舞台と裏舞台、そして闇が鮮やかに描かれます。

「この作品は自分の思い出を描いたものでもあるんだ」というタランティーノ。「1969年、ロサンゼルスのアルハンブラに住んでいた。どんな映画が上映されていて、ネットワークテレビ、地方局でどんな番組が放映されていたかも覚えている。KHJラジオをいつも聴いていたんだけど、あの頃はみんな車の中でラジオを聴いていたものだった」

プロデューサーのデヴィッド・ハイマンは、「彼が育ってきた中で彼を形づくったもの、影響を受けたものや好きだった映画などを回想している」と本作を解説しています。

かつてのB級映画を2本立てで上映していた映画館にオマージュを捧げた『グラインドハウス』(07年)や、イタリア映画『地獄のバスターズ』(78年)にインスパイアされて撮った『イングロリアス・バスターズ』(09年)、マカロニ・ウエスタンへの熱い思いを込めた『ジャンゴ 繋がれざる者』(12年)など、ハリウッドきってのオタク監督ならではのこだわりのディテール満載の作品で、映画ファンを熱狂させてきたタランティーノ。

タランティーノ監督(中央)

1960年代のハリウッドのトリビアや小ネタが満載の本作を120%楽しむために、事前に知っておきたい、カルチャーや時代背景の基礎知識をまとめました。

1. バート・レイノルズ

レオナルド・ディカプリオが演じるリック・ダルトンとブラッド・ピットが演じるクリフ・ブースの関係は、主に俳優のバート・レイノルズとそのスタントマンだったハル・ニーダムにインスパイアされている。

ブラッド・ピット演じるクリフ・ブース(左)と、レオナルド・ディカプリオ演じるリック・ダルトン

レイノルズは、アメフト選手出身の俳優で、セルジオ・コルブッチ監督のマカロニ・ウエスタン『さすらいのガンマン』(66年)に主演するなど、タフガイキャラで一斉を風靡した。アメリカン・フットボールをテーマにした『ロンゲスト・ヤード』(74年)やロマンチック・コメディ『結婚ゲーム』(79年)でゴールデングローブ賞主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)にノミネートされるが、一時は、プライベートでのスキャンダルなどもあり、キャリアは低迷。が、ポール・トーマス・アンダーソン監督の『ブギーナイツ』(97年)でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされ、大復活した。本作にも元スタントマン役で出演予定だったが、2018年9月に逝去したことにより叶わず。代役としてブルース・ダーンがキャスティングされた。

2. ハル・ニーダム

1931年、テネシー州生まれのスタントマン、映画監督。ドラマ『西部の男パラディン』(57〜63年)でリチャード・ブーンのスタントを務め、注目された。ジョン・ウェインのスタントを務めていたチャック・ロバーソンの元で学び、1960年代のトップスタントマンとなる。バート・レイノルズのスタントも務め、1970年代には、スタントマンの団体「スタンツ・アンリミテッド」を共同設立した。バート・レイノルズ主演のアクション・コメディ映画『トランザム7000』(77年)では原案・監督を務めたが、監督業への進出は友人でもあったレイノルズのアドバイスだった。その後も『グレートスタントマン』(78年)、『キャノンボール』(81年)などの作品を監督。2013年に82歳で死去。

3. シャロン・テート殺害事件

1968年8月9日。当時、ロマン・ポランスキー監督の妻で26歳だった女優のシャロン・テートが、LAの自宅で一緒にいた友人たちとともに、狂信的なカルト指導者チャールズ・マンソンの信奉者3人によって殺害された。その時、テートは妊娠8ヶ月だった。ポランスキー邸の前の所有者がミュージシャンのテリー・メルチャーで、ミュージシャン志望だったマンソンが、その夢が叶わなかった逆恨みでメルチャーを襲わせた、人違い殺人だった。ポランスキーが前年にホラー映画『ローズマリーの赤ちゃん』(68年)を撮ったこともあり、事件はセンセーショナルに報道された。

劇中ではマーゴット・ロビーがシャロン・テートを演じている(左)

シャロン・テートは、事件の前年に公開されたフィル・カールソン監督の『サイレンサー 第4弾 破壊部隊』(68年、原題:The Wrecking Crew)に出演しているが、これはお色気スパイ映画として、後の『オースティン・パワーズ』シリーズの下敷きとなっている。

『サイレンサー 第4弾 破壊部隊』(好評発売・レンタル中/DVD 1,410円+税/発売・販売元:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント © 1968, RENEWED 1996 COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES, INC. ALL RIGHTS RESERVED.)

