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2018.12.14 7:00

【単独インタビュー】オダギリジョーとアンジェラ・ユンが共演『宵闇真珠』の新進監督が製作秘話を語る

  • Fan's Voice Staff

香港出身の注目の新人アンジェラ・ユンとオダギリジョーの共演の『宵闇真珠』は、香港の漁村を舞台に、父とふたりで暮らす孤独な少女(ユン)が、どこからともなくやってきて村の廃墟に住み着いた男(オダギリ)との交流を通して、自らの人生に目覚めていく人間ドラマだ。

ウォン・カーウァイの『ブエノスアイレス』(97年)や『花様年華』(00年)、アレハンドロ・ホドロスキーの『エンドレス・ポエトリー』(16年)で知られる国際的な撮影監督クリストファー・ドイルと共同監督を務めた新人ジェニー・シュンにインタビュー。自らの体験を反映させたという物語、変わりゆく故郷香港への想いを語った。

──このデビュー作を撮ったきっかけを教えてください。

「8年間、アメリカで勉強しましたが、映画を撮りたいと思ったときに、自分のルーツがある香港で撮りたいと思いました。香港へ戻ったとき、部屋の窓から漁村を見たら、以前昔見ていた風景とはまったく違うものでした。漁村にはもはや人は住んでいなくて、この10年で香港が本当に変わってしまったのだと感じました」

──この映画の舞台となっているランタオ島の漁村、大澳で育ったんですか?

「別の漁村です。大澳は、香港の中心から電車やバスやタクシーなどを乗り継いで2時間くらいかかり、しかも、そのエリアに入るのにも許可がいります。そういうちょっと辺境な故に、特殊な文化を遺しているところです。漁村の人々は、土地所有することはできません。建物も“スティルトハウス”といって、水上に浮かぶように建てられています。最後の漁村といわれています。他の漁村はほとんどもう人が住んでいませんから。この映画につくるにあたって、2年前、ロケハンでいろいろな漁村を見て回りました。実は、大澳は、観光名所としてもあまりにも有名な漁村だったので、当初は考えていませんでした。けれど行ってみたら、学校が3つ、教会も2つあり、病院もあって若者から高齢者まで住んでいて、つまり、ひとつの村として生活が営まれていたのです。それがこの村をロケ地として選んだポイントでした」

──主人公の少女“ホワイトガール”のキャラクターはどのように創り上げていったのでしょうか。あなた自身を投影されているとか?

「私は子供の頃、アメリカンスクールに通っていました。広東語は話せても、英語の方が得意なくらいでした。普通の中国人の中ではよそ者的に見られてきました。その後、アメリカで8年暮らしましたが、アメリカでも変わり者的な存在でした。この“ホワイトガール”のどこにも属さない、そして自分がどこからきたのかわからないというアイデンティティに対する不安や疑問は、まさに私が感じていたことです。だから、私は心理カウンセラーに通う代わりに、映画を作ったようなものですね」

──少女やオダギリジョー演じるキャラクターにも名前がないのは?

「ジョーの役には本当は名前がありました。けれど、私たちはそれを一度も使わなかったんです。“ホワイトガール”に名前がないのは、彼女がまだ何者か、自分でもわからないからです。私の中国名は、孫明莉というのですが、私はずっとこの名前が嫌いでした。莉は、ジャスミンの花という意味です。可愛いという意味で使います。私の母は、いい娘に育って欲しくてこの名前を付けたのです。いい学校に行って、嫁に行って。でも、私は“花”ではありません。で、ずっとこの中国名を変えたかったのですが、他のいい名前が浮かばなかった。名前を変えるのって大きなことですからね。2年前に撮影中に海を見ていて、“白海”という名前を思いつき、改名しました」

──オダギリジョーを起用した理由はなんですか?

「彼は真のアーティストですから。ジョーの監督作品をクリスが撮影しているので、彼にコンタクトをとることは可能でした。私が最初に彼に会ったのは、彼が最初に香港に来たときでした。直接会う以前に、彼はこの仕事を引き受けてくれていたのです。初日に私たちは脚本について話し合いました。2日目は、衣装合わせをしました。3日目は、一緒に珠明村に行って、ボートで回りました。まるで(イタリアの)ベニスのようなんです。あんなにエレガントでグラマラスな場所じゃないですけどね。もっとずっと質素。彼はその独特の村を見て、この映画の主旨がよく理解できたようでした」

──この10年間、香港は大きく変わったそうですが、この映画はむしろ香港のノスタルジックなところを映し出しているように感じました。特に、主人公の“ホワイトガール”の周囲はまるで時間が止まっているようですし。あなたは香港の現代をどのようにこの映画に投影しようと思ったのでしょうか。

「本当の香港は失われてしまった、と私が言ってもみんな信じてくれませんでした。私がこの映画で映し出した香港は、人々に知られていない香港を描いています。ある意味、寓話のようでもあり、“ホワイトガール”の存在や消え行く漁村はその象徴でもあるのです。今回映画を撮り始める前は、自分のスタイルはどういうものなのかわかっていなかったのですが、自分が信じている“リアルな香港”というものをつくっていく中で、このようなスタイルが生まれました。先日まで開催されていた東京フィルメックスに参加していたのですが、そこで観たタイ映画『マンタレイ』(プッティポン・アルンペン監督)は、とても共感しました。ローバジェットで特撮もないけれど、とてもマジカルな、魔法のような映画でした。自分の世界観を作られれば、『アバター』(ジェームズ・キャメロン監督)のような特撮もなく、大きなバジェットがなくても、自分が信じていることが伝わるのだということを、そのタイ映画を観て確信しました」

──共同監督と撮影監督に名前を連ねているクリストファー・ドイルは世界的に有名な撮影監督で、映画監督としても何作か作品を撮っています。今回はあなたの脚本を読んで、この作品を共同監督しようということになったそうですが。

「この映画の発端は、私が書いたショートストーリーだったんです。今の最終的な話とはかなり違ったものですけど。6年くらい前のことです。それをクリスに見せたら、“面白いね、気に入ったよ。映画にしよう!”と言ったんです。それで、“OK、でも、監督は誰にする?”って、今思えば間抜けな質問をしたら、“もちろん、僕と君で監督するんだよ!”と返ってきました。子供の頃は、映画監督になるなって一度も考えたことはありませんでしたから、驚きましたね。それから5年間かかって脚本を書いたんです」

──共同監督はどのような役割分担があるのですか?

「彼がやりたくないことは私がやって、私がやりたくないことは彼がやる、という感じですかね。基本的に彼は現場では、技術スタッフと一緒に撮影周りの準備をし、私は俳優たちと一緒にいて、脚本まわりのことをしていましたね。衣装や演出に関しては、一緒にやりましたね」

──デビュー作を撮って、あなた自身に変化はありましたか?

「私にとって映画は人生そのものだと思っています。香港に戻ったのが2009年。映画が完成するまでに結局9年間かかりました。でも、終わりという気はしません。まだ、自分が何者かを探求しているんです」

──映画監督デビューした今、次回作の予定はありますか?

「次の映画は、女子映画(チックフリック)を撮る予定です。女子映画は、高尚な映画じゃなくて、いわゆるポップコーンムービーといわれるような作品が多いけれど、私はもっと深いものを撮ろうとしています。ふたりの女性と金持ちの男性の話。1966年の傑作映画『ひなぎく』(ヴェラ・ヒティロヴァ監督)にオーマージュを捧げているの。2年前にこの映画を観て、こういう映画をつくりたいって思ったんです」

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ジェニー・シュン

1983年、香港生まれ。ペンシルベニア大学卒業。比較文学、政治科学、東アジア言語と文化でBAとMAを取得。クリストファー・ドイルとともにドキュメンタリー『Hong Kong Trilogy: Preschooled Preoccupied Preposterous”』(15年、日本未公開)を製作。『宵闇真珠』で長編映画監督デビュー。

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『宵闇真珠』(英題:The White Girl)

香港最後の漁村、珠明村。幼少時から日光にあたるとやせ細って死んでしまう病気だと言い聞かせられ、太陽から肌を隠して生活する16歳の少女は、透き通るような白い肌の持ち主。村人たちからは「幽霊」と呼ばれ、気味悪がられている。日没後、肌を露出し、お気に入りの音楽をお気に入りの場所で楽しむことが、少女にとって唯一孤独を癒やす手段だった。ある日、どこからともなくやってきた異邦の男と出会った少女は、今まで知ることのなかった自身のルーツに触れていくことになるのだが…。

出演/オダギリジョー、アンジェラ・ユン
監督/ジェニー・シュン
監督&撮影/クリストファー・ドイル
原題:白色女孩
2017年/香港・マレーシア・日本/広東語・北京語・英語・日本語/日本語字幕:神部明世/97分/カラー/ビスタ/5.1ch/映倫G

日本公開/2018年12月15日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
配給/キノフィルムズ/木下グループ
公式サイト
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