Review

2019.08.04 9:00

【レビュー】『世界の涯ての鼓動』──不格好で誇り高き人間らしさ

  • SYO

『X-MEN』シリーズ(11~19年)のジェームズ・マカヴォイと『リリーのすべて』(15年)のオスカー女優アリシア・ヴィキャンデル、『パリ、テキサス』(84年)の名匠ヴィム・ヴェンダース監督が顔を合わせた『世界の涯ての鼓動』(17年)は、宗教・歴史・テロ・科学・生命といった多くのテーマを孕んだ壮大なメロドラマだ。

ノルマンディーの海を臨むホテルで運命的に出会った生物数学者ダニー(アリシア・ヴィキャンデル)と、英国諜報機関MI6のエージェント、ジェームズ(ジェームズ・マカヴォイ)。共に過ごした5日間で激しい恋に落ちた2人だったが、ダニーにはグリーンランドの深海に潜る調査任務が、ジェームズには爆弾テロを阻止するべく南ソマリアへ潜入する任務がそれぞれ控えていた。互いを運命の相手と認識しながらも離ればなれになった2人は、過酷な運命に直面することになる……。

生命の根源である「海」をキーワードに、雄大な大自然を情感たっぷりに切り取った映像美とエモーショナルな音楽、主演2人の繊細かつ濃密な演技の二重奏が染みわたる2時間。近年の映画文脈とは逆行する古風なつくりで、仕事一筋だった男女が愛に出合い、惑い、狂わされ、何としても再会を果たそうと生にしがみつく姿が映し出されていく。

海底と戦火。電波の届かない場所にいる2人は、想いだけをよすがに、切れそうになる運命の糸を手繰り寄せようとする。観客においては、1秒後すら分からない2人の行く末を、固唾をのんで見守ることになるだろう。どうか無事であってほしい。この先に待つ未来が、幸福に満ちたものであってほしい。武装組織に拘束されたジェームズと人類未踏の海底に挑んでいくダニーを案じ、祈りをささげるはずだ。第一印象ではそうは見えないが、観客の心をぐいぐいと動かしていく熱量の高い映画でもある。

時代に反目する物語が故に、「愛の熱」が浮き彫りに

「熱量」と書いたが、本作においてはこの海底から湧き上がってくるようなエネルギーが、何より肝要だったといえる。なぜなら、本作の設定自体が(誤解を恐れずに言ってしまうと)時代との乖離が強いからだ。「見目麗しい学者と頭脳明晰なスパイの恋愛もの」という題材は、アクション全開のザ・ハリウッド的な娯楽作やロバート・ゼメギスの『マリアンヌ』(16年)のようにあえてオールドファッションな名作を目指したものならともかく、ドラマ重視の作品において「今らしさ」はあまり感じられない。

現代に生きる私たちの日常とはかけ離れていて、かつ今の映画界のトレンドとは合致しない。もちろん必ずしもトレンドを追いかける必要はないのだが、映画が興行である以上、観客に興味を持たれなければそこで終わりだ。本作くらいのバジェットでこのような物語を紡ぐのは、なかなかにリスクが伴っただろう。ただそれでも本作が「今の観客」の心をとらえて離さないのは、そこに時代に左右されない「愛の熱」があるからだ。

映画は、現在→過去→現在の続きといった構造になっており、連絡が取れなくなったジェームズの身を案じるダニー、武装組織に捕まり生死の境をさまようジェームズの姿がまず描かれる。オーソドックスな恋愛映画とは異なり、「出会い」よりも「危機」を先に描くことで観客の興味をぐっと惹きつける演出が見事だ。

なぜまったく違う人生を歩んできた2人が出会い、恋に落ちたのか?という疑問を観客に抱かせてから、物語は過去にさかのぼっていく。2人の「始まり」が後から示されることで、冒頭に仕掛けていた「切迫した状況」がじわじわと効いてくるのだ。5日間の燃え上がるような恋は、どこをどうやっても現在進行形の危機に向かっていく。悲劇への航路を変えることは、観客にはできない。そこに、先ほど述べた「愛の熱」が加わり、映画は穏やかな風景描写とは裏腹に劇的な様相を呈し始める。

最大の見どころは、男女の「変化」

ここで注目したいのが、ジェームズとダニーの「変化」だ。エリート街道を歩んでいた男女が恋をすることで人間くさく変貌していき、かつては感じなかった不安や怯えに支配されていく姿は、本作の中核を成す「最大の見どころ」といってもいい。  

海辺のホテルの宿泊客だったジェームズとダニーは対面してすぐにランチの約束を交わし、その日のうちに一夜を共にする。やや性急ではないのか、と少々面食らうかもしれないが、その理由は後から推察できる。2人は共に「命の危険が伴う任務に挑む前の休息」を取るためにこの地を訪れており、心の奥底には恐怖や不安が(本人も無自覚の内に)宿っている。つまり、知らず知らずのうちに誰かを求めているのだ。それは必ずしも恋人ではなく、安らぎを与えてくれる存在であればよかった。むしろ恋なんて面倒なものは不要で、その場限りのインスタントな関係で充分だった。

諜報員であるジェームズは自分の身分を偽らなければならず、正体を知る者は関係者のみ。かたやダニーは海底探査プロジェクトの中心人物としてほぼ缶詰め状態。全く無関係の他者と接触する機会はずっと与えられてこなかった。数日後には旅立つジェームズとダニーは、互いにとって「都合のいい」存在だったのだ。両者ともスマートで話のレベルを合わせる必要もなく、美男美女。割り切った関係には完璧な相手だったといえる。しかし、それが「運命の相手」だったことで物語は哀しい旋律を奏で始める……。

自分の中に生まれた、初めての気持ち。それが「恋」という非合理的な感情だと悟ったとき、2人はもう同じ空間にいない。恋というのは不思議なもので、会えなければ会えないほど毒のように身体をめぐり、募らせる。正常な判断はできなくなり、任務に支障をきたす。

任務=信念か、愛=生か。残酷な運命に引き裂かれた2人は、自分自身の中でも2つの感情に引き裂かれることになる。これが長年連れ添った夫婦であるとか結婚の約束をしたカップルであれば愛一択なのかもしれないが、2人はたった5日間を一緒に過ごしただけの関係。お互いのことをほぼ何も知らないのに、信頼すること自体がどうかしている。そう思うのが「自然」で「普通」だ。むしろそれを求めていたのではなかったか。別れた直後は、ジェームズもダニーもまだ「任務>愛」だったように見える。しかし、離れることで「任務=愛」へと気持ちが移ろっていき、ドラマの悲劇性も強まっていく。映画全体のトーンのグラデーションと呼応する、アリシア・ヴィキャンデルとジェームズ・マカヴォイの演技が秀逸だ。

愛は人を弱くさせる

生命の根源を探るダニーと、人類の未来のため戦うジェームズ。命がけで逆のベクトルに向かう2人は、「愛が人を弱くさせる」真理にたどり着く。ジェームズは武装組織が大義のために人々を殺していく姿を目の当たりにし、愛の脆弱性を痛感する。彼らは「任務>愛」のベクトルで動いている。そしてそれは、滅私奉公だったかつての自分とさほど変わらないのだと。そしてまた、世界から争いをなくしたいと願いながら、目の前で消えていく命を一つも救えないほど己は無力だったのだと。

ダニーは、長年待ち望んでいた夢のプロジェクトを前にして、ぐらついている自分を恥じていく。大音量で音楽を流し、ワークアウトに熱中するが、心に押し寄せる「孤独」にうまく対処できない。貴重な研究サンプルを不注意で壊してしまうアクシデントにも見舞われ、最早スマートだった「学界のホープ」などどこにもいないと気づく。自分は思っていたよりもずっと、脆かった。ネイチャー誌の表紙を飾るという野望を掲げながら、愛も任務もどちらにも集中できない中途半端な状態になってしまった。

冒頭で述べたように、『世界の涯ての鼓動』は、宗教・歴史・テロ・科学・生命といった多くの要素が絡み合った作品だ。現代のテロリズムや発展途上国の現状、ユニセフや国連に対する鋭い批判精神が入っており、学術用語も飛び交う。それらは、ジェームズとダニーを取り巻く「社会」のメタファーとして2人に立ちはだかる。自分たちが世界を動かしていると信じていた男女が愛ひとつで崩れてしまうとき、社会は鋭く牙をむく。

世界のシステムを変え、歴史を切り開く英雄になる道はもう、残されていないのかもしれない。恋や愛を知ったことで、2人は自分たちがちっぽけな、ただの人間だったと気づく。

だが、それは決して絶望ではない。愛の真実を知ったのだから。愛は人を弱くするが、生の実感も抱かせてくれる。理想に殉ずることも正解だが、愛のために汚れることもまた正解だ。己を知り、世界を知り、その上で選ぶということ。愛と任務の両方を知ったジェームズとダニーが自分自身で選択する最後の一手、そこに不格好で気高き「人間らしさ」を見た。

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『世界の涯ての鼓動』(原題:Submergence)

監督/ヴィム・ヴェンダース
出演/ジェームズ・マカヴォイ、アリシア・ヴィキャンデル
2017年/イギリス/英語・アラビア語/カラー/ビスタサイズ/DCP/5.1ch/112分/字幕翻訳:松浦美奈/映倫:G

日本公開/2019年8月2日(金)、TOHOシネマズシャンテ他にて全国順次公開  
配給/キノフィルムズ/木下グループ
公式サイト
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