Column

2018.10.07 21:45

『クワイエット・プレイス』の”音”を物理学的に解読する。キーワードは”共振周波数”と”等ラウドネス曲線”

  • JOSHUA

※本記事には『クワイエット・プレイス』のネタバレが含まれます。

 

「音を立てたら、即死」──とはいっても、どうやら小さな足音や囁き声程度なら大丈夫なようだ。2020年、突如地球にやって来た音に反応する“何か”によって、世界は恐怖と混乱に陥っていた。もはや人類絶滅の危機という設定だが、『クワイエット・プレイス』が描くのは、あくまである家族の小さくて儚い物語である。

 

『クワイエット・プレイス』は説明を極力避けるよう作られている作品なだけあって、そこら中に考察の余地が残っている。SF好きな私が2回観ただけでも、“何か”はいったいどこから来たのか?地球上に何体の“何か”が出現したのか?人類は何人生き残っているのか?といった疑問が次々と湧いてくる。どれも興味深いテーマだが、今回は、ラストシーンでなぜ”あの音”で”何か”は怯んだのか?という、本作を観た全員が抱いたであろう疑問を追求していきたい。

 

作品が「説明をしない」わけだから、答えを見つけることなど出来ないと思われるかもしれないが、幸い私たちには科学という武器がある。“武器”を手に、『クワイエット・プレイス』のさらに先の領域へ、足を踏み入れていこう。

 

音の減衰から分かる“何か”の耳の良さ

 

隣の人の話し声や鳥のさえずりが聞こえたりするのは、空気があるからである。小学校の理科で習うように、「音」とは空気の「振動(ゆれ)」であり、この空気の振動が人間の耳の鼓膜を揺らすことで、人は音を聞きとることが出来る。『クワイエット・プレイス』の“何か”は恐ろしいほど耳が良いのだが、誤解がないようにまずここで「耳が良い」という意味の整理をしておきたい。

 

「耳が良い」といったとき、
①「あの人は音の違いが分かる」のように音楽的能力という意味
②人間の可聴音外の周波数の音も聞くことが可能という意味
③非常に小さな音でもよく聞こえるという意味
と、大きくわけて3つの意味がある。

 

『クワイエット・プレイス』の“何か”が「耳が良い」というのは①ではないのは当然として、②でもなく、③の意味で用いる。周波数が大きい音や小さい音、つまり高い音や低い音が良く聞こえるというのは、小さい音が聞こえるのとはまったく違った能力なので、これ以降“何か”の耳の良さについて明言したら、それは③の意味である。

 

 

さて、このムチャクチャに耳の良い“何か”は人間と比べて、いったいどれだけ耳が良いのだろうか。

 

本作を観た人ならきっとトラウマになっているであろう、末っ子のビューが“何か”に襲われたシーンを思い返すと、“何か”はおもちゃの音くらいであれば遠くからでも聞き取り、とてつもないスピードでやってくることが分かる。

 

仮におもちゃが60dB(デシベル)程度の音の大きさだったとすると、音の減衰量を計算することができる数式に代入し、空気や木などの影響を考慮して計算を進めると、おもちゃの位置から約1000m付近で音は完全に聞こえなくなる──となる。いくら耳の良い“何か”といえども完全に聞こえなくなった(正しくは”減衰”した)音を聞きとることはできないだろう。

 

人間が近くにいてやっと聞こえる音は大体20dB程度(呼吸する音、木の葉のそよぎ程度)であり、”何か”は0dBに近い音であっても0dBでない限りは聞こえると仮定すると、差の20dB分だけ”何か”は人間と比べて耳が良いということになる。

 

デシベルという単位は対数の単位なので、20dBということは”何か”は人間の耳より10倍耳が良いという計算結果が私の電卓には出てきた。

 

(※注:人間が感じる音の大きさに関しては様々な要因が寄与するが、中でも面白い認知科学の法則に、ウェーバー・フェヒナーの法則というものがある。100の音が200の音に増加したときに感じる感覚量と、200の音が400の音に倍音したときの感覚量は等しい。人間の感覚器官は本質的に対数感覚を有しているのである)

 

 

うむむ……10倍か。

 

計算を始める前は1000倍くらいの耳の良さは持っているだろうと勝手に予想していたが、案外”何か”の耳の良さはかわいいものがあるみたいだ。たとえば普通のささやき声は大体30dB程度で、これは50m先くらいで完全に聞こえなくなる。建物の中にでもいればもっと早い段階で聞こえなくなるので、父親役のジョン・クラシンスキーや母親役のエミリー・ブラントがささやき声で喋っていたのは、物理学的にみても正しい行為といえる。

 

しかし普通の会話だと約60dBの音の大きさなので、これは近隣にいる”何か”たちにパーティの招待状を送りつけるようなものなので、絶対にやらない方が身のためだ。さらに咳やくしゃみは70〜80dB程度の音なので、その意味では『クワイエット・プレイス』の世界では風邪をひいた時点でそれこそ「即死」なので、「風邪をひいたら、即死」と宣伝フレーズを変えてもいいかもしれない。

 

共振周波数と「等ラウドネス曲線」

 

人間の耳はとても良く出来ていて、拾った音で鼓膜を振動させるばかりでなく、「中耳」と呼ばれる鼓膜の内側の部分で音を増幅させることが出来る。

 

私たちが意識しようと意識しまいと耳は勝手に音を増幅させてくれるわけだが、実は人間には同じ音の大きさであっても聞きやすい音と聞きにくい音がある。

 

たとえば赤ちゃんの泣き声や女性の悲鳴、こういった声は他の低い音よりも遥かに聞きとりやすく、私たちの耳はこういった音には敏感に反応することが出来るようになっている。

 

人間が最も聞きとりやすい声の高さは2,000〜4,000Hz(ヘルツ)くらいで、この領域の音は耳の中で「共振」という現象を起こさせ、音がさらに増幅されて聞こえるのである。このときの音の高さ、つまり周波数を共振周波数と言うのだが、難しいことは置いておいて「人間の耳には増幅されやすい音の高さがある」というのがキーポイントである。

 

さて、「人間が聞く音」をうまく可視化したグラフをここで見てみよう。このグラフを「等ラウドネス曲線」という。

 

等ラウドネス曲線(出典:Yôiti Suzuki, Hisashi Takeshima. Equal-loudness-level contours for pure tones. J. Acoust. Soc. Am.116 (2), pp.918-933, 2004.)

 

一見難しそうだが、「等ラウドネス曲線」は非常にシンプルな曲線で、「人間が同じ音の大きさ」と感じるのに必要な音圧レベルを示すグラフである。たとえば真ん中の数字が60と書かれた線に注目してみよう。このグラフは、下のメモリが10〜1,000Hzの部分ではグラフは下がっていき、そこで一度山を作った後で2,000〜4,000Hzのところで最も小さい値をとっている。

 

そう、この2,000〜4,000Hzの部分が先ほどの「共振周波数」の部分である。つまりこの一帯は共振が起こるために、人間に同じ大きさの音と感じさせるために必要な音の大きさは低い音と相対的に小さくて済む、ということだ。

 

しかしこれが『クワイエット・プレイス』の”何か”となんの関係があるというのだろうか。いよいよ「ラストシーンで“何か”はなぜ父親の手作りの補聴器の”あの音”で怯んだのか?」という問題に刃を入れていこう。

 

なぜ”何か”は怯んだのか?

音に敏感な”何か”の弱点、それは意外なことに「音」であった。

 

「補聴器のハウリング音」という音は、現代の高性能な補聴器ではまず滅多に起こらない。ハウリングは、増幅された音が外耳道から漏れ、その音が再度増幅されてしまうことで発生する不具合の代表格みたいなものである。ハウリング音が”何か”の弱点だったことにもっと早く気がつくことが出来れば助かる命もあったかもしれないが、しかしこの幸運ともいえる不具合は父が作った不完全な補聴器だったからこそ発生したのだともいえるのだ。

 

(※注:舞台裏を話すと、人間と”何か”の耳の良さの定量的な良さの違いから、”何か”の耳の共振周波数を出してみたりしたが、これは上手くいかなかった。テコの原理を利用する人間の耳と同モデルを仮定して計算を進めると、共振周波数を可聴音帯にいくつももってしまうことになってしまったので、これはきっと”何か”の耳の構造が人間のものとは違うことを意味するのだろう。当たり前だが、計算が上手くいかないことの方が多い)

 

 

勘の良い人ならもうお気づきだろうが、そう、「補聴器のハウリング音」は“何か”の耳の共振周波数にヒットするような「音」だったのである。

 

共振周波数に見事にヒットしたハウリング音は、“何か”のただでさえ聞こえの良い耳の中で必要以上に増幅され、“何か”を麻痺させる結果になった。“何か”の耳の「等ラウドネス曲線」は、補聴器のハウリング音の周波数領域でとても低い最小値を持つようなグラフを描くのだろうと推測出来る。それに高い音は、低い音に比べて空気中の減衰が早いので、普段森林を闊歩する”何か”の耳には届かなかったのだろう。

 

至近距離で放たれた共振周波数に一致したハウリング音は、地球上で唯一“何か”に対抗できる、父から託された「武器」なのである。

 

 

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『クワイエット・プレイス』(原題:A Quiet Place)

音を立てると“何か”がやってくる。
音に反応し人間を襲う“何か”によって荒廃した世界で、生き残った1組の家族がいた。その“何か”は、呼吸の音さえ逃がさない。誰かが一瞬でも音を立てると、即死する。手話を使い、裸足で歩き、道には砂を敷き詰め、静寂と共に暮らすエヴリン&リーの夫婦と子供たちだが、なんとエヴリンは出産を目前に控えているのであった。果たして彼らは、最後まで沈黙を貫けるのか―――?

 

監督・脚本・出演/ジョン・クラシンスキー
脚本/ブライアン・ウッズ、スコット・ベック
製作/マイケル・ベイ、アンドリュー・フォーム、ブラッド・フラ-
キャスト/エミリー・ブラント、ミリセント・シモンズ、ノア・ジュプ
全米公開/2018年4月6日

 

日本公開/2018年9月28日(金)新感覚サバイバルホラー、解禁
配給/東和ピクチャーズ
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