【レビュー】中東のリアルをエモーショナルに描いた「生きている」傑作『存在のない子供たち』
- SYO
12歳の少年は、両親を訴えると決めた。「僕をこの世に産み落とした罪」で──。
『万引き家族』(18年)のパルムドール受賞に日本が沸いた第71回カンヌ国際映画祭(18年)で、コンペティション部門審査員賞、エキュメニカル審査員賞を受賞した『存在のない子供たち』。第91回アカデミー賞(19年)の外国語映画賞にもノミネートされた話題作だ。
最初にどうしても伝えたいのは、本作は社会派ドラマでありシリアスな展開はあるが、非常に見やすく、わかりやすく設計されていること。説教臭さは皆無で、感情の動きに重きを置いたエモーショナルな味わい。「枠」ではなく「色」を見れば、万人に届けようとする製作陣の心意気を感じ取られるはずだ。
もし、「重そう……」という理由で敬遠してしまっている方がいるなら、どうかほんの少しだけ勇気を持って挑戦してみてほしい。『ルーム』(15年)や『LION/ライオン 〜25年目のただいま〜』(16年)、『万引き家族』と同じく、理不尽な現実に立ち向かう子どもの冒険と成長を描いた傑作だから。きっと、あなたの「世界の見え方」を変える一本になる。
細部まで行き届いた「見やすさ」と「わかりやすさ」
中東の貧困地域で、両親や兄弟姉妹と暮らす「推定」12歳のゼイン(ゼイン・アル=ラフィーア)。出生記録のない彼は、誕生日も本当の年齢もわからず、学校にも通えず、両親に朝から晩まで働かされていた。ある日、妹が強制結婚させられるという事件が発生。絶望したゼインは家を飛び出し、外の世界に広がる過酷な現実に直面していく──。
僕がこの作品に興味をひかれたのは、本作のカンヌ版のポスターを見たときだ。路上を歩く少年の後ろ姿をとらえた一枚。彼はスケボーに乗せた大きな鍋を引いており、その中には幼児が入っている。道路の柵を隔てた向こう側には、高層マンションが並ぶ。彼に何が起こったのだろう?どんなドラマがそこにはあるのだろう?報道写真のような鮮烈なビジュアルに、強く心をとらわれた。ちなみに、本作の原題は『Capharnaüm』。フランス語では、「混沌・修羅場」の意味合いで使われるそうだ。この意味深なタイトルに、ますます鑑賞欲を掻き立てられた。
ただ、その当時に僕が本作に対して抱いていた印象は、「中東の貧困を描いた、重くて刺さる映画」だった。観た後にずーんと沈んでしまうような、でも強烈に記憶に残るような作品だ。
しかし、『存在のない子供たち』を観終えた今は、印象がまるで違う。映画としての完成度が尋常ではなく高いのだ。「子が親を訴える」という衝撃的な導入、テンポ良く転がる「事件」の数々、心に突き刺さるサスペンスフルな展開、時折クスッと笑わされるコメディ要素、ハートフルな優しいタッチ……常に観客を飽きさせないように設計されている。
監督を務めたナディーン・ラバキーは、『怒り』(16年)の李相日監督や『永い言い訳』(16年)の西川美和監督と同じ1974年生まれ。2007年に初長編『キャラメル』を作り上げ、本作では脚本・出演(ゼインの弁護士役)も務めるなど、マルチな才能の持ち主でもある。彼女の若く柔らかな感性が、作品に“今風”の空気とマイルドな深みを与えている。
「苦手」な人を作らない心配り
社会性がありつつ、映画としての面白さが際立つ構成。本作のストロングポイントは、リアリティとフィクションのバランスだ。
「中東が舞台だからよくわからない」という人には、ゼインをはじめとするキャラクターの親近感と、彼らの痛みや苦しみ、希望や愛情といった感情描写で共感への道筋を作る。「重い映画は苦手」という人に向けて作品全体のカラーリングをライトに保ち、入り込みやすい空気を創出。「つらい描写はちょっと……」という人への配慮も行き届いており、劇中には残酷描写がほぼ全くない。
端的に言えば、この作品は「真心」で出来ている。語り手が各キャラクターを何とか幸せにしよう、救いたいと本気で思っていることが痛いほど伝わってくるのだ。
映像的にも、決して小粒なものに終わっていない。冒頭からドローン等を使ったスケール感あふれる空撮シーンが展開し、ゼインが囚われている「現実」が一目で把握できる。下校する子どもたちをゼインが見つめるシーンも非常に素直な演出で、環境がもたらす格差がワンシーンで表現されている。「意図」と「目的」と「感情」が濁りなく描かれており、観客の思考を妨げるものが存在しない。実にスマートな作品だ。
ちなみに、音楽を担当したのはプロデューサーも兼任するハーレド・ムザンナル。ラバキー監督とは長年タッグを組み、私生活でも結婚している。夫婦だけあって映像と音楽のバランスが絶妙なので、鑑賞時にはその部分も注目していただきたい。
出演者と役がリンク
リアリティの部分で注目したいのは、キャスト面だ。自分と同じ名前の主人公ゼインを演じたゼイン・アル=ラフィーアは、シリア内戦に巻き込まれて学校に通えず、家族とレバノンへ亡命した少年だ。しかし難民生活は過酷で、一貫した教育を受けることができず、10歳から働きに出て家計を助けたという(現在はノルウェーに移住)。