4. チャールズ・マンソン

カルト指導者。娼婦の母が16歳で生んだ子どもであるマンソンは、5歳のときに母がガソリンスタンド襲撃で逮捕・収監されたことで祖父母に引き取られ、最終的には孤児院で育った。少年時代から犯罪に手を染め、1967年に釈放後は、家出した少女などを集めて、“マンソン・ファミリー”として集団生活を始めた。

チャールズ・マンソン(1968年)

マンソンは殺人事件を計画し、ファミリーに実行させ、自らが殺人を犯すことはなかった。「シャロン・テート殺害事件」は彼が指示した事件の中でも、世間の注目を集めた最も有名な事件である。1971年には死刑判決が出たが、服役中の2017年11月に病死。チャールズ・マンソンの名前は悪と狂気の象徴となり、ヒッピー文化の汚点となった。

5. マカロニ・ウエスタン

西部劇(ウエスタン)はもともと西部開拓時代のアメリカを舞台としているが、1960年代〜70年代前半にイタリアで撮られた西部劇を「マカロニ・ウエスタン」と呼ぶ。本来、米国やイギリス、イタリアなどではスパゲッティ・ウエスタンと呼ばれるが、セルジオ・レオーネ監督による『荒野の用心棒』(64年)の日本公開時に、映画評論家の淀川長治氏が“スパゲッティでは細くて貧弱そう”と言ったことで、日本ではマカロニ・ウエスタンと呼ばれるようになった。

『荒野の用心棒』より © Metro-Goldwyn-Mayer Studios Inc. All Rights Reserved.

最初のマカロニ・ウエスタンは、1964年にセルジオ・コルブッチが撮った『Massacro al Grande Canyon』と言われている。セルジオ・レオーネ監督は、『荒野の用心棒』、『夕陽のガンマン』(65年)、『ウエスタン』(68年)などの名作を世に送り出し、マカロニ・ウエスタンというジャンルを映画界で定着させた。撮影にはヨーロッパ中から俳優が集められたが、ハリウッドからもクリント・イーストウッド、ヘンリー・フォンダ、ロッド・スタイガーなどが招聘された。

6. ブルース・リー

香港出身の武術家、俳優、プロデューサー。1940年、中国系の広東演劇役者だった父のアメリカ巡業中に、サンフランシスコで生まれた。香港に戻り、8歳から子役として映画に出演。18歳で渡米してシアトルに住み、ワシントン大学哲学科に進むが、中退。中国武術の指導を始める。TVシリーズ『グリーン・ホーネット』(66〜67年)で準主役カトーを演じ、派手なアクションで人気となり、ハリウッドで俳優などを相手に個人指導を始める。フィル・カールソン監督の『サイレンサー 第4弾 破壊部隊』では、シャロン・テートにもアクション指導した。

初主演の香港映画『ドラゴン危機一発』(71年)が大ヒットし、香港のトップスターとなる。1973年、頭痛のため病院へ運ばれるが、昏睡状態に陥りそのまま死去。32歳だった。『燃えよドラゴン』(73年)で世界的にカンフー・スターとして知名度を得たのは、死後のこと。ブルース・リーの大ファンだったクエンティン・タランティーノは、『キル・ビル』(03年)で、ブルース・リーの死後5年を経て公開された遺作『ブルース・リー 死亡遊戯』(78年)で彼が着ていた黄色いジャージを、ヒロインのユマ・サーマンに着せることでオマージュを捧げている。

『ブルース・リー 死亡遊戯』より © 1993, 2004 STAR TV Filmed Entertainment (HK) Limited & STAR TV Filmed Entertainment Limited. All Rights Reserved.

