Column

2019.06.12 18:00

【単独インタビュー】誰もが愛さずにいられない衝撃の感動作『アマンダと僕』のミカエル・アース監督に聞く

  • Fan's Voice Staff

パリで便利屋として働く青年ダヴィッドは、突然の不幸で最愛の姉を亡くし、シングルマザーだった姉のひとり娘アマンダの面倒を見ることになる。哀しみと大きな喪失にとまどい苦しみながらも、寄り添って生きるふたりに絆が生まれてくる……。

シリアスなテーマを扱いながらも、その繊細な人間描写と美しい映像、温かい眼差しが感動を誘う『アマンダと僕』。

第31回東京国際映画祭で東京グランプリと最優秀脚本賞をW受賞した本作で、長編第3作目にして、日本初公開となるフランスの新鋭ミカエル・アース監督のロングインタビューです。

──この物語は導入部で悲惨なテロ事件が描かれますが、2015年にフランスで起こった同時多発テロは、あなたにどんな与えた影響を与えたのでしょうか?
この映画は、テロの後の物語です。2015年の同時多発テロは、確かにこの物語を書くきっかけのひとつとなっています。私自身にとっても、パリはよく知っている場所ですし、よく知っている場所なので、(テロは)ショックではありました。あのような暴力的な悲劇があったという名残は、いまでもパリで暮らす人々の中にあります。少しずつ薄れてきてはいるものの、人々の記憶には強く刻まれてしまっているのです。テロの前後では、パリも変わってしまったと思います。軍人があらゆるところにいたりとか、公園など公共の場の使い方とか、歩道のような場所はテロから守ることができるのかとか、いろいろな議論が起こりました。街自体が変わってしまったといってもいいでしょう。

──この映画では、子どもの環境に順応する力、生命力をアマンダが体現していて、とても素晴らしかったですね。7歳の少女を主人公にするにあたって、リサーチはされましたか?
特に、リサーチはしませんでした。7歳の子どもといってもいろいろですしね。私自身、観察したり、人の話を聞くのが好きでした。今、おっしゃったように、子どもは大人以上にそういう力があるのかもしれません。この映画にはふたりの“子ども”が登場します。“大きな子ども”と“小さな子ども”。ふたりは一緒に不幸を乗り越えていきます。実際に、ふたりの関係をみていると、どちらが大人なのかもよくわかりません。アマンダは7歳ですが、理解力も責任感もあります。おっしゃったような、生命力もあると思います。もしかすると大人よりも、あるのかもしれません。そういったものを7歳の少女は自然に身に付けているんだと思います。

──アマンダの視点がみずみずしく、子どものことをとても理解して撮っていると感じられました。
まず、この題材を撮るにあたって、子どもを主人公に映画を撮りたかったんです。私自身にもふたり小さな子どもがいますけどね。映画を撮るにあたって、物理的な素材は家の中にあったわけです。映画を撮るにあたって、自分とあまりにもかけ離れたものは私は撮れませんね。

──お子さんは、おいくつですか?
2歳と4歳です。

──アマンダを7歳と設定した理由は?
7歳はちょうど、赤ん坊ではないけれど、幼さは残しながらも、自分の考え方ができるようになってくる年齢だと思います。きちんと言葉にして表現できる年齢だと思ったからです。

──ダヴィッドを、“大きな子ども”と表現をしましたが、彼はアグレッシブではなく、優しくて感受性に富んでいる。日本的にいうと“草食系男子”といえるかもしれません。あなたからみて世代的にはひとつ下ですが、彼は、あなたの思う若者像なのでしょうか?
今の子どもたちは、昔以上に思春期時代が長いというか、働くまでの猶予期間が長くなっていると思います。ダヴィッドのような繊細なところや優しさは、あくまで私が思うところであって、それが現代の青年像に当てはまるかどうかはわかりません。ただ、私自身はそういう人間関係を描きたいと思いますし、同時に、優しさに興味があり、そういうことを描くのに興味があるんです。でも、もちろん、映画ではモーリス・ピアラ監督のように、台風の目のような荒々しいところを表現し、人間を見せていくのもアリだと思います。

──ダヴィッドのキャラクターは、どのように構築したのでしょうか。
ダヴィッドだけではなく、すべてのキャラクターにいえることですが、なかなかそういった質問には明確に答えられないんです。私自身、シナリオ作家と比べると、直感的に考え、直感的に脚本も書いていると思います。なので、この人物の過去にどんなことが起こったのかといったバックグランドを組み立てて考えていく方ではないんですね。

──アマンダ役のイゾールは素晴らしかったです。オーディションで選んだそうですね。語弊があるかもしれませんが、特に、泣くシーンの演技は非常に素晴らしかったと思います。オーディションでも泣くシーンは演じさせたのでしょうか。
彼女の泣く演技が上手いという意見にはまったく同感です!アマンダ役のオーディションでは100人くらいの女の子に会ったんです。アマンダ役のイゾール・ミュルトリエは、道でスカウトした子なんです。学校から出てくるところでオーディションのビラを渡しました。彼女には赤ちゃんのような可愛らしさもあれば、非常にいきいきしたところ、ちょっと大人びたところもあります。

でも、オーディションでは泣かせませんでした。オーディションで子どもを泣かせるのは、なかなか問題もあるのでね(笑)。ただ彼女は、カメラに対してとても自然でした。もちろん、私にとってはひとつのかけでしたが、きっと彼女で上手くいくだろうと思えました。実際に、泣くといった、感情をあらわにするシーンでは、彼女自身とても不安で怖がっていましたけれど、撮影前によく話をし、お互いに信頼関係が築けたので、上手くいったのだと思います。彼女は、そのシーンでは悲しいことを思い出して泣いたようです。

──なにか別の話をして監督が泣かせたわけではなく、彼女が演技で泣いたのですね?
ええ。アマンダが泣くシーンはとても重要なシーンです。単に興味本位で入れているシーンではありません。なので、彼女はアマンダという登場人物は忘れてもらって、自分自身の感情で演技をしてもらったのです。たとえば、最近誰か大切な人を亡くしたとか、大切なものを失くした、苦しいことがあったとか。そういうことを考えてもらいました。

──泣くシーンは何回かありますよね。
ええ、いくつかあります。ラストのシーンは、5回くらい撮りました。5日間に渡って。その撮影は、最後の日に行われました。その日も彼女の自分自身のことを考えてもらうようにしました。

おそらく、彼女自身もこの映画の撮影も最後になり、ある程度の達成感を得て、やりきることができたという嬉しい感情もあったのだと思います。同時に、撮影が終わってしまうということで、スタッフや俳優たちと別れる寂しさも。こうした両面性のある感情とこのシーンの感情が重なって、彼女の人生とアマンダの人生が重なり、あのような演技につながったのだと思います。

──イゾールは、いつもお菓子を食べていますね。彼女の食欲は、生命力に繋がっていて、とてもたくましく見えました。
食べることが好きな子どもは可愛いですよね。その姿は感動的でもあります。それに、人間は、食べると、いろんなことを忘れるものです。知的に分析したり考えたりすることを避けることができるのです。なので、イゾールに自然な演技をしてもらいたいときに、なにかを食べさせたりして、自然な演技を引き出したという理由もあります。

──脚本にも、食べるのが好きな女の子、という描写が書かれていたのですか?それとも、イゾールにインスパイアされてこのようなキャラクターになったのでしょうか?
脚本には、太ったという表現はありませんでしたが、よく食べる子というのはありました。定期的にお菓子を買いに行くという習慣も書いてありました。けれど、イゾールを選んだことによって、出来上がったキャラクターともいえますね。

──アマンダの“エルヴィスが会場を去った”というセリフには驚きました。母親の話した物語を、アマンダは自分なりに解釈していたのですね。誰にも相談することなく、母親を失った喪失をどのように解釈すればいいのか、それを彼女なりに模索していた証のように思えます。7歳の子どもにこのセリフを言わせるというアイデアはどこから生まれたのでしょうか。
あのセリフは、アマンダと母親がもっていた共犯関係のような関係を代弁していると思います。彼女はこれまですべてを母親に頼ってきたわけです。セリフ自体は、7歳の女の子が言うには非現実的なところがありますが、最後に、母親が自分に説明してくれた“エルヴィス・ハズ・レフト・ザ・ビルディング”という表現を、自身が考え、テニスの試合が終わってしまったんだ、と思うんですが。応援している選手が勝ったことにより、まだ終わっていない、希望があるということを思った途端に、そこに母親のイメージが現れるわけなんですね。

──エルヴィスのエピソードをストーリーに入れ込むというアイデアはどういうところからきたのでしょうか。
実はこのフレーズは、この物語を書くひとつのきっかけとなりました。ある時、インターネットでCDを注文しようと思ってサイトを見ていたところ、私が求めていたCDはなく、そこに“エルヴィス・ハズ・レフト・ザ・ビルディング”(※)というメッセージが出てきたんです。私は、その意味を知らなかったので、調べてみて、面白い表現だなと思いました。それにインスピレーションを得て、脚本を書く段階でアイデアがどんどん広がっていきました。あくまでも平凡な表現かもしれませんが、平凡なものを書く中で、詩的なもの、叙情的なもの、小説的なものに変えることができると思います。

(※エルヴィス・プレスリーのコンサートに来たファンが、終演後にエルヴィスの姿をひと目見ようと会場に残っている際に流されたアナウンスが元。転じて、“ショーは終わった。お楽しみは終わり”という意味として使用される)

──窓を介した人と人とのコミュニケーションが多く描かれていますが、窓を隔てたコミュニケーションとはあなたにとってどんな意味があるのでしょうか?
ストーリー的な意味というより、隙間から見える景観が好きなんです。撮影監督にとってはあまり好ましいことではないかもしれませんが。画角を切り取るとき、部屋のレイアウトがどうなっているかを見せるより、そこから見える外の世界を見せたいと思いますね。

──日本からみると、あの景色はとてもフランス的ですね。窓からカフェが見え、外の人と交流できる、という。あなたにとって、ああいったコミュニケーションは日常的ですか?
個人的にいうと、隣近所の人と窓ごしに話をするタイプではないですね(笑)。絵作りを優先させました。

──姉の家から見えるカフェは、あなたのよく知っているエリアなのですか?
あの広場は、11区にあるヴォルテール広場です。あの界隈に10年間ほど住んでいました。私は、何かを書き始めるときは、よく知っている場所やものから始めます。知らないことは書けないので。公園もよく知っている公園をイメージして書いています。この映画に登場する場所は、基本的に私自身がとても好きな場所だったり、住んだことのあるよく知っている場所がインスピレーションになっているんです。

──東京国際映画祭上映時のティーチ・インでは、“走ったり、歩いたりするシーンが多いのは、映画に呼吸を入れ、リフレッシュさせたかったから”とおっしゃていましたね。パリを舞台にした作品で、自転車がこんなに出てくる作品は初めてみました。バイクや車のほうが多いですからね。
私自身もよく自転車に乗ります。私は、場所は登場人物のひとつだと考えています。なので、自転車に乗っている人を長回しで追いかけることによって、いろんな場所をみせています。実際、自転車で移動するのが便利だということもあります。冒頭に、悲劇的な事件が起こりますので、ある意味、音楽性というかリズム感をもたせて、観る人に受け入れやすいようにするため、映画に一息つけるような間を与えるためにも、自転車のシーンは必要でした。

──観光名所は出てきませんね。日常のパリを見せようと思ったのでしょうか。
観光的なパリではなく、日常的なパリを描きたいと思いました。たとえば、16区だとブルジョワが住んでいるとか、13区だと中国人が多いとか、すぐにどういう地域だとわかるようなエリアを舞台にするのはやめようと思いました。いろんな階層の人が混在しているようなエリアを選ぼうと思ったんです。普通のパリ。どこなのか、すぐに見てわからないようなパリ。私が当時住んでいた11区でもテロがありましたが、いろんな階層の人が住んでいます。残念ながら、パリの家賃は高騰する一方で、パリに住んでいる人もだんだん、単一化されていっています。お金のない人たちは、パリの外に追い出されている状況。まだ、11区にはいろんな階層の人が混じり合っているといえます。

──尊敬している監督にエリック・ロメールを挙げていらっしゃいますが、今回の人々の描き方は彼の影響を感じますね。他にどういう監督から影響を受けたのでしょうか。
私は、他のフランスの監督と違って、すごいシネフィルというワケじゃなくて、むしろ音楽に情熱を注いで生きてきたといってもいいですね。どういう監督というより、どういう作品が好きという感じ。あくまで自分がどう思うかということが重要なんです。

──では、映画監督になったきっかけは?
とはいっても、映画は子どもの頃からすごく好きでした。父が映画好きだったこともあるかもしれません。映画を撮るのが子どもの頃から夢でしたが、それも無意識のうちで確かなものではありませんでした。でも、自分が撮ると思うまでには長い時間がかかりました。長い間、私は映画とはまったく関係のない経済の勉強していたんです。ですから、なぜ映画監督になったのかは、自分でもよくわからないんですね。ただ、映画は、私の中で重要な表現方法のひとつであることは間違いありません。

──監督でないとすれば、どういう作品が好きなんですか?
最近は、シドニー・ルメットの70年代、80年代の映画をたくさん観ました。去年観た日本映画、濱口竜介監督の『ハッピーアワー』もとても好きでした。韓国のホン・サンスの映画もとても好きです。一方で、スピルバーグの『E.T.』も好きですね。つまり、ジャンルは関係ないんです。でも、最も感銘を受けた映画といえば、『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』ですね。もちろん、映画はたくさん見ますが、映画通とはいえないと思います。

──『アマンダと僕』の前に撮られた長編第二作『サマーフィーリング』(15年)の公開も決まりました。あなたの作品が日本でも観られるようになったことは嬉しい限りです。ありがとうございました。

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『アマンダと僕』(原題:Amanda)

監督・脚本/ミカエル・アース
共同脚本/モード・アムリーヌ
撮影監督/セバスチャン・ブシュマン
音楽/アントン・サンコ
出演/ヴァンサン・ラコスト、イゾール・ミュルトリエ、ステイシー・マーティン、オフェリア・コルブ、マリアンヌ・バスレー、ジョナタン・コーエン、グレタ・スカッキ
2018 年/フランス/107 分/ビスタ

日本公開/2019年6月22日(土)より シネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次ロードショー!
提供/ビターズ・エンド、朝日新聞社、ポニーキャニオン
配給/ビターズ・エンド
公式サイト
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