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2017.04.25 10:22

【最速レビュー/ネタバレなし】『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』はMCUの最高傑作だ!!

  • Kazutaka Yokoo

マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)の第10作目として2014年に公開され、全世界で7億ドルを超えるヒットとなった『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』(以下、GotG)。その待望の続編『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』(GotG2)がついに公開になる。その本編の世界最速スクリーニングがなんと日本で4月10日(月)に行われた。5月12日の日本公開だが、ネタバレを避けてレビューをお届けしたい。

「親子関係」

近しい間柄でありながら、ときに最も面倒くさい関係になったり、あるいはちょっと気まずくなったり。家族とは、なかなかやっかいなものである。ここにも気まずい「家族関係」に直面する男がいる。スター・ロードことピーター・クイル、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』の主人公である。

©Marvel Studios 2017

本作の主軸となるのは、このピーターを巡る「親子関係」である。

ピーターが率いる宇宙のおちこぼれ軍団「ガーディアン・オブ・ギャラクシー」は黄金の惑星の指導者アイーシャの無敵艦隊に追いつめられるが、彼らを救ったのが“ピーターの父親”を名乗る謎の男エゴだった。カリスマティックな彼に魅了されていくピーターだが、この自称父親のエゴ、“育ての親”ともいえるヨンドゥ。銀河を救うというアドベンチャーストーリーと平行して走る、“ピーターの出生の秘密”がこの作品の隠れテーマである。

©Marvel Studios 2017

親子の諍いは誰にでも経験がある。だからこそ、観客は気づけばどっぷりとピーターに感情移入してしまう。そんな「あるある」を宇宙の彼方で繰り広げたのが、本作の面白いところだ。設定を練り込んだSFほど、複雑な人間関係を描くのは難しい。世界観描写にたっぷり時間をとられるから、どうしても人間関係の描写が手薄になるのだ。SFやスペースオペラといえば、どんなエイリアンがいて、どんな星があって、そこでどんな社会が作られているのかが、ディテールが重要になる。あの「私がお前の父なのだ」というセリフで有名な宇宙一有名な親子喧嘩などは、そこに至るまで3作を要した。

だが、GotGでは、1作目でそれらをかなり丁寧に描いていたおかげで、この続編ではキャラクター同士の関係性に集中できる。ある意味、2作目でなければできなかったことをきちんとやりとげている。幸い、この傑作は公開までまだ時間の猶予があるので、もし1作目を観ていない人は、観ておくことをおすすめしたい。

「キャップはトニーのお父さん?」

『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』の裏テーマは、親子の確執と言ったが、実は『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン(以下、AoU)』以降のMCU作品は、多くが親子関係をテーマにしているたとえば、『AoU』は父をトニー・スターク、子をウルトロンに据えた、世界規模のはた迷惑な親子喧嘩だ。ジェームズ・スペイダーの魅惑的な声で騙されそうになるが、ウルトロンの行為は結局、「俺と親父は似てねぇ!」という、思春期少年の反抗そのものである。「ライ麦畑でつかまえて」のホールデンも真っ青の青臭さだ。終盤、ヴィジョンに「信じられない青臭さだ」と悪態をついた彼だが、当のヴィジョンの返しをみるに、あの場でどちらが子どもっぽかったかは明白だろう。

さらに興味深いのは、後に続く『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ(以下、CW)』の構造だ。『CW』ではうってかわって、子のポジションはトニーが占める。では父は誰かと言えば、当然ハワード・スターク……ではなく、スティーブ・ロジャース/キャプテン・アメリカだ。わざわざ最先端のテクノロジーで「チャーリー」時代のRDJを呼び戻してまでトニーの過去を描いた理由がそこにある。「CW」の終盤は、あの日トニーが実父にぶつけ損ねた感情を、父の知己であるキャップを父に見立て、鉄の鎧越しにぶつけ直しているシーンなのだ。そうしてすべてを吐き出す壮絶な喧嘩の末、つい「盾を置いて行け」と言い過ぎたトニーを、スティーブは一筆で優しく赦す。父を持たずに育ったトニーの葛藤を払拭する、それこそが『CW』でのスティーブの役割だった。

このように、ここ最近のマーベル映画の大筋は、本作1本に込められたストーリーと同様の流れをたどっている。だが、本作では親と子に限らず、友人関係、上下関係など多くの人間関係における軋轢の類型を描いている点だ。誰にとっても「あるある」な葛藤と関係性を描いた、どの角度から見ても感情移入のできるのもそのためだろう。

©Marvel Studios 2017

「余談:ヒーローは自虐的だ」

せっかくの機会なので、マーベル作品が親子関係、特に「父性の超克」になぜこれほどこだわるのかについて一緒に考えてみたい。大前提として、スーパーヒーローは力を持たぬ人に代わって力を行使する存在である。そこには力の独占と特定個人による善悪の判断という、ある意味で独善的ともとれる性質が伴う。そして、父性は力やリーダーシップに結び付き、善と悪を分け、有用と不要とを判断する原理であるといわれる。

この「力を以て分かつ」という点で、父性とヒーローに内在する危険性とは深く結びついている。つまり、「父と息子の確執」は、MCU作品による「自己批判」ともいえる。MCUを飛び回るヒーローたちが、力を以て力を制することが内包する危険性について充分に配慮し、自省するだけの分別があるということを示すのが、こうして父性と対峙する目的であるといえる。彼らの持つ圧倒的な力に、力が持つ危険性への深い内省が合わさることで初めて、マーベルのヒーローたちは真に我々の味方として成り立っているのである。

「Never break the chain」

ブロックボタンひとつで人との関係が断ち切れる今、どうすれば喧嘩が終わるのか、時々わからなくなる。けれど、ガーディアンズたちが勇気を振り絞って対話する姿からは、きっと学ぶものがあるはずだ。もしもあなたがピーターだったら、父・エゴの横暴を正せるだろうか?もしもあなたがエゴだったら、子の怒りを受け止められるだろうか?そして、あるいはヨンドゥとピーターのように……。親と子、姉と妹、友と友など、本作にはありとあらゆる「諍い」がギュっと詰まっている。

だからこそ、トレイラーでも使われたFleetwood Macの“The Chain”の一節が深く刺さる。Never break the chain.――絆は断ち切れない。ヒットチャートからの引用は一歩間違うと薄っぺらさに繋がるが、その点は今作もピカイチだ。そう、絆は断ち切れない。

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©2017 Marvel

『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』

ならず者たちが行きがかり上、チームを結成し銀河系の危機を救うハメに! マーベル・シネマティック・ユニバースの中でも異色の”ヒーロー”たちが活躍するアクション・アドベンチャー映画『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』(14年)の第2弾。ピーター・クイル役のクリス・プラットを始めとするおなじみのキャストに加えて、カート・ラッセル、シルベスタ・スタローンなど大物スターも参戦。

監督/ジェームズ・ガン

製作/ケヴィン・ファイギ

出演/クリス・プラット、ゾーイ・サルダナ、デイヴ・バウティスタ、ヴィン・ディーゼル(声)、ブラッドリー・クーパー(声)他

配給/ウォルト・ディズニー・ジャパン

公開/2017年5月12日

公式サイト