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2019.02.19 18:00

【来日インタビュー】人類初の月面着陸を達成した『ファースト・マン』ニール・アームストロングの息子が語る父の真実

  • Fan's Voice Staff

世界中で大ヒットした『ラ・ラ・ランド』で弱冠32歳で最年少受賞したデイミアン・チャゼルと主演ライアン・ゴズリングが再びタッグを組んだ待望の最新作『ファースト・マン』が2月8日(金)に公開されました。

 

史上最も危険なミッションである月面着陸計画に人生を捧げ、命がけで成功へと導いた実在の宇宙飛行士、アポロ11号船長ニール・アームストロング。全人類の夢であり未来を切り開いた偉業のすべてを、賞レース常連の実力派監督、脚本家、俳優らが集結し、当時の記録に基づく綿密な研究と持ち前の手腕によってリアリティと臨場感溢れる圧巻の映像が高く評価されています。

 

ニール・アームストロングは2012年に、映画に登場する最初の妻ジャネット・アームストロングは2018年に他界しており、アームストロング家の当時を直接知るのは、映画では幼少期の兄弟として登場する、ニールとジャネットの実の息子2人のみ。公開に先駆け、息子マーク・アームストロングが来日。当時の様子や、家族から見た素顔の宇宙飛行士の姿を語ってくれました。

 

 

──息子のあなたから見て、ニールはどのような方でしたか?

「そうですね。物静かで、思慮深く、良い聞き手で、教えるのが上手が人でした。映画の大部分で彼はずっとシリアスでしたけれど、楽しいこともの好きで、遊び心もある人でしたよ。彼はふざけたり笑いを誘うこともあったのです」

──映画での彼の描かれ方は、正確だったと言えますか?

「そう思いますが、少し(悩んだ様子)……説明させてください。この映画は、悲劇や死、緊迫した飛行シーンなど、重いトーンの描写が中心的です。そこに、家族との時間や明るめの瞬間が対比的に混ぜ込まれていますが、こうした描写をもっと入れられるよう、映画の尺がもっと長くしてくれたらと願うところもあります。映画では彼が無関心な人物に思えるかもしれませんが、実際にはそうではなく、彼は仕事に対して非常に真剣で、献身的だっただけなのです。遊び心のある様子は、多少は感じられたかも知れませんが、私と兄はそうした描写をもっと入れるよう(制作陣に)薦めましたし、ニールのそうした面を知る人たちを紹介しました」

 

マーク・アームストロング氏

 

──ニールはあまりメディアが好きではなかったそうですね。

「メディアを嫌っていたワケではありませんが、彼は自身について語らない人物で、自分のことを常に周りに知らせる必要はないと感じていたのだと思います」

──それに英雄扱いされるのもあまり好まなかったとか?

「父は、大勢の人々がチームとして努力した結果によるものだと常に感じていたのだと思います。このプログラムには40万人が携わりましたが、皆が家庭を犠牲にして一生懸命働き、多くの時間を注ぐことで、それぞれが確実な仕事を成してきました。そのため、大勢の人が受けるべき称賛を、父だけが受けることに、若干違和感を感じていたのだと思います」

 

 

──宇宙飛行士としてのミッションに関わる事以外では、ニールとはどんな思い出がありますか?

「私が好きだったのは、外から邪魔が入らない状況で、彼が父と息子として、1対1で私に接してくれていた時間です。例えば、アイスランドの人里離れた地にサーモン釣りに行った時。一緒にいたのは現地のガイドだけで、釣りをしながらアイスランドの自然を歩き回りました。父とこうした時間を過ごすことはほとんどありませんでした。特に私が小さかった頃、父は訓練を受けていましたので。家族では、(メキシコの)アカプルコに時々バケーションに行っていました。現地のとあるホテルのマネージャー、もしかするとオーナーか、オーナー兼だったのかもしれませんが、その人が大の宇宙好きで、我々を安く泊めてくれました。ですので、多くの宇宙飛行士が行っていましたよ。宇宙飛行士は、特に儲かる職業というわけではなく、収入は控えめでしたからね」

──あれほどの危険を伴う仕事なのにですか?

「その通りです。なので、アカプルコに行った小さい頃の思い出は、私にとって大切です。あとは、とにかく父が側に”いる”という記憶はありますが、私が小さかった頃は、思い通りに会うことができませんでした」

──ニールとうまくいかなかったりしたこともあったのでしょうか?

「どんな父と息子の関係にも、困難は付きものなのではないでしょうか。それ以上のこともなければ、それ以下でもありません。特に具体的な出来事は思いつきませんが……、子どもが成長する中で、息子が自立しようとしているのに、親が守りがちになってしまう日がいずれ訪れます。これは普遍的なことだと思いますし、そうした意味で、父と私の間に何か特別な事があったわけではありません」

 

 

──母であるジャネットやあなたたち子供たち家族は、月面着陸の様子をどのように見たのですか?

「家で、リアルタイムで見ました。当時、ミッションに出ている宇宙飛行士の家では、フライト期間中は自宅を開放しておくのが習慣でした。鍵はオープンで、次から次へと人が出入りしました。映画にも登場した、小さなラジオのようなスピーカーが置いてあり、管制センターからの音声が入ってきました。今なにが起きているのかを24時間通して知るには、これしかなかったのです。家にはいろいろな人が来て、回線の音声を聞いたり、母の様子を確認してくれたり、食べ物を持って来てダイニングテーブルに置いてみんながつまんだりしていましたね。このためだけに、ウィスコンシンやオハイオから来る親戚や友人もいましたよ。

私は当時6歳だったので、何かの役に立つと言うよりも、むしろ手間のかかる存在だったのでは、と思っています。断片的な記憶でしかありませんが、私にとってはワクワクする楽しい時間でした。皆は、今なにが起きているか探りに、そして母を支えるために来ていたのだと思いますがね」

──地球帰還後、ニールは旅の物語を家で語ってくれましたか?

「家で彼を囲んで、”どんな感じだったか話してよ”というような事はしませんでした。彼はメディアやNASAから常々質問攻めにあっていましたし、宇宙旅行や月面着陸の様子はこうした相手に何度も何度も話していたので、私たちもそこから内容を知りました。彼が家に帰ってきてプライベートな時間ができたのに、また同じ話をさせるようなことは、私たちが最も望まないことでした。代わりに他の事をしましたよ。一緒にトランプで遊んだり、パズルを組み立てたり、テレビを見たり、裏庭でキャッチボールしたり。普通の生活です」

──当時、彼のミッションの重要性や危険性について、あなたはどのように感じていましたか?

「全く意識していませんでした。特に危険性については。重要性も。6歳児がこうした歴史的背景を理解することはできないと思います……少なくとも私には無理でした。私の両親、特に母親は、彼女が感じていたこうしたリスクや危険性を、非常に上手く子どもたちに触れさせないようにしたと思います。どうやったのかはわかりませんがね」

 

──映画では、出発前にニールがダイニングテーブルで息子たちと会話するシーンがありますが…

「あれは実際にあった事で、兄と私が映画の制作陣に話したことです。”出発前、話し合ったりしたのか?”とハッキリと尋ねられたので、”ありましたよ”と答え、当時の様子を伝えました。この映画で描かれる前は、どこにも出ていないエピソードだと思います」

──その時、あなたとお兄さんはどのような反応を示しましたか?お兄さんと何か話したりしましたか?

「兄と話した記憶はなく、特に心配していなかったことを覚えています。”父さんが宇宙に行ってこなきゃならなくなって、しばらく隔離期間もあるけど、帰ってきたらまた会えるし、全部うまくいく”といった感じです。もし何かトラブルがあっても、彼らは十分に訓練を積んでいるからきっと対処して、ミッションは確実に成功する、という感覚が常に私たちの中にありました。月にたどり着くかどうかはわからないけど、必ず帰ってくる、と。その後80年代に入り、チャレンジャー号爆発事故には顔をひっぱたかれた感じがしました。全員がベストを尽くたからと言って、すべてが上手くいくわけではないとね」

──ニールのミッション成功により、家庭や学校でなにか変化はありましたか?

「多少ありましたね。ヒューストンでは、宇宙飛行士だけでなく、医者や技術者、エンジニアなど、NASAが宇宙開発のために国中から様々な人を集めたことで出来たコミュニティに住んでいたので、そこで暮らす人たちはチームのようなものでした。そんな環境の外へ引っ越した後は、あまりフレンドリーでないと言うか、違った感じがしました。同じチームではない人たちに囲まれているわけで、そうした中で育っていくのには、困難な事もありました」

──どこへ引っ越したのですか?

「まずワシントンDCで1年間、父さんはNASAに勤めましたが、その後シンシナティ大学で教職に就いたのをきっかけに、オハイオ州に引っ越しました」

 

 

 

──映画の話に移りますが、ライアン・ゴズリングとデイミアン・チャゼルに初めて会った時の印象は?

「私が最初に会ったのは、(脚本の)ジョシュ・シンガーとプロデューサー二人でした。その時私が最初に考えたのは、”彼らは正確に映画を作る気があるか”ということでした。自分として関わりたいか、関わりたくないか、少しだけ関わるのがいいのか、その距離感を測りたかったわけです。そして、彼らと話せば話すほど、正確に描くことに真剣であることが伺え、私たちもより引き込まれていきました」

──そしてライアンとも会ったわけですね。

「はい。ライアンとデイミアンと会った時の目的は、とにかくライアンが我々としっかり話す機会を持つことでした。当時ライアンは役作りの段階で、ニールとはどんな人物で、どのように演じるか、探っている状態です。3時間ほどディナーを共にしたのですが、非常に好印象で、ライアンと話せば話すほど、彼からの質問が良くなっていったのです。我々の回答に沿って彼は質問内容を発展させていて、彼の真剣さと、この役に全力で取り組もうとする意気込みが感じられました」

──どのような話をしたのですか?

「”覚えていることを話してください。どのような家庭でしたか?お父さんはどんな人でしたか?お母さんはどんな人でしたか?二人はどんな感じでしたか?外で一緒にディナーするとどうでしたか?”という具合に、次々と質問されましたが、先ほど話したように質問はどんどん進化していき、ライアンの真摯さを感じることができました」

──デイミアンについてはいかがですか?

「デイミアンは素晴らしいです。本当に素晴らしいです。彼は非常に洞察が深く、聡明な人です。管制センターのシーンに私もちょっぴり関わっているので、デイミアンの監督姿を目撃しましたが、彼は人としても映画監督としても素晴らしかったです。デイミアンもライアンも、これだけの成功を収めているのにも関わらず、謙虚で穏やかで、エゴもない。私は二人の大ファンですよ」

 

 

──映画本編を観た感想を教えてください。ニールはこの映画にどんな反応を示すと思いますか?

「素晴らしい出来だと思いました。95%に同意しますが、5%は……。でも、私なりの視点であること、本作がハリウッド映画ということ、しかもドキュメンタリーでないことを考えると、非常に良い結果だと思いますよ。父さんだったら……父さんとは飛行や宇宙の映画をたくさん観ましたが、いつも彼が最初に言ったのは、”技術的ディテールが正しく描かれていたか”、”正確か”、”的確な人物が的確な場所で的確な事を言って的確な事をしているか”といったことでした。『ファースト・マン』は非常に深く研究された映画なので父は気に入ると思いますし、技術的に正確であることを、父は喜ぶと思います。注目を浴びることは好まないでしょうがね」

──その5%というのは?

「それは言えませんよ。問題になってしまいますからね(笑)。でもひとつ言えるのは、私が映画の中にぜひ入れて欲しいと思っていたシーンが、カットされてしまったことですね。私たちの家は1964年に火事に遭い、全焼してしまいました。家は全く同じように再建されたのですが、映画では、火事の前後で家が完全に同じに見えたら、信憑性にかけると懸念したみたいですね。でも実際に、同じだったんです。火事のシーンはカットされてしまいましたが、私たちにとっては非常に大きな出来事でした。家族写真をはじめ、ほとんど全てを失ってしまったのですから。あれは、本当に本編に取り入れて欲しかったですね」

──そのシーンは、撮影はされたのですよね?