7. ロマン・ポランスキー

フランス在住の映画監督。1933年にユダヤ系ポーランド人の父親とロシア生まれのポーランド人の母の間に、フランス・パリで生まれた。3歳でポーランドに移り住む。第二次世界大戦下でユダヤ人ゲットーに入れられるが、父親は有刺鉄線を切ってポランスキーを逃した。

1950年代よりポーランドで俳優として活動。1962年に『水の中のナイフ』で監督デビュー、米国アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた。イギリスで『反撥』(65年)などを撮る一方、米国に移住。1968年、アイラ・レヴィンの小説を原作としたホラー映画『ローズマリーの赤ちゃん』(ミア・ファロー主演)が大ヒット。同年、『吸血鬼』(67年)に出演した若手女優シャロン・テートと結婚した。「シャロン・テート殺害事件」後も米国で映画を撮り続けたが、1977年、ジャック・ニコルソン邸で当時13歳だった子役モデルへの性的行為で逮捕。42日間の勾留後保釈され、ロンドン経由でパリへ移住。

『戦場のピアニスト』(02年)ではカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞、米国アカデミー賞でも監督賞を受賞した。2009年、チューリッヒ映画祭に出席するためスイスに滞在中、1977年の少女への淫行容疑で当局に身柄を拘束されたが、2010年に釈放された。2018年には米国の映画芸術科学アカデミーから除名。現在もパリを拠点に活動中。

ロマン・ポランスキー監督 © Pascal Le Segretain : Getty Images

8. マーヴィン・シュワルツ

劇中で、レオナルド・ディカプリオ演じるリックのエージェントとなるマーヴィン・シュワルツ(アル・パチーノ)は、ハリウッドで活躍した実在のプロデューサー、エージェント。バート・レイノルズが出演した、メキシコを舞台にした西部劇『100挺のライフル』(68年、トム・グリース監督)のプロデューサーでもある。

アル・パチーノがマーヴィン・シュワルツ役を演じている(右)

9. ヒッピー・ムーブメント

1960年代後半にアメリカで起こった、伝統や従来の制度などに縛られた体制を否定するカウンター・カルチャーのムーブメント。特に、ベトナム戦争が激化する中、保守的な体制派に対して音楽やドラッグなどで対抗しようとし、自由、愛と平和、フリーセックスを提唱。自然との調和や、コミューンや実験農場などでの集団生活によるユートピアを理想とした。

デニス・ホッパーが脚本・監督・主演した『イージー・ライダー』(69年)は、ヒッピームーブメントから生まれたアメリカン・ニューシネマの代表作。デニス・ホッパーとピーター・フォンダが演じるふたりのヒッピーは、自由を体現する若者だ。ハーレーダビッドソンに乗ってカルフォルニアからニューオリンズに向かう道中で、彼らは保守的なアメリカの現実に直面し、悲惨な結末を迎える。タランティーノはこれを、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の参考にした映画作品の一本として挙げている。

『イージー★ライダー』(好評発売・レンタル中/ブルーレイ 2,381円+税/発売・販売元:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント ©1969, renewed 1997 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.)

10. ワンス・アポン・ア・タイム……

“ワンス・アポン・ア・タイム……”とは、英語で童話やおとぎ話の導入に使用される成句で、日本語では“昔、昔……”と訳されることが多い。

独立系の若い監督による、世相を投影したアメリカン・ニューシネマが登場した1969年は、夢や希望を与えるハリウッド映画における古き良き時代の終焉の年でもある。つまり、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』はタランティーノにとって、古き時代を懐かしむだけでなく、ある意味こうであったらいいという願望をも込めた“おとぎ話”なのだ。

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『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(原題:Once Upon a Time in Hollywood)

監督・脚本/クエンティン・タランティーノ
キャスト/レオナルド・ディカプリオ、ブラッド・ピット、マーゴット・ロビー、ジェームズ・マースデン、ほか

日本公開/2019年8月30日(金)全国ロードショー
配給/ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント