Column

2019.08.02 13:00

【単独インタビュー】『あなたの名前を呼べたなら』ロヘナ・ゲラ監督が描く現代インドの格差恋愛

  • Atsuko Tatsuta

主人公は、インド西海岸の大都市ムンバイのモダンな高層ビルに住む建設会社の御曹司アシュヴィンの家で、住み込みのメイドとして働くラトナ。雇い主であるアシュヴィンが、婚約者のサビナの浮気発覚により婚約破棄したことによって、不思議な同居生活が始まり、やがてふたりの間には信頼関係と絆が生まれてくる……。

インド出身のロヘナ・ゲラ監督の初監督作『あなたの名前を呼べたなら』は、富裕層の男性とメイドという“身分の差”の恋愛ドラマを軸に、階級制度が根強く残るインド社会のシステムやそ、れらに縛られる生き方に疑問を投げかける社会派ラブストーリーです。

2018年のカンヌ国際映画祭「監督週間」に選出され、高い評価を受けた本作。インドの裕福な街プネーに生まれ育ち、米国のスタンフォード大学とサラ・ローレンス大学で学ぶなど、外国暮らしの経験で身についたアウトサイダーとしての視点から、インド社会を見直したユニークな視点や洞察力が注目されたゲラ監督に、スカイプ・インタビューしました。

──今は、フランスに在住だそうですね。
はい、今現在はパリに住んでいます。『あなたの名前を呼べたなら』はフランス資本が入っていて、フランスで編集することが条件でした。子どもがいるのですが、夫がフランス人ということもあり、フランスとインド両方の文化に触れながら育って欲しいという思いもあり、編集のためにパリに住んだことをきっかけに、しばらくはここで暮らすつもりです。またこの作品は、フランスで高く評価していただいているので、次回作につながるという意味でも、フランスに住むという選択をしました。

──『あなたの名前を呼べたなら』を恋愛映画として楽しく拝観しました。一方で、この物語の背景として描かれているインドの階級社会や男女差別の問題なども、とても興味深かったです。インドで育ってきた中で、どのように差別や階級社会を見てこられたのでしょうか。
階級社会に対しては、子供の頃からとても違和感を感じていました。アーティストとしては興味深いテーマですが、とても心が痛みますね。特に、親密な関係をもつ人たちとの関係においては。例えば、家で住み込みで働いている家政婦さんとは、互いの機嫌や食欲などもすべて把握しています。とくに女性たちの間には絆が生まれていましたから、とても違和感を感じていましたね。私も育っていく中で彼女たちと、感じること、ぶつかっている壁などを互いに少しずつ話すことによって、人間的に繋がりが出来ていました。階級主義はひどいものだと思います。が、それはインド社会にしっかりと組み込まれてしまっていて、日常的に人々を隔てているんです。それが当たり前になっていると言ってもいいでしょう。映画にも似た描写がありますが、住み込みで働いている人々は、私が使ったグラスは使わないし、同じソファーにも座りません。同じ部屋にいても床に座るのです。

子どもができてから、こうしたことにはなおさら違和感が強くなりました。(フランスに移住する前に)インドで暮らしていたときも、私の子どもの面倒を観てくれるベビーシッターを子どもと同じソファーに座らせないで、床に座らせることなんてできませんよね。ただ、インドでは、そんな風習が当たり前になっているので、私がその風習を破ることによって、その場にいるみんなが居心地が悪くなってしまうという現実もあります。

また、子どもにどうやって説明したらいいのか、を考えてしまいます。私自身、子ども時代に違和感を感じましたが、自分が母親になったら、なおさらその違和感は強くなりました。自分が子どもに見せたい世界と、現実の世界は違うことに戸惑います。

──ちなみに、あなたの家族は、インドではどの階級に属しているのですか?
上流階級といえると思います。とりわけ富豪というわけではありませんが。インドでは、住み込みの労働者は低賃金で雇えます。海外の方は、住み込みのメイドや運転手などがいたりするととても裕福な家だと思われるようですが。

──あなたはアメリカに留学されていますね。ヨーロッパなどではインドとはシステムは違うにせよ、階級社会の歴史があります。より自由な国であるアメリカで学んだことにより、意識に変化はありましたか?
アメリカに住んでいた頃も、インドには年に一度戻っていました。そうして行き来することによって、子どもの頃から違和感を感じていた階級制度が、はっきりと間違いだと思うようになりました。英文学を勉強していたのですが、大学では20歳前後の仲間たちと、人生や哲学について語り合うわけです。とても刺激を受けました。ただ、外国で学んだからといって、そして、インドの制度や風習が間違いだと思うからといって、インドに戻って周囲の人たちに”あなたたちは間違っている”とはいえません。アウトサイダーとして戻ってきた人間が、一晩で伝統や風習を変えられるわけはないんです。“アメリカ行って、欧米的な知恵つけてきた”と思われてしまうのがオチです。映画の中で、都会で暮らしているラトナは故郷の村に戻ったときに、街で培った概念をおおっぴらに他人に押し付けることはできないのと同じように。私は、自分の概念を押し付けることなく、どうしたらこの制度や価値観を変えていけるんだろうということを考え続けました。こうした映画をつくるまでに20年かかってしまいましたが。

──アメリカで学び暮らしていたアシュビンは、インドの伝統的な考え方にとらわれず、ラトナにもひとりの人間として接します。彼の柔軟な姿勢は、あなたの考え方が投影されているのでしょうか。
私と彼が似ているところは、まともな人間でありたいと望んでいるけれど、どうしていいかわからないというところだと思います。彼はアメリカから帰国し、母国インドの文化や風習を尊重したいと思っているけれど、そこには根深い階級社会があります。確固たる構造に対して、どう対処していいのかわからないのです。問題は、誰かが悪人というわけではなく、間違っているのはシステムであり、それを変えていかなければならないというところなのです。なので、この社会の軋轢を単純に善悪だけでは描きたくありませんでした。

──この作品は、高層ビルに住んでいるモダンな家が舞台ですね。これも現代のインドを反映しているのでしょうか。
インドは複雑な社会です。すべてが共生しています。まったく真逆のものが共生しているんです。ムンバイにはこの映画に登場するような高層ビルが立ち並んでいます。クレイジーな建築ブームといってもいいでしょう。一方で、人々の姿勢は前時代的で、古い価値観のままだったりします。この映画ではその対比を、村と高層ビルの対比で見せたいと思いました。私にとってインド社会とは、まったく正反対の世界が共存し、ぶつかり合うことです。インドのアート系の映画は、クラスの低い人々を扱った社会問題を孕んだものが多いし、逆にボリウッドの娯楽大作だと、上流社会のファンシーな家を舞台にしたりします。私にとってのインドの現実は、両方の世界がぶつかり合いなんです。

──この作品はカンヌ国際映画祭の「監督週間」で上映され、高い評価を得ました。新人監督としてはとても幸運なデビューとなりました。
この映画に関しては、驚きの連続なんです。カンヌの「監督週間」に選出されたことも、日本で公開されることも、然り。正直、この映画を作ったけれど、いったい誰が観るのだろう?と不安でした。この映画は、典型的な映画祭に選出されるタイプの映画とは違うと思います。つまりアート系と娯楽作品との間にある作品で、映画祭からは興味が持たれないのではと思っていましたから。けれど、アート系として認めらたようで嬉しいですね。

──ハリウッドをはじめ映画界では#MeTooムーブメントを始め、男女差別の是正や女性の地位向上などの運動が起こっています。そうした流れの中でもこの映画は注目されていますね。
起こるべき大事な運動だと思います。インドでも、そういうムーブメントは伝えられていますが、まだ父権社会なので、ムーブメントが起きてもすぐに抑圧されてしまうという現状がありますが。

──女性の数が少ない映画界で、不利だと感じたことはありますか?あるいは、アドバンテージを感じたことはありまあすか?
この映画は、既存の映画スタジオのシステム外から資金を調達する完全なインディペンデント映画なので、ジェンダーでの差別などはまったく感じませんでした。けれどこの映画を撮る以前に、インドのTV局で脚本家として働いていたときには、やはり男性社会だと常に感じていましたね。ハラスメントを受けたというよりも、それは肌で感じてしまうものです。アイディアとか企画を提案しても、それは女性向きじゃない?と軽くかわされてしまう。女性である私の視点は重みがないと判断されて、すぐに却下されてしまうといったことはよくありました。

映画を制作することは世界中どこでも、誰にとっても大変なことなので、特に女性だったから大変だとは思っていませんでしたが、今思えば、女性だからという点もあったかもしれません。一方でアドバンテージといえば、ラトナという女性キャラクターに感情面で共鳴できることは、間違いなく女性としてのアドバンテージだったと思います。それは、女性たちとの長年の交流や絆から得た経験や、彼女たちが直面している困難をリアルに理解できたからです。それはこの映画の成功にとても有益だったと思います。

それと女性は、どんな困難なことがあっても、大騒ぎすることがなく、なんとか切り抜けていく強さがあるのではないでしょうか。また去年のカンヌでは、「ウーマンズ・マーチ」をはじめ、男女平等に関する大きなイベントがありました。初めて行ったカンヌで、そのようなムーブメントの一部になれたことはとても感動的でした。

──インドではまだこの映画は公開されていないそうですが、インドの観客にも観て欲しいですか?
もちろんです。この映画からディスカッションが生まれて、ゆっくりでもいいから、何かが変わっていって欲しいですね。

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『あなたの名前を呼べたなら』(原題:Sir)

経済発展著しいインドのムンバイ。農村出身のメイド、ラトナの夢はファッションデザイナーだ。夫を亡くした彼女が住み込みで働くのは、建設会社の御曹司アシュヴィンの新婚家庭…のはずだったが、結婚直前に婚約者の浮気が発覚し破談に。広すぎる高級マンションで暮らす傷心のアシュヴィンを気遣いながら、ラトナは身の回りの世話をしていた。ある日、彼女がアシュヴィンにあるお願いをした事から、2人の距離が縮まっていくが──。

監督・脚本/ロヘナ・ゲラ
出演/ティロタマ・ショーム、ヴィヴェーク・ゴーンバル、ギータンジャリ・クルカルニー
2018年/インド・フランス合作/ヒンディー語・英語・マラーティー語/ビスタ/デジタル5.1ch/99分

日本公開/2019年8月2日(土)より、Bunkamuraル・シネマほか全国順次公開
提供/ニューセレクト
後援/日印協会
配給/アルバトロス・フィルム
公式サイト
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