劇中でゼインが巡り合う不法移民のシングルマザー、ラヒルを演じたヨルダノス・シフェラウは、難民キャンプで育ち、ホームレスも経験し、撮影中の2016年12月に不法移民として逮捕され拘束されてしまったという。その際には、ラバキー監督が保証人となって釈放させた。他にも、キャストたちは皆自分が演じたキャラクターと共通する背景を抱えている。ラバキー監督は「私の映画には俳優はいません。彼らは人生を演じています」と語っている。
リアルとフィクション、どちらかだけでは届かない。
この世界は決して、綺麗なものばかりじゃない。残酷な現実を提示するのは、映画の重要な役目だ。でも、みんながみんな「不幸」を観たいわけじゃない。この映画は、そのことを非常によくわかっている。ドキュメンタリーとフィクションは別物だ。物語として世に出すなら、より多くの人に届くように作らなければならない。だからこそ、この映画はリアリティで土台を作り、皆が物語に入り込めるような工夫が施されている。その原動力は、届けたいという純粋な想いだ。
マーベルのアイテムが登場する意図
劇中では、ハリウッドのコンテンツも重要な役割を果たしている。
例えば、ゼインが履いているズボンにはキャプテン・アメリカのシールド(盾)がプリントされている。バスのシーンではスパイダーマンならぬ「ゴキブリマン」を名乗るコスプレ老人が登場し、家出をしてラヒルのもとに身を寄せたゼインが、彼女の息子ヨナス(ボルワティフ・トレジャー・バンコレ)をあやす際に使うのはミニオンのおもちゃだ。
この映画で描かれているのは、紛れもない「今」なのだ。遠い国に暮らす彼らと私たちは、同じ時代に生きて繋がっている。これらのアイテムは、そのことを改めて思い出させてくれる。同時に、悲しみも抱かせる。ゼインが劇場で『アベンジャーズ』を観ることができる日は来るのだろうか?ラヒルとヨナスはいつか、ユニバーサル・スタジオでミニオンのアトラクションに乗れるだろうか?キャプテン・アメリカは遠いこの地にいる人々までは救えない。
「同時代性」は観る者の共感を加速させると同時に、本作においては登場人物との隔絶も際立たせる。日本に生きる私たちにとってゼインたちの生活自体は「他人事」であることは避けられないだろうが、映画を観ていくほどに心の距離は縮まっていくだろう。
キャラクターが心に生き続ける
ただ、彼らの幸せを願う。
それは、「自分の親を訴える」とか「貧窮のただなかにいる」といった過酷な境遇にいるからではない。彼らのことを知り、理解したからだ。
確かに、本作で描かれる「事件」は非常に心痛なものばかりだ。
例えば冒頭、ゼインは薬局に買い出しをさせられる。買ってきた薬は家ですりつぶされ、水に混ぜられ、ゼインの親はその中に衣類を浸す。これは洗濯をしているのではなく、刑務所にいる仲間が薬物を売りさばくために行っているのだ。着替えのための衣類であれば看守のチェックは免れるから。ゼインの日常は、生まれたときから犯罪の片棒を担がされている。
妹に初潮が訪れたと知ったゼインは、「両親に知れたら嫁に出される」と必死に隠そうとする。勤務先の商店の目を盗んで生理用品をゴミ袋に隠し、ゴミ捨てを装って店の外に持ち出し、妹に与える。わずか12歳の少年がだ。
親に「生まれなきゃよかった」と言われ、家を飛び出してからも、ゼインには過酷な試練が次々と襲い掛かる。まず、食べるものと寝る場所がない。ラヒルと知り合って束の間の安息を得るも、平和は長くは続かない。ゼインは、「地獄」は外の世界にも続いていたと知る。そうして、決定的な出来事を経て「親の告訴」を決意していく……。
こうやって書いていくとつらいエピソードのオンパレードだが、それでも見る者を選ばないと断言できるのは、そこに“体温”があるからだろう。
まぶたを閉じても思い出すのは、何かをあきらめてしまったような、暗く沈んだゼインの目。一度見たら忘れられず、彼が少年らしい輝きを取り戻せる日を願ってやまなくなる。
彼らの、この先を想う。ずっと幸せでいられますようにと祈る。この映画は、観た後もキャラクターが生き続けるのだ。観客の心にも、現実にも。
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『存在のない子供たち』(原題:Capharnaüm)
監督・脚本・出演/ナディーン・ラバキー
出演/ゼイン・アル・ラフィーア、ヨルダノス・シフェラウ、ボルワティフ・トレジャー・バンコレ
2018/レバノン、フランス/カラー/アラビア語/125分/シネマスコープ/5.1ch/PG12/字幕翻訳:高部義之
日本公開/2019年7月20日(土)、シネスイッチ 銀座ほか全国公開
配給/キノフィルムズ/木下グループ
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