「はい。すべて撮影されました。実際に家を燃やしてね。ディレクターズ・カット版にでもなればいいですが。あのシーンはこの映画に大きな意味合いを与えると思います」

 

 

──ジェイムズ・R・ハンセンの伝記のなかで、母ジャネット(ニールの最初の妻)は、ニールが他の飛行士のように、月に家族のものをもっていかず、月からなにも持ち帰らなかったことをとても残念に思っているといっていましたが、実際に、父ニールから月からあなたへなにか持ち帰ったものはなかったのでしょうか?

「ニールはたくさん持ち帰ってきましたよ。全部NASAのものですがね。月から私物を持ち帰ることが許されていたか知りませんが、きっと彼は、”自分は政府職員で、職務があり、自分のためではなく仕事のため”というスタンスでいたのだと思いますよ」

──カレンのブレスレットを放るシーンは、映画上の演出なのでしょうか?

「私が言えるのは、彼はウエストクレーターに実際に行き、10分ほど無線が通じない時間あったということ。普段は無線の会話しているので状況がわかるのですが、その時間だけ、彼が何をしていたのか、わからないのです。私が知る限り、彼はその時のことを一切人に話していません。個人的な何かをこっそり持っていったというのは素敵なアイディアですし、実際にそうだったのかもしれません。彼の性格的にはおかしくない行動です。それを誰にも言わないことも含めてね」

──あなた方にも言わないということですか?

「そのとおりです。実際に行って確かめたいですよ」

──宇宙飛行士になりたいとは思いますか?

「ぜひなりたいと思いますね。家族を連れて宇宙へ行きたいです」

──アポロ11号のミッションから50年経った今、この映画が作られることにどういった意義があると思いますか?今日も、人間の月旅行の夢はかなっていませんが、ニールはどのように宇宙開発の意味をどのように考えていたのでしょうか?

「今よりももっと先へ進歩しているのを想像していたと言いましたね。スペース・シャトルは大きな成功を収めましたし、アポロ・ソユーズ(テスト計画)も非常に上手くいきました。スカイラブも良いミッションでした。しかしながら、コンステレーション計画という新しいプログラムは打ち切られしまいました。打ち切り前、(宇宙飛行士の)ユージン・サーナンとジム・ラヴェルが米国議会で登壇し、”このプログラムを打ち切るのは非常に大きな過ちである。我々は多大な努力により宇宙開発を牽引する現在の地位を確立してきた。それを失ってしまうことがないように”と証言しました。そして、その地位はある程度は失われてしまったわけですが、またようやく前進し始めている気がします。ちょっと寄り道してしまった感じは否めませんが、希望はあります」

 

 

──今回、ニールの持っていた日本に関する本をお持ちになったと伺いました。

「はい。ニールは21、22歳の頃、朝鮮戦争に出兵していて、空母艦から飛び立ち、鉄道や橋といった供給ラインを破壊するミッションを中心に活動していました。映画化もされたジェームズ・ミッチェナーによる「トコリの橋」という小説があるのですが、ミッチェナーがリサーチ目的で乗船していたのが、私の父がベースにしていた空母エセックスでした。休暇の時間が出ると、父は日本に来ていたそうです。今回持ってきたのは「We Japanese」(山口正造)という分厚い本で、日本の様々な文化や歴史を紹介した観光ガイドです。(実物の本を見ると)非常に読み込まれているのが明らかですよね。それから、ヒューストンの家には、日本に限らず東洋からの家具がたくさんありました。ニールは古い文明に深い関心と興味があったのだと思います」

──日本について、ニールとなにか話したりはしましたか?

「日本では非常に楽しい時間を過ごしたと言っていたのを覚えています。まだ小さかったので、詳しいことは記憶にありませんが、宇宙や飛行機以外にも、彼はたくさんの事に興味があったのだと思います。熱心な読書家でしたしね」

 

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『ファースト・マン』(原題:First Man)

監督/デイミアン・チャゼル
出演/ライアン・ゴズリング、クレア・フォイ、ほか
脚本/ジョシュ・シンガー
原作/「ファーストマン:ニール・アームストロングの人生」(ジェイムズ・R・ハンセン)
全米公開/2018年10月12日

 

日本公開/2019年2月8日(金)全国ロードショー!
配給宣伝/東宝東和
©Universal Pictures and DreamWorks Pictures